アナクロニズム  anachronism(Anachronismus, anachronisme)


逆アムネジア――記憶の人に花束を 

ニーチェ『反時代的考察』は全四篇から成るうち第二篇が一番興味ある。「生に對する歴史の利害について」と題するその本文冒頭、まづ、來ては去る刹那刹那を「非歴史的ヽヽヽヽに生きる」動物の即時充足的(コンサマトリー)幸福を描く――何かにつけ人を「畜群」呼ばはりして罵るニーチェが、かくも動物化することへの羨望を語ったことがあらうか……レオパルディーの田園詩を下敷きにした擬きだから(サンダー・L・ギルマン/富山太佳夫+永富久美譯『ニーチェとパロディ』「第6章 ニーチェと牧歌のメタファー」青土社、一九九七年十一月、pp.196-​200。現行本文の準備草稿との違ひは、渡邊二郎「補論 ニーチェ――生きる勇気を与える思想、仝編『ニーチェ・セレクション』〈平凡社ライブラリー〉二〇〇五年九月、p.319以下參照)つい引きずられ絆されてしまったとか?――。これに對し、人間は過ぎ去ったものへの固執により生を害せられることが述べられる。そして、「極端な例であるが、忘却する力を全然所有せず、到るところに生成Werden、常在不變の反義]を見るように宣告されている人のことを考えてみてくれ給え小倉志祥譯「生に対する歴史の利害について」『反時代的考察 ニーチェ全集4』〈ちくま学芸文庫〉一九九三年十月、p.124)と持ち掛けられると、正にそのやうな人間として、「記憶の人フネス」といふボルヘスの短篇を想起させられる。記憶力異常増進症と言はうか忘却不能症と云ふか、記憶喪失アムネジアものを引っ繰り返した設定の主人公イレネオ・フネスは、「三時十四分の(横から見た)犬が三時十五分の(前から見た)その犬と同じ名前をもつという事実に悩まされた篠田一士譯「記憶の人・フネス」『集英社版 世界の文学 9 ボルヘス 伝奇集 エル・アレフ 汚辱の世界史』一九七八年五月、p.85)不可識別者同一の原理ライプニッツに準じ、如何なる微細な差異をも見漏らさず識別する者がゐては同一性(アイデンティティー)などあり得なくなる。餘りに豐饒且つ刻明な過剩記憶のため、世界は極度に唯名論的な個物の集積として現はれ、普遍的な觀念イデアを保持することが礙げられたのである。あの作品は「不眠の長ながしい暗喩である」と云ふのが序文での作者自註*1だったが、ニーチェも先の想定に續けて「一貫して歴史的にのみ感覚しようとする人があれば、この人は眠りを抑制するように強いられている(前掲p.125)と述べてゐた。「記憶の人、フネス」中に、「ペドロ・レアンドロ・イプーチェは、フネスが超人の先駆的存在、荒くれた土着のツァラトゥストラであったと書いている」といふ、實在の詩人の名を出して語った(=騙った)くだりがある鼓直譯「記憶の人、フネス伝奇集岩波文庫〉一九九三年十一月、p.148及び「訳注」(2)參照)超人ツァラトゥストラと言へばニーチェ。この狂死したドイツ人に想を得たことへの仄めかし、ボルヘスらしい間接的引喩アリュージョンではなかったか。

別にフリードリッヒ・ニーチェからホルヘ・ルイス・ボルヘスへの影響といふ比較文學講義をしたいのでないから、偶合であっても構はない。むしろ逆に我々後世の讀者は、小説「記憶の人フネス」に觸發された評論として「生に對する歴史の利害について」を見出すことができるのであり、ボルヘスとそれに先行するニーチェとを共に「われらの同時代人」として併讀する愉しみを得るわけだ。屡々言及されるボルヘスのカフカ論の一節――作家はそれぞれに自分の先駆者を創造ヽヽする。作家が文学の世界に一冊の本をもたらすことで、未来が修正されることになるが、同時に過去の概念も修正される*2。ここを引用しつつジェラール・ジュネットの附言して曰く、「こうした逆作用は、ボルヘスの好むあらゆるアナクロニスムを容認し、正当化する*3。短篇「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」伝奇集所收)の末段に出てくる「故意のアナクロニズム」といふ文言を承けての評である。メナール(ポール・ド・マンによればそのモデルはヴァレリーでありテスト氏である)の編み出した讀書法を、ボルヘスがさう名づけてゐた。但しその數ページ前、メナールは「ドン・キホーテをウォール街に置く」やうな「アナクロニズムの下卑た楽しみを嫌ったと書いてあったから(前掲篠田一士集英社版 世界の文学 9 ボルヘス』pp.34-​35/鼓直岩波文庫版p.58)、その手の現代化はボルヘスの好まない種類のアナクロニズムとして除外されるのだらう。ところでアナクロニズムとは、或る意味、ニーチェが掲げた反時代的といふ語に通ずるものなのだ。或る意味で……どんな意味で?

絶對に現代的であらねばならぬ……こともない 

ニーチェの第二反時代的考察でも、熱っぽい青年ユーゲントへの呼び掛けなんぞはどうでもよくて、讀む愉しみは細部に目が止まる瞬間にあったりする。例へばこんな――

諸君が伝記を望むならば、「某氏とその時代」という繰り返し文句をつけた伝記ではなく、扉に「その時代に逆らう闘士」と書かざるをえないような伝記を望み給え。
「生に対する歴史の利害について」六『反時代的考察 ニーチェ全集4前掲p.182

小さくも、歴史性を感じ取れる箇所だ。今もよくある「誰それとその時代」式の題名が早くも一八七四年に陳腐な常套句クリシェと見做されてゐたといふのが、面白い。次作に「いわゆる時代の子は時代の継子にすぎぬ「第三篇 教育者としてのショーペンハウアー反時代的考察 ニーチェ全集4』前掲p.267)と説くのと同旨で、人物の背景にある「時代」を描くのは「歴史の世紀」の異名を持つ十九世紀ゆゑの流行だったのであらうし、今日なほその名殘がある――『ニーチェとその時代』(氷上英廣著、岩波書店、一九八八年十一月)といふ反ニーチェ的書名のニーチェ研究本さへある!――と言ふわけだ。普段看過ごす摩り切れた慣用語が引っ懸かりを取り戻すのも歴史の相の下に觀ればこそ。「生に對する歴史の利害について」はさういふ歴史熱に浮かされた十九世紀思潮への反抗、正に「時代精神」に對する激越な批判であり、次の「戰爭と革命の世紀」、戰間期には、一九二〇年代以降「歴史主義」と呼ばれて大いに議論される問題に先鞭を着けた古典として讀まれてゆく(K・ホイシー/佐伯守譯『歴史主義の危機イザラ書房、一九七四年十一月、pp.10-​11​・p.15參照)。「トレルチュによれば現代の歴史主義の危機と自意識はニイチェに始まるものであり」……(ヴォルフガング・シュレーゲル/河合昇譯『ニイチェの歴史哲學』愛宕書房、一九四二年九月、p.17)。大著『歴史主義とその諸問題』近藤勝彦譯『トレルチ著作集』4〜​6、ヨルダン社、一九八〇年十月〜八八年五月)を繙きたいところで、歴史主義論には大いに讀書慾そそられるが、長くなりさうだから保留としておく。それに恐らくその呼び名は、歴史的には(また唯名論的には)、正しくないかもしれない……まだ歴史主義(Hi­sto­ris­mus)といふ言葉が無かった時代のニーチェの著作にまでその概念を遡及適用するのは、だ(小倉志祥譯「生に対する歴史の利害について」中「緒言」p.120で「歴史主義的な時代傾向」と譯された箇所は原語hi­sto­rischen、以降の出現箇所で譯語が「歴史的」「歴史の」なので除外)。――後年の遺稿斷編集にHisto­ris­musHisto­ri­cis­musが出て來るから、いいのか?(『權力への意志一〇四一五Nach­ge­las­sene Frag­men­te-1887, 9​[126]/1885, 2​[195]、竝びに原佑・吉沢伝三郎『生成の無垢 上 ニーチェ全集 別巻3』二八二、〈ちくま学芸文庫〉一九九四年九月、p.227​=高辻知義譯「遺された断想 一八七五年夏」『ニーチェ全集 第五巻(第期)白水社、一九八〇年八月、p.353​=NF-​1875, 11​[4]恒川隆男譯「遺された断想 一八八〇年初頭―八一年春」『ニーチェ全集 第十一巻(第期)』白水社、一九八一年五月、p.566=NF-​1880, 10​[D88]

この原書名„Unzeitgemässe Betrachtungen“を曾て生田長江譯では「季節はづれの考察」とした(新潮社版『ニイチエ全集 第十編』一九二九年一月→「季節外れの考察」日本評論社版『ニイチェ全集 2』一九三六年四月)。一九〇九年刊の英譯書名も“Thoughts Out of Sea­son”であったし、既に安倍能成譯『この人を見よ』中の章題「『非時代的思想』(die Unzeitmママässen)」(南北社、一九一三年十一月、p.160が岩波文庫版(一九二八年十月、p.112で「季節はづれ(die Unzeit­gemässen)」に改譯されてゐた。小栗孝則譯『この人を見よ』(〈改造文庫〉一九三六年四月、p.118)も檢すれば「非時節向きのもの」。「非時世的考察のための思想と草稿」といふ副題が野中正夫編譯『ギリシア人の世界』所收「我等古典文献學者」(筑摩書房、一九四三年十月)に見える。『偶像の黄昏』の舊譯『偶像の薄明』のうち‚Streif­züge eines Unzeit­gemässen‘に當る章は、「時代との戰に於ける小ぜりあひ」(生田長江、一九二六年、「時知らず者の徘徊」(阿部六郎、一九四二年一九五八年、「或る反時代的人物の遊撃」(秋山英夫、一九五一年……等々。形容詞unzeitgemäßを獨和辭典で引くと、時代に合はぬ、當世風でない、狂ひ咲きの、舊式な、といふ程の語義である。が、ニーチェの場合は同時代に向かってのもっと積極的な批判であるが故に「反時代的」と譯すのが現在の定説、ださうな小倉志祥「解説」前掲『反時代的考察』pp.498-​499)。と言ふことは、そんなニーチェ尊崇の念を差っ引いたら、「時代後れな觀察」と反譯してしまってもあながち不可をかしくなからう*4。來るべき次代を志向する哲人に相應しくない退嬰的な譯語だ、生田長江の昔ぢゃあるまいにそれこそ時代後れだ、と叱られるかもしれないが、古典文獻學教授には黴臭さがお似合ひだし、皮肉イロニーも利いてゐて、その方がよっぽど進歩主義史觀に抗した反時代的な身振りではないかと思ふがどうか。

ウェブ檢索すると、「Unzeitgemäße Betrachtungen反時代的考察か?」といふ疑問から説き起こした講義が見つかった。

ドイツ語の文脈で考えれば、altmodisch(古風な)とかfuturistisch​(未来派的な)といった語が、現代の流行に対するいわば対案としての積極的な意味を持ちうるのに対して、unzeitgemäßという語は時代に単にずれている、ということを意味するに過ぎない。Betrachtungenは、Betrachtungの複数形で、単数形のBetrachtungは、「観察」を意味する。複数形で用いられる場合には、「考察」をも意味するが、それでもBetrachtungenという語で含意される「考察」とは、考察に具体的対象を要求する性質の考察であろう。つまり単なる抽象的思弁とは異なる。そのことを意識した上で、ということならば、「考察」という訳語を用いることに無理はない。そうすると、連作集のタイトルは、直截に訳せば、原田義人の訳を現代表記に改めて『時代はずれの考察』とすべきではないか。

守矢健一「初期ニーチェの学問批判の一局面」大阪市立大学都市情報学専攻遠隔講義、二〇〇六年

原田義人譯だと『若き人々への言葉』(月曜書房、一九五〇年九月)が該當だが、同書創元文庫版(創元社、一九五二年三月→〈角川文庫〉一九五四年十二月)以降「反時代的」に改まってゐる。「時代はづれの考察」といふ譯し方は、夙に三木清(「現代思潮」一九二八年→『三木清全集 第四卷』岩波書店、一九六七年一月、p.221・257。『歴史哲學』第六章一、一九三二年『三木清全集 第六卷一九六七年三月、p.258)にも見られ、和辻哲郎『ニイチェ研究』一九一三年初版以來の踏襲であらう。「反時代的」とする意譯の火附け役と目される阿部次郎(和辻が一九二八年より絶交)なぞ、「彼[ニーチェ]unzeitgemässの態度は眞正面から時代を對手とする、自ら正しとする自信によつて眞正面から時代に働きかけて行く。これを時代外れといふやうな、自嘲と皮肉の響を帶びた側面的言語に譯することは當を得ない」と決めつけてゐたけれど(「『悲劇の誕生』――その體驗及び論理」註(五)初出一九三一年一月→『文藝評論第二輯 世界文化と日本文化』岩波書店、一九三四年四月、p.14→『阿部次郎全集 第九卷』角川書店、一九六一年九月、p.23「時代はづれ」)、マアそんな一面觀で逸り立たずに、物事は多面的角度から立體的に眺めて戴きたい。ニーチェが時世に正對して直言する意向だったとした所で、それを表明すべく適用したこの一語はさう素直に直面的ではない。否定のun​(≒不、非、無)を接頭辭にしたzeit­ge­mäß​(即時代的)の反對概念ではあれ、前綴りgegen‐wider‑​(anti)ほど直截な對抗を勝義としないだらう。un­zeit­ge­mäßのニーチェにおける初例(一八六九年八月十七日附エルヴィン・ローデ宛書翰から推して「反時代的の語は、むしろ時代に(ふさ)わない意味で、時代はずれもしくは時代ばなれの含蓄が濃い。内容がかならずしも反抗ヽヽの一点ばりではなく、時に重点の移動があることを心得ておくべきであろう(氷上英廣『ニーチェの顔』「Ⅸ イスカの喉もと――ニーチェとその時代――」〈岩波新書〉一九七六年一月、p.210)と注意されてもゐる。少なくとも、「[ニーチェ]のこの言葉には、時代に対して反逆的という積極的意味と、時代にそぐわないという消極的意味とがある(『ツァラトゥストラ 下 ニーチェ全集10吉沢伝三郎「訳註」1749、〈ちくま学芸文庫〉一九九三年六月、p.488)と陰陽雙極が認められる。ニーチェ自身は「単純ヽヽであり正直ヽヽであり、したがって言葉の最も深い意味に解された反時代的であること教育者としてのショーペンハウアー、前掲『反時代的考察 ニーチェ全集4』第三篇p.246)とも言ふが、深意が問題になるのも現にその單語が表面に見せてゐる第一義が別意としてあればこそ、さうなるともう簡明率直を是とする當人の言に反して單純な言葉通りには聞こえぬ以上、次行の「まことに、今や人間は多面的となり複雑化したので、およそ語り、主張し、主張に従って行為しようと欲するとき、不正直とならざるをえないのである(同前)と言ふ時代批判も半ば自己批評めいた反語イロニーの響きを帶びてきて反響する。言語の雙面性と言ふべきか、言葉はしばしば曲言となり自身をも裏切る――そのコトバを言語間で移すのが飜譯者なのに、ココロを先決し作者内面の眞意(?!)を文面よりも優先する解釋家となれば、却って私意を以て志をむかふるに傾き、言辭に即した理解から遊離してしまふ。姿は似せがたく意は似せ易し本居宣長とやら、意を體するにも詞姿(figure​=文彩あや)を見失ってはなるまい。しかし結局、阿部次郎門下の井上政次が『反時代的考察』上下卷(〈岩波文庫〉一九三五年三月/十月)を譯刊して以後の邦題書名はみなこれに靡いた。因みに、その後の英語版ではUn­mod­ern ob­ser­vations​(1965)とかUn­timely med­itation​(1983)Un­fash­ionable observa­tions​(1995)等とも譯され、フランス語譯ではCon­sidéra­tions in­tem­pestives​(1945​1954)と題したジュヌヴィエーヴ・ビアンキ譯も後にConsidéra­tions in­actuellesに改められてゐてその方が通用の譯題らしい(in­actuel(le)のことは後述する)。

遲れてきた豫言者――早すぎた、ではなく 

時宜に適はないだの時機を誤っただの言っても、時間には進んだのと後れたのと二通りある筈。世のニーチェ宗は豫言者氣取りゆゑ前者だらう。ところが同樣のアナクロニズム(時代錯誤)といふ類語でも、後代の事物を前代に混入する時代設定上の喰ひ違ひ(つまりそこだけ時期尚早になる進みすぎ)を指す用法もあるものの、時流に逆行とか時勢に取り殘されたとかいった意味の方が強く、主に侮言として用ゐられる。當然だ、少數の先覺はいざ知らず、時世の移り變りに追隨する大衆は反應が遲れがちにならうから。

遲延の間隙、即時性からの阻隔。そこに、歴史は後向きに前進すると云ふ逆説パラドックスを弄する餘地が生れる。「われわれはまったく新しい状況に直面すると、つねに、もっとも近い過去の事物とか特色に執着しがちである」、自動車が「馬無し馬車」と通稱されたやうにひと時代前の規準で新規を評價してしまふのであり、だから前方を直視したつもりで「われわれはバックミラーを通して現代を見ている。われわれは未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく」、とマーシャル・マクルーハンは告げた南博『メディアはマッサージである』河出書房、一九六八年三月→河出書房新社、一九九五年十一月、pp.74-75)。あたかもボートを漕ぐが如く、または慣用句に言ふmarcher en écrevisse​(佛、ざりがにの歩み)、a passo di gambero​(伊、海老の歩き方)、Krebs­gang​(獨、蟹行――後退・逆行の意、日本語では横這ひだが)、crawfish out​(米口語=back out)等を機械時代に相應しい譬喩に刷新して見せたかの如く。これに先んじて、歴史嫌ひのポール・ヴァレリーもまた「われわれは後ずさりしながら未来に入ってゆく」と喩へたものだ(柴田三千雄譯「歴史についての講演」『ヴァレリー全集11 文明批評新装版、筑摩書房、一九七四年二月、p.237)。これらを含む類句を蒐めたものに、季刊『団塊パンチ創刊號特集 Back is Beautiful 未来は後方にあり――または「団塊パンチ」の60年代考現学飛鳥新社、二〇〇六年四月)があるが、中でBack to the Futureといふ成句を映畫『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(一九八五年公開)に採らずわざわざ堀田善衞から引いてゐるのは、見識なのか。續く卷頭、選者長沼行太郎花村太郎の本名)が見開きで「後ろ向きの未来に向かって」といふ文を掲げる(pp.14-15)、とは言へ、未來論に趨ってしまひ後向きな視線の意義を説くに不足だった。ほか、『古くさいぞ私は』晶文社、二〇〇〇年二月)と自認する坪内祐三に『後ろ向きで前へ進む晶文社、二〇〇二年八月)といふ題の評論集があったけれど、本文にも後書きにも書名について特段述ぶる所無し。闕語法(レティサンス)のつもりかしらん。ともあれ警語を列べたって論證は成立しない(さうぢゃないかねニーチェ君?)。

由來デカルト主義者(カルテジアン)とは歴史(學)を見縊るものだから、「歴史に注がれるヴァレリーの懐疑的な視線の結果は、きわめて徹底的な、歴史の拒否である。これに比べれば、ニーチェの『人生に対する歴史の利害得失に関する時代はずれの考察』などは無邪気なものである(カール・レーヴィット/中村志朗譯『ポール・ヴァレリー その哲学的思惟の概要「四 歴史および歴史記述の批判」未来社、一九七六年二月、p.199)とまで評するのは過襃だが、あの純粹知性の散文は人を惹きつける。ヴァレリーの方の出典に當ってみると――折角だから舊譯でも引いておかう――、「嘗て他處でも申したことですが、われわれは後ろ向きに將來にはいつて行くといふことが、私には餘りに感じられるのです」(佐藤正彰譯「歴史的事實」『精神について 1 ヴァレリイ全集』筑摩書房、一九五〇年六月、p.255、傍線部は原文傍點ゴマルビ)といふ風に既出の語句として自家引用してゐる。遡って前例を探すべきであらうが……全集カイエ篇まで通覽させられては堪らない、用例索引コンコーダンスが欲しくなるところだ。似た發想で「汝は(あと)退()さりして汝を知る」(Tu te con­nais à reculons.)云々の自己認識論が初期の未完散文詩「アガート」(一八九八年起稿、『ヴァレリー全集2 テスト氏』p.120)に見えるも、まさかこの生前未刊稿の參校を請うたわけではあるまいし、ヴァレリー自身が「始まり」に執心した人とは言へ、始源へ胚種へと還元する向きの讀み込みでは時期毎の變異を見分ける史眼が曇りがちとなる。安永愛「〈我ら、後ずさりしつつ、未来へ〉―ポール・ヴァレリーの時間意識とその射程―静岡大学人文学部『人文論集』第六〇卷第一號、二〇〇九年七月)によればこの一句をヴァレリー著作中に七箇所見つけた研究者がゐるとのこと、その該當箇所を脚註に轉記してくれてゐるが、參照指示が佛文原書ページなので邦文でしか讀めぬ者には役立たない。管見の限り、既に引いた「歴史についての講演(一九三二年七月)以後の發表となる名高い「精神の政治学」終盤(前掲『ヴァレリー全集11 文明批評』p.114。恒川邦夫譯「我らが至高善 精神の政策『精神の危機 他十五篇』〈岩波文庫〉二〇一〇年五月、p.156相當)や「精神の政治学の道しるべ(『ヴァレリー全集11』p.117)にも「我々は未来に後退りして進んでゆく」「われわれがあとしざりに未来に入って行くということ」と述べられ、更にのち「われらの運命と文学(『ヴァレリー全集12 現代世界の考察』p.204)、晩年の「予見不能(『ヴァレリー全集9 哲学論考』p.305)や「息がつける」(『ヴァレリー全集12 現代世界の考察』p.375)に至るまで反復される格率(マキシム)、ヴァレリー愛用の定式句フォーミュラであった。一九三〇年代から第二次世界大戰末、いづれも激動の現代史の中にあって先行きの豫測不可能を言ふ文脈で持ち出されてゐる。一寸先は闇。つまり、豫言者なんてあり得ない、と。

歴史家とは後向きの予言者である」(Der Historiker ist ein rückwärts gekehrter Pro­phet.)とはロマン主義の創唱者フリードリッヒ・シュレーゲルの寸言でありアテネーウム斷章80Fr・シュレーゲル/山本定祐譯『ロマン派文学論』〈冨山房百科文庫〉一九七八年五月→一九九九年七月第二刷p.40)、十八世紀末當時、初期ロマン派にあっては豫言者たることを頌した肯定的な讚辭だったらしいが(ベーダ・アレマン/小磯仁譯『詩的なる精神 ヘルダリーン』第二部第四節、国文社、一九九四年十二月、pp.88-​89)――同樣に十九世紀半ばキルケゴール樣相論(可能、現實、必然)による歴史哲學批判の中でこれをヘーゲル右派神學者カール・ダウプの言として引照してゐるのも過去が豫言される點への着目からだったが(大谷長譯『ゼエレン・キェルケゴオル選集 第八卷 哲學屑或は一屑の哲學』「間奏樂」人文書院、一九四九年二月、p.145→『哲学的断片 或いは 一断片の哲学』「間奏楽」、『原典訳記念版 キェルケゴール著作全集 第六巻』創言社、一九八九年九月、pp.105-106及び「訳者註」p.216)――、それが、ロマン主義一流の含蓄あるProgreß​(=發展、前進、累進。Progression=數列、級數)の觀念が專ら進歩(Fort­schritt)の意で盛行するにつれ、今や後向きとは未來に盲目なることを諷する否定的な貶辭である(例、ハインリヒ・ハイネ/山章甫譯『ドイツ・ロマン派』未来社、一九六五年四月、「第二巻」p.80、cf.「第一巻」p.61。方向を變へて見通しを利かせるのと、目を背けて後戻りするのと。こんな意味も評價も逆方向に覆るなんて作者にも豫想外だらう。凡そ未來は(かく)の如く(あらかじ)め見る可きこと難し、加へて背進するに至っては、先見の明の能く逆覩する所に非ざる也(擬「後出師表」。不可視ゆゑに募る將來の不安、即ち« Incertitude アンセルティテュード»​(=不確實性、變り易いこと、頼りなさ、不確定性、豫斷を許さないさま)に對し、二人稱で呼び掛ける皮肉な短詩L'Écrevisse, 1911を口ずさむも可。

不安よ、おお、私のよろこび

お前と私とは一緒にゆく

海老が歩くやうに

後へ後へと。

ギイヨオム・アポリネエル「海老」堀口大學譯、『譯詩集 月下の一群』第一書房、一九二五年九月、p.33
→ギイヨオム・アポリネェル『動物詩集 又の名 オルフエさまのお供の衆第一書房、一九二五年十二月、p.52
(→改譯「ざりがに」『月下の一群』白水社、一九五二年十月
 →パリゾ編『アポリネール詩集』〈世界現代詩叢書〉創元社、一九五三年四月
 →『アポリネール詩集』〈新潮文庫〉、一九五四年十月)

同種の隱喩はニーチェも歴史に用ゐた。「始源を探ねもとめることで、ひとは蟹Krebs​=ザリガニ]となる。歴史学者は後向きにものを見る、最後にはまた後向きに信ずるヽヽヽにいたる。『偶像の黄昏』「箴言と矢」二四、原佑譯、*4前掲ちくま学芸文庫版全集14​p.21)……「あとずさりヽヽヽヽヽKrebs­gangを目標として夢みている」にしろ「しかし誰でも自由に蟹になれるわけのものではない(仝「或る反時代的人間の遊撃四三、同前p.134)とも。定めなき未來を讀むはおろか過去へ戻ることすら覺束ない。「私が物語るのは、次の二世紀の歴史である」などと大仰に將來を卜する時でさへ、時流に乘り外れた遲疑逡巡と共にでしかなかった。

――ここで物語っているのは、これ[破局へと急く奔流のやうなヨーロッパ文化全體の動き]とは逆に、おのれをかえりみることsich zu be­sin­nen​=熟慮する、(ぐづぐづ)思案すること]以外にはこれまで何もしてこなかった者である。すなわちそれは、おのれの利益Vor­theil​=長所]を、脇にそれ、外にはなれることのうちに、忍苦のうちに、躊躇Ver­zö­ge­rung​=遲延]のうちに、落伍Zu­rück­ge­blie­ben­heit​=取り殘されてゐる、後れを取ってゐること]のうちにみいだした本能からの哲学者にして隠遁者として、すでに未来のあらゆる迷路に踏みまよったことのある冒険し実験する精神として、来たらんとするものを物語るときには、来しかたをふりかえりみるzu­rück­blickt予言鳥の精神として、ヨーロッパの最初の完全なニヒリストとしてではあるが、[……]

原佑譯『権力への意志 上 ニーチェ全集12「序言」3、〈ちくま学芸文庫〉一九九三年十二月、p.14​=NF-​1887, 11[411]

所詮、豫言は事が起きた後になってそれと氣づかれるもの、豫想のうち實現したものだけが遲れて再評價されるに過ぎまい。「我々、後れて來た者 Spät­gekom­menen​(=遲參者)」(「生に對する歴史の利害」ちくま学芸文庫版p.192「後からやって来た者」、cf.仝「二」pp.135-136​・「六」p.180)亞流(エピゴーネン)(=追隨者、後裔)」(仝「五」p.161、「八」p.194​・197である近代人にとっては猶更のこと、さうした「イロニー(仝p.161、「八」p.191​・197、「九」p.203)や「シニシズム Zynismus​(=冷笑癖、犬儒主義)」(仝p.161​・203等「キニク主義」、cf.「一」p.124)は免れられぬところ。「歴史主義的(ヒストリシスト)唯名論的(ノミナリスト)な人」として「偶然性に直面する」者は「アイロニスト」となる、それが「遅参と不安の時代」の生だとか(リチャード・ローティ/齋藤純一・山岡龍一・大川正彦譯『偶然性・アイロニー・連帯 リベラル・ユートピアの可能性』岩波書店、二〇〇〇年十月、序論p.5・第四章p.156・第二章注(3)p.91)。「遅れの意識」はヴァレリーについて安永論文も指摘する所だった。

そもそも「後ずさりしつつ」あるいは「後ろ向きに」の意味のフランス語à reculonは熟語であり、「後退する」「退く」「しりごみする」「たじろぐ」という意味を持つ動詞reculerに由来する。この「後ずさりしつつ未来へ」reculons à l'avenirというフレーズにおいては、「前進」するのではなく「後退」するということを示すところに力点が置かれているのだが、このフレーズには、移動の方向を示すのみならず、一種の「しりごみ」や「たじろぎ」、躊躇の気配が漂っていることも確かである。

安永愛「〈我ら、後ずさりしつつ、未来へ〉―ポール・ヴァレリーの時間意識とその射程―」pp.58-59

氣後れ、といふ表現が日本語にはある。「世の中の進歩が喧伝されればされるほど、デタッチメントを習いとするヴァレリーは、自らの遅れを自覚せざるを得ない。(同前p.60)――時差、時代外れ、アナクロニズムの發生だ。ヴァレリーにしてなほ然りとせば、次々と現れ來る現在の把捉に出遲れて過ぎ去りつつある殘像の上に滯留してしまふ視線が世に溢れようとも、無理もない。ただ、無自覺な動態視力不足で生新さを見逃してゐる癖に正視し得てゐると思ひ込むのが困りもの。

ときのあとさき 

迂回になるが、いささかアナクロニズムについての説明を插むとしよう。その項でわざわざ「英語の a­nach­ro­nism は,単に時代遅れにかぎらず,過去の時代に現代の事物を持ち込むような状況設定を指摘するときにも用いられる」と注意する辭書もある(『新和英大辞典 第五版研究社、二〇〇三年七月)。現在から過去へと溯向して持ち込んだと觀ればそれもまた接頭辭ana-のギリシア語源「上方に、さかのぼって」のうち。この語の本來の意味でのアナクロニズムを、テクスト讀解の心理として外山滋比古は取り上げた。

[……]現在、かくかくであるから、というので、それを過去の中にもち込む歴史的に「身勝手な」解釈をアナクロニズムと呼ぶのである。シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』を読むと、エリザベス朝英国風俗のローマ市民が登場したり、ローマにはまだなかったはずの時を打って報ずる時計があらわれたりするが、これがすなわちアナクロニズムである。

の錯覚」『近代読者論』みすず書房、一九六九年二月、p.295→新裝版、一九九四年八月
(→『外山滋比古著作集 2 近代読者論みすず書房二〇〇二年六月
 →栗原裕『ものの見方 思考の実技PHP研究所二〇一〇年九月
 →『ものの見方、考え方 発信型思考力を養う〈PHP文庫〉二〇一六年七月

單に訂正すべき過誤なのではない。時間の隔った過去の事物は最早その儘では了解しきれないので現在の我々の考へ方を補充して解釋してやらねばならない、さうした主觀の導入によるアナクロニズムは歴史の理解につきものだ、と外山は説く。

現在を過去にもち込むことがアナクロニズムであるが、逆に言えば、古いものを生き生きとよみがえらせる効果をもつものでもある。過去を眼前に彷彿たらしめるもっとも素朴な方法の一つがアナクロニズムである。ローマ人がトーガを着て、ラテン語を話していれば、それはシーザーのローマには忠実であるかもしれないが、イギリス人には判らないものになってしまう。それを同時代の風俗・言語で表現するからこそ、芝居が生きて来るのである。

文法に「史的現在」という語法がある。過去の出来事などの描写を躍如たらしめて、読者の興味を高めるために、本来ならば過去の動詞が用いられるべきところへ、現在形を用いて表現するのがこの史的現在である。これはアナクロニズムが語法となって定着したものであると考えることができる。

同前pp.303-304

シェイクスピア劇で古代を舞臺とするものに「その時代にはまだ存在しなかった事物が描かれること」については、「これを時代錯誤として指摘する意識は近代以降のもので、一六世紀から一八世紀頃までは、むしろ異なる時代の存在が多層的かつ同時的に享受されていたとも言える(「アナクロニズム」川口喬一・岡本靖正編『最新 文学批評用語辞典研究社出版、一九九八年七月、p.7)。本邦江戸期に於る歌舞伎の時代物とて同樣、時代違ひの綯ひ交ぜはざらで、時代考證に神經を遣ふやうになったのは明治以後に活歴や史劇と稱してからであらう(Cf.坪内逍遙『小説神髓 下卷』「時代小説の脚色」一八八五年、目次では「時代物語の脚色しくみ」)。近代人の認識で以て未だその意識が無かった時代の歴史物語の錯誤を指彈するのはそれもまたアナクロニズムになる……。近代的な史料批判は十五世紀ルネッサンス期の人文主義者に先蹤が求められ、僞文書の矛盾摘發のため用語法(時代差がある筈)に着眼して「アナクロニズム〔時間的錯誤〕を歴史分析のひとつの道具に利用したことはじつにひとつの転回点を画するものであって、計り知れない重みをもつ知的事件であった(カルロ・ギンズブルグ/上村忠男譯『歴史・レトリック・立証』「第二章 ロレンツォ・ヴァッラとコンスタンティヌスの寄進みすず書房、二〇〇一年四月、p.94。Cf.クエンティン・スキナー門間都喜郎『近代政治思想の基礎 ルネッサンス、宗教改革の時代』「vii》 人文主義的学問の伝播」春風社、二〇〇九年四月、pp.216-224.)。さらに十九世紀にランケ流の近代史學が伸張し各時代ごとの史實をあるがまま尊重すべきことになると、現在を過去に投影する遡及的アナクロニズムが意識されて拂拭されゆく。だから、それと逆向きで前代の遺物を現代に引きずる時代後れといふ意味での跛行的アナクロニズムばかりが目立って殘ることになるのだらう。いや、遡及式のそれとて不知不識しらずしらずのは依然あるにしろ――實證史學により虚僞が改められてもなほ、客觀的物證が示しにくいテキスト解釋の次元では主觀の作用する場である以上根強く現代的錯覺が伏在し、氣づかれぬ儘になりがちである。

引用後段の、過去を現在化する(歴)史的現在(the histo­ric(al) present)といふ時制テンス、これを日本語でも文法的範疇として認めてよいものかは問題あるが……少なくとも修辭法としては明治時代から「現寫」等の用語で扱はれた佐藤信夫企劃・構成/佐々木健一監修『レトリック事典』大修館書店、二〇〇六年十一月、「3‑18 現前化・描写など」pp.576-580及び「3‑15 枠組み変様」p.527參照)。「歴史的現在」としてはまづ一九三〇年代から文章心理學波多野完治が近代小説を素材に取り上げ、自然主義文學時代に見られず横光利一・川端康成ら現代文學に現在終止形が出てきたと論じてゐた。が、これは歴史知識の不足で、先立つ言文一致體の普及過程で正岡子規らに發する寫生文が文末にタ形よりル形を多用してゐたことはその後國語學的調査もされてゐる佐藤武義石出靖雄。さうした文章史上の「時間処理(時の表現の仕方)をめぐる試行錯誤は」大言すれば「近世から近代への移行にともなう時の観念の地殻変動に遠く由来すると思われる藤井淑禎「写生文・映画・時間――過去形表現の成立――」『小説の考古学へ 心理学・映画から見た小説技法史名古屋大学出版会、二〇〇一年二月、p.168)。だがまあ、それもいまはいい。この外山の餘談から示唆されるのは、アナクロニズムが語法ともなること、つまり逆に言へば、言語表現にアナクロニズムを讀み取れるといふことだ。そこで文體論やレトリック論が參考になる。

ひとまづ『レトリック事典』3‑16‑2‑2、pp.548-551)に從ってアナクロニズムを「時代混交」と總稱するなら、遡及的なと呼んだ方には「未来混入 prochronisme」「前進的時代混交 anachronisme progressif」、跛行的と呼んでみた方には「過去混入 méta­chro­nisme, para­chronisme, cata­chronisme」「後退的時代混交 anachronisme régressif」といった術語が用意されてゐる。譯語を與へられた原語について佛和辭典を引くと、prochronismeは「(歴史的事実について)実際の時日より前に起ったことにする誤謬」(P・H・ゴス提唱のプロクロニズム逆向性を生物が以前の成長プロセス・來歴を形態に留めることといふ時間推移に沿った順向性に轉義したグレゴリー・ベイトソン精神の生態学は論外とする)、對してmétachronismeは「年代錯誤(ある事実の年月日を実際よりも後らせて記載する歴史上の誤謬)」、parachronismは英和辭典に「時日後記《年代や年月日を実際より後に付けること》」などとある。だが……いささかの途惑ひ。遡及すると前進的だとは、こは如何に。後退的と稱する方が時間の進行方向に沿って延長してゐるが? 前と言っても、已前の意味なら過去だが前途ならば未來である。後(ウシロ/アト)とは、向後の意味では未來だし背後に振り返る來し方だと過去となる。「先に延ばそうという言葉と、さきの関白太政大臣というのは、同じ言葉を前後両方使っている。だからそれは空間表象を時間に適用する時に、必ずしもユニバーサルな対応がないんじゃないか川田順造・坂部恵編『ときをとく 時をめぐるΣΥΜΠΟΣΙΟΝ』リブロポート、一九八七年十二月、p.63)*5。相對的な方向指示語で順逆を述べると、前後が後先になってどうにもこんがらがる。そも人間の言葉が空間的な比喩で以て時間を表現するところに既に混亂が萌すといふことならば、成程、言語を介した認識にアナクロニズムがつき纏ふのも道理ではある。

シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』に時計が出てきたり、『アントニーとクレオパトラ』にビリヤードが出てくるのは、おそらく単なる認識の誤りだが、意図的に使われた、つまりレトリックとしての時代混交」になると、「19世紀までのレトリックの書物には出てこないように思われる」、と『レトリック事典』も述べる。「この技法は厳密な歴史認識を前提とするが、そのような認識法が西洋において確立するのは19世紀末頃のことである(p.550)。未來混入・過去混入といふ二種の下位分類のうち、「普通にアナクロニズムと呼ばれて非難される認識」である後者より「文学的な《時代混交》が《未来混入》に偏っている」と言ふのも*6、それが歴史學的實證主義(positivism)に否定されたアナクロニズムを逆手に取った文彩であるゆゑだらう。敢へて積極的(positive)に過去に介入してみせるわけだ。それに對し消極的ではあれ、過去からの作用に受け身で時代後れで後向きであるアナクロニズムも儼存するのに、そちらの方を徹底する事はまだ弱いと見える。いっそ否定的(nega­tive​=消極的)であってこそ「反時代的」であらうものを――。消極的であることに積極的になるのは難業かも知れないが、その形容矛盾を遂行するのが批判(=批評。英criticism、獨Kritik)といふもの。いづれにせよ、轉變を常とする近世以降、動搖する時代に對して「状況への局地局地の反応がいくつもの確信犯的アナクロニズムを生み出した野口武彦「江戸のドン・キホーテ*確信犯的アナクロニズムについて」岩波書店『思想』一九九四年一月號〈思想の言葉〉p.3)。もはや無知ではなく故意による、反語イロニーとしてのアナクロニズム。

温故知新、以て文獻學者と爲るべし 

さて、ニーチェが「反時代的」であり得た所以は古典文獻學者(klassischer Philologe)だからだ、と自任されてゐた。「生に對する歴史の利害」緒言末尾を、斎藤忍随の譯文*4前掲「フィロローグ・ニーチェ――ニーチェ・コントラ・ブルックハルト――」『幾度もソクラテスの名を 』p.59所引)で見ておく。

現代の子でありながら、私がこのように時代離れのしたunzeitgemässen経験をもつようになったのも、もとはと言えば私がより古い時代の弟子、とりわけ古きギリシアの教え子であるためにすぎない。私としてはそのことだけはクラッスィッシェル・フィロローグという職掌からいってもどうしても断っておかなければならないのである。というのはクラッスィッシェ・フィロロギーが反時代的にunzeitgemäss働き、時代に逆らって活動し、それによって時代の上に働きかけ、できれば来るべき時代のために働くという意味をおいてどのような意味を現代にもっているかを私は知らないからである。

„Anachronismen“(2003)と題する論集中、第二論文が正に右の結文を引用してゐるWil­helm Schmidt-Bigge­mann, »Ge­schich­te, Er­eig­nis, Er­zäh­lung. Über Schwie­rig­kei­ten und Be­son­der­hei­ten von Ge­schichts­phi­lo­so­phie«, S.29のがGoogleブック檢索によって知れ、アナクロニズムの一種としてun­zeit­ge­mäß(反時代的)を取り扱った節みたいだが、それ以上はドイツ語に文盲な身では解らない。アナクロニズムに重ねられることの傍證にはなるか。逆に「時代錯誤」(名詞Ana­chro­nis­mus​/複數形Ana­chro­nis­men、形容詞ana­chro­nis­tisch)といふ表現形をニーチェ著作中に索めても僅かな用例しか檢出されず取り立てて含意の籠った鍵語キイワードでもなささうで(『人間的な、あまりに人間的な 第二卷』第二部二七九、『善惡の彼岸』五五、他日「反時代的」と結びつけられる世の到來を期する願望までは無かったらう。しかし當該單語への端的な言及を證に得ずとも、同時代に和せず古き時代に據ることを云爲するとあっては、その名を呈されようと否めまいが。なほ、この緒言で「望むらくは将来の時代のために小倉志祥譯、ちくま学芸文庫版p.121)とあるやうな前向きな姿勢については、關心無いので度外視する――と言って惡ければ、「括弧入れ」して還元する。ここに綴るのはアナクロニズムをめぐるノート(覺え書き、註解)であってニーチェ論でないから(多少脱線すれど本筋ではない)。時には「ニーチェ」に逆らひてニーチェを讀むべし。……ところで、かの擬ゾロアスター書は「後ろ向きに欲すること Zu­rück­wol­len(第二部20 救濟について」233346節、吉沢伝三郎『このようにツァラトゥストラは語った 上 ニーチェ全集9〈ちくま学芸文庫〉一九九三年六月pp.254-257「後戻りして意欲すること」)を教へなかったか? その章を解説して村井則夫『ニーチェ――ツァラトゥストラの謎(〈中公新書〉二〇〇八年三月、p.215)が「反時代性アナクロニズムという時間感覚の逆転」と述べてもゐる*7

――古典文獻學の精神からの意識的アナクロニズムの誕生。この古めかしくも由緒あるPhi­lo­lo­gie​(文獻學)を言語學と譯した本も散見するけれど(一例、大河内了義「生に対する歴史の功罪」『ニーチェ全集 第二巻(第Ⅰ期)』白水社、一九八〇年四月)、それでは十九世紀の新興科學であるSprach­wis­sen­schaft​(延いてはLin­gu­is­tik)と紛れて判別つかなくなる。ギリシア語源φιλολογία(フィロロギア)は字義通りにはことば(ロゴス)愛好にしろ、語誌・文法に留まらず訓詁註釋本文批判(テクストクリティーク)・目録編纂等をも任として書誌學とも混ざり合ってゐる。博言學といふ舊稱もそぐはないし、譯語に窮してそのままフィロロギーやフィロロジー(英佛發音)とカタカナ音寫で濟ませる邦文も出る次第。……と、(こと)()の小異にこだはる穿鑿好き(ペダンティック)瑣末事研究(ミクロロギー)文獻學者流の病癖である。セネカの慨嘆「而して哲學(フィロソフィア)なりしもの、いまや文獻學(フィロロギア)となれり」(ルキリウス宛第百八書翰第廿三節を逆さに捻って、文獻學から哲學へ(phi­lo­so­phia facta est quae phi­lo­lo­gia fuit.)を大學就任講演「ホメロスと古典文獻學」(一八六九年。塩屋竹男『悲劇の誕生 ニーチェ全集2』〈ちくま学芸文庫〉一九九三年十一月、p.493)での決め科白にしたニーチェ。それでも文獻學に未練はあって、『反時代的考察』の續篇に「我ら文獻學徒 Wir Phi­lo­lo­gen」を構想してゐたが、草稿のまま完成せずじまひだった。本人の意嚮はどうであれ、そこには哲學から文獻學へ向ふ思考も讀み取れ、仄かに文獻學の哲學が兆してゐる。或いは、「フィロロギーによるフィロソフィであることこそ、読書の学の要諦である吉川幸次郎『読書の学』二十八、〈筑摩叢書〉一九八八年六月、p.211)言はうか。文獻學を論評するその遺稿集で興が湧くのが、次のやうな章句である。

古代に関する学問としての文献学は、勿論、永久的な持続性をもつものではない、その素材は汲み尽くされるのである。汲み尽くされ得ないものは、古代に対する各時代のいつも新しい適応ということ、古代に則った自己測定ということである。文献学者に対して、古代を媒介として自己のヽヽヽ時代をより良く理解するという課題が、立てられているのであるならば、文献学者の課題というものは、永遠的なものである。――これが、文献学のアンチノミーなのである、すなわち、古代ヽヽというものは、事実上はいつも、現在からしてヽヽヽヽヽヽのみ理解されたのである――しかして実は、古代からしてヽヽヽヽヽヽ現在が(ヽヽヽ)理解さるべきなのではないのか?

 われら文献学者をめぐる考察のための諸思想および諸草案」(7
渡辺二郎譯『哲学者の書 ニーチェ全集3〈ちくま学芸文庫〉一九九四年四月、p.460=NF-​1875, 3[62]

大事なのは後半、「古代」と限ってあるのを過去全般に置き換へれば、この認識論は歴史學の二律背反アンチノミーでもある*8。第一定立(テーゼ)については、「体験ヽヽこそが、文献学者にとっての無制約的な前提なのである」、「一般的に言って、ひとは、ただ、現在的なものの認識を通してのみ、古典的ヽヽヽ古代への衝動ヽヽヽヽをもち得るにすぎない(同前p.460・461、傍點原文)とニーチェは續く箇所で言ひ直してゆくが、反定立(アンチテーゼ)である「古代というものに基づいて、体験されたものを[……](p.460)の方の敍説がそれに比して不全であったのは、そこが未定稿なる所以か。「體驗」は原語Er­leb­niss、前綴りer‑による自動詞le­benの他動詞化er­le­benが語源、生(Le­ben)の獲得・成果が本義だから、どうも生に執着して現在偏重となる。しかし今を生きる一方では過去が閑却される懸念から、生計の糧を得ているものdie da­von le­ben​=それで生活する]以外には、ほとんど文献学者というものが存在していないという事態に着目するならばその古代への衝動も存否の程が思ひ遣られる、とも言ふ(同前p.461)。却って生に束縛されパンのための學問に墮したのが現實だ。「ただ現在の最高の力からのみ汝らは過去を判ずるを得」とは「生に對する歴史の利害について」ちくま学芸文庫版全集4「六」p.180相當)でも被引用度の高い強調句ながら、すぐ後で「さもなくば汝らは過去を汝らへと引き下げるであらう」と引き取られてゐるのが忘れられがちであり(高ぶる諸君の眼には入らぬらしい)、その實、現代風な歴史解釋なぞおよそ矮小化だと駄目出ししたに等しいのであった。このアンチノミーを述べた一篇の結語にも「古代の威厳、それは、汝らとともに低下するのである(前掲p.461)といふ異文での反復が見られる。斯く言ふニーチェ自身、歴史を現代化する過ちを後悔させられ、處女作たる古代悲劇論(一八七二年刊)に對し十四年後の新版で「すなわち、私が自分に開示された壮大なギリシア的問題をばもっとも近代的な事物の混入によっておよそ台無しにしたということ(『悲劇の誕生或る自己批判の試みちくま学芸文庫版全集2​p.24)を反省點とした。その現在と對照される古代について「我ら文獻學徒」斷簡は、「古代というものが本来如何に反時代的なものであるか」「古代は最も深い意味においてひとを反時代的なものたらしめる(「 われら文献学者をめぐる考察のための諸思想および諸草案」(26)(30)前掲p.474・483=NF-​1875, 5[55]/5[31]などと記す。古代が現代的でないなんて當り前のやうだが、ギムナジウムでの古典教育を文獻學者が受け持つ往時のドイツではその古今の違和感に目をつむって同一化したつもりでゐたから、憤慨してゐるのだ。連續講演「われわれの教養施設の将来について(一八七二年。前掲『哲学者の書』所收)以來ニーチェは、さうした學校教師といふ身分階級に甘んじて時代に順應する文獻學者どもの頽廢ぶりに癇癖を募らせてゐ、文獻學に對する態度は愛憎相半ばする。そこで文獻學者(乃至歴史學者)に求められるのは、古代(乃至は過去の或る時代)を現代とは異なものと措定する判斷力だらう。追感・共感よりは隔世の感。……本當は恐ろしい古典(乃至は歴史)、ってわけだ?

つまり、ユマニストの教育は、これまでローマおよびギリシアについて、われわれの時代とあまりにも類似したイメージを描くことをわれわれに習慣づけてきた。しかし、比較は、民族誌学者に用いられることによって[フレイザー『金枝篇』を指す]、一種の精神的衝撃をもって、過去についての完全に健全な理解には不可欠の条件である〔過去に対する〕異質感、異国感エグゾテイスムをわれわれに復活させた。

マルク・ブロック/高橋清徳譯『比較史の方法』「二」〈創文社歴史学叢書〉一九七八年十二月、p.8
→高橋清譯〈講談社学術文庫〉二〇一七年七月、p.13相當

現在主義と解釋學を超えて 

この文獻學的‐歴史學的アンチノミーの二命題のうち、現在から過去を理解することは、結果と原因の取り違へとして屡々ニーチェが批判した因果性の錯覺に通ずる*9。歴史の損得論に擧げた三通りの歴史中でも「記念碑的歴史」は「いつも原因ヽヽcau­sa[e])を犠牲にして結果ヽヽef­fec­tus)を」模範に掲げるのが難點とされてゐた生に対する歴史の利害について二、ちくま学芸文庫版p.139)。論理學上は歸結の虚僞(前件→後件の繼起を逆順にする)や論點先取の一種(hysteron proteronヒュステロン・プロテロン=前後倒置、倒逆論法)なのだらうが、遡及的アナクロニズムと言ってもよい。「今文を以て古文を視、今言を以て古言を視る(荻生徂徠『辨名』下「學九則」と責める迄のことなら、文獻學者ならずとも先刻承知だらう(丸山眞男『日本政治思想史研究』第一章第三節2、東京大学出版会、一九五二年→一九九八年六月新裝第十刷、p.78所引。小林秀雄『本居宣長』「十」、新潮社、一九七七年十月、p.100所引)。ニーチェには「過去へと働きをおよぼす遡及力」を是認したアフォリズムもあって、曰く、偉大な人物が現れると改めてそれと照らして「隠れた歴史」が見出される、よって「過去はおそらく今もってなお本質的には未発見のままなのだ! なおも非常に多くの遡及力が必要である!」とか悦ばしき知識三四*3前掲ちくま学芸文庫全集8​pp.104-105)――では他方、反對方向の、過去から現在を理解するとは? 由來因縁、物事の今日あるは既往の經緯より生じ來ったことを知れと言ふのか(そんなの當り前過ぎるだらう)。是古非今、古き良き黄金時代を規範にして今時の世を評定する古典主義なのか(三島憲一*10の解釋――それぢゃまるで單なるアナクロだ)。自我作故、先例に託つけつつ(われ)()(いにしへ)()すと僭する増上慢になりはしないか。或いはいっそ古代人になりきって、タイム・マシンで現代に連れて來られたかのやうに語らうと言ふのか(こっちはまだしも、けれど難儀な藝當だ)。それとも……?

アンチノミーの第二命題は第一命題と組み合せた上で言ひ換へパラフレーズするならば、下に掲げるやうな文になるのでないか。即ち、『反時代的考察』が第四論文「バイロイトにおけるリヒャルト・ヴァーグナー」を以て完結したあとのニーチェにおいて、「ヴァーグナーとの離反によって、ロマン主義が否定され、文献学が再び顧みられるときがきた。一八七八年五月に刊行された『人間的あまりに人間的』とともに、前期実証主義ともいうべき時代が始まることになった。――

歴史的遡行の重要性が再認識される。だがそれは、現在の自分がおこなう歴史認識の公正さと客観性を疑わずに、それを前提として過去に視線を向けるのではなく、現在の自分が向ける過去へのその視線が歴史的にいかに成立したかを知るために過去に視線を向けるという、視線変更がなされたうえでの歴史的遡行である。

永井均『これがニーチェだ』〈講談社現代新書〉一九九八年五月、p.73

右に言及された『人間的、あまりに人間的な』初卷で該當するのは、「歴史的に哲学すること」を課題とした第一章「二」か。「あらゆる哲学者は、現代の人間から出発して、その分析を通じて目標に達すると思いこむという共通の欠陥を身につけている。」……「歴史的感覚の欠如があらゆる哲学者の欠陥Erb­feh­ler​=遺傳的缺陥、宿弊、カント用語で「原謬」である」……「彼らは、人間が生成してきたものであることを、認識能力もまた生成してきたものであることを、学ぼうとしない」云々池尾健一『人間的、あまりに人間的  ニーチェ全集5〈ちくま学芸文庫〉一九九四年一月、pp.26-​27。Cf.NF-​1885, 38​[14]​=榎並重行『ニーチェって何?』*4前掲pp.31-​32所引/麻生建『ニーチェ全集 第八巻 第八巻(第期) 遺された断想(一八八四年秋―八五年秋)』白水社、一九八三年七月、p.430。歴史音痴は哲學の體質、と十年後にも『偶像の黄昏』中「哲學における理性」で再論してゐる。ここで歴史とは持續や繼承よりも變化の(いひ)萬物流轉パンタ・レイ、差異を伴ふ時間、劃期や時代區分であり、不變性への懷疑、認識論的切斷である。この種の歴史意識は、これまた歴史上からはイタリア・ルネッサンス以降ペトラルカを祖として、古典古代といふ過去と自分達の現代との間には容易ならぬ相違があることを自覺し、その過去を理解するための特別な技藝(文獻學)と教育(人文學 stu­dia hu­mani­tatis)とを必須とした人文主義の流れに跡づけられる(Cf.ジェームズ・タリー渡部壮一・加藤節譯「ペンと剣――クェンティン・スキナーの政治分析」第二テーゼ、スキナー/半澤孝麿・加藤節編譯『思想史とはなにか 意味とコンテクスト』〈SELECTION 21〉岩波書店、一九九〇年六月、p.30以下)。今昔に「遠近法的距離」を置いて、はじめて時代錯誤な混淆が分別されたわけ(E・パノフスキー/中森義宗・清水忠『ルネサンスの春』「第二章 ルネサンスとリナスンシズ」七、思索社、一九七三年六月、pp.127-131)。十九世紀西洋古典學にあって歴史的とは批判的の同意語ともなる一對の雙子、連結して校訂版等に冠される形容詞で、謂はゆる「歴史的‐批判的 hi­sto­risch-kri­tisch」方法である(Cf.『悲劇の誕生』二十三章ちくま学芸文庫版全集2​p.188『善惡の彼岸』二〇九、*4前掲ちくま学芸文庫版全集11​p.204)。既に第二反時代的考察でも「歴史的教養の根源[……]はそれ自体が再び歴史的に認識されなくてはならず、歴史は歴史自体の問題を解決しなくてはならず、知識はその棘をそれ自体に向けなくてはならぬちくま学芸文庫版「」p.195、傍線部は原文傍點ゴマルビ)と、謂はば自照的リフレクシブな歴史主義の徹底が要求されてゐた。汝自らを知れ、それも歴史によって――歴史性の歴史的自己批判、などと言ふとディルタイ風か。過去を理解する現在があり、その現在ある認識の由來を過去より理解するといふ、視線の折れ重なり。合せ鏡のやうな、といふ決まり文句でよいのかどうか​…​…過去と現在との交錯が累進して目眩く思ひがする(カイヨワ『遊びと人間』で謂ふならイリンクスの快?)。ニーチェが「歴史的方法論」『道徳の系譜學によせて』第二論文「一二」、ちくま学芸文庫版全集11​p.454・455)を明かした書の名に因んで、この歴史認識論の實踐はのち系譜學とも呼ばれる(ニーチェは系譜學者とは自稱せず他稱に用ゐたが)。

ただ、このやうに文獻學的‐歴史學的アンチノミーを敷衍する場合に注意が要るのは、解釋學的循環と似て非なるところ。平板に均した表現で、曾ての著名な歴史學者は言ふ。

とすれば我々はここで一つの循環論法に陥る危険性がある。歴史とは何か。それは現代の生活意識によつて成立する。しからば現代の生活意識とは何か。それは歴史によって証明されなければならない……。これは実際に歴史を論ずるものが常に陥るところのディレマである。

林健太郎『史学概論』「むすび」〈教養全書〉有斐閣、一九五三年五月、p.236
→『林健太郎著作集 第一巻 歴史学と歴史理論山川出版社一九九三年一月、p.176

この兩刀論法ディレンマに如何に處すべきか? 嚴かな語調で、現象學的解釋學者は告げる、「決定的なことは、循環のうちから脱け出ることではなく、循環のうちへと正しい仕方にしたがって入りこむことなのである(『存在と時間』第三十二節原書S.153原佑・渡辺二郎譯『世界の名著 62 ハイデガー中央公論社、一九七一年十月→『ハイデガー 世界の名著74』〈中公バックス〉一九八〇年二月、p.278)。かう見事にぬけぬけ開き直られると魅惑されてしまふ者が出るのも仕方無いが、これを承け繼いだガダマー流の地平融合とは違って*11圈外に疎外され對立物との緊張關係が融和されず拮抗したまま、現在がそれを異化するやうな過去と對質させられるのが系譜學でなければなるまい。その差違を、永井均は『〈魂〉に対する態度勁草書房、一九九一年二月、p.166)で短く語ってゐたが、のち「解釈学​・系譜学・考古学(『転校生とブラック・ジャック 独在性をめぐるセミナー』終章、〈双書現代の哲学〉岩波書店、二〇〇一年六月→〈岩波現代文庫〉二〇一〇年五月)に至ってわかりやすく定義してゐる。初出では、各見開き二ページから成る定義集の中でこの項だけ倍の四ページ取ってゐた。お氣に入りの寓話なのか、メーテルリンク『青い鳥』がここでも引合ひにされる。

時間経過というものを素朴なかたちで表象すると、いま鳥がたしかに青いとして、もともと青かったか、ある時点で青く変わったか、どちらかしかないことになるだろう。それ以外にどんな可能性があろうか? しかし、解釈学と系譜学の対立が問題になるような場面では、そういう素朴な見方はもはや成り立たない。もともと青かったのでもなければ、ある時点で青くなったのでもなく、ある時点でもともと青かったということになったという視点を導入することが、系譜学的視点の導入なのである。

「解釈学・系譜学・考古学」野家啓一責任編集【岩波】新・哲学講義 ⑧歴史と終末論』一九九八年八月、p.215、傍線部は原文傍點ゴマルビ

現在の自己を疑ひ、そこに歴史の捏造や記憶の虚僞を見出し、その誤謬の成り立ちを探究するのが系譜學だ、と。改竄本文を系統立てる文獻學のやうな。ネガティヴな解釋學、なのか? いや、問題はその先にある。

だが、「ある時点でもともと青かったということになった」という表現には、本来共存不可能なはずの二つの時間系列が強引に共存させられている。「もともと青かった」と信じている者は「ある時点で……になった」と信じる者ではありえず、「ある時点で……になった」と信じる者は、もはや「もともと青かった」と信じる者ではない。だから、「ある時点でもともと青かったということになった」と信じる者の意識は、解釈学的意識と系譜学的認識の間に引き裂かれている。統合が可能だとすれば、それは系譜学的認識の解釈学化によってしかなされない。系譜学的探索が、新たに納得のいく自己解釈を作り出したとき、そのとき系譜学は解釈学に転じる。

「解釈学・系譜学・考古学」同前p.216

同時には現れ得ない筈のものの併存、別の時間に屬すべきものの混在、掛け違った時系列の共起は、アナクロニズムである。この時制の重層した命題、この分裂した二重論理にこそ系譜學は宿り、それでこそ「アンチノミー」といふものだ。カント用語で引き取るなら、ニーチェも「事実上は that­säch­lich」と斷ってゐた通り現在から過去を理解してゐることは唯の「事實問題(quid facti)」だが(名詞T(h)atsacheは元來この意味での事實に當るラテン語res factiを獨譯するため造られた十八世紀後半の新語だとか)、そこに、過去からして現在が理解されるべきではないのかといふ「權利問題(quid juris)『純粹理性批判』B116が絡まってくるのが要所か。――しかして恐らくは「物自體(そのもの)」のやうに、現在とは關はりなく存在するであらう認識外な過去それ自體、記憶にも歴史にもならぬであらう不可知な過去本體、も要請されざるを得まい​……(Cf.永井均『これがニーチェだ』第三章「2 道徳の系譜学」pp.89-​90「のでなければならない」)。「過去自體」といふ呼び方が實體視を招くのを忌避する言語論的轉回により「物語りえないもの」等と改稱した所で野家啓一『物語の哲学』「第七章 物語り行為による世界制作」3〈岩波現代文庫〉二〇〇五年二月、p.322)、認識論上、構圖は相同で大差無ささうな​……? 錯綜を整理するあまり自己理解に自足するならば、解釋學的惡循環に陷るだらう。後づけの理由はおよそ結果論であって原因ではない――後から系譜へ割り込んだ衍文であり、原文を取り消す前言撤回(パリノード)である解釋學化。解釋の僭越には批判を對向せしめよ。ニーチェの場合「文獻學的方法は彼において解釋學的であるにまして批評學的であつた」(三木清「ニーチェと現代思想」『三木清全集 第十卷 哲學評論』岩波書店、一九六七年七月、p.365とは言へ、文獻學でも解釋と批判との二本柱を立てるものの(池田龜鑑『古典の批判的處置に關する研究 第二部 國文學に於ける文獻批判の方法論第一章第一節三、岩波書店、一九四一年二月、p.10)、兩輪の協調に努めると解釋學偏重に執らはれる罠があるのだ(その弊への批評が、戸坂潤文献學的哲學の批判」『日本イデオロギー論』白揚社、一九三五年七月)

歴史家の同時代史的考察について 

ましてや二律背反の入り組んだ理路を、「歴史とは現在と過去との対話である」なんて平べったい言ひ方にしてしまった日には、E・H・カー『歴史とは何か清水幾太郎、〈岩波新書〉一九六二年三月、p.40・47・78・184)で話は濟むことになる。對話(dia­logue)とか辯證法(dialectic)とか言っても現代の歴史家たる自己が一方的に主導權を握るやうでは獨語モノローグも同然、解釋學的偏向にあらずや。「E・H・カーの言いたいのは、要するに、現在人が自分なりに過去を解釈し、理解しようとすることによって、そこからまた自分の考えをあらたにし、現代をとらえ直せということだろう――誰しもがいだくにちがいないこの受け取り方は、表面的には一応もっともなのだが、じつは根柢において誤っている木村尚三郎「歴史的思考と現代――または対話の精神について――」堀米庸三編『学問のすすめ11 歴史学のすすめ』筑摩書房、一九七三年五月、p.20)――古代がわれわれと話をしてくれるのは、古代がそうしたいと思うときにであって、われわれがそうしたいと思うときにではないのである(「 われら文献学者をめぐる考察のための諸思想および諸草案」(88)前掲『哲学者の書 ニーチェ全集3』p.513​=NF-​1875, 3[56]。Cf.『善惡の彼岸』一七。對話とはまづ和解以前に言葉で挌鬪する爭ひ、何より對話とは相手あってのこと。對等だが同心でない他者相手に、さう都合好く動いてはもらへない。史料が語り出すのは能動的な主體の問ひ掛けがあればこそとはいかにも一理ある比喩ながら、しかし調査・探究――ギリシア語ἱστορίαヒストリアの原義柳沼重剛Historia歴史概念の成立」筑波大学文藝・言語学系『文藝言語研究 言語篇』第九卷、一九八四年十二月。仝「ヒストリアはいつから歴史になったか」『語学者の散歩道』研究社出版、一九九一年十月→〈岩波現代文庫〉二〇〇八年六月)――の働き掛けは必要ではあれど十分條件でなく、呼び掛けたとて死物が間違ひなく應答してくれるとまでは期待できないのが實情であって、むしろ受け身に回って耳を傾ける待忍の姿勢無くば祕やかで默しがちな聲は聽き取れないと誡めるのが歴史學者定法トポスであり(能動でも受動でもなくば蓋し中動態か)、同樣に文獻學者も「ゆっくりした読み方の教師」として「忍耐強い」讀者諸賢に緩徐調(レント)で」「よく読むこと」を訴へる茅野良男譯『曙光 ニーチェ全集7』「序文」ちくま学芸文庫〉一九九三年九月、pp.17-​18.)。理解慾に逸って改竄改釋を犯さぬやう「解釋におけるEphexis[=ἔφεξις、愼重さ。懷疑論のepochē(エポケー)​=判斷保留と同源]としての文獻學」『反キリスト者』五二ちくま学芸文庫版全集14p.252相當)は待ったを掛け、さうした消極的受容能力(ネガティヴ・ケイパビリティー)(ジョン・キーツ)は、(あなが)ちに甚解を求めず姑らく存疑として後考に俟つ考證學の氣風と東西相似る。「古代から何事かだけを追感しようとするのは、非常に困難である、何事かが聞こえて来るようになるまで、待ち得るのでなくてはならない(「 われら文献学者をめぐる考察のための諸思想および諸草案」(44)『哲学者の書 ニーチェ全集3』p.491=NF-​1875, 3[12]。鳴くまで待てよ時鳥ほととぎす。機を待つ間にも時は過ぎ、幸ひに對話が通じたかに見える場合すらタイム・ラグが挾まって來て、御用とお急ぎの方には鈍重で遲滯とも立ち後れとも思はれようが、それは我慢である。話し合ひ路線やらコミュニケーション行爲(ハーバーマス)やらが思ふさま直ちに成り立つものなら世話は無く、討議による合意形成を自稱しつつ豫定調和に落ち込むのが關の山。それでは片附かないからこそ、故らに反語的アイロニカルな表現でアナクロニズムなどと言ふ概念を掲げる混ぜっ返し役の出番になる。

歴史とは何か中「ネーミアは、わざと反語的paradox­ical​=逆説的]な言い方[……]で、歴史家は過去を想像し、未来を想起すると言っております章p.182)といふ一節があって、それを「未来だけが、過去を解釈する鍵を与えてくれる」と説く持論への呼び水にしてゐたが、進歩派カーが眞正の保守主義者と認めた歴史家ルイス・ネイミア像(同前章p.51)に悖るし、後世の史家からは「このあまりぱっとしない警句を発案したサー・ネイミアがいわんとしたところとはだいぶ違った意味でではある(リチャード・J・エヴァンズ/今関恒夫・林以知郎監譯『歴史学の擁護――ポストモダニズムとの対話――』晃洋書房、一九九九年十一月、第八章p.182)と皮肉られた我田引水だし、本氣で對話するつもりだったら、その保守的なユダヤ系歸化英國人の文には敢へて捻くらないでは語り得ぬやうな屈折した考へがあったらうことも察して貰ひたい。史料の山に沒頭する微視の史學者として「ネイミアは、一見無関係なことを、倦むことなく捜し求めた。実際かれは、自分の全生涯を脇道で過した(クラカウアー『歴史 永遠のユダヤ人の鏡像*11前掲p.104。詳しくはヴェド・メータ/河合秀和譯『ハエとハエとり壺 現代イギリスの哲学者と歴史家みすず書房、一九七〇年一月、p.211を看よ)――彼は局外者にとどまることに満足していた(アイザィア・バーリン/河合秀和譯「L・B・ネーミエ」福田歓一・河合秀和『時代と回想〔バーリン選集2〕』岩波書店、一九八三年九月、p.120)。この引用句原文の「過去を想ひ描き未來を想ひ出す they i­mag­ine the past and re­mem­ber the fu­ture.」といふ交叉呼應*12のレトリックも、時間との關係を逆さまにしたアナクロニズムである。レイ・ブラッドベリの「過去を予言し、未来を思い出す(市田泉譯、中村融監修『SFマガジン』二〇〇六年一月號「レイ・ブラッドベリ特集」早川書房と題するエッセイを見たら(‘Pre­dict­ing the Past, Re­mem­ber­ing the Future’といふ一句は公認傳記『ブラッドベリ年代記』原書でも副題の下に更に副へてある)、その豫言者としてネイミアを想像するがいい。固より當人には意圖しなかった結果だらうが、さて、斯く豫定外にて不調和なる今昔取り合せをも對話と呼べる器量(ca­pa­bil­i­ty)ありや。

ついでに、すべての歴史は「現代史」(con­tempo­rar­y hi­story​=同時代史)であるといふベネデット・クローチェの有名な宣言もカーの歴史とは何か章pp.24-25)に取り上げられてゐ、過去は現在の主觀が構成するといふ構築主義にも相性のいい文句だが、クロォチェ『歴史の理論と歴史』(羽仁五郎譯『歴史敍述の理論及び歴史』→改題、〈岩波文庫〉一九五二年五月)(けみ)すると、「現在の生の關心のみこそが人を動かして過去の事實を知ろうとさせることができる」云々と主張した上で、次のやうな補足がある。「私が歴史的技術のこの諸方式を想起したのは、かのすべての眞の歴史は現代の歴史であるという命題から逆説の外見をとり除くためであった」(第一部一​p.17)、と。無論、晦澁な論題の謎解きや説明は大いにやるべきこと、だが逆説パラドックスを見かけだけのものとして取り拂って貰っても困るのだ。逆説性を保ちながらでないと言ひ表はし損なふやうな微妙な事柄だってあらうもの。クローチェやそれを一歩進めたR・G・コリングウッドの歴史哲學小松茂夫・三浦修譯『歴史の観念』紀伊國屋書店、一九七〇年五月)、これらに對しては「現在的関心理論」と名づけたクラカウアーの批判もある(前掲『歴史』第三章を讀むべし)。現在からする關心が歴史敍述を左右するのは否も應も無い事實だが、それは出發點であって結論ではないのである(どこに發したかより、そこからどれだけ遠くへゆけるかが問題だとしたら?)。

例へばここに好古者流の、現世を厭ひ過去に逃避するばかりの生活を離れた歴史への關心があるとして(當然あるだらうが)、それをも同時代史の一齣、現代に屬する生だとは言へるにせよ(おお、これまた人生!)、而してその甚だ現代的ならざるを如何せん(これぞ正に反時代的、ってかい?)。そんなもの「眞の」歴史に非ず、「僞歴史」(クロォチェ前掲書第一部「二 僞歴史の諸型」、文獻學的歴史はその筆頭)が現に存するとて「單に敵役であり、相手役である」(同前第二部「一 序論」p.190)と「清算」するのだとすれば、勝手な主役もあったものだ。自分以外には引き立て役しか宛てがはぬとは狹量な。「歴史は現代史であるというクローチェの断言には、過去を生活の必要に順応させるというニーチェの決意が、まだこだましている(前掲クラカウアー『歴史』第三章p.101)と見るにしても、まだしもニーチェによる生にとっての歴史の功過論の方が、歴史の「好古的 an­ti­qua­rische――「骨董的」「尚古的」などと譯される――な在り方を、記念碑的、批判的歴史と竝んで三幅對を成すものと認めてゐた。今日では古本屋を意味するAn­ti­quarは「好古家(『反時代的考察』第三篇「八」ちくま学芸文庫版p.337。同第二篇「二」「八」p.143​・197では「骨董家」)が適譯だらう。英語an­ti­quar­i­an, an­ti­quar­yの譯語では古物研究家、古事學者、等。さう名指された者らが「近代的な歴史叙述の誕生にどれほど決定的な寄与をなしてきたか」は、アルナルド・モミリアーノの史學史研究に依據しつつカルロ・ギンズブルグが再三説いてをり(上村忠男譯『歴史を逆なでに読む』みすず書房、二〇〇三年十月、p.43及びp.67・79・182「古遺物研究」。Cf.仝譯『糸と痕跡』みすず書房、二〇〇八年十一月、p.28・58。前掲歴史・レトリック・立証』p.60・68・109「古物研究」)、彼ら同國の後學によってもクローチェの現在的歴史主義に疑義を差し挾めよう。前提にされたその「歴史的現在」なるものの如何なる現在かが、反時代的な現在をも含めて問題となる筈。同時代人だからとて一括りに片づけられては亂暴だ。世代差、準據集團の不一致、通約不能な各種專門、利害關心の相反、趣味嗜好の好きずき。人それぞれに生きてある「現在」があって、現實は多元的に分裂してゐる。「だれもがみな同じいまヽヽのなかにいるわけではない」と始まる同時代的なものの「非同時代性」(Un­gleich­zei­tig­keit​=非同時性)に關する考察(エルンスト・ブロッホ/池田浩士譯『この時代の遺産』「総括的過渡――非同時代性、およびその弁証法への義務水声社、二〇〇八年十二月、p.120)を、反動化する後進性への告發に留めず、もっと右にも左にも活性化されない非同時代性が同時竝存する矛盾を組み入れて考へ直すと面白くなりさうだ――實際、新ヘーゲル主義者クローチェにまで尾を曳くヘーゲル流の「同時代性」概念は、構造論的マルクス主義から駁撃される論點となった(ルイ・アルチュセール「『資本論』の対象」四〜五、今村仁司譯『資本論を読む 中〈ちくま学芸文庫〉一九九七年一月、p.59・62-63・69・78・87・115・135・139-140・145・149)。折角後向きになる現在の契機に勘づきながら畢竟クローチェは「生の哲學」の人で、前向き過ぎるからいけない。眞が生に合致するなんて保證がどこにあらう。學としての歴史に含まれた危險な標語「生は滅ぶとも眞理は行はれしめよ fiat veritas pereat vita.「生に對する歴史の利害」四、ちくま学芸文庫版p.152相當)を見拔いたニーチェに言はせれば(十二年後の發言だが)、「最高度に有害且つ危險であらうと、或るものが眞ってよい。それどころか人がその完全な認識で以て破滅するのは、生存des Da­seinsの根本性質にすることですらあり得る」『善惡の彼岸』三九ちくま学芸文庫版全集11​pp.77-​78相當)――生に抗しても眞理を追究する自滅の覺悟無くしては學問なんて生ぬるいわけだ! 別言して「人類がこの認識の情熱のために破滅するかもしれないということ(一八八一年刊『曙光』四二九ちくま学芸文庫版全集7​p.366。Cf.一八八二年刊『悦ばしき知識』一二三)とか「認識せよ、そうでなければ破滅せよ!(『曙光』四六〇、同前​p.384)とか、「真理への意志――これは内密な死への意志であるかもしれぬ(一八八七年刊『悦ばしき知識(第二版)』三四四ちくま学芸文庫版全集8​p.372。Cf.『生成の無垢』一七七、*4前掲p.106​=NF-​1885, 40​[39]とも。飜って、「生に抗するヽヽヽ生」すらなほ生存本能より生じた(一八八七年刊『道徳の系譜學によせて』第三論文「一三」ちくま学芸文庫版全集11​p.521)などと同語反復トートロジーを弄さうが、今更遲い。學知である歴史を病氣と見立てたニーチェが教へてくれたのは、それが生に活かさるべき代物ではないこと、よってむしろ、その意に反しようとも皮肉アイロニカルに學べるのは、生に背くには最もよく利用できるといふことではないのか。無用の用……但し反語的な意味での。「要するに、歴史家はいま現在、世間とはうまくいっておらず、世間か、あるいは真理か、どちらかと仲たがいしなければなりません」とはブルクハルト若年の言(一八四二年秋書翰。ヴェルナー・ケーギ「倫理的エネルギーとしての武運と敗者の世界史(ランケとブルクハルト)坂井直芳譯『世界年代記 中世以来の歴史記述の基本形態みすず書房、一九九〇年五月、p.92所引)。これをニーチェ流儀(スタイル)に劇しく表白すると、「私の目標は、現代のわれわれの文化と、古代との間に、完全な敵意を作り出すことである。前者に奉仕しようと思う者は、後者を憎まヽヽねばならない(「 われら文献学者をめぐる考察のための諸思想および諸草案」(20)前掲『哲学者の書 ニーチェ全集3』p.468​=NF-​1875, 3[68]。對偶、古代を敵視せずにゐられる者は現代から離叛せざるべからず。

失はれし可能性を索めて? 

ただ現在を生きる關心に、別に歴史研究を選擇すべき必然性などありはすまい。さう、さまで必要無いのにも拘らず、現在の關心でありながら今ここでも未來でもなく過去へと向ってしまふといふ拗れ方に、面白味があるのだ。必要以上に志向すること、趣味も學問もそこに成り立つ。度を越してからが本領だ。若きニーチェに「過剰なものは必要なものの敵「生に対する歴史の利害について」緒言ちくま学芸文庫版p.119)と嫌惡されようとも​…​…「それは過剰を必要とする(『人間的、あまりに人間的序文ちくま学芸文庫版全集5​p.21)、「自然のうちに支配しているものは、窮迫状況Noth­la­ge​=必要に迫られた境遇]ではなくして、過剰であり、浪費である『悦ばしき知識(第二版)』第五書三四九ちくま学芸文庫版全集8​p.384。Cf.『反キリスト者』五二ちくま学芸文庫版全集14​p.251とは十二年後のニーチェが記す所。

に引いた『反時代的考察』第二論文緒言の末尾、あれをジル・ドゥルーズ『ニーチェと哲学』も引用してゐた。

能動的に思考すること、それは、「非現働的な仕方で、したがって時代に抗して、またまさにそのことによって時代に対して、来るべき時代(私はそれを願っているが)のために活動することである」。*13

江川隆男譯『ニーチェと哲学』第三章15、〈河出文庫二〇〇八年八月、p.215

引用内で「反時代的に」に當る部分が「非現働的な仕方で」と生硬な譯文である(Cf.第五章13​p.366「非現働性〔反時代性〕」)のは佛文原語 in­actuel イナクチュエル​(女性形in­ac­tuelle)と察せられ、やはり時期外れ・流行遲れといった語義であるが、哲學用語だとアクチュアル(現働的・現勢的)の對で virtuel ヴィルテュエル(潛在的)に近い意味を持つ。現實化(actu­aliser)してない可能性、といった含みがあるわけである(單に「非現實的」と譯されてゐる時もあってirréelと紛らはしいので注意)。來るべき時代のためにならうとなるまいと知ったことではないが(知れたところで後知惠なるのみ)、ここでも惹かれるのは時間性の込み入った複合關係だ。普通、可能性とは將來について言はれるのに、文獻學者流には、それが過去にあった可能性の活用、在りし日の潛勢態デュナミス顯勢(エネルゲイア)化であることになる――少なくとも到來した後から見れば、さうだ*14。實現しなかった未來が過去より甦る、とでも言ふか​……むしろ、不發彈が實は遲發信管だったとか遲效性の毒とか劣性形質の間歇遺傳とか? 後年ドゥルーズは同じ箇所をミシェル・フーコー評に轉用してパラフレーズし、過去形の可能性(潛勢力(ポテンシャル)と言ふべきか)への傾きを強めてゐる。

現在に抗して過去を考えること。回帰するためでなく、「願わくば、来たるべき時のために」(ニーチェ)現在に抵抗すること。つまり過去を能動的なものにし、外に出現させながら、ついに何か新しいものが生じ、考えることがたえず思考に到達するように。思考は自分自身の歴史(過去)を考えるのだが、それは思考が考えていること(現在)から自由になり、そしてついには「別の仕方で考えること」(未来)ができるようになるためである。

宇野邦一譯『フーコー』「褶曲あるいは思考の内(主体)」河出書房新社一九八七年十月、p.190

ハイデッガーが歴史學の本來的な主題を「既在した可能性」の「取り返し」(Wiederholung​=繰り返し、反復)だと説いたのに似るか原佑・渡辺二郎譯『存在と時間』第七十六節原書S.394-​395該當。Cf.第七十四節S.385、第七十七節S.401潛勢力 »Vir­tua­li­tät«。尤もフーコーはその『存在と時間』第三十六節以下)が難じた「好奇心」をば反って動機に掲げ、「すでに知っていることを正当化するというのではなく、別のしかたで考える」ためだと言ふのだけれど桜井直文「ミシェル・フーコー『性の歴史』第二巻の二つの序文」『アレフ』第5號、『アレフ』の会、一九九二年十二月、p.129。田村俶譯『性の歴史 快楽の活用』「序文新潮社、一九八六年十月、p.16相當)。そこを含む一節は、ドゥルーズがフーコーの葬送に際し弔辭代りに朗讀した所だった(ディディエ・エリボン/田村俶譯『ミシェル・フーコー伝』新潮社、一九九一年十一月、p.457。神崎繁『フーコー 他のように考え、そして生きるために前掲p.7)。フーコー自身に碎いて語らせると、次のやうだ。

知識人の仕事は、ある意味でまさに、現在を、ないこともありえたものとして、あるいは、現にあるとおりではないこともありえたものとして立ち現れさせながら語ることです。それゆえにこそ、現実的なもののこうした指示や記述は、「これがあるのだから、それはあるだろう」という形の教示の価値をけっして持たないのです。また、やはりそれゆえにこそ、歴史への依拠――少なくともここ二十年ほどの間のフランスにおける哲学的思考の重大な事実の一つ――が意味を持つのは、今日そのようにあることがいつもそうだったわけではないことを示すことを歴史が役割としてもつかぎりにおいて、つまり、諸事物が私たちにそれらがもっとも明白なのだという印象を与えるのは、つねに、出会いと偶然との合流点において、脆く不安定な歴史の流れに沿ってなのだということを示すことを歴史が役割として持つ限りにおいてなのです。

黒田昭信譯「構造主義とポスト構造主義」『ミシェル・フーコー思考集成  1982‑83 自己/統治性/快楽筑摩書房二〇〇一年十一月、pp.322-323

これは少なくとも「過去の記念碑的考察」と違って、つまり「とにかく一度は可能ヽヽであったのであり、それゆえまたおそらくもう一度可能であろうということを推察する生に対する歴史の利害についてちくま学芸文庫版p.138。Cf.ギリシア人の悲劇時代における哲学序言(推定一八七四年)ちくま学芸文庫版全集2p.350やうな歴史觀とは一線を劃してゐよう。

同工異曲をカントを論ずる中でも述べてゐる。

この批判が〈系譜学的〉であるというのは、私たちに行いえない、あるいは、認識しえないことを、私たちの存在の形式から出発して演繹するのでなく、私たちが今のように在り、今のように行い、今のように考えるのではもはやないように、在り、行い、考えることが出来る可能性を、私たちが今在るように存在することになった偶然性から出発して、抽出することになるからだ。

石田英敬譯「啓蒙とは何か」『ミシェル・フーコー思考集成  1984‑88 倫理/道徳/啓蒙筑摩書房二〇〇二年三月、p.20
→小林康夫・石田英敬・松浦寿輝『フーコー・コレクション 6 生政治・統治』〈ちくま学芸文庫〉二〇〇六年十月、p.386

ここでは「私たちを構成し、またそのような主体として認めるように私たちがなった由来である諸々の出来事をめぐって行われる歴史的調査として批判は実行される(同上)のである以上、現在と異なる可能性と云ふのも過去の記録から掘り出されるもの、歴史に喚起される別樣性だ。

夙に科學史の古典、エルンスト・マッハの力學史でも「歴史的研究は,現にあるものの理解を助けるだけでなく,現にあるものは大部分約束事conventionell​=規約的、因襲的]にすぎず,偶然なものにすぎないことを示すことによって,新しいものの出現を可能にする(塩野谷一『シュンペーター的思考 総合的社会科学の構想東洋経済新報社、一九九五年四月、第10章注3)p.402所引。伏見譲譯『マッハ 力学 力学の批判的発展史講談社、一九六九年十月、第§8-7. p.239相當)と言はれてゐた。ニーチェ研究上は、確證は無いがマッハ著作中ニーチェが讀んだかも知れない候補に擧がる一册であり須藤訓任ニーチェの歴史思想』「(補論3) ニーチェの経済思想――アヴェナリウス―マッハによるあとからの影響*3前掲p.376)、一八八四年以降のニーチェが「マッハの歴史観に最接近する(仝「第五章 歴史精神とは何か――ニーチェとマッハ」p.210)ことの例證として正に右と同箇所からの引用を插みながら(仝p.212偶然」「しきたり・とりきめ Con­ven­ti­on」が強調されてゐる(pp.211-217。世紀轉換期ウィーンを風靡したマッハの影響は多方面に及んだ。現存状態を偶然の結果に歸するこのマッハの哲學を學位論文で研究したために「現にあるものを絶対化せず別様でありうるものを見ようとするその視角」「現実を虚構と見なす精神の視角」を培ったのがロベルト・ムージルだとか大川勇『可能性感覚――中欧におけるもうひとつの精神史』「第6章 可能性感覚の誕生」中「05―マッハと可能性感覚――ムージル『マッハ学説判定への寄与』*8前掲p.335・338)。ムージルが『特性のない男』に造型した「主人公ウルリヒは、……]現状を変革することよりも、可能な状態を思いめぐらすだけの、いわゆる可能性の男である(W・M・ジョンストン/林部圭一譯『ウィーン精神 ハープスブルク帝国の思想と社会 1848–​1938』「28 陽気な黙示録みすず書房、一九八六年十一月、p.645)。ただ世に言ふ「未發の可能性」を先人から掬ひ上げてくる程度の論法だったら、殊に思想史や文學史の史論では使ひ古されてゐる……それはもしこうであればという嘆息……]に止まっている生に対する歴史の利害について五、ちくま学芸文庫版p.165。未完稿ギリシア人の悲劇時代における哲学よりの流用、前掲全集2​p.363。遺恨や願望を込めた「歴史のif」は史實では決してない、が、現實以上に惡變した可能性を考慮に入れ、あるまじき暗轉をもあり得べき公算に見込んだ上でなら、「もしもあの時」の蓋然性(當時どれほど實現可能性あったか)は歴史學的に考量可能である(Cf.マックス・ウェーバー「文化科学の論理学の領域における批判的研究」二、森岡弘通『歴史は科学か』みすず書房、一九六五年九月→改訂[第十一版]一九八七年十月、p.177以下)。現實の諸條件を可能な域内で假想變化させてみることはマッハ命名の「思考實驗」に通じ、一回限りの事實を事とする歴史學に實驗は不可能とは言ひ條、思考上ではなし得てゐたのだった。しかし、意向は未來にあると言ひつつも、現在では足らずにわざわざ後向きになって過去に可能性を得ようとする……その倒錯に、魅力は存する。

アイザック・アシモフの編んだ本につけられた、『過去カラ来タ未来石ノ森章太郎監修、パーソナルメディア、一九八八年十二月)といふ秀逸な譯題を想ひ出す。十九世紀末に描かれた未來豫想圖を紹介した畫集で、原タイトルは“Futuredays”と曲の無いものだった。横田順彌百年前の二十世紀 明治・大正の未来予測(〈ちくまプリマーブックス〉一九九四年十一月)だって同種の企劃コンセプトだが、書名は斷然前者が興味そそる。どちらも面白いのは、見事適中した豫測よりも、往年夢見られた將來の可能性が後年成就した現状の事實と何だかズレてゐる所、世紀を先驅けて前代人から望み見られた未來社會=現代が變に古ぼけてゐること。つまり、時代後れな未來像といふややこしいミスマッチ感がいい味出してゐるのであって、そんな過去における未來と對照されると現在はその變種ヴァリエーションとしてある竝行世界パラレル・ワールドの一つに過ぎぬやうな氣がしてくる……「今は昔の今なりや」竹内書店編集部編・加藤秀俊解説『予言する日本人 明治人のえがいた日本の未来』竹内書店、一九六六年九月→『日本人の予言 今は昔の今なりや?』竹内書店、一九六七年九月→『今は昔の今なりや 大正が予測した100年後の日本竹内書店新社、一九八四年十一月)。未來の想ひ出、古色染みた來るべき世界。SFの癖に昔風といふことでは一九八〇年代後半から流行ったスチームパンクも同樣、ただの懷古レトロ趣味の冒險活劇でない限りは、科學小説サイエンス・フィクションの御家藝である外插法(extrapolation)の基準を現代でなく古き蒸氣機關時代に置いたことによって過去から延長してきた未來が現實の現代と齟齬を來しながら重ねられる所に、Speculative Fictionとしての興趣がある。これまたアナクロニズムの妙であらう。似寄りの風味の科學技術史としてスコードロンMINE「ノスタルジック・フューチャー」も月刊『MECHANICS メカニックマガジンKKワールドフォトプレス、一九八一年十一月〜八八年二月)上に一九八三年より四十回以上連載しながら一書に纏まってないのが惜しいもの、實は竝行して同誌に連載中であった永瀬唯Sciencecape & Technoscape サイエンス&テクノスケープ」一九八三年五月號より二十一回)の別名義だったと云ふ。さういへば『レトロ・フューチャー』浦達也著、竹内書店新社、一九九一年十月)なんて本も出てたっけ、見てないけど。

いづれにしても肝心なのは未來でない、將來への糧とするために過去の遺産を探るに留まらず、可能性といふ未來さへ過去の相の下に觀る勝れて後向きの姿勢に意を注がれたし。すべて過ぎ去りしこと……夢も希望も未來も、もはや現用を離れ記録や遺蹟に見るのみといふ過剩な歴史化。「そしてすべての移ろはぬものDas „Un­ver­gäng­liche“​=過ぎ去らぬもの、不滅なもの]――それもまた單なる比喩にすぎない」(『斯くツァラトゥストラは語りき』第二部「詩人たちについて」、cf.『悦ばしき知識』附録「プリンツ・フォーゲルフライの歌」中「ゲーテに」。化石となった過去を生き生きと今に甦らせるといった賞詞ならば珍しくもないが、それだけでなく「生きたものをもかれは、それがとっくに滅び去ったものであるかのように、考察することを好んだ(テオドーア・W・アドルノ/野村修譯「ヴァルター・ベンヤミンの特質好村冨士彦監譯『ベンヤミンの肖像』西田書店、一九八四年五月、p.73。テオドール・W・アドルノ/大久保健治譯「ベンヤミンの特性描写」『ヴァルター・ベンヤミン 新装版[増補・改訳]』河出書房新社、一九九一年一月、p.18/三原弟平譯「ベンヤミンの特徴を描く」『プリズメン――文化批判と社会』〈ちくま学芸文庫〉一九九六年二月、p.385に相當)――メドゥーサの眼差しとも形象される石化の邪視さながら。或いは、「末期まつごの眼」に映るが如く? そこに、單にノスタルジーに浸る過ぎし世への囚はれ以上のものが思考されよう。

現在も歴史である――同時代史ではなしに 

ここまで見てきたやうな兩方向に交叉した錯時的認識については、フーコーの言葉が示唆を與へてくれる。『監獄の誕生』第一章、序言となる締め括りで、自問自答しながらanachronismeへの複雜な態度を見せてゐる。アナクロニズムのアンチノミーとも言へようか。曰く――

[……]この監獄について、歴史を書きたいと思ふ。全くのアナクロニズムによって、か? 否だ、もし人がそれ[=アナクロニズム]によって現在との關聯におけるdans les termes du présent​=現在の用語による]過去の歴史を書くことと解するのならば。もし人がそれによって現在の歴史を書くことだと解するならば、然りだ。*15

勝者ホイッグ史觀や目的論的解釋のやうな現在中心主義の陷穽を躱しつつもアナクロニズムと呼ばれることを甘受する素振りである。……でも、「現在(について)の歴史 l'his­toire du pré­sent*16だって現在を形成した過去を綴った歴史なんだらうから、「現在との關聯における過去(について)の歴史」とどう違ふってんだ? 何とも微妙な差で困惑させられるが、「現在の歴史」を歴史主義へ對抗する手札として出してゐたニーチェ風アフォリズム集榎並重行・三橋俊明『流行通行止め――――現代思想メッタ打ち!JICC出版局、一九八七年十月、p.12・89)があって、そのフーコー主義者の他書には、この一節を攝り入れて(それと斷ってないけど)別な言ひ方に變奏した文があるので以下參考に。

しかし、当然にも、系譜学は、現在の用語―関心によって過去を解釈し、その解釈を歴史として書く、歴史解釈学の一分派なのではない。[……]つまり、系譜学が問題化する「近代」とは、現在の用語―関心によって「近代」と解釈され得るものの歴史ではなく、その用語―関心が誕生し、現実性を得、まさしくこのように働き得るようになるに至ったその歴史、すなわち「現在の歴史」のことだ。

榎並重行・三橋俊明『細民窟と博覧会 近代性の系譜学……空間・知覚編』「序」JICC出版局、一九八九年二月、p.14

いま現在といふものをも歴史と化し歴史と觀じ去る、強度の歴史主義。同時に、飽くまで現在に關心するアクチュアリティー*17。奇妙な二重性の混在。フーコーの現在性への執着ぶりは、カント「啓蒙とは何か」を讀み直した「カントについての講義(小林康夫譯、前掲『ミシェル・フーコー思考集成 』所收)等に著しい。さうして十九世紀以降哲學が漸近した「われわれ自身であるこの現在についての問い」とは、「現に過ぎ去っていくもの以外の何ものでもなく、それ以上の何ものでもないわれわれ」を問ふが故に「完全に歴史学的である」とされる桑田禮彰・福井憲彦・山本哲士「セックスと権力」ミシェル・フーコー 1926-1984 権力・知・歴史』新評論、一九八四年十月、p.65。慎改康之性の王権に抗してミシェル・フーコー思考集成  1976‑​1977 セクシュアリテ/真理筑摩書房、二〇〇〇年八月、p.358→『フーコー・コレクション 5 性・真理』〈ちくま学芸文庫〉二〇〇六年九月、p.55相當)。現在が歴史となると言っても、未來完了(前未來)時制みたいに先取りした未來の時點に自分を置くことで現在を過去と觀るなら前進志向にもありがちだが、過去に向って時代を遡り具體的な調査發掘をする歴史家ぶりがフーコーの身上であった――思考に歴史的な作業の試練をおこなわせるひとつのやり方西永良成譯「歴史の濫造者たちについて」前掲『ミシェル・フーコー思考集成 』p.273)。茫漠たるアーカイヴ(記録文書群)と取っ組む歴史學的作業はおよそ理論や思辨を事とする哲學者には乏しい經驗的實踐であり、所與の哲學的テキストをただ再解釋する哲學史の類ひと異なりまづ史料となり得るものの探索から始まる躓きや衝突の中で感得される抵抗感と言ふか手應へと云ふか、資料操作上の思ひ通りにならなさが現實感(リアリティー)を成し、不測の事態や豫期せぬ驚きにつきまとはれながら、摩擦ある非理想状態での考證作業の過程を通して何か歴史化してゆくやうな異物感を察知するのが歴史學的感性(センス)と言へよう。過去へ向けて逆行する問ひ掛けは障礙となる反作用を受けて對象認識自體が搖らぐ、が、それすら歴史學者のメチエ(マルク・ブロック歴史のための弁明 歴史家の仕事原書副題)だとするなら​……? そこで歴史にとって現在とは過去へと移り行きつつもまだ過去になりおほせてない抗力のある界面、歴史認識の限界領域であり、境界侵犯の試煉となる。

現在の觀點から過去を現在化する遡及的アナクロニズムに對し、現在を過去化する方向のアナクロニズムがあるだらう。現在を歴史化するとも言へる――歴史とは過去となったもののことだとすれば、だが。「歴史という概念において過去がもっている注目すべき優位(『存在と時間』第七十三節S.379原佑・渡辺二郎譯p.586)。ディルタイ門下が言ふには、「汝があらざりし時代を追体験し、汝がありはじめし時代をたどり、もはや汝があらぬかのごとくにおのれを見ることを知れ。これが歴史意識というものだ。これが歴史家の仕事なのだ。歴史家にとっては、すべてが過去になるのだ(ベルンハルト・グレトゥイゼン野沢協譯『ブルジョワ精神の起源 教会とブルジョワジー』「まえがき――ジャン・ポーランへの手紙」〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、一九七四年十二月、p.6。野沢協「訳者あとがき」pp.379-​380も看よ)。それとも何かい、マサカ、歴史とは未來に向って創るものだ、とでも? 「歴史を作るというマルクスの考え方」はハンナ・アーレントも「政治と歴史の混同」だと戒める所……引田隆也・齋藤純一譯『過去と未来の間 政治思想への8試論第二章 歴史の概念――古代と近代」みすず書房、一九九四年九月、pp.102-​108)述而不作(のべてつくらず)。人間に作れる歴史とは精々が歴史敍述、過去を記す史書史論、くらゐか。「書かれなかつた事は、無かつた事ぢや」(中島敦「文字禍」とまでは極論せぬにしても、既に書かれた事でさへあれば誤記であれ僞文書であれそれが書かれたといふ事實自體が歴史となるのだ。謂はば汎文書゠歴史主義があり、それを戲畫化したのが法學者カール​・シュミットの綺想小説「ブリブンケンの人々 歴史哲学的試論」だった(フリードリヒ・キットラー/石光泰夫・石光輝子譯『グラモフォン・フィルム・タイプライター』筑摩書房、一九九九年四月、pp.354-368所引→『仝 下ちくま学芸文庫二〇〇六年十二月。和仁陽『教会・公法学・国家 初期カール=シュミットの公法学』東京大学出版会、一九九〇年三月、pp.151-154も看よ)。フーコーの表現だと「十九世紀は、資料の絶対的保存を発明した。古文書アルシーヴarchives​=文書館]図書館によって[……]兼子正勝「J゠P・リシャールのマラルメ」『ミシェル・フーコー思考集成  1964‑​1967 文学/言語/エピステモロジー』筑摩書房、一九九九年三月、p.208)……次いで二十世紀は「全てを言うことを望む」、「あらゆるものが書き留められて」「全て、ディスクールの対象となっている」、「この普遍的記法ノタシオン・ユニヴエルセルへの移行」「この普遍的転写トランスクリプシオン・ユニヴエルセル(原和之譯「ミシェル・フーコーとのインタヴュー」『ミシェル・フーコー思考集成  1968‑1970 歴史学/系譜学/考古学』一九九九年七月、p.52)……『知の考古學』プレオリジナル稿には「普遍的アーカイヴの組織」「一般化した言説性の時代石田英敬「フーコー,もうひとつのディスクール理論」山中桂一・石田英敬シリーズ言語態❶ 言語態の問い』東京大学出版会、二〇〇一年四月、pp.326-​329)​…​…「むしろそれは、言説への、調整された多形的な煽動なのである(ミシェル・フーコー/渡辺守章性の歴史Ⅰ 知への意志』第二章1、新潮社、一九八六年九月、p.45)。全てを過ぎにしこと、書かれたものとしたがる或る種の傾向。そしてその意味で現在を歴史と見做すことは、三木清によれば、好事家ディレッタントのすることなのだ。アカデミズムとジャーナリズムといふよくある對比圖式に第三項として插入されるのがディレッタンティズムである。

等しく專門家的でないにしてもディレッタントとヂャーナリストとは性質を異にしてゐる。少くともディレッタントであるやうなヂャーナリストはその名に値するヂャーナリストではない。ヂャーナリストの關心するのは今日の問題である。然るに現在が現在として關心されるのは未來が關心されてゐるからでなければならぬ。ディレッタントが關心するのは寧ろ過去である。彼はもとよりその多面性の故に現在についても或る興味をもつであらうが、然し彼にとつては現在もひとつの過去に過ぎない。なぜなら現在を眞に現在として顯はにするものは未來の見地であり、從つてそれ自身のうちに必然的に未來への動向を含む實踐乃至創作の立場であつて、これとは反對のディレッタンティズムの立場ではない。ディレッタントは何よりも趣味の人である。然るに趣味は好んで過去のもの、完成されたものの上で働き、從つてディレッタントはおのづから、ヂャーナリストがその中で生きる生成しつつある現在の渾沌たる喧騷から過去のうちへ逃避する。ディレッタントがモダンであるといふのは一の錯覺である。かくてまたディレッタンティズムは主として過去の批評に終始するアカデミズムと想像されるよりも遙かに容易に結び付く。

「ディレッタンティズムに就いて」『三木清全集 第十二卷岩波書店、一九六七年九月、p.85、傍線引用者

かういふ概念整理をやらせたら三木清にはお手の物で、これまたハイデッゲル先生の時間論の應用か。このジャーナリスティックな哲學者は續けて言ふ、「なるほどディレッタントは懷疑的である。併し彼の懷疑はいはゆる歴史的相對主義、換言すれば、廣く過去を見渡すとき如何なる絶對的なものもないといふ感情に結び附いたものである。或は逆に、歴史的相對主義なるものはディレッタンティズムの産物である」云々(同前p.86)。かかる價値相對主義こそは、歴史主義の行き着く不可避の難問アポリアであった(トレルチ『歴史主義とその克服』、マイネッケ『國家と個性』『歴史的感覚と歴史の意味』、マンハイム『歴史主義』……)。十八世紀末J・G・ヘルダーを先驅けにして、文化人類學やポストモダン思想まで後遺症を負ってゐる――その歴史主義の産みの親である程のものとはディレッタンティズムを大層持ち上げてくれるが、それは過大評價にしろ、對立軸の兩端に相渉る中間者のやうな振舞ひがアナクロニックと形容できるものであることは確かだらう。何せ、その時間性は過去だと言ふのに(同前p.88)現代的(モダン)であると錯視させる程には分別を亂すのだし。しかもディレッタントは前向きな未來の立場から顧みて現在を過去視するのでない、過去が關心事だから現在をも過去にすると言ふのだ。過去へ向かうことはすべて未来の関心から起こる(エドムント・フッサール/立松弘孝譯『内的時間意識の現象学』訳注二三所引、みすず書房、一九六七年四月、p.206なんて獨斷的全稱命題への、反證。ここで過去は(また過去と化する現在は)、何か目的のために(つまり將來のため)犧牲にされる手段でなくそれ自體のために欲求される……それこそ趣味の境地であって、また、さてこそランケ史學の基本則「各時代は神に直接するランケ鈴木成高​・相原信作譯『世界史概観――近世史の諸時代――』「序説」中「一、歴史における進歩の概念をいかに解すべきか」、〈岩波文庫〉一九四一年十二月、p.39​→改版一九六一年十一月、p.37。レーオポルト・フォン・ランケ/村岡晢譯『世界史の流れ ヨーロッパの近・現代を考える〈ちくま学芸文庫〉一九九八年十二月、p.15相當)に適ひもすれ(但し最早「神は死んだ」ものとする)。生成の名の下に語るニーチェの言葉では、「現在が未来のために、ないしは過去が現在のために是認されることがあっては絶対にならない原佑譯権力への意志七〇八*4前掲ちくま学芸文庫版p.233​=NF-​1887, 11​[72]。ちなみにニーチェから『生に對する歴史の利害について』を贈られた文化史家ブルクハルトの返信は、史學講師としての自分の教育はディレッタンティズムに通ずるとの譏りを受けるかもしれないがその點は自らを慰めてゐる、といふものだった*18

いつまでも後向きに 

ニーチェ=フーコー流系譜學においては、「起源」ではなく、「由來」と「發生」とを組み合せて探る*19。由來(Her­kunft)を辿ることはそれがもと歸屬してゐたものを問ふことであり、起源論が回歸する同一性や連續性やから外れた異質な出自を突き止める。發生(Ent­ste­hung)については、今ある現況がどうやって出現したか、出來事を生起變動させた力(權力、でもある)を捉へる。「これが、系譜学上の注意だ。由来の分析と発生の把握を必ず両方やること、しかし、それを混同しないこと榎並重行『ニーチェって何? こんなことをいった人だ』前掲p.140)。状態と觀るか動きを視るかの違ひ、體・用の別にも近いか。『道徳の系譜學によせて』で照應するのは例へば第二論文「一二」、「起源と目的」は「それぞれ別個の、また別個であるべき二つの問題であるのに、普通は遺憾ながら一緒くたにされているちくま学芸文庫版全集11​p.451)と峻別する所から敷衍される「歴史的方法論(仝p.454・455)の定則――

あらゆる種類の歴史にとって、次の命題にもまして重大な命題は一つもない。[……]――すなわちそれは、ある事物の発生の原因と、そのものの究極の効用、その実用、それの目的の体系への編入とは、天地の隔たり(toto coelo)ほどもかけ離れている、という命題である。これを別言すれば、現存する事物、ともかくも成立するにいたったものごとは、それよりも優勢な力によって繰りかえし新しい目標へと指し向けられauf neue An­sichten aus­ge­legt​=「新たな見方で解釋され」。An­sichten(見解)と異文Ab­sichten(意圖、目標)とが雙行するグロイター版に準じて訂した]、新しい用途に振り向けられ、新しい効用へと造り変えられ向け変えられる、ということである。

『道徳の系譜』「第二論文 〈負い目〉、〈良心の疚しさ〉、およびその類いのことども」一二、ちくま学芸文庫版全集11​p.452

やや似て、舊惡を暴く「発生史」と現状への「批判」とは必ずしも直結しないから分けて考へねば「起源現在の癒着」に陷る、との注意もある須藤訓任『ニーチェの歴史思想――物語・発生史・系譜学――』「第四章 認識者の系譜学――時代という名の自己*3前掲p.172以下、第五章「一 問題の所在」pp.198-​203、及び「序文 歴史思想家としてのニーチェ」pp.13-​14)。當のニーチェの用語法では「道徳的価値評価の発生批判。両者は一致しない。ともすれば、そう信じられているが(そう信じられるのはすでに、これこれの仕方で発生したものは、非道徳的な起源のものとして、価値の少ないものであるという道徳的評価の結果である)(同p.201所引NF-​1885, 2[131]、p.181所引同文異譯と照合)と言ったり「われわれの価値評価や善の一覧表Güter­tafeln​=價値表、『ピレボス』66a6-67に據るか]の由来に関する問は、しばしば信じられているのとは異なり、それらに対する批判とは全然一致しない(仝p.201所引NF-​1885, 2[189]​=『権力への意志』二五四ちくま学芸文庫版全集12p.259相當)と云ったり、發生と由來とが交換可であるみたいだが、いづれにしろ、事象に首尾一貫した本質を求めるあまり無變化な同質性を想定しないやう、物事は初期設定がどうあれ舊態から沿革を經て現行態勢へ至る過程でも各期それぞれに變樣し機能や作用が轉化すると心得ておかないと、それを現に機能させてゐる力の作動を見落とし、批判は達せられまい。

である(ヽヽヽ)のかということの叙述は、それの発生については何も教えない。そして、発生の歴史は、それがda​=現に]何であるのかについては何も教えない。あらゆる種類の歴史家が、ほとんどことごとく、そこで欺かれている。彼らが現存するものの上で考え、後方に目を向けるが故に。

榎並重行『ニーチェって何? こんなことをいった人だ前掲p.50所引(原文の強調に從って傍點を補った)​=NF-​1885, 34​[217]
/麻生建譯『ニーチェ全集 第八巻(第Ⅱ期) 遺された断想(一八八四年秋―八五年秋)』白水社、一九八三年七月、p.291相當

恐らくディレッタントらは本性享受者にして力無きがゆゑに、由來は見つけられても、發生の現場に働く力關係がよく掴めないのではないか​……? 事件(獨Ereignis​/英event​=出來事)は現場で起きてゐるが認識はミネルヴァの梟よろしく後れてやって來るのだ(Cf.『ニーチェって何?』p.59)。さもありなむ、我々は現在を見るにバックミラーを以てし、眼差しを後向きにしたまま進むことを餘儀なくされる。よく引かれるヴァルター・ベンヤミンが歴史哲學テーゼに記したイメージを想起してもいい。

新しい天使アンゲルス・ノーヴス」と題されたクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描かれていて、この天使はじっと見詰めている何かから、いままさに遠ざかろうとしているかに見える。その眼は大きく見開かれ、口はあき、そして翼は拡げられている。歴史の天使はこのような姿をしているに違いない。彼は顔を過去の方に向けている。私たちヽヽヽの眼には出来事の連鎖が立ち現われてくるところに、はただひとつ、破局カタストローフだけを見るのだ。その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。ところが楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。この嵐が彼を、背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。

浅井健二郎譯「歴史の概念について、『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』〈ちくま学芸文庫〉一九九五年六月、p.653

これを「後ろ向きの予言者は現在を凝視する天使になっている三島憲一「解説 時間のエネルギーあるいは広告の誕生」ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論―― ブルジョワジーの夢岩波書店、一九九五年八月、p.419)とロマン主義者との對比でアクチュアリティー志向に見立てようとも、いかんせん新しき天使の視線の通り、目下のその現在さへ遠退く過去の方向に顧みられるのである。

遮莫さもあらばあれ、どのみち未來を意志するまでもない。前進は、不可逆な時の流れに強ひられてゐる(どこへ進むか行く先知らずでも)。その過程で眼前の事實は刻々殘骸と化してゆき、だからこそ後向きに手を伸ばすわけだ(手後れで屆かないけども)。こんな絶望的情景にまで救ひを見出したがる善男善女には惡いが、「しかしながらこの希望とは(こぼ)たれた希望としてのみ現れる(テオドール・W・アドルノ/三原弟平譯「ベンヤミンの特徴を描く」『プリズメン』前掲p.400)。「可能性としての歴史」鹿野政直『日本近代化の思想』「はしがき」〈研究社叢書〉研究社、一九七二年十月→〈講談社学術文庫〉一九八六年七月、p.7。鹿島徹『可能性としての歴史 越境する物語り理論岩波書店、二〇〇六年六月)と言ふも結構――だがそれは所詮實現しなかった可能性、碎かれた缺片、潰え果てたことの痕跡、否定形と過去形との結合であって、未來の希望溢れる「可能性」などとは易々と一緒にして貰ひたくないものだ。可能性を認識的モダリティー(樣相・敍法性)から行爲能力を表はす用法(根源的または義務的モダリティー)へとずらす樂觀主義(オプティミズム)のまやかし。

可能性とかpossibilityという概念が人の足をすくいやすいことには注意の必要がある。それはときには積極的な能力(…​…​することができる)をあらわすが、また、ときには発生しうる事態への忍受(…​…​となる場合がありうる)のようなものをあらわす。戦争をはじめる可能性と戦争のはじまってしまう可能性とは、似ていて、ちがう。いや、そうならかえっていいくらいで、実は、ちがっているようでありながらなお同一のカテゴリーにはいる、それゆえに微妙な錯覚が生じる。

佐藤信夫『記号人間 伝達の技術』「無限の事態あるいは視界」、大修館書店、一九七七年三月、p.168

憶えておかう、「歴史の死相」(原文通りには「歴史のヒポクラテス顏貌」)とベンヤミンが言ってゐたのを――歴史にはそもそもの初めから、時宜を得ないことUn­zei­tiges、痛ましいこと、失敗したことがつきまとっており、それらのことすべてに潜む歴史は、ひとつの顔貌(かんばせ)――いや髑髏の相貌のなかに、その姿を現わすのだ浅井健二郎譯『ドイツ悲劇の根源 下〈ちくま学芸文庫〉一九九九年六月、p.29。「歴史の屑拾ひ」ともベンヤミンは稱される好村冨士彦「救出される廃物――収集とアレゴリー」『遊歩者の視線 ベンヤミンを読む〈NHKブックス〉二〇〇〇年四月、pp.90-93參照)。自ら好んで引用する文句だと「歴史の屑から歴史を作る久保哲司譯「人形礼讃」及び浅井健二郎「解説」『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』〈ちくま学芸文庫〉一九九六年四月、p.73・p.647)。これをも直ぐさま反語イロニー拔きで「抑圧された者たちの伝統(「歴史の概念についての「救済」とかに繋ぐ連中は、どこまで前向き(ポジティヴ)なのだらう。遲疑や鬱屈、自嘲や含羞を感じられないのか。ニーチェが「歴史的な人間」と呼んだ輩……「かれらが過去をふりかえるのは、ただこれまでの前進のほどを眺めることによって、現在を理解するためであり、未来待望の欲求をますます強くすることを学ぶためなのである田中美知太郎「現代歴史主義の批判」仝編講座 哲学大系 4 歴史理論と歴史哲学』人文書院、一九六三年九月→改裝『歴史理論と歴史哲学』一九七七年四月、p.427所引。「生に對する歴史の利害」ちくま学芸文庫版p.131では「前進」は「過程」、原語ProzessesProgressesと誤讀したか。ヘーゲル流「世界過程」への當て擦りだらう)。「これら歴史的人間は」却って「非歴史的に思惟し行為している「生に対する歴史の利害について」ちくま学芸文庫版p.131)。さうではなく――現代un­sere Zeit​=我々の時代が高く評価するものを古代の中に指示しようとする意図で入れ智慧されたりしている」やうな態度ではなく、「正しい出発点は、その逆なのである。すなわち、現代die mo­derne​=近代風が顛倒したものであることを洞察することから出発し、後を振り返って見るということである(「 われら文献学者をめぐる考察のための諸思想および諸草案」(15)前掲『哲学者の書 ニーチェ全集3』p.466​=NF-​1875, 3[52]。過去を顧みるのは未來に奉仕させられる限りでといふことなら、後向きであること自體の意義はたやすく忘れられ、絡み合った力のベクトルは一方向に(進行方向へと)解消されてしまふ。さうやって「歴史」が失せるのを憂へばこそ、敢へて瓦礫と言ひ屑と云ひ抑損の語を用ゐたのではないか。

同じくベンヤミンで引用されやすい名文句には、「文学史と文芸学」結尾野村修譯、『新しい天使 ヴァルター・ベンヤミン著作集13晶文社、一九七九年八月所收、p.140​/浅井健二郎譯、『ベンヤミン・コレクション5 思考のスペクトル』〈ちくま学芸文庫〉二〇一〇年十二月、p.220がある。そこにも異なった時間の重ね合せといふ意味でのアナクロニズムがあり、捩れて裏返ったメビウスの輪のやうな歴史意識が疊み込まれてゐるのを見ることができる。

文学des Schrifttums=文獻の]作品を、その時代のもつ連関のうちに叙述することこそが大切だ、というのではない。大切なのは、それが成立した時代のなかに、それを認識する時代――それはわれわれの時代である――を描き出すことなのだ。これによって文学は歴史の感覚器官Or­ganonとなる。

浅井健二郎編譯『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想〈ちくま学芸文庫〉p.10(エピグラフ)所引

それを認識する時代の中にそれが成立した時代を、ではない。どう違ふかが考へどころだ。――これをしも過去に〈いま〉を見出す時事性(アクチュアリティー)漁りの正當化に援用する共は、我田引水もいいところ、度し難いまで歴史感覺の器官(機關(オルガノン))が鈍麻してゐる。既視感と共に想起されたい、前記フーコー『監獄の誕生』の微妙な區別を……現在に關しての過去の歴史(現在中心の見地からの過去の歴史)、そんなアナクロニズムと、現在といふ歴史(現在性の系譜學?)の意味でのアナクロニズムを履き違へては臺無しだ。單に現代的な觀點で過去の時代を裁斷する遡及式遠近法(パースペクティブ)と混同すべきでないのは勿論、「つまり、われわれの時代を明らかにするという作業が、その文学作品が生み出された時代を明らかにするという作業のなかに組み込まれなければならないということだ池田浩士、座談會「読みかえるとはどういうことか? 大正アヴァンギャルドから始めることの意味を問いつつ」栗原幸夫責任編集『文学史を読みかえる1 廃墟の可能性 現代文学の誕生インパクト出版会、一九九七年三月、p.200)。現在から歴史へと向けられた視線は我が身に撥ね返って(反射・反照)逆に過去から自己の認識が批判されるに至る(反省 reflexion)。但しそこで過去の異他性、時分外れな非現働性(アクチュアリティー)を忘れずに、でないと自己批判も結局は自意識過剩な自己同一性の域を出ないが、最早そんな自我を中心とする現在性(アクチュアリティー)(生き生きした現在=現前性(プレザンス)?)にのみ終始するのとも違って――。またしても文獻學的‐歴史學的アンチノミーの變奏曲ヴァリエーションであること、このうへ多言を要すまい。フーコー『性の歴史』Ⅱ・Ⅲ卷原書裏表紙のエピグラフ、ルネ・シャール斷章集「砕けやすい年」の一節西永良成編譯『ルネ・シャールの言葉』「Ⅱ アフォリズム――評論・思想」中「3 脆い年齢」平凡社、二〇〇七年六月、p.153相當)に曰く、「人間の歴史は同じ一つの名稱をめぐる同義語の長い繼續。そこで言ひ抗ふのは義務といふもの……丹生谷貴志「表象論 あるいは恋するシーニュ」現代哲学の冒険 物語』岩波書店、一九九〇年九月、pp.138-139所引及び「フーコーのシャール」思潮社『現代詩手帖』一九九四年三月號〈わたしの詞華集p.159「砕けやすい年 ユダヤ的ニヒリスムの解体」「〈不毛〉の系譜学」丹生谷貴志『ドゥルーズ・映画・フーコー』青土社、一九九六年五月、p.163・221も參照)。テクスト論上の同位態イゾトピーにも偏差がつきもの。異文ヴァリアンツを蒐集し異同を批判すること、これは文獻學の務めといふもの。校正癖と言はば言へ。

とはいえ、彼は思考についてはあまり能力をもっていなかったとわたしには思われる。考えるということは、相違を忘れること、概括すること、抽象することである。過度に充満したフネスの世界には、細部、ほとんど連続した細部しかなかった。*20

篠田一士譯「記憶の人・フネス」前掲集英社版 世界の文学 9 ボルヘス』pp.77-78.

記憶の過度の緊張ヽヽヽヽヽヽヽヽ――このことは、文献学者にあっては極めて普通のことである。彼らには判断の発達が比較的僅かなのである。

 われら文献学者をめぐる考察のための諸思想および諸草案」(17前掲『哲学者の書 ニーチェ全集3』p.467=NF-​1875, 3[26]

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註疏

*1

プロローグでひと言觸れただけなので、詳しく語ったものは、ジョルジュ・シャルボニエ『ボルヘスとの対話』「 新しい文学ジャンル鼓直+野谷文昭譯、国書刊行会、一九七八年十一月、p.124以下參照。フネスの物語を書いたのは、現實に不眠症に苦しめられてゐたのでそれから逃れようとしてだ、とボルヘスは言ふ。

それは不眠症の、忘却に身をゆだねることの困難ないし不可能性の、いわば隠喩です。というのも、眠ることはすなわち、忘却に身をゆだねることだからです。己れの自己同一性、己れの置かれている状況を忘れること。フネスにはこれができなかった。結局そのために、苦悶しながら息絶えた。

『ボルヘスとの対話』p.127

眠ることは忘れること……確かに。とはいへ、夢も見ずに熟睡する限りで、と但し書きを添へずばなるまい。夢、殊に惡夢では忌はしい記憶が反芻され、眠ってゐる間も己が過去に魘されようから。夢もまたボルヘス愛用のモティーフではあったが、とすると、我を忘れさせてくれる夢こそが求められる夢である筈だ。或いは過去でなく、夢とは「將來の夢」の意味であればよいのか。いっそ豫知夢とか夢占ひとか。ミシェル・フーコーは處女作「ビンスワンガー『夢と実存』への序論」で、かう斷じた。

夢のもつ本質的な点は、それが過去を再生することのうちにではなく、未来を予告することのうちにある。夢は、患者がそれ自身もはや気づいてはいないが、にもかかわらず患者が抱えるきわめて重い負荷である秘密を、分析家に遂に打ち明けるであろうその契機を予示・予告しているのである。[……]夢は解放の契機を先取りしているのである。それはトラウマとなった過去の強迫的反復であるよりも、むしろ歴史の予示なのである。

このくだり(譯文が改變されてゐるが、『ミシェル・フーコー思考集成  1954‑1963 狂気/精神分析/精神医学』筑摩書房、一九九八年十一月所收、石田英敬譯p.122に相當)を引いて神崎繁は、「過去志向的なフロイトの夢解釈の理論とあえて対比することで、未来志向的な理解の方向性を強調する」ものだと評してゐる(『フーコー 他のように考え、そして生きるために〈シリーズ・哲学のエッセンス〉NHK出版、二〇〇六年三月、p.102)。考へさせられる指摘だ。――なほ、引用されたフーコーの文中「歴史」とある箇所は、荻野恒一・中村昇・小須田健共譯『夢と実存』「序論」(みすず書房、一九九二年七月、p.71)では「生活史」と譯されてゐて、精神醫學の文脈ではその方が適切だらう。精神鑑定書だったら「生活歴」だ。

續けてフーコーは、「夢の構成契機になるのは、時間を通じて生成する実存、未来へ向かうその運動のうちにある実存以外にはありえないのだ。夢はすでにして、生成しつつあるこの未来であり」云々と述べてゐる。成程、現に夢を見てゐる主體にとってそれは生起しつつある現象であらうから、「過去の生活史が疑似的に客観化されたにすぎない主体[=主觀]」では「ありえない」だらう(同p.71)。が、異議あり。夢といふものは、その最中は眠ってゐるのだから覺醒後に想起されるものでしかない。したがって、單に過去の體驗が夢に見られることがあるといふ以上に、もっと根本から、夢とは意識にとって過去のものではないか(未來志向の生動が見出せるとしたらそれは、夢見それ自體に、ではなく、夢語りにおいて、聞き手との關係(ラポール)に應じて、では?)。それが、再現といふより想起に伴っていま構成されつつある過去なのだとしても(大森荘蔵流の時間論)、その限りで現存在やら實存やらに屬するにしても(實存主義式の投企)、やはり作業が後向きであることは否めない(精神分析で「事後性 Nach­träg­lichkeit」と呼ぶ遡及作用)。どうしてそれを未來向きの前方投射に轉じられるのだらうか。「覚醒時の心像と夢みる想像力とのあいだには、[……]距離があるから」「覚醒した意識が夢について提供するさまざまな心像から出発しての夢の分析は、ほかでもない心像と想像力とのあいだのこの距離を跳び越えること」(『夢と実存』p.108、『思考集成』p.146相當)――そんなこと、ビンスワンガーだってなし得たのか疑はしい(「人間は、夢みるとき生命機能あるが、覚醒するとき生活史を創る。」「生命機能と内的生活史という対立の両者を、共通分母で通分しようということは、くりかえし試みられているが、これは不可能である」、ビンスワンガー夢と実存』pp.163-​164​=荻野恒一譯「夢と実存」『現象学的人間学――講演と論文 1――みすず書房、一九六七年十月、pp.128-​129)。夢を豫兆と信ずる古代人、晩年にフーコーが論じた『夢判斷』の著者アルテミドロスの如き感性の持ち主にならば、できるのか​……? 「われわれと古代世界とのあいだに存在する最も著しい差異の一つは、古代世界は不思議な方法で未来を探知しようとし、もしくは探知しうると考えたが、われわれはそういうことをしないという点にある。」「未来の探索一般においても言えることであるが、特に夢に関しては、古代と近代とはまったく異なった世界である」(ヤーコプ・ブルクハルト/新井靖一譯『ギリシア文化史3』「第四章 未来の探索〈ちくま学芸文庫〉一九九八年八月、p.116​・139。これを援引した歴史觀論がカール・レーヴィット/西尾幹二・瀧内槇雄譯『ヤーコプ・ブルクハルト 歴史のなかの人間』第五章2c、〈ちくま学芸文庫〉一九九四年八月、pp.337​-​340)とか。どうもこの邊、夢なんか見ない、イヤ見るのかも知れないが起きたらサッパリ忘れてしまって想ひ出せない、さういふ散文的な現代人にとっては解りかねる。――因みに古典學者B・A・ヴァン・フローニンゲンは、古代ギリシア人が過去を重視したのに比して「未来にははるかにわずかな関心しか抱かなかった」(野口杏子・左中庸博・矢内光一譯『過去からの発想 ギリシア思想の一つの相についてのエッセー』「第九章 対をなす議論・未来」、〈フィロソフィア双書〉未來社、一九八八年六月、p.156)と説き、ブルクハルトに反するかのやうだが、未來を示す神託・豫兆・夢に關しては多々流布した豫言集ですら「それらは未来に関する知識をうるために使われるのではなく、現在ないし至近未来に関する指示をうるために使われる」(仝p.162)と見るので、神々より傳へられる豫知についてブルクハルトが「しかも大抵はそれは近い未来や限定された因果関係なのである。」「大抵の場合神託は、これから何が起こるかを述べるのではなく、指図をしている」(前掲書p.226​・233)と述べる所と合致する。恐らく「未來」といふ概念からして古代とは違ってゐると考へるべきなのだらうが​…​…。時間論の哲學に深入りすると寢覺めが惡くなりさうだから止めておく。

*2

入手しやすいのは、中村健二譯「カフカとその先駆者たち」『異端審問晶文社、一九八二年五月、p.162→『続審問〈岩波文庫〉二〇〇九年七月、p.192。但し英譯版からの重譯である。ほか、土岐恒二譯「カフカとその先駆者たち中央公論社』一九七四年七月號、p.230。藤川芳朗譯「カフカと彼の先駆者たち城山良彦・川村二郎編『カフカ論集国文社、一九七五年二月、p.279(目次でのみ「ルヘ・ルイス・ボルヘス」と誤記)。

引用したこの箇所にボルヘスは註を附してゐる。T・S・エリオット著“Points of View”​(1941)​pp.25-26.を看よ、と。具體的には、有名な「傳統と個人の才能」(一九一九年初出)の次の部分に當る(Cf. Alice E. H. Petersen, Borges's “Ulrike”— Sig­na­ture of a lit­er­ary life, Studies in Short Fiction, vol.33 no.3, 1996 Summer)。吉田健一譯で引いておく。

一つの新しい芸術作品が創造された時に起ることは、それ以前にあった芸術作品のすべてにも、同時に起る。すでに存在している幾多の芸術作品はそれだけで、一つの抽象的な秩序をなしているのであり、それが新しい(本当の意味で新しい)芸術作品がその中に置かれることによって変更される。この秩序は、新しい芸術作品が現われる前にすでに出来上っているので、それで新しいものが入って来た後も秩序が破れずにいる為には、それまでの秩序全体ヽヽがほんの少しばかりでも改められ、全体に対する一つ一つの芸術作品の関係や、比率や、価値などが修正されなければならないのであり、それが、古いものと新しいものとの相互間の順応ということなのである。そしてこの秩序の観念、このヨーロッパ文学、及び英国の文学というものの形態を認めるならば、現在が過去に倣うのと同様に過去が現在によって変更されるのを別に不思議に思うことはない。しかしこれを理解した詩人は多くの困難と、大きな責任を感じなければならないことになる。

吉田健一譯「伝統と個人的な才能」『エリオット選集 第一巻』彌生書房、一九五九年三月、p.12

譯文中「不思議に」は原語preposterous、前後顛倒が文字通りの意味。「さかさま」と飜譯した矢本貞幹譯「伝統と個人の才能」(『文芸批評論』〈岩波文庫〉一九三八年五月→一九六二年九月改版p.10)、「途方もないこと」と辭書通りな譯語である深瀬基寛譯(『エリオット全集 5 文化論中央公論社、一九六〇年八月→改訂・三版、一九七六年二月pp.7-​8)、等々と對照のこと。エリオットが理念とする「秩序」即ちorderとは通時的系列に即せば「順序」であり、しかし文學史の時間性を空間性に置換して、繼起的秩序でなく「同時的な秩序」といふ呼び方さへされてゐたが、それが傳統として保持されるのも逆轉による變成を通じてこそだと言ふ次第。ここにソシュール以後の共時的體系の構造論を聯想したくなるのは、構造主義を經た讀者としては無理ならぬところ(例、加藤文彦『相互テクスト性の諸相――ペイター/ワイルド/イェイツ/エリオットの「常に既に」』国書刊行会、二〇〇〇年七月、第一章p.73以下)。曰く「構造主義の元祖になりそこねたエリオットを見る思いがする」(加藤文彦『文学史とテクスト』ナカニシヤ出版、一九九六年四月、第二章「4 エリオット/ソシュール/デリダ」p.94)と。舊風に泥む者なら「辨證法」の名を奉りもしようが(フレドリック・ジェイムソン/荒川幾男・今村仁司・飯田年穂『弁証法的批評の冒険 マルクス主義と形式第五章、晶文社、一九八〇年一月、p.227)。兎まれこれにより、謂はゆる「傳統の發明 inven­tion of tradi­tion」の論は歸化英國人エリオットに胚胎し、アルゼンチン人ボルヘスが文學作品の具體例に即しつつその逆説性を高めて再提唱した、と系統づけられよう――いや、或いはこれもまた「創られた傳統」であるのかしれない……。加上説(富永仲基)としての「ボルヘスとその先驅者たち」。

歴史を傷めて大きくなるヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ――芸術鑑賞家たちの趣味を自分のヽヽヽ軌道へと引き入れてしまう後代の巨匠はすべて、無意識のうちに、前代の巨匠とその作品の取捨選択や新評価をやっている。つまり、そのなかでも自分にヽヽヽ適うもの、血縁的なもの、自分をヽヽヽ予告し、予想させるものこそが、いまや、前代の巨匠とその作品における真に重要なヽヽヽものヽヽヽヽヽと見なされる、――これは、ふつう大きな誤謬ヽヽヽが虫として隠れているひとつの果実である。

中島義生譯『人間的、あまりに人間的 ニーチェ全集6』「第一部 さまざまな意見と箴言」一四七〈ちくま学芸文庫〉一九九四年二月、p.113
*3

ジェラール・ジュネット/和泉涼一譯「文学のユートピア花輪光監譯『フィギュール叢書 記号学的実践〉書肆風の薔薇、一九九一年六月、p.155。より初出に近い異文と思はれるのは、G・ジュネット/倉沢充夫譯「ボルヘスの批評牛島信明・鼓直・土岐恒二・鈴木宏編集『même/borges』〔季刊même第二號、一九七五・夏〕エディシオン エパーヴ、一九七五年七月(これは底本を記してないが、これを擧げたジュネット邦譯リストで原書誌を副へたものがある。花輪光監訳者あとがき」ジュネット『フィギュール叢書 記号学的実践〉書肆風の薔薇、一九八九年四月、p.347參照)。ジュネットの批評文が文學理論で謂ふ所の間テクスト性につながるのは容易に看て取れよう。分類魔であるジュネット自身は「超テクスト性 trans­textualité」その他の造語で呼び換へてゆくけれど(和泉涼一譯『パランプセスト 第二次の文学叢書 記号学的実践〉水声社、一九九五年八月)。

間テクスト性とは、從來の引用・典故・源泉・材源・影響關係等をカッコよく言ひ換へただけの代物でなく、クロノロジカル(年代記的)な順序を解體する概念としてこそ意義がある(土田知則間テクスト性の戦略〈NATSUME哲学の学校夏目書房、二〇〇〇年五月、pp.63-66​・105-​116)。讀解におけるアナクロニズムもそこに關はり、共時態と言ふものは現時點での時間軸の横斷面であるに盡きずその輪切りに幾分か過去をも含む厚みが入り込んでくることが考慮されよう(Cf.立川健二『《力》の思想家ソシュール』第2部、〈叢書 記号学的実践〉書肆風の薔薇、一九八六年十二月)。これを讀書心理上の記憶の錯覺と言ってしまへばそれまでだが、デジャ・ヴュ(既視感)ならぬデジャ・リュ(既讀感)なる語が既に存し(神崎繁『プラトンと反遠近法』新書館、一九九九年二月、p.22・184​・215。仝「Déjà lu既読感青土社『現代思想』一九九九年九月號卷末〈研究手帖〉。仝「私の欄外書き込みマルギナリアから――ホッブズの『メデア』」『人生のレシピ 哲学の扉の向こう岩波書店、二〇二〇年十月、p.97)、敢へてそれで命名する向きもあって(梅村博昭「間テクスト性とdéjà lu―立松和平『性的黙示録』におけるサリンジャーとドストエフスキーの痕跡―」『東京農業大学農学集報』53卷3號、二〇〇八年十二月)、どこかで讀んだやうな印象が生ずるのは修辭學で謂ふ引喩allu­sion​=仄めかし)の效果に近いものの、未見だったのに既讀感を覺えることがある以上、書き手が暗示してない時でさへ讀者側が勝手に相似アナロジーを感じたり出典ありげに思ったり、誤認や深讀みも入るのは不可避の當然である。だがこちたき術語を振り回すまでもなく、えせ學者流(pseudo‑schol­ar­ship)にならぬ普通の讀者階級にあっては文學史に拘泥せず新舊先後を共存させた讀み方が常識であることは、夙にE・M・フォースター『小説の諸相』(原著一九二七年刊。田中西二郎譯、〈新潮文庫〉一九五八年十月、pp.15-​16)が序説でまづ前提に据ゑた所であった。時間は敵だ、むしろ時代を超えて一堂に會した作家達が同時に書いてゐる所を想ひ描く、云々。但し、常識論に眼を開かせるには逆説を以て説かねばなるまい――​・K​・チェスタートンのやうに。その代表作『正統とは何か』(安西徹雄譯、〈G​・K​・チェスタトン著作集1〉春秋社、一九七三年五月→一九九五年十一月。山之内一郎譯『正統思想』〈現代カトリック文藝叢書〉甲鳥書林、一九四三年三月/佐々木良晴譯『正統への回帰』〈中央新書〉中央出版社、一九七四年九月)は、逆説(par­a­dox)滿載のレトリックで正説(or­tho­dox­y)を掲げる。同書第七章中や『異端者の群れ』(別宮貞徳譯、〈G​・K​・チェスタトン著作集5〉一九七五年二月)で當時流行のニーチェ思想に對し猛反撥を見せたのは自身若き日にたっぷり世紀末の毒氣に中ったからこそで裏腹の關係にあり、「氣狂ひの樣になつて常識を説いただけだ」と言ふレミ・ド・グールモンのニーチェ觀(小林秀雄「樣々なる意匠」に引用されて知名、變形されてゐるが出典はルミ・ド・グルモン/堀口大學譯『箴言集 沙上の足跡』「沙上の足跡 第一」の「七十八」、東京堂、一九二二年四月、p.37)はそっくりこの逆説家パラドキストへの評語にも通用して可なり。ニーチェ亦曰く、「眞の歴史家は衆人周知のことを未聞のことに鑄直して一般的なことをあまりに單純且つ深長に告知する力を持たねばならぬ、ために世人がその深さを通して單純さをまたその單純さを通して深さをはるかすほどに」(「生に對する歴史の利害」、前掲『反時代的考察 ニーチェ全集4p.180相當。原文末尾über­sieht​=英o­ver­lookは見逃す/見通す兩義あるも後者の意に改めたが、その點參考にした譯文は、須藤訓任『ニーチェの歴史思想――物語・発生史・系譜学――「第二章 問題群としての生に対する歴史の利と害について大阪大学出版会、二〇一一年十二月、p.91所引)。要は、既視感から未視感(Jamais Vuジャメ・ヴュ)への轉換――何か新しいものをはじめて見ることではなくて、古いもの、旧知のもの、誰もがこれまでに見てきたもの、あるいは見過ごしてきたものを新しいヽヽヽものであるヽヽヽヽヽかのようにヽヽヽヽヽ見ることが、ほんとうに独創的な頭脳を特徴づける所以である」(中島義生譯『人間的な、あまりに人間的 ニーチェ全集6』第一部二〇〇ちくま学芸文庫版全集6p.150)、「独創性とは何か? あらゆる人の眼の前にあるものなのに未だ名をたず、いまだ名づけられえないでいるものを、見るヽヽこと」「ところが、慣れっこのものこそ認識するのに、つまり問題として見るのに、換言すれば知られぬもの・疎遠なもの・われわれの外のものとして見るのに、一番困難なものなのだ」(信太正三譯『悦ばしき知識 ニーチェ全集8二六一三五五、〈ちくま学芸文庫〉一九九三年七月、p.281​・397)。心ここに在らざれば視れども見えず(『大學』傳七章)。

*4

ニーチェ後一〇〇年を経て、[……]生や若さといった名辞を用いる健康論によって歴史学を抑え込もうとする試みも、もはや反時代的でないどころか、全く時代遅れになっている」(ノルベルト・ボルツ/村上淳一譯『世界コミュニケーション』 歴史の幸福な終焉ハッピーエンド東京大学出版会、二〇〇二年十二月、p.182)。例へば、一九八〇年代半ばに『文章教室』(一九八五年一月初刊)の作家が吐いた皮肉を想起してもいい。「文学というものは、今時、流行遅れのものだし、流行遅れのことをやっている人間たちが――反時代的、などと言えば賞めすぎになる――何も知らないからと言って、驚くにはあたいしない」(金井美恵子私はその名前を、知らない」『Studio Voice別冊'85 勉強堂流行通信、一九八五年七月、pp.459-​460。金井の單行本に未收録か)。既に十九世紀以來ずっと、時代の叛逆兒であることは却って天才の證、青年やら藝術家やらにとって名譽であった(例、ヴィリエ・ド・リラダンとか)。侮蔑や自卑の響きを取り戻さぬ限り、最早「反時代的」といふ言葉は賞味期限切れである。いまの時代、下記の如き惹句を空々しく感じられない者が『反時代的考察』を熱心に讀むとしたら、惡い冗談といふものだ。曰く、「反時代的とは何か。時代に背を向けているだけの冷淡な反対的態度ではなく、積極果敢な時代批判を通して未来を指向する精神。これがニーチェにおける最も美しい〈反時代的〉という意味である。[……]すべての青年たちに捧げられた青年の哲学」(ニーチェ全集4ジャケット裏)。――對して、のちの中年ニーチェは、更に己が反時代性をさへも克服せよと勸説した。即ち、差し當たり「超克」するのは自身の時代をだが、「のみならず、この時代に對してのヽヽヽヽその今までの反感や反論をも、この時代ゆゑのヽヽヽその苦惱、その時代不適合性Zeit‑Ungemässheit、そのロマン主義ヽヽヽヽヽをも……」と(『悦ばしき知識第二版)』第五書三八〇、前掲ちくま学芸文庫版全集8​p.452相當)。尤も、翌一八八八年刊『ヴァーグナーの場合』「序言」ではまた、「哲学者」として「おのれの内なるその時代を超克すること、無時代的zeitlos​=時を超えた]となること」や「一切の時代的なもの、時代向きのものZeit­liche, Zeit­ge­mässeに対する深い疎遠、冷淡、幻滅」を自負する始末で(原佑譯『偶像の黄昏 反キリスト者 ニーチェ全集14』〈ちくま学芸文庫〉一九九四年三月、pp.285-​286)、振幅を見せるのだが。「だが牽引されながらも反撥し、反撥しながら牽引されるというのが、ニーチェの常である」(斎藤忍随「ニーチェとクラッスィッシェ・フィロロギー」『幾度もソクラテスの名を  1946–​1965』みすず書房、一九八六年十一月、p.32)。兩面價値性アンビヴァレンツと言ふより兩極(端)性か。

時代(Zeit​=時間)の不適性(Unangemessenheit)、それは一般には專ら現代といふ特權的なこの時代との相性マッチングについて問題とされ、我らが現代人においてはほぼ社會不適合者と同然になる。取分けニーチェの場合、「自然や本能を称揚するとき、彼は社会性そのものを誹謗している。[……]だから、彼が生に敵対すると言うとき社会に適合すると読み、彼が生を促進すると言うとき反社会的と読むことさえできる」(永井均『これがニーチェだ』第一章「3 ニーチェの道徳的趣味」、〈講談社現代新書〉一九九八年五月、p.49)。「生に對する歴史の利害について」亦然り。ところが頻りと奉じられるその生=Lebenとは何かとなると、價値規準クライテリオンとするには包括的に過ぎて語意不明解なのであり……「ただでさえ、Vitaのドイツ語Lebenはミスティッシュな気分をただよわせていて気味が悪いのに、[……]愈々私は恐れをなしてレーベンの意味探究はなるべく敬遠したいと思った」(斎藤忍随「フィロローグ・ニーチェ――ニーチェ・コントラ・ブルックハルト――幾度もソクラテスの名を 』pp.58-59)。生觀念の變幻自在なこと、「最高善としての生命」(ハンナ・アーレント/志水速雄譯『人間の条件』第六章44、〈ちくま学芸文庫〉一九九四年十月)乃至「偽神と化した生命」(イバン・イリイチ、デイヴィッド・ケイリー編/高島和哉譯『生きる意味 「システム」「責任」「生命」への批判藤原書店、二〇〇五年九月)にまで肥大するほど。ニーチェ用語における「生」は、時代や社會の拘束を突き破る尖鋭な個性の生氣である反面、群棲生物・社会的動物としての生活への適應が「畜群本能(Herden­instinkt​=群集本能)」(『悦ばしき知識』一一六)といった罵語でしか考慮されないので(『人間的な、あまりに人間的な 第二卷』第一部二三三での自戒は『善惡の彼岸』二〇二で解除された?)、それで生が保てるのか安身が危ぶまれるけれど、先立つのは生命力の發散だから自己保存は副産物であるだけとのこと(『善惡の彼岸』一三。Cf.『悦ばしき知識(第二版)』三四九)。遺文ノート帳には「生は自己保存欲ではなくて生長ヽヽ欲である」(信太正三「解説」『善悪の彼岸 道徳の系譜 ニーチェ全集11』〈ちくま学芸文庫〉一九九三年八月、p.620所引=Nachgelas­sene Frag­mente-1885, 2[179])との斷定も見られ、保持でなく生長を言ふのは、存在より生成(Cf.『悦ばしき知識(第二版)』三五七)を根本に置いて變化を内包する構へであり、異變は時間經過に伴ふもの、社會にもまして時代との適不適で語られるのが相應しからう。さらに、ニーチェの生物學主義からすると種にとっての生存條件は生命體に錯誤を強ひるものだった。曰く「眞理とは誤謬の一種であって、それ無しには或る一定の種の生けるものが生きてゆけないかもしれない類ひである。」(『權力への意志』四九三原佑譯『権力への意志 下 ニーチェ全集13〈ちくま学芸文庫〉一九九三年十二月、p.37相當=NF-1885, 34​[253]。Cf.『善惡の彼岸』――或る誤謬は、その他の誤謬よりも、いっそう古く、いっそう深く、おそらくはそのうえ、私たちのごとき有機体がそれなしでは生きることができないかもしれないかぎり、根絶しがたい」(原佑譯同前p.73、『權力への意志』五三五NF-​1885, 38​[4]。Cf.榎並重行『ニーチェって何? こんなことをいった人だ新書y〉洋泉社、二〇〇〇年五月、p.98所引​=NF-​1885, 34​[247])。或いは裏から見て、「私は、真なるものを、なんらかの現実的に生きている真ならざるものに対立するものとしてのみ認識する。だから真なるものは、まったく力なしに、概念として、生み出されるのであり、かくてもろもろの生きている誤謬ヽヽと融合することによって初めてもろもろの力を取得しなくてはならないのだ! それゆえひとはもろもろの誤謬を生きさせて、それらに或る大きな領域を認めなくてはならない。――同様に、個体として生きえんがためには、まず社会という――対立するものが、高度に促進されており、また引き続き促進されるのでなくてはならない。」(原佑・吉沢伝三郎『生成の無垢 下 ニーチェ全集 別巻4』九七、〈ちくま学芸文庫〉一九九四年九月、p.73=NF-​1881, 11[171]――個性的な人生(=個體としての生長)は眞だとしても生きた錯誤である社會と結合しない限り效力無い、と。では、時代後れであることも、さうならざるを得ないやうなその種の根源的な錯誤の一つだとしたら……?

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「先」の語史について詳しくは、勝俣鎭夫バック トゥ ザ フューチュアー――過去と向き合うということ――日本歴史学会『日本歴史』二〇〇七年一月號新年特集号 日本史のことば」吉川弘文館→『中世社会の基層をさぐる山川出版社、二〇一一年九月、參照。サキといふ言葉の未來を示す用法は十六世紀以降に見られる新しい派生語意であり、元々中世までは時間上で過去を指す語だったことが考證されてゐる。よって、有名な土一揆の史料である柳生徳政碑文「正長元(一四二八)年ヨリサキ者(先は)カンヘ(神戸)四カンカウ(四箇郷)ヲヰメ(負目)アルヘカラス」の冒頭が正長以後の意とされるのは現代の語感が先入觀となった誤讀であり正長元年以前と解釋すべきだ、と。さらに、ヴァレリーの名言も引きながら、時間における過去を空間における前方に對應させ未來を後方に對應させる表現は日本以外でも古代ギリシアやアフリカ・南米等の諸言語にもあることが論及されてをり、さうした過去現在を眼前にして未來を背にする時間認識の方向性を轉回したものとして、進路を見つめ未來を志向する西歐近代式の歴史意識が對照されるところ、示唆に富む。

また言語學の阿部宏は次のやうに整理する。「空間概念の時間化について、主体は不動でその前を各事件が川の流れのようにつぎつぎに流れ去っていくイメージ(事件移動)でとらえられる場合と、主体が時間という一本道を自ら前へ前へと進んでいくイメージ(主体移動)でとらえられる場合と、主として二つの概念化がおこることが一般的に指摘されている。

やはり空間概念が時間化された「さき」にも、以下のように過去と未来の正反対の用法が存在する。「さき」の場合は、「先端」→「空間的な前方」→「時間」であるが、事件移動のイメージでは、すでに流れ去って流れの前方にあるのが「さき(=過去)」で、主体移動のイメージでは、主体の前方の地点が「さき(=未来)」ということになり、「あと」とはちょうど対称的な関係になる。

さきヽヽ(=過去)にお話しした件ですが……」/「それは、まださきヽヽ(=未来)のことだ」

「比較文法を批判してソシュールが考えたこと」岩波書店『思想』二〇〇七年第一一號「ソシュール生誕一五〇年」p.60
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ジュネットも言ふ、「時代錯誤アナクロニスムというのもまた、先説法プロレプス――過去から現在への目配せであってその逆ではない――の中でしかほとんど味わいをもたないのだ。そこで、むしろこれは、プロクロニスムヽヽヽヽヽヽヽ prochro­nismeと呼ぶべきであろう」(『パランプセスト』第六十二章 近接化前掲邦譯p.525)。先説法は現時(語り行爲ナレーションの現在でなく、專ら過去時制で語られる物語内容イストワールの現時點)から後に生じる出來事を事前に喚起する敍述であり、その現時からすれば未來(それを語りつつある現在からすれば過去乃至現在)を先取りして插入部とする未來混入=pro­chronismeになるわけ。これに對し、これと共に錯時法(ana­chronie)に屬する後説法アナレプスもあるが、「予想、すなわち時間的先説法を用いる割合が、その逆の文彩〔後説法〕とくらべてはるかに小さいということ」(ジェラール・ジュネット/花輪光+和泉涼一『物語のディスクール 方法論の試み』「 順序」〈叢書 記号学的実践〉書肆風の薔薇、一九八五年九月、p.70)が指摘されてゐた通り、後説法の方が所謂フラッシュバックや回想シーン等の形でありふれてをり、目立たぬ分、不協和音を釀す時間錯誤アナクロニズムの效果は弱い。また後説法は先行する出来事を後になってから喚起する語りで、回顧的に現時から過去へと指向(逆向)するので、その向きに隨伴して物語上の過去(過去形の物語が基準だと大過去・過去完了に相當)にとっては未來になる事柄が持ち込まれてしまひやすく、それと反對向きに現在へと過去から後れて入って來る混態は強調されにくい。

斯くて文學技法上「過去混入」は「時代混交アナクロニズム」としては未來混入ほど用ゐられないものながら、「タイムマシーンの構想」がこれに該當すると『レトリック事典』(p.550)は見てゐる。それはよいのだが、航時機は過去未來の雙方向に移動できるもの。したがって、實作例として半村良戦国自衛隊』を擧げてゐるのは却って混亂させる説明で、いただけない。あれは、もし現代の兵器がタイム・スリップで遡って戰國時代に持ち込まれたらばといふ思考實驗の産物である。「もはや存在しなくなった要素を持ちこむこと」と述べた過去混入の定義に反するではないか。それだから「ただし、その記述を、戦国時代を基調として読めば、《未来混入》と見なされる」などと混ぜっ返したことを言ひ足さなくてはならぬ破目に陷るのだ。時間SFなら、過去への遡行ではなく、過去の方から現代や未來へとやって來るものこそが適例である。時間旅行といふ未來技術を昔の者に使はせるのは難題なので時間逆行者が過去の人や物を連れて戻る往還の方がまだしも見つかるだらうが、現代科學者が行ふ過去時空からの召喚實驗だとか(ジョン・ウインダム/浅倉久志「時間の縫い目」若島正『棄ててきた女 アンソロジー/イギリス篇』〈異色作家短篇集〉早川書房、二〇〇七年三月)、機械裝置無しで突如ローマ帝國兵團だの恐竜だのが出現するパラレル・ワールド混線(マレイ・ラインスター/冬川亘譯「時の脇道」山本弘編『火星ノンストップ ヴィンテージSFセレクション 胸躍る冒険【篇】』早川書房、二〇〇五年七月)や星新一午後の恐竜」のパノラマ視現象みたいなアイデアも彙類に含められようか。或いはSFジャンル外なら、「アナクロニズムの一種」とされる「二重時間(double timing)」もの(本文前掲最新 文学批評用語辞典』p.200に立項)で、過去を物語るサブプロットが現在進行するメイン・ストーリーの上に覆ひ重なってくるやうな作品(伏線の回收とはまた違ふ)が、相應しからう。想ひ浮びにくいか知れぬが例へば、前世の記憶が現在の意識に蘇って來てオーバーラップするやうな内面描寫のあるもの、金子光晴「心猿」(『風流尸解記〈講談社文芸文庫〉一九九〇年九月所收)が當て嵌まらないか。自分を孫悟空の生まれ變はりと思ってゐる男の混信した二重意識に妙味がある幻想小説で、あの延長上に〈過去混入〉文學が可能であらう。輪廻轉生の妄想により過去世が現在世に入して二重寫しになる展開だったら、アンリ・ド・レニエ『生きたる過去』(一九〇五年。鈴木斐子譯『生ける過去』〈現代佛蘭西文藝叢書〉新潮社、一九二六年五月。窪田般彌譯『生きている過去』〈岩波文庫〉一九八九年十一月。就中第二十八章)もあった。あらまし過去の亡靈に取り憑かれたといふ譬喩そのままみたいなもので、隔世遺傳(先祖返り)めかした家系設定の新式因縁話はエミール・ゾラはじめ夏目漱石「趣味の遺傳」(一九〇六年)や夢野久作『ドグラ・マグラ』(一九三五年)やウィリアム・フォークナー等々一時期の物語定型だったが(類例の擴がりは、高橋直治『折口信夫の学問形成』「第七節 『異郷意識の進展』定位の試み」後半「アタヴィズムについて有精堂、一九九一年四月、pp.194-216參照)、父祖傳來を誇る貴族達が沒落した市民革命以後になってなほ血筋の趣向が流行るとは皮肉なこと、そこから既に時代後れな時好ではあった。これに看取されるのは、後説法を用ゐた二次的な物語言説は先立つ時間上に傍系の物語内容を派生させるが、それが反ってその基盤である第一次物語の世界へ干渉してくる所に過去混入が生じ得ること、二次から一次に語りの水準を引き上げるならその還元(一元化)によって物語内物語である大過去は入れ子枠を貫入してきて前景に織り交ぜられること(恰も直接話法を枠づける引用符が外された敍法の如し)、時として異なる物語世界間の境界侵犯となる「転説法メタレプス」に通じて(Cf.『物語のディスクール』「 態」原注(48)p.359)尋常な因果連續を越える形で記憶が世代間を短絡ショートしたり時代の隔った事件が話型を再現したりすることだ。最後のは、神話の反復・再演にも似通ふ。それなら、アンドレ・ジイド『鎖を離れたプロメテ』(一八九九年)のやうに神話時代のキャラクターが唐突に近代都市(パリ)を闊歩しだす話にだって心持ち過去混入の趣きが感じられないか。題名からしてもアイスキュロスもぢりのパロディー續編で、『縛られたプロメテウス』からの「先説法プロレプスを用いた継ぎ足し」(Cf.『パランプセスト』第三十一章p.285、第六十一章p.507、第七十七章p.624)とも見做せようが、舞臺を現代化しても主要登場人物が古體な儘だったらひょっくり過去から現代社會に紛れ込んだ印象とならう(反對にP・B​・シェリー『プロミーシュース解縛』だと、背景は神話世界の儘なのに思想が現代に近接化され、初刊一八二〇年當時の無政府主義風理想郷ユートピアを參照枠組にした反支配的な改革の寓意アレゴリーが託されてゐるため、未來囑望を古典へ盛り込んだ遡及的アナクロニズムの感は否めない)。

兎もあれ時間轉移にしろ轉生にしろ神話にしろ自然主義リアリズム文學から懸け離れた空想設定であり、さうまでしないと過去混入は容易に實效が擧がらないやうだ。「こういう発明[=H・G・ウェルズ『タイム・マシン』]のおかげで登場人物は、一時的にか否かはともかく、自己の物語世界を離れ、他の物語世界に入り込むことができるのだ」(『パランプセスト』第六十二章p.524)。しかしまた――タイム・トラヴェルをするためには、なにもタイム・マシンという機械やもっともらしい設定を与える必要はまったくない。われわれが手にする書物あるいは小説がそれだけで立派にタイム・マシンの装置であるかぎり」……(若島正タイム・マシン文学 第3回 失われた町」ポーラ文化研究所isNo.65、季刊一九九四年九月、p.53。收録書『乱視読者の新冒険』研究社、二〇〇四年十二月ではこの文句は削除、代りに「第部 タイム・マシン文学史」扉裏に同趣旨の文あり)。殊に古書舊籍であればそれだけで過去を運んで來たタイム・カプセルではあり、記録裝置であると共に裝置そのものが記念物であり、歴史學的文書ドキュメントであらうと史料論で言ふ存在論的秩序(舊くは「本體論的整頓(onto­logische Ord­nung)」とも。今井登志喜『歴史學研究法』「三 史料學」、〈東大新書〉東京大學出版會、一九五三年四月、pp.22-29參照)に即せばそれ自體が考古學的遺物モニュメントでもあり、民俗學に謂ふ殘存・殘留(surviv­als)であり、過去混入である。ただ、その昔を今に現存させる時日後記パラクロニズムの錯時性が意識されず、それが現存する時點は現在でありながら過去の事物と目されるといふ背反(その意味では年代を實態より前に附ける時日前記プロクロニズム)が不思議に思はれてないのを、引っ繰り返す工夫が欲しい所。

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第Ⅱ部「第3章|分身たち――第二部」中「4 復讐からの救済」參照。これは同書第Ⅰ部第1章3で「『反時代的考察』という標題に籠められた反時代性アナクロニズムという歴史感覚のありよう」(p.42)を述べた所と照應してゐる(索引にも立項あり、他に五箇所拾へる)。このツァラトゥストラに見る反時代性=アナクロニズムは「過去を意志するという時間の逆転によって、世界を再び肯定する」(pp.215-216)のだが、但し「断片を未来の予感として捉え、偶然ヽヽである現在と過去とを未来によって必然ヽヽへと変換していく」(p.215)とされ、「過去と現在を未来からの眼差しによって眺め、未来によって現在と過去を是認するといった循環を前提としている」(p.216)との由。忠順なニーチェ讀解としてはそれでよいのだらう。が、前向きでない時代後れ(アナクロニズム)の徒としては未來はもう澤山である。一體、「後向きに欲する」と言ふのに、どうしてそんなに未來へ未來へと前傾姿勢でゐられるのか。それがせめて「発展を阻止しヽヽヽ[……]変質自身を堰きとめ」るとか(『偶像の黄昏』「或る反時代的人間の遊撃四三*4前掲ちくま学芸文庫版全集14​p.135)現在に繋留するだけならまだしも​……飛躍した方向轉回に、超人ならぬ凡夫にはついてゆけない。恐らく、後向きであることよりも欲することを、向きはどうあれ志向性を持つこと、意志あることを、重んじてゐるのだらう。「さあれ獅子の精神はわれ欲すと言ふ」(『斯くツァラトゥストラは語りき』第一部變化へんげについてちくま学芸文庫版全集9​p.48相當)、「人間は欲しないヽヽよりは、むしろまだを欲しようとする das Nichts wollen, als nicht wol­len」(『道徳の系譜學によせて』第三論文「禁欲的理想は何を意味するか」第一節及び掉尾ちくま学芸文庫版全集11p.485584相當)、と。これまた意志薄弱の身には悟り難き境地ではある。きっと超人には、意欲しないことができないのだらう。古來「〜でないことができない」(否定の不可能)とは必然性、「〜でないことができる」(否定の可能)とは偶然性の定義であるからして(アリストテレス、ライプニッツ、九鬼周造ら)。偶然を必然と化すには禁欲する能力を無くさないといけないらしい。「そこで表現されてゐるのは何ら必然性ではなく、或る無能力ヽヽヽヽヽでしかないヽヽヽヽヽ」(『權力への意志』五一六原佑譯権力への意志 下 ニーチェ全集13ちくま学芸文庫版p.51相當=NF-​1887, 9[97]。これを引いての矛盾律をめぐる擴張講釋が、マルティン・ハイデッガー/細谷貞雄監譯『ニーチェ| ヨーロッパのニヒリズム』「一 認識としての力への意志」中「ニーチェによる認識の働きの《生物学的》解釈」〈平凡社ライブラリー〉一九九七年二月、p.156以下)。それでも主意主義を貫いて強辯するのか――強い意志と名づけられているもの」の「本質的な点は、まさしく、意欲ないヽヽこと」だ、意馬心猿の衝動に驅られないでゐられるやう「刺戟に抵抗すること[に就て]の無能力」「反応しないヽヽこと[へ]のあの生理学的無能力」を克服することなのだ(『偶像の黄昏』ドイツ人に欠けているもの、前掲全集14p.84Cf.同「反自然としての道徳」​p.50、同「或る反時代的人間の遊撃」​p.96『權力への意志』七三四NF-​1888, 23[1])、と? アラよく躾けられたワンちゃんですこと、「待て」が〈できる〉だなんて! 遲鈍な反應時間(潛)が隱れた遲延能力の遂行だったとしてそれは克己制慾ストイシズムなのか、遲疑や惰性ではないのか。能無しではなく無爲の力能が有る、と言ひ做すソフィスト論法(世に實在せずただ善の缺如あるのみと説くアウグスティヌスの詭辯を裏返したみたいな)。「本性の強さ」に特有な「或る種のἀδιαφορία[≒アディアフォラ、無關心、無記、獨語In­dif­fe­renzインディフェレンツGleich­gül­tig­keit​=無頓着」と言ひ「不感不動ヽヽヽヽImpas­sibili­tät​=無感覺、アパテイアを誘發するやり口」と云ひ、「愚行を豫防する處方は、強い意志を持って何事もヽヽヽないヽヽnichts zu thun​≒を爲す]ことであらう​…​…/矛盾​…​…」(『權力への意志』四五原佑譯『権力への意志 上 ニーチェ全集12』ちくま学芸文庫版p.57相當=NF-​1888, 14​[102])。いかにも矛盾だ、他方では「無関心die Adia­pho­rie​=無差別、どちらでもよいもの]は、それ自体では思考されうるかもしれないが、存在しない『權力への意志』六三四、前掲全集13p.162​=NF-​1888, 14​[79])と否認するのだから。ここでの困惑アポリアは、前年に棄却濟みであった「力を中立化し、この力をまさに活動しないこともできるような主体の行為にする」といふ「誤謬推理パラロギスム」(ジル・ドゥルーズ/江川隆男譯『ニーチェと哲学』第四章6、〈河出文庫〉二〇〇八年八月、pp.245-​246)を蒸し返した觀がある――即ち、「強さを強さの表はれから分離し、強さを表するもしないも自由である一個の無記in­dif­fe­rentesな基體が強者の背後にあるかのやうに」見做し、「弱者の弱さそのもの[……]が、一つの自發的な達成、なにか意欲されたもの、選擇されたもの、一つの行爲ヽヽ、一つの功績ヽヽででもあるかのやうに」思ひ做す、「あの無差別なin­dif­fe­rente選擇自由である主體への信仰」(『道徳の系譜學によせて』第一論文「一三」、前掲全集11​p.405・406相當)の回歸。…​…ジョルジョ・アガンベンのニーチェ批判。「ツァラトゥストラが意志に対して後ろ向きに欲すること zu­rück­wol­lenを教え、あらゆるそれはそのようであった私はそのように欲したに変えることを教える者」とされるが、「復讐精神を除去することだけに気を配っていたニーチェは、存在しなかったものや、他のしかたでありえたものの発する嘆きの声を完全に忘却している」(高桑和巳譯バートルビー 偶然性について​・五、月曜社、二〇〇五年七月、p.76。Cf.上村忠男・廣石正和譯『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』37、月曜社、二〇〇一年九月​→第三刷二〇〇四年六月、p.132)。加へて、ニーチェが「無能力 Nicht‑ver­mö­gen, Un­ver­mö­gen」を言ふ邊りは可能性(Mög­lich­keit)の樣相モダリティーが絡むだけに(「無能 Un­fä­hig­keit」や『曙光』等に見える「無力 Ohn­macht」も?)、アガンベン流に能力の缺除態(〜することができない)とは區別される「非の潜勢力 im­potenza」(〜しないことができる可能態、非能力。『バートルビー』p.15・67及び譯注p.87)に注意して讀み解かないと、その違ひを分かたずに思考が縺れるばかりとならう。「ローマ人がim­po­tentia(不能・無節制)と呼んだもの」……不能が「無節度Maass­lo­sig­keit​=過度]」「自己自身に対する支配の欠如」の義をも兼ねるとは(「生に対する歴史の利害について第五節末、ちくま学芸文庫版p.169)、蓋し、無能力が特に抑制力の無さである場合に當り、即ちラテン語im­potensが自制を缺いた激情やなすすべがない猛威の形容詞に用ゐられるといった場合、むしろあり餘る力の荒ぶりを指すやうな對義に反轉してしまって、兩義性を有するわけ。それを兩極性Po­la­ri­tät​=分極性・對極性)の單語と言へば、フロイト攝取したカール・アーベルの語源學的思辨原始語の相反意義Gegen­sinnについて』を想はせ(臼井隆一郎乾いた樹の言の葉 シュレーバー回想録の言語態』第四章「二 象徴的極性連関」、鳥影社・ロゴス企画部、一九九八年十月、參照)――尤もエミール・バンヴェニストに據ると一廉の言語學者にとっては取るに足らぬ珍説で間違ひだらけだが(花輪光譯「フロイトの発見におけることばの機能についての考察岸本通夫監譯『一般言語学の諸問題みすず書房、一九八三年四月、pp.87-​90――、漢字訓詁學に謂へる反訓の如し(大濱晧『中国的思惟の伝統――対立と統一の論理――』「序章」中「文字」、勁草書房、一九六九年八月)。恰も否定形の慣用語法「〜を禁じ得ない」「〜に堪へない」が感情に動かされる樣を表はすのに似て、ラテン古典の用例でim­potens iraeは抑への利かない憤激を意味し、無力な怒りではなく怒りに對する無力、自力では制御不能ないきり立ちであったが、現代英語im­po­tent rage​(佛語rage impuis­sante)になると怒るだけで事態をどうにもできない「ごまめの齒ぎしり」(齋藤秀三郎の名譯)、實行力無き憤慨を言ふ意が專らであり、同樣にドイツ語ohn­mäch­tige Wutやる方ない憤懣などと譯されて、Ohn­machtを自失とも譯す所から推せば我を失ふ激怒の意味でもあり得るといふ異義の可能性は陰に潛み、情動は内心に押し籠められてゆく。從って、ニーチェが「なされてしまったことに対して無力なるままに――意志は、一切の過ぎ去ったものに対して、一人の悪意をいだくbö­ser​=怒れる傍観者である」(『ツァラトゥストラ』第二部救済についてちくま学芸文庫版全集9​p.254)と語るその「無力な ohn­mäch­tig」(生田長江譯「如何ともすること能はず」)も、直前の意志の歯ぎしり」の換言でしかなく、壓し殺した「怨恨In­grimm」(同前p.255。登張竹風譯「憤懣」、阿部次郎釋文で「痛恨」)以上に出ない。後悔先に立たず、後の祭り。もはや過ぎた事を如何ともし難い無力感が撥ね返って内攻すれば鬱屈となり、既に書かれた本文テクストの動かし難さに忠實であらうとする文獻學的嚴肅主義リゴリズムにも抑鬱は附きものであり、「一般に歴史学的な作業をやるものには、その職業病といってよいほどうつ病が多い(中井久夫治療文化論――精神医学的再構築の試み六2(4)歴史家の職業病としてのうつ病」、〈同時代ライブラリー〉岩波書店、一九九〇年七月、p.80​→〈岩波現代文庫〉二〇〇一年五月、p.82)といふ病蹟學的診斷が下される所以だ。……こんな後向きな過去把持がどうやって未來への先驅に轉向するのだらう?

なほ、ニーチェの「反時代性」を「アナクロニスム」論につなげるものに、ジョルジュ・ディディ゠ユベルマン『残存するイメージ アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』(竹内孝宏・水野千依譯、人文書院、二〇〇五年十二月、pp.36-​37・178-179・338)があり、「生成の可塑性と歴史のなかの断層」の章で『反時代的考察』第二篇も扱ってゐた。反時代性そのものは觸れる程度だが、歴史のアナクロニズム化といふ著者の持論が窺へる所は興味あるもの。

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文獻學と歴史學とは對象も方法も重なるし(例へば、中島文雄『英語学とは何か』「3 フィロロギーと歴史」〈講談社学術文庫〉一九九一年五月、を看よ)、事實ニーチェにあっても併稱されるが(『道徳の系譜學によせて』「序」三及び第一論文註、前掲ちくま学芸文庫版全集11p.363・418)、しかしながら對立させられるものでもあることは留意しなくてはなるまい。この對立項にはニーチェコントラブルクハルトといふ風に人名を代入でき、バーゼル大學の同僚であった兩者にはニーチェのブルクハルトへの敬愛の念にも拘らず相容れない面があったのだが、下世話に性格の不一致や人間關係に還元するより、職務であり專攻である學科=紀律ディシプリンの差異であったことを見た方が意義深い。カール・レーヴィットヤーコプ・ブルクハルト 歴史のなかの人間(西尾幹二・瀧内槇雄譯、『ブルクハルト 歴史の中に立つ人間』TBSブリタニカ、一九七七年十一月→〈ちくま学芸文庫〉一九九四年八月。市場芳夫『ヤーコプ・ブルクハルト  歴史のなかの人間 1』みすず書房、一九七七年九月、は續卷出なかったが、一九九六年より『東北工業大学紀要  人文社会科学編』に續編連載)は「第一章 ブルクハルトとニーチェ」に始まり、ニーチェの提出した疑問にブルクハルトに代ってその著作の讀解を以て答へるものである。また斎藤忍随「ニーチェとクラッスィッシェ・フィロロギー」「フィロローグ・ニーチェ――ニーチェ・コントラ・ブルックハルト――前掲幾度もソクラテスの名を 』所收)も參考になる。一九五〇年代に書かれた齋藤の二論文は、頻りと洋語を插入して述べられるのに難澁するものの(舊制高校でドイツ語をやったやうな哲學青年世代にはあれがよいのだらうか?)、語學知識を埋めれば、やや古臭いが讀ませるエッセイである。就中、古典文獻學者としての理念からニーチェが古代(但しローマでなくギリシア、しかもソクラテス以前)といふ特定の時代に價値を認めたことを指摘されると、ニーチェの言ふ「古代」は過去の時代どれにでも置き換へ可能なものではないことになる。史學流が文獻學へ浸透しつつある中でニーチェは、このままでは「おそらくギリシア古代をも、他の古代と並んで歴史的に獲得しようと努めるであろう」(『悲劇の誕生』二〇、ちくま学芸文庫版全集2​p.167)と危懼してゐた。とはいへ、西洋人にとってこそ古典古代は重要だらうが、極東の讀書子にはニーチェやハイデッガーに追從してヘラス精神に拘泥すべき義理は無い。

ここですでに疑問が起こって来る、それはそのようでなければならなかったのだろうかヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ? という疑問がである。どうしてそれがそのようになったのかということを聴き取るために、漸次、彼は歴史を必要として来る。しかして、そのようにすることによって、彼は、それがまた別様にもなり得るものであることを、学ぶのである。[……]ところで、それが如何に全く別様になり得るかということを示すためには、例えば、ひとは、ギリシア人たちを示せばいいのである。どうしてそうなったのかヽヽヽヽヽということを示すためには、ローマ人たちが必要なのである。

 われら文献学者をめぐる考察のための諸思想および諸草案」(182前掲『哲学者の書 ニーチェ全集3』p.563​=NF-​1875, 5[64]

ニーチェの場合も、キリスト教時代でなく、近代新人文主義(殊にドイツのギムナジウム教育)に範と仰がれてきた古典期ヘレニズムでもない、さういふ自らの現代との異質性に着目しての時代選擇と見ると、斷層や不連續を認められる差異ある過去の歴史であれば特定の時代に限らなくてよいのでないかとも思ふ。「古典」を冠さない近代的な文獻學(や歴史學)の不信心な立場だと、さうなる。「古典古代も一つの任意な古代になり果ててもはや古典的にも模範的にも作用してゐない」(「教育者としてのショーペンハウアー」、前掲『反時代的考察 ニーチェ全集4』p.346相當)。それなら、歴史といふ時間ではなく空間上の他者によって、ヘテロトピア(異在郷)を以てする異化作用、つまり文化人類學が盛んにやった風な自文化の相對化でもいいのかといふことも疑問になるが……アナクロニズムの覺え書きでa­nach­o­rism(土地錯誤)まで論ずるのは正しく「場違ひ」もいいところだらう、棚上げにしておく。御關心の向きは、「人類学と歴史学との認識論的な同型性」から「異文化としての過去」論へと轉ずる佐藤健二歴史社会学の作法 戦後社会科学批判』「第1章 社会学における歴史性の構築」(〈現代社会学選書〉岩波書店、二〇〇一年八月)にでも就かれたい。實際二十世紀後半はむしろ文化人類學の隆盛に主導されさへしたことは、歴史の文化人類學化によって前向きでも後向きでもない「正面向き」な見方でその時代を認識しようとした村上陽一郎歴史記述ヒストリオグラフィー論(『科学史の逆遠近法 ルネサンスの再評価』一九八二年初刊、等)にも窺はれる(坂野徹「村上陽一郎の科学史方法論――その実験の軌跡柿原泰・加藤茂生・川田勝編『村上陽一郎の科学論 批判と応答新曜社、二〇一六年十二月)。他なる空間をも強ひて時間の相の下で歴史的に考察するとしたら、大航海時代以降の架空旅行記を先行形態とする系譜作りをした上で、その中から「ユートピアの時間化」(ラインハルト・コゼレック)により一七七一年刊ルイ゠セバスチャン・メルシエ作のユークロニア(無い時間/よい時間)文學が出來したと言ふ通説がまづ再考に付すべき要所とならう(大川勇『可能性感覚――中欧におけるもうひとつの精神史』「第4章 世界の複数性」中「05―存在の連鎖の時間化――メルシエ『紀元二四四〇年』」松籟社、二〇〇三年二月、pp.213-​214參照)。

なほ、レーヴィットの「ブルクハルト對ニーチェ」といふ問題設定については實證以前の豫斷に過ぎないと言ふ批判もあるものの(浅井真男「ブルクハルトとニーチェ」『史境』第一號「特集 新たな歴史理論を求めて」、歴史人類学会(筑波大學)、一九八〇年九月)、齋藤忍隨を併讀するとやはり兩者の相違における對比は有意義に思はれる。「ニーチェとブルクハルトとの関係はすでにおおくの研究者によってあまりにもしばしば語られた問題であるが、」「つねにニーチェの歴史にたいする否定的面が浮き彫りにされることにならざるをえない。けれども実は、ニーチェの歴史にたいする肯定的面を明らかにすることは、かれとブルクハルトとの関係においてばかりでなく、歴史思想史・精神史・歴史意識の研究にとっても、また歴史にたいする人間の本来的なあり方を認識するためにも、もっとはるかに大きな意味を持つように思われる」(仲手川良雄『ブルクハルト史学と現代』「第六章 歴史的偉大さ」註(9)、創文社、一九七七年一月、pp.313-​314)。ドイツ語で‚Burck­hardt und Nietz­sche‘乃至‚Nietz­sche und Burck­hardt‘を題名に持つ研究書にエドガー・ザーリン著(一九三八年→一九四八年増補版、一九五九年)やアルフレート・フォン・マルティン著(一九四一年→一九四七年四版)や毎熊(前野)佳彦著(一九八四年→一九八五年)等もあるが日本語版無くて讀めない。

*9

以下など看よ。「すなはち本質結果Folgen​=結末、結論]同一化される、すなはち或る換喩である。」「すなはち、結果Wir­kungen​=效果、影響]が原因と見なされる」……前掲『哲学者の書 ニーチェ全集3』所收「哲学者に関する著作のための準備草案」中「一 一八七二年秋および冬から」p.321相當=NF-​1872, 19[242]​(Cf.須藤訓任『ニーチェの歴史思想』補論1註(5)*3前掲p.307所引=19[204]、『哲学者の書』同前pp.308-​31119[209]/[210])。「つまり結果であるものを原因ととることによって」……「原因と結果をとりちがえる」……『人間的、あまりに人間的な 初卷』三九六〇八池尾健一譯、ちくま学芸文庫版全集5​p.75・466。結果=Wirkung浅井真男で「作用」とも――『ニーチェ全集 第六巻(第Ⅰ期) 人間的な、あまりに人間的な 自由なる精神のための書(上)』白水社、一九八〇年五月、p.68)。同じくUr­sa­che und Wir­kungを主題とする『曙光』一二一、『悦ばしき知識』一一二、一二七。遺篇集『權力への意志』五一五番「理性における目的性ヽヽヽは一つの結果であって、原因ではない」云々=NF-​1888, 14[152]は、ハイデッガーの第三ニーチェ講義でも一トピックを成す(前掲『ニーチェ| ヨーロッパのニヒリズム』「一 認識としての力への意志」中「理性の創作的本質」pp.147-​149)。斷章(フラグメント)形式以外で、詳しく論じたのは『偶像の黄昏』中「四大誤謬」の章。因果論の關聯箇所を或る程度拾ってあるのが榎並重行『ニーチェって何? こんなことをいった人だ』第二章(*4前掲pp.81-96)。……他に? 

かうしたニーチェによる因果性批判を、柄谷行人は「遠近法的倒錯」といふ呼び名で弘めたものだ。早くは「マルクスの系譜学――予備的考察」(筑摩書房『展望』一九七七年十月號、p.22)に「マルクスはここで歴史における目的論をたんに否定するかわりに、そういう遠近法的倒錯(ニーチェ)がいかに生じるかを示している」と見え、ニーチェの言として持ち出されたこの語で目的論を指すのは「マルクスその可能性の中心」第六章4(初出一九七四年→改稿『マルクスその可能性の中心』講談社、一九七八年一月→〈講談社文庫〉一九八五年七月、p.114・118)でも同樣であり、それが『日本近代文学の起源』「 風景の発見」(初出一九七八年七月→初刊一九八〇年八月→〈講談社文芸文庫〉一九八八年六月、p.45)では「認識論的な構図そのもの」の稱とまでされたが、『内省と遡行』の標題論文「序説」(初出一九八〇年一月→一九八五年初刊→〈講談社学術文庫〉一九八八年四月、p.11)に至って「ニーチェのいう結果を原因とみなす遠近法的倒錯」といふ風に特に因果顛倒のこととして述べられ、『探究』第二部「第九章 超越論的動機」(一九八九年六月初刊→〈講談社学術文庫〉一九九四年四月、pp.220-221)では「系譜学的であることは、結果であるものを原因とみなす認識の遠近法的倒錯をえぐり出すこと」と説かれる。また「そのことを最初にいったのは、[……]スピノザである」として、『エチカ』からの引用を掲げてゐる(同前pp.225-226、cf.第二部第八章p.203)。ところでしかし、引用符で括られてゐるが「遠近法的倒錯」といふそのものズバリの言葉はニーチェに見當らない。「結果の代りに由來。なんといふ遠近法の反轉!」(『善惡の彼岸』三二ちくま学芸文庫版全集11p.68相當)といふ箇所で、どうだ? だが、この‚Um­keh­rung der Per­spek­tive‘を遠近法的な倒錯と譯した邦文があったのかどうか、あっても果して適譯か。第一これは「結果を原因とみなす」のでなく逆、由來(Her­kunft)を結果(Fol­gen)の代替にしてゐる。ニーチェ全集を繙くと、結果を原因と見做す遡及方向の逆轉でなく原因を結果と捉へる向きの誤謬を論じた箇所も散見する。例へば『道徳の系譜學によせて』第一論文「一三」、「同じ出来事を一度まず原因と見なし、次にもう一度それをその結果と見なす」(ちくま学芸文庫版全集11p.405)。また、「年代記的逆転」のため「原因があとになって結果として意識される」ことを述べ、さうした誤認を「文献学の欠如」と名づけた遺稿……尤もその斷章中では「結果がおこってしまったあとで、原因が空想される」とも説き、何やら循環端無きが如しであるが(『權力への意志』四七九原佑譯『権力への意志 下 ニーチェ全集13』ちくま学芸文庫版pp.23-​25.=NF-​1888, 15​[90])。柄谷の引例にあるスピノザも「目的論は、実は原因であるものを結果と見なし、反対に〈結果であるものを原因〉と見なす」(工藤喜作・斎藤博『エティカ』第一部「付録下村寅太郎責任編輯『世界の名著 25 スピノザ ライプニッツ中央公論社、一九六九年八月→『スピノザ ライプニッツ 世界の名著30』〈中公バックス〉一九八〇年九月、p.120。〈 〉内はオランダ語譯遺稿集から補はれた箇所)と雙方向で論じてゐた。それにニーチェの場合、原因・結果といふ單語でなく「意圖」や「目的」といふ概念を俎上に載せた所が多いかも。といふことで、批評用語で常套となった「遠近法的倒錯」といふ成句、特にその意味を結果を原因に代入する方向に限るのは、ニーチェでなくそれを發想源とした柄谷行人の創意に歸する方が良ささうだ。實際遠近法パースペクティブと言ふよりもはや、遡行的レトロスペクティブな視線ではある。

*10

三島憲一「初期ニーチェの学問批判について――ニーチェと古典文献学」氷上英廣編『ニーチェとその周辺朝日出版社、一九七二年五月→三島憲一『ニーチェとその影 芸術と批判のあいだ』未来社、一九九〇年三月→増補『ニーチェとその影』〈講談社学術文庫〉一九九七年九月、p.20。曰く、「しかし、何か不動なもの、時間の流れにかかわらず確固として不動なものによって自己を測るというだけでは、なにほどのこともなかろう。[……]偉大な過去によって現在を理解し、未来の指針を探ろうとするのは、ごく自然なことであろう。というよりも、正確にはまさにそれが市民社会における文化的正統性の追求にいわばつきものの営みであった」。むしろさういふ正統性を懷疑したのがニーチェであり、なぜなら規準となる過去といふのも現在から理解した像に過ぎないからで……と三島は讀んだ。誤解ではないものの、的を逸れてないか。問題となる文獻學的アンチノミーの文の流れは逆であった。三島譯ではかうだ、「事実問題として人は古代をいつも現代からのみ理解して来たのである。――そして今度は古代から現代を理解しろというのだろうか」(同前p.19所引)。語調は變へられたが、まづ現代からの理解を前提に擧げそれに對し古代からの理解を要請するといふ順序は搖るがない。ムザリオン版でなくグロイター版全集を底本とする別譯でも同樣、「実際は、つねにただ現代を基準ヽヽヽヽヽとして古代がヽヽヽヽヽヽ理解されてきた――そして今は、古代を基準ヽヽヽヽヽとして現代が(ヽヽヽヽヽヽ)理解されなければならない? だとすると、これは文献学のアンティノミーだ」(谷本慎介「遺された断想 一八七五年初頭―七六年春3[六二]『ニーチェ全集 第五巻(第期)白水社、一九八〇年八月、p.140)。古代に基づくことが求められなくては前段で述べた所にも合致せず、文獻學の課題とやらも永遠でなくなってしまふ。續く後段も、現在からのその理解が貧弱な基盤しか持たぬことを暴くものだった。されば對案「古代から現在を……」が「ごく自然」で凡庸に思はれようとも、ならばまづはそれが自明な常識論に納まらなくなるやうな讀み方も探ってみるが良からうと思った次第(過去が現在へ影響するなんて至極當然なことでも、それが廢れた筈の昔が今に猶存するアナクロニズムとなると不自然で異樣に感じられるもの)。この草稿の時點でまだそれは著者本人にも十分考へ詰められてなかったらうが、後生の讀者には本文の不備を補って讀み解いてゆく權利(いや義務か?)が與へられてゐる。文獻學がKon­jek­tural­kri­tik​(判讀法、推測校訂)やEmen­dation​(修訂)と稱する務め。

なほ、ニーチェ前後のドイツにおける文獻學については西尾幹二『ニーチェ 第二部』(中央公論社、一九七七年六月→〈ちくま学芸文庫〉二〇〇一年五月)も調べてゐるが、むしろそこで擧げられ斎藤忍随も依據してゐたヴェルナー・イェーガー「文獻學と歴史學」に食指が動く。

*11

ハンス=ゲオルク・ガダマー轡田収・巻田悦郎譯『真理と方法  哲学的解釈学の要綱』第二部第章第1節「d 作用史の原理〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、二〇〇八年三月、pp.479-480。解釋學派からは異論もあらうが、その正典『真理と方法 哲学的解釈学の要綱』(轡田収ほか譯、〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局・一九八六年八月​〜・二〇一二年十一月)に大勢順應コンフォーミズムを看取したジークフリート・クラカウアーの批判は當ってないか。

かれは真理判断の試金石を外部に求めずに、歴史の連続性を聖別し、アクチュアルな伝統を聖化する[H・G・ガダマーの謂はゆる「作用史」(Wirkungs­ge­schich­te​=影響史)はWirk­lich­keit(=英actuality、現實性)に聯關させて導入された概念]。だがこのやり方では歴史は狭い閉鎖的体系になり、ヘーゲルの金言「現実的なものは理性的である」と同様に、見失われた原因や実現されなかった可能性を閉め出してしまう。成功のストーリーとしての歴史――ブルクハルトだったら現代の解釈学の基礎にあるこれらの命題を、決して承認しなかったであろう。

平井正譯『歴史 永遠のユダヤ人の鏡像』「8 前室」せりか書房、一九七七年九月、p.264

これは、歴史主義問題とその從來の解決案を檢討した中での評である。ハーバーマスとの論爭でガダマーの保守主義イデオロギーが取沙汰された(『真理と方法 』「第三版あとがき(一九七二年)p.923以下)のと類似して見えようが、問はれてゐるのは政治的革新性をどこまで容れ得るかより歴史的認識論として非正統性を認知可能かだ。クラカウアー自身は、檢討した超越論的ならびに内在論的解決(ガダマーも後者)のいづれとも異なる命題に移行すると告げ、兩解決法は二者擇一でなく竝存に代るべきなのだと言ふ。

わたしの命題の立場から見ると、哲学的真理は二重の様相を持っている。超時間的なものは時間性の痕跡を免れ得ず、時間的なものは超時間的なものを完全には包摂しない。われわれはむしろ真理のこの両様相が並行して存在し、わたしが理論的には定義できないと考えるようなやり方で、相互に関係づけられていると仮定する他はない。それに近い類例は量子物理学の「相補性問題」に見いだし得るであろう。

同前p.266

理論で定義できないやり方と言ひ、「タクトが要求される」(p.272)と云はれても、勘の鈍い人間には呑み込みかねるが、とにかくも、「歴史の領域における思考作用を制約しているアンチノミー」(p.273)を一律一元に解消しようとしなかった所がクラカウアーの取り柄だらう(よしそれゆゑに完成できず遺稿出版となったにせよ――ちなみに編者はP・O​・クリステラーだ)。この二重樣相はフーコーなら、奇妙な經驗的゠超越論的二重體である〈人間〉、と言ふ所だらうか(渡辺一民・佐々木明『言葉と物―人文科学の考古学―』第九章「四 経験的なものと先験的なもの」新潮社、一九七四年六月、參照)。

*12

佐藤信夫企劃・構成/佐々木健一監修『レトリック事典』1‑7‑1‑2 《交差呼応》」(大修館書店、二〇〇六年十一月、p.106)參照。これは形式上から見た場合の分類で、内容から見ると意味論上の矛盾を利用した撞着語法オクシモロン(同「3‑12 対義結合」參照)にも當る。またNamier原文“Symmetry and Repetition”(1941)ではこの前に‘One would expect people to re­mem­ber the past and to imagine the future.’=「人間というものは過去を回顧し、未来を想像するものだと思われている」(ジョン・ケニヨン/大久保桂子譯『近代イギリスの歴史家たち―ルネサンスから現代へ―』第7章末所引、ミネルヴァ書房、一九八八年十月、p.355)と述べた上で覆した文なので、パラグラフ全體の構成からすれば交叉配列キアスム(『レトリック事典』「1‑5‑1 《交差並行」の規定からははみ出す廣義だが)を成すかにも見られよう。修辭學上の分類を定めるのが問題なのではない、同類の表現法を知ることで語句の働きが思考法として理會できる筈だ。

技法と別に文法から使用語彙を分析すれば、ギルバート・ライル『心の概念』(坂本百大・井上治子・服部裕幸譯、みすず書房、一九八七年十一月、第五章「5 達成」及び第八章「7 記憶」)に倣って、「想起する/想ひ出す re­mem­ber」は達成動詞(到達動詞 a­chieve­ment verbs)、「想像する/想ひ描く imagine」は仕事動詞(從事動詞 task verbs)として對比する手がある。仕事動詞がただ遂行自體を表はし成否を問はぬのに對して達成動詞はその行爲の結果・成果までを含意するもの、從って、心内だけに終始してもよい「想像する」と違ひ「想起する」は心の動きが志向先に首尾良く到達してゐなくてはならない。實際「Aを想起したが、想起が外れた」とは言へまい、それは想起になってないと言ふべきだらう。想起對象Aが現實に存在しなくては想起の成立條件が滿たされない、想起される目的語(object​=對象)の實在性リアリティーが動詞の意味論・文法論上から要請される、といふわけ。言語は現實(實在)を寫した表現であるに留まらずそこにどれだけ屆いてゐるかを示して却ってその現實の實在度(Cf.カント『純粹理性批判』B209-​211)を規制し構成するかの如し。この動詞種別を應用した時間論の哲學として、中島義道『時間論』「第六章 幻想としての未来」(〈ちくま学芸文庫〉筑摩書房、二〇〇二年二月、pp.216-​217)、さらにその精解である入不二基義哲学の誤読――入試現代文で哲学する!第三章(〈ちくま新書〉筑摩書房、二〇〇七年十二月、p.182以下)が參考になる。特に入不二著は第二章が永井均「解釈学・系譜学・考古学」(本文前掲)の解説でもあり、向きの正反對な中島の未來論と永井の過去論とが共に現在と無關係に自存する「実在性の強度」を最大限に上げようとする思考として一括され(pp.219-​221)、第四章に批判する大森荘蔵の反實在論(p.270​・283)と對照を成す。

なほ、このネイミアの逆理をイギリス史研究者近藤和彦は「過去に想像力をはたらかせ、未来を忘れない(imag­ine the past and re­menber the future)」と譯してをり(近藤『文明の表象 英国』「序」山川出版社、一九九八年六月、p.24所引)、日本語としてはこの「忘れない」の方が自然らしく見えるかも。これを含む節は「2 過去を想像し、未来を忘れない」と題されてもゐる。但し、そこに附された註38には「カーの引用するネイミアの言」とあって、原文脈を見ない孫引きのやうである。しかもその引用の前後や、同書「結」での「わたしたちはヴァレリとともに、後ずさりしながら未来に入ってゆく」(p.232)と述べる邊りを見ても、この辭句をE・H・カーに寄り添ってあまりに前向きな未來志向に解してゐる。「ネイミアの生涯と歴史学 デラシネのイギリス史」(近藤ほか編『歴史と社会 11 英国をみる 歴史と社会』リブロポート、一九九一年一月)にてその業績を保守主義の歴史研究と結論した近藤にして、ネイミアを進歩主義紛ひにしてしまって怪しまぬとは――それほどにも前進偏向のしがらみは脱し難いのか。自體ネイミアとしては、問題の一句を「じつは、歴史を論じたり書いたりしているとき、人はみずからの経験に照らして歴史を想像しているのであり、未来を推測しようとしているときには、過去のなかから思いついたアナロジーを引きだしているのである」(前掲ケニヨン著邦譯p.355所引)との説明附きで述べ、常識の語法通りに「過去を想起して未來を想像する」ことですら滿足にできない人びとの知的限界に對して苦澁を滲ませた文章であった。「ネイミアはこの過程を深い絶望感を抱きつつみつめていた」(同前)。

*13

ここに原注312が附されてゐるが、311と參照指示の宛先が入れ違ってゐるやうだ。即ち312で「『反時代的考察』、第三篇教育者としてのショーペンハウアー、四」を指示するが(ちくま学芸文庫版全集4​p.265以下の邊りか)、311が仝「第二篇生に対する歴史の利害について、緒言」を擧げてゐ、註が附いた箇所の本文内容と適合させるには入れ替へねばならない。先行の足立和浩譯『ニーチェと哲学』(国文社、一九七四年八月)も見るに、同書p.160に附された第三章原註(90)に該當するが、やはり(89)と指示内容が前後してゐる。すると典據錯誤は原書からか(Nietz­sche et La Philo­sophie, PUF, 1962, p. 122.)。しかし邦譯者二人とも當然ニーチェ全集との照合くらゐしたらうに、なぜ糾謬の註記もせず間違ひのまま引き寫してあるのやら解せない。兎まれ出典同定は『反時代的考察』第二篇緒言末文で確定にしても、その引用にあたっての前説では「反時代的で非現働的」と二語併記であり、原文は« intem­pestifs et inac­tuels »、大同小異の語句を疊み重ねて近似値的な接近アプローチを圖る類義累積の文脈に置かれ、un­zeit­ge­mäßの譯語はフランス語でも一義に定めかねる樣子であるが、その六年後に『差異と反復』「はじめに」(財津理譯、河出書房新社、一九九二年十一月、p.16​→『差異と反復 上』〈河出文庫〉二〇〇七年十月)でドゥルーズが再度ニーチェの同文(佛譯文にはやや異なりあり)を引用句とした時には「かの反時代的なもの l'intem­pestif」と呼んでもinac­tuelといふ語は伴ってない。『差異と反復』本文に「反時代的な in­tem­pestif​/in­tem­pes­tive」はあと二箇所現はれ(第三章p.205・第五章p.363)、「現実的アクチユエルな」も頻出するのに、inac­tuelはすっかり姿を消してゐる(辛うじてnon ac­tuel(le)​=「非現実的」なら三度使用、p.295・308・473第四章原注22)。さてこの不在に意味ありや、「潜在的ヴイルチユエル」にお株を奪はれたか。一旦潛伏したin­ac­tuelは後年に再活性化する(*17參看)。

なほ、「權力への意志」とニーチェが言ふその權力(乃至は力、ドイツ語でMacht)を河出文庫版『ニーチェと哲学』で「力能」と譯すが、フランス語puis­sanceに哲學用語で可能態(潛勢態とも)の意味があるのを含ませたと見える。さういふ態、樣相モダリティー論の哲學については、潛勢態を論じたジョルジョ・アガンベンバートルビー 偶然性について、特に標題論文「三・二」(*7前掲p.58)以下が參考にならう。少なくともドゥルーズの口寄せめいたニーチェ語り(自由間接話法的ヴィジョンとや?)のやうには理解に苦しまされない。

*14

嚴密にはドゥルーズの用語法(ターミノロジー)では、可能性とは實現した現在をもとに事後になって逆算された遡及的な幻影でしかないと否定したベルクソンを踏まへ、可能性/實在性(pos­sible/​réel)といふ對概念と潛在性/現實性(virtuel​/actuel)とが區別されるのだが、餘りにややこしくなるので詮議はお預けにせざるを得ない。詳しくは、ジル・ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』宇波彰譯、〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、一九七四年六月)第二章p.40・第五章p.107以下=『ベルクソニズム 〈新訳〉』(檜垣立哉・小林卓也譯、〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、二〇一七年七月)第二章p.41・第五章p.108以下、參照。その他せめて種になる文獻は出しておくと――そもベルクソンの可能性論は、「回顧性の錯覚」といふ稱でウラジミール・ジャンケレヴィッチによって特に取り立てられて主題化した經緯があり(阿部一智・桑田禮彰譯『増補新版 アンリ・ベルクソン』新評論、一九九七年一月、序論p.9・第5章p.253・第6章p.293以下)、その「前未来」時制を「諸々の時代錯誤ヽヽヽヽanachronisme)の原型そのもの」(第1章p.33)とも呼ぶ所など目を惹かれるが、當のベルクソン自身の文に即すと、第一主著の第三章で分岐路の圖を掲げた前後に萌芽が見られ(合田正人・平井靖史譯『意識に直接与えられたものについての試論――時間と自由』〈ちくま学芸文庫〉二〇〇二年六月、pp.193-​203)、第四主著『道徳と宗教の二つの源泉』の二つの節で觸れられ(森口美都男譯、澤瀉久敬責任編輯『世界の名著 53 ベルクソン』中央公論社、一九六九年三月、第一章「正義」p.285・第四章「機械化と神秘精神」p.530​→『ベルクソン 世界の名著64』〈中公バックス〉一九七九年一月)、本格的には晩年の論文集『思想と動くもの』中「緒論(第一部) 真理の成長。真なるものの逆行的運動。」及び第三論文(河野与一譯・木田元改訂「可能性と事象性」『思想と動くもの』〈岩波文庫〉一九九八年九月/矢内原伊作譯「可能と現実」『ベルグソン全集 7 思想と動くもの』白水社、一九六五年九月/宇波彰譯「可能的なものと実在的なもの」『思考と運動 (上)』〈レグルス文庫〉第三文明社、二〇〇〇年九月/原章二譯「可能と現実」『思考と動き』〈平凡社ライブラリー〉二〇一三年四月/竹内信夫譯「可能的なものと現実的なもの」『思考と動くもの 新訳ベルクソン全集』白水社、二〇一七年六月)に可能性批判が開陳されるも、併せて潛在性を論辨する所無し。「実をいえば、ベルクソン自身の諸論考においては、この潜在性という観念そのものに対して積極的に焦点が当てられたことはないのであり」(神山薫「ベルクソン哲学における潜在性の観念について」一橋大学一橋学会『一橋論叢』第一三四卷第三號=二〇〇五年九月號、日本評論社、p.458)、潛在性をテーマ系(thématique)として見出すには主要概念に附隨する陰伏的モティーフ(mo­tif im­plicite)を拾ひ集めねばなるまいが、まづ第一主著では「潜在的​=virtuelle​/virtuelle­mentが僅か四箇所で輕く用ゐられるに留まり(前掲『意識に直接与えられたものについての試論――時間と自由』p.15・24・99・225)まだしも「力能」と譯されるpuis­sanceの方が「アリストテレス風に言えば、潜勢態」(p.137)や「羃」(p.206)の意味も含めて多出するし、第二主著『物質と記憶』になると純粹想起に關説して「本質的に潜在的なものたる過去」(合田正人・松本力譯〈ちくま学芸文庫〉二〇〇七年二月、第三章p.193――なぜか卷末「事項索引」の「潜在的 virtuel」の項に不採録、ほか原文に照合すると同譯書p.15・18・38・40・41・48・55・68・70・108・125・140・149・187n・191・199・204​・222・256・326・331-335・344・353も遺漏)等と辯じられたりするものの、逆に過去は「本質的に無力であるimpuis­sant」(p.196、cf. p.201「根本的な無力さ」)と「潜勢態」=puissance​(p.224)に否定接頭辭を冠した形容詞で述定されもし、それにやはり「可能的」との使ひ分けは定かでない。第三主著『創造的進化』も同斷。二〇〇九年PUF刊〈カドリージュ〉校訂版の註解に據り原章二譯『思考と動き』「序論(第一部) 真理の成長、真なるものの遡行的運動」の「訳注」*21​(前掲書p.39)は「ここではドゥルーズが『ベルクソニスム』で言うような可能性潜在性の区別のなされていないことを校訂版は指摘している」と記し、ベルクソン研究からは「潜在性概念のドゥルーズによる解釈に、テキスト上の根拠がないこと」が檢證されてゐる(村山達也「潜在性とその虚像 ベルクソン『物質と記憶』における潜在性概念」平井靖史・藤田尚志・安孫子信『ベルクソン物質と記憶を診断する 時間経験の哲学・意識の科学・美学・倫理学への展開書肆心水、二〇一七年十月、p.32)。畢竟ベルクソンは託つけプレテクストなるのみ、潛在的・可能的を對立關係にして結び合せたのはドゥルーズの創見と覺しく、その端緒は「ベルクソン 一八五九―一九四一」(平井啓之譯・解題『差異について』増補新版、青土社、一九九二年九月、所收→新裝版、二〇〇〇年六月、p.193/前田英樹譯「ベルクソン、1859―​1941」『無人島 1953‑1968』河出書房新社、二〇〇三年八月、p.58)にあった。潛在性が「アクチュアルであることなしにリアルな」ことを強調し可能性との對比で重用する論法は、代表作『差異と反復』第四章(財津理譯、河出書房新社、一九九二年十一月、p.315​・pp.318-321→仝『差異と反復 下』〈河出文庫〉二〇〇七年十月、pp.111-112​・pp.118-122)や『襞――ライプニッツとバロック』(宇野邦一譯、河出書房新社、一九九八年十月、第8章p.178以下)等でも再説されてゆく。その延長上に、可能/リアル/アクチュアル/ヴァーチャルといふ存在樣態の四極關係をピエール・レヴィが總説し(米山優監譯『ヴァーチャルとは何か? デジタル時代におけるリアリティ「9 存在論的四学――ヴァーチャル化、すなわちいくつもある変様の一つ昭和堂、二〇〇六年三月)、參考になる。「レヴィの理論に触発されつつ」ヴァーチャル性(但し「潜在性」よりは「仮想性」寄り)といふ主題を變奏した清水高志『来るべき思想史 情報/モナド/人文知』(冬弓舎、二〇〇九年四月、第三章4​pp.81-82)は、ベンヤミン『パサージュ論』(N1a, 3)の「文化史的弁証法」に「否定的契機の重視」を認めて「彼はアクチュアルなものを救済するために、その反対側に位置するアナクロニズムへの潜行を試み続けねばならないのであり、そうした姿勢はドゥルーズが提示したヴァーチャル・アクチュアルという発想の軸への移動を、まさに予見するものであった」と先驅者扱ひしてをり、アナクロニズムはアクチュアル性を逆轉したヴァーチャル化の一種に擬せられる。特に潛在性論から歴史論へと、即ち「ドゥルーズによってほとんど論じられることのないテーマ」へと展開してゆく方向での問題設定は國分功一郎が示唆してゐる(「訳者解説ジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』〈ちくま学芸文庫〉二〇〇八年一月、pp.220-​235)。また、ドゥルーズ説の要説は松浦寿輝『官能の哲学』「I‐3 言葉の死 = 欲望の死」中「可能性と潜在性」の節(双書 現代の哲学〉岩波書店、二〇〇一年五月、p.77以下→〈ちくま学芸文庫〉二〇〇九年六月、p.90以下)にも見られ、松浦は「潜勢態としての言語の全体」(p.86​→p.99)に想ひをめぐらせつつ、『知の考古学』に「潜在的な言表d'énoncé latentが認められることはない」(Ⅲ―Ⅲ―​A​―2、慎改康之譯〈河出文庫〉二〇一二年九月、p.207)とあるのは考慮の上で「フーコー的な言表と意外に近いものであるかもしれぬ」(p.88​→p.102)と繋げてもゐる。現に、ドゥルーズに依據して「フーコーは,[……]可能性としてではなく,[……]潜在性としてギリシア・ローマ古代の世界を論ずる」云々と告げる文もあった(関良徳「ミシェル・フーコーの倫理学(1)――「自己構成的主体」の概念についての試論――一橋研究編集委員会『一橋研究』第二十一卷第四號、一九九七年一月、p.109)。他方、この區分法に批判的にle virtuelle possibleとの混用が持つ意味を檢討した赤間啓之「ラン・ウィズ・ア・《ベルクソン》 あるいは可能的なもの潜在的なもの」(青土社『現代思想』一九九四年九月臨時増刊「総特集=ベルクソン」)は、可能世界を拒否するベルクソニスムが歴史論に應用された場合に固有名を尊んで無名性を蔑する英雄主義に陷りがちなことを指摘して興味深い――但し、混用の實例として繰り返し引證する文の出典につき註(34)で「全集5、白水社、九八頁」とするのは何の錯誤か、その渡辺秀譯『ベルグソン全集 5 精神のエネルギー』(一九六五年五月)での該當箇所は第二論文「心と体」pp.62-​63(=原章二譯『精神のエネルギー』〈平凡社ライブラリー〉二〇一二年二月、pp.75-76)になる。ついでに、この白水社『ベルグソン全集』(一九六五〜六六年初刊)の書名標記を「ベルソン全集」と清音にしてゐたのもよくある過失。……さらに、その「英雄主義」への批判も含む反ベルクソン主義としてのフーコーを論じたのが、澤野雅樹「光のもとに差しだされた生 フーコーの鏡に映るベルクソン(『現代思想』一九九四年九月臨時増刊「ベルクソン」)​→改稿「光の下に差し出された生 二つの死と最後のフーコー」(『死と自由 フーコー、ドゥルーズ、そしてバロウズ』青土社、二〇〇〇年六月)。

*15

田村俶譯『監獄の誕生 監視と処罰』(新潮社、一九七七年九月)p.35相當だが、誤解の餘地があるので譯文を私に改めた。これについては二〇〇四年にprospero氏のサイトSTU­DIA HUMANI­TATIS掲示板である「口舌の徒のために」でフランス語原文からその譯し方まで大いに教示を受けた。一往、流布本である田村譯を抄出しておく。

こうした[……]監獄についての、私は歴史を書きあげたいと思うのだ。それはまったくの時代錯誤によって、であろうか。私の意図を、現在の時代との関連での過去の歴史の執筆であると理解する人には、そうではない。だが、現在の時代の歴史の執筆であると受けとる人には、そうなのである。

一番の變更點として、邦譯書で「私の意図を」とされた箇所は原文(佛文原書p.35)に無い補ひで、« par là »英譯‘by that’(それによって)が指す所をさう取ったらしいが、それは直前に先行する語« un pur ana­chro­nisme »を指示すると讀んだ。作者の意圖よりアナクロニズムと言ふ言葉の意味が問題になる(蔑稱の否認から是認の自稱へ)。同じ讀みは、田崎英明『ジェンダー/セクシュアリティ』第1章 個体化と錯時アナクロニー――微生物のセックスから――」(〈思考のフロンティア〉岩波書店、二〇〇〇年九月、p.38。二〇〇一年四月第二刷で「あとがき」に追記あり)にも既に出てをり、所引の譯文は以下の通り。

私がやりたい歴史というのは,この監獄,その閉ざされた建築物のうちにそれがかき集めた,身体に対する政治的備給の一切を含めたこの監獄についてなのである.ある純粋なアナクロニズム〔時代錯誤〕によって〔この歴史を書こうというの〕であろうか.もしも,〔アナクロニズムという〕この語によって,過去の歴史を現在の用語によって書き上げることと理解するのなら,否である.〔しかし,〕この語を現在の歴史を書く = 作ることと解するなら,然り〔と答えよう〕.

やはり原典には無い「この語」といふ代入がなされた上に、小煩いほど補填された龜甲括弧〔 〕がここの解讀しにくさを自づから示してゐる。「ある純粋な」の原語は« un pur »pur(e)は名詞に前置されると「全くの、單なる、純然たる」といった意味で名稱の適切性の度合ひを表はす法形容詞(法=modal、敍法、樣相)となるさうだが(山本大地「フランス語の法形容詞purについて」川口順二『フランス語学の最前線3』ひつじ書房、二〇一五年五月)、逐語譯されて不協和音が際立つ。「現在の用語によって」とあるのは、英語成句‘in terms of...’(〜に關して、〜の點から)に通ずるらしい原句« dans les termes du... »termeを單語通りの語義にした譯。「書く=作る」は英語でmakeにもdoにも當る原語faireの多義性を一語に約しかねた苦心の跡を見せる。

原文ではNonOuiと(諾か否か)の後にそれぞれ« si on en­tend par là faire l'his­toi­re du... »を繰り返してゐるので、直譯式に「もし人がそれによって〜の歴史を書くことと解するのならば」と私譯しておいたのだが、日本語として自然にするには不定代名詞onによる主語を省いた上で「もしそれで〜の歴史をやると解されるなら」と受け身形に飜譯するか、いっそ「それが〜の歴史といふ意味だったら」とでも意譯した方がこなれた譯文になるのかしれない。フランス語に無學なため請け合ひかねる。

この『監獄の誕生』初章結尾に着目してヒューバート・L・ドレイファス+ポール・ラビノウ『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』第五章「2 現在というものの歴史と解釈的分析論」(北尻祥晃譯、筑摩書房、一九九六年七月、p.174以下)は「デルフォイ風の宣言のなかである重要な区別を行なっている」云々と論じ、それを柳内隆は「ドレイファスとラビノウは、フーコーの歴史学について、過去を目的として、それを現在という手段で描くのではなく、現在を目的として、過去という手段でそれを描いた、とする」と要約した(『フーコーの思想』ナカニシヤ出版、二〇〇一年十月、第2章4​p.62。但しフーコーの出典として註(42)で『監獄の誕生』でなく誤って『性の歴史 知への意志』原書名を擧げる)。解りやすい對句仕立て(倒置反復)のパラフレーズだが、「現在を目的」は訝しい。ドレイファスとラビノウの共著には「現在中心主義のもう一つの側面は目的原因論と呼ぶことができるかもしれない」とあって「あらゆるものが歴史が到達するであろう最終ゴールの方から位置づけられている」のは「避けるべき悪癖」だと難じてゐた(p.175)のに、到達點である現在を目的因に据ゑてしまっては、「彼は、現在の関心、制度、政治を遡って歴史のなかに、他の時代のなかに読み込むわけではない」(p.174)とフーコーを評した箇所と牴牾しないか。しかし他方でドレイファスとラビノウは「彼がこのような話題を選んだのは、彼の現在の関心からであり」(p.176)とも述べ、「環境、家族、監獄といった現代的な関心事が、過去を新しい方法で問うためのよい刺激となりうるだろう」(p.175)と問題史風なアプローチを慫慂する如くであったから、「現在の関心」から發してもそれが必ずしも「目的」(英end、佛fins=終り)にはならなくて、「現在を關心(事)として過去といふ手段でそれを考察した」とか言ひ直せば良いのだらうか(「それ」=現代、ではなく、=關心?)。對稱形シンメトリーの崩れ……(諧調は僞りである?)。この同語多義の區別はどうも謎めいて、すんなり判明な言葉に解きほぐせない。――因みにここからの引喩で、ドレイファスとラビノウを教授とするカリフォルニア大學バークレイ校の研究グループは會報を“His­to­ry of the Pres­ent”と題したが(ラビノウのウェブサイトAn­thro­pos Labに一九八五〜八八年發行四點を公開)、これをも田村俶譯は「現在にかんする歴史」として怪しまない(ディディエ・エリボン『ミシェル・フーコー伝』前掲p.434・460。仝p.446での原語はl'his­toi­re du pré­sentか。p.317所引『監獄の誕生』冒頭部の譯は「現代の時代の歴史」だった)。英語版“Dis­ci­pline and Pun­ish”‘in terms of the pres­ent’(現在に關しての)でなく‘of the present’だと言ってゐたけぢめが曖昧になってしまふ。

*16

フーコーが目論んだ「現在の歴史 l'his­toi­re du pré­sent」(現在についての歴史、現在といふものの歴史)に關し、一説として、次の示唆的なコメントを引いておく。

その他、例えば「現在の歴史」l'his­toi­re au présentという言い方がおそらくドイツ語で「歴史」を意味するGe­schich­teをフランス語に訳したものであるだろうことを指摘しておいてもよい。ドイツ語において「歴史」は、「物語」his­toi­reとではなくむしろ或る「様相」「構造」的現前と結びつくのである。

ジル・ドゥルーズ「ペリクレスとヴェルディ フランソワ・シャトレの哲学」に邦譯者・丹生谷貴志が副へた「解題」の一段である(宇野邦一『ドゥルーズ横断』河出書房新社、一九九四年九月、p.26)。現在=pré­sentとは現前すること(pré­sence)なり。ただ、そこで「現在の歴史」と言ふのはフーコーでなくシャトレの言葉であるし、「現在」と「歴史」を繋ぐ助詞が日本語では「の」と飜譯されるもののフランス語原文では縮約冠詞du(≒英of the, from the)とau(≒英at the, in the)とで異なるからそのまま當て嵌められない懼れもあるが語學力無きゆゑ佛文のニュアンスは判らず、しかしながら既に「フーコー、現在の歴史家 His­torien du pré­sent」(1988)と呼んだことのあるドゥルーズであってみれば間テクスト的な共鳴は認められさうであり……參考までに。なほ、右引用段落の直後に丹生谷が併讀を奬めてゐるルイ・アルチュセール(聞き手フェルナンダ・ナバロ)『不確定な唯物論のために 哲学とマルクス主義についての対話』を見ると、Geschichteを擧げて「このことばは、燃え尽きてしまった歴史ではなく、現前するヽヽヽヽ歴史を示しています」と語る段があるので(山崎カヲル譯、大村書店、一九九三年八月→復刻新版二〇〇二年十月、p.62。佛語版に基づく異本が今村仁司譯『哲学について』筑摩書房、一九九五年七月→〈ちくま学芸文庫〉二〇一一年一月、p.53)、そこからの想ひ着きらしい。同語源の動詞ge­sche­henが「生ずる、起こる」の意で、複數形あり(die Ge­schich­ten)だと出來事・事件の語意があるのを踏まへたか。ドイツ語でHistorie(ヒストリエ)と併用しつつ對比される集合單數Ge­schich­te(ゲシヒテ)の概念史については、ラインハルト・コゼレックの述べる所を要説した岸田達也「『歴史的基礎概念事典』――Ge­schich­te〉の項――」日本大学文理学部『學叢』第43號(昭和62年度)一九八七年十二月「特集 辞書・事典」、參照。同じ項目の祖述は村上淳一『仮想の近代 西洋的理性とポストモダン』「Ⅳ 歴史と偶然東京大学出版会、一九九二年十月)にも見られ、これに先行したコゼレックの「歴史の単数集合名詞化」に關する論文は三島憲一ニーチェ以後 思想史の呪縛を越えて』「第三章 歴史と歴史哲学――ヨーロッパ近代のトポスの崩解――」(岩波書店、二〇一一年三月)が詳しく紹介する。ついでながらその論文»His­toria Magi­stra Vitae.«を收めるコゼレック著『過ぎ去った未來 Ver­gan­gene Zu­kunft』(1979)も、形容矛盾めかした書名にアナクロニズム感漂ふ。

*17

ジル・ドゥルーズは「装置とは何か」(財津理譯。宇野邦一監修『狂人の二つの体制 1983-1995』河出書房新社、二〇〇四年六月、所收)と題するフーコー論(一九八八年初出「フーコー、現在の歴史家」の改題)で、そのアクチュアリティーを頻りに強調してゐる。

わたしたちは、いくつかの装置に属しており、それらのなかで活動する。ひとつの装置が以前の諸装置に比べて新しいとき、わたしたちは、その新しさを、その装置のアクチュアリティー、わたしたちのアクチュアリティーと呼ぶ。新しいもの、それはアクチュアルなものである。アクチュアルなものは、わたしたちがいまそうであるところのものではなく、わたしたちが何かに生成するときのその何かであり、わたしたちがそれへと生成するただ中にあるところのそのそれであり、すなわち《他なる(オートル)》ものであり、わたしたちの〈他に‐生成すること〉である。わたしたちがいまそうであるもの(わたしたちがもはやすでにそうあるのではないもの)と、わたしたちがそれへと生成するただ中にあるところのそのそれとを、あらゆる装置において区別しなければならない――歴史の持ち分とアクチュアルなものの持ち分とをである。歴史とは、アルシーヴであり、わたしたちがいまそうであるところのものの素描であり、かつわたしたちがそうであるのをやめるところのものの素描である。他方、アクチュアルなものとは、わたしたちがそれへと生成するところのそのそれの兆しである。したがって、歴史あるいはアルシーヴは、わたしたちをさらにわたしたち自身から分かつものであるが、アクチュアルなものは、わたしたちがすでに合致しているそうした《他なる》ものなのである。

「装置とは何か」p.229​(傍線部は原文傍點ゴマルビ

この動的對立圖式に從へば、「フーコーによって記述されたもろもろの規律・訓練(ディシプリン)は、わたしたちが少しずつそうであるのをやめているものの歴史なのであって」、現在なりつつあるアクチュアルなものとの差分化が求められよう。前者についてはフーコーが『知の考古学』でarchive(アルシーヴ)​=集藏體の名を與へたのに對し、格別な呼稱で概念化されなかった後者を問題にしてゐる。そこで、またもや『反時代的考察』のニーチェが援用される。

どの装置においても、わたしたちは、もっとも近い過去passé récentのもろもろの線と近未来futur procheのもろもろの線を――アルシーヴの持ち分とアクチュアルなものの持ち分を、分析論の持ち分と診断の持ち分を――解きほぐさなければならない。フーコーが偉大な哲学者であるのは、かれが歴史を他のものごとのために利用したからである。ニーチェが言ったように、この時代に逆らって、したがってこの時代に向かい合って、そして来たるべき時代のために活動し、その来たるべき時代をわたしは望むということだ。フーコーの意味でのアクチュアルなものとして、あるいは新しいものとして現れるものは、ニーチェが反時代的なもの、非現代的なものと呼んだものであり、歴史とともに分岐するあの生成であり、他のいくつかの方途を携えて分析に取って代わるあの診断である。それは、予言することではなく、ドアをノックする未知のものに注意を払うということである。

「装置とは何か」pp.230-231(傍線部は原文傍點ゴマルビ

右文中「反時代的なもの、非現代的なもの」は原語« l'in­tempes­tif, l'inac­tuel »だから、「時ならぬもの、非アクチュアルなもの」と飜譯するも可。『フーコー』刊行後のインタヴューでは「ニーチェが非゠現在とも反時代とも呼んだもの」(「芸術作品としての生初出一九八六年。宮林寛記号と事件 1972‑1990年の対話』〈河出文庫〉二〇〇七年五月、p.192)であった。フーコーが包藏してゐたイナクチュエルなものが話題になったのも(石田英敬・小林康夫・松浦寿輝鼎談「フーコーからフーコーへ」青土社『現代思想』一九九七年三月號「特集 フーコーからフーコーへ」pp.47-48・57・58・63・65)、これが暗默裡の參照源だったやうで、同じ特輯號が「装置とは何か」邦譯初出でもある。

ここでのドゥルーズは今しもアクチュアルに創成されようとする近接未來futur proche)へ加勢するあまり、その一方、今しがた現働性(アクチュアリティー)が失せたばかりの近接過去passé ré­cent)を輕んじて、既に過ぎ去りつつある歴史(「現在の歴史」か?)の役割を疎かにしたのみならず、矛盾を來してしまった。後で氣づいたのか、辯明らしきものがフェリックス・ガタリとの共著『哲学とは何か』中「例9」(財津理譯、河出書房新社、一九九七年十月→〈河出文庫〉二〇一二年八月)に見える――説得力に缺けるが。曰く、「しかし、その概念〔未来〕は、ニーチェが〈現代的でない(イナクチユエル)〉ものと命名したのに、いまやどうして〈アクチュエル〉なものという名称を受け取るのだろうか。なぜなら、フーコーにとって、重要であるのは現在的なものとアクチュエルなものとの差異だからである。」……「現在的な〔現前している〕ものは、[アクチュエルなものと]反対に、わたしたちが〔現在〕それであるところの当のものであり、それゆえにこそ、〔生成しつつある〕わたしたちがすでにそれであることをやめている当のものである。わたしたちの義務は、過去の持ち分と現在の持ち分を区別することだけでなく、もっと〈深く〉、現在の持ち分とアクチュエルなものの持ち分を区別することである。」(p.194)――だとしても、l'actuelをわざわざ正反對にl'inactuelと異稱すべき理由にはならない。ニーチェを持ち出して反時代的と言ひたかっただけに見えてしまふ。抑もニーチェの反時代性はむしろ古典文獻學徒として古代を學んだが故だと自稱してゐたし、結果としてそれが望ましい未來に資することもあるか知らぬが、その時にはアクチュアル化してもう非アクチュアルでなくなってゐよう。且つそれ以上に多く、潛在的なまま遂に現勢化(アクチュアリゼーション)の線を成すことのない非アクチュアルなものが層々と堆積してゆくであらう。「或る者が《イナクチュエル》と呼んだものを、他の者が《アクチュエル》なものと呼ぶのは、ひとえに[……]概念のもろもろの〔他の概念への〕近さと合成諸要素のせいであって、それらのわずかの置き換えが、ペギーが言っていたように、一種の問題の変更を引き起こしうるのである」(p.195)とも言ふが、ドゥルーズがやったのは逆、アクチュエルと呼ばれるものをイナクチュエルと呼び換へて、しかもその置換で何の問題がどう變更されたのやら依然不分明、そこを削っても趣旨に變りなささうだ。ドゥルーズによるアクチュアリティーの説明は諄々(くどくど)しいだけ解りやすいが、その偏りは是正して讀む手間が要る。

フーコーはおろかデリダと比べてすら歴史學との親和性が薄いドゥルーズ哲學には反歴史的な思考に傾く嫌ひがあらう。現にドゥルーズ論では、檜垣立哉『瞬間と永遠 ドゥルーズの時間論』(岩波書店、二〇一〇年十二月)は「[……]ドゥルーズから、歴史性に関するポジティヴな主張をとりだすことははたして可能だろうか」(「第四章 生成の歴史」p.94)と問うた末「[……]歴史記述と時間性は、それ自身、絡みあったテーマである。しかし、このテーマについて、ある程度以上の踏み込んだ記述をドゥルーズのみに求めるのは無理がある」(同章「結」p.114)と見切り、代りに「きわめてドゥルーズ的な思考装置に近接し、なおかつドゥルーズ以上に断片化した歴史の本性に自覚的であった」(p.114)と評するベンヤミンとフーコーとを次章「第五章 断片の歴史/歴史の断片」に論ずることで歴史論の缺を補ふこととなった。

*18

レーヴィット『ヤーコプ・ブルクハルト』*8前掲ちくま学芸文庫版p.28及び瀧内槇雄「文庫版あとがき」p.547、斎藤忍随「フィロローグ・ニーチェ」pp.55-56、參照。全文邦譯は佐野利勝「ブルクハルト・ニーチェ往復書簡」京都大學分校獨逸語研究室『獨逸文學研究』報告第2號、一九五三年十二月、該當箇所はp.73。ついでだから、クラカウアー『歴史』(前掲p.274)による魅力あるブルクハルト像をも掲げておく。

ブルクハルトはもちろん専門家であったけれども、かれは自分の好みに従うアマチュアのような態度を歴史に対して取っている。かれはただ、自分の内なる専門家が、歴史は科学ではないことを深く確信していたから、そうしたのである。「大ディレッタント」、ブルクハルトはある手紙のなかで自分をそう呼んでいるが、これが歴史を適切に取り扱うことのできる唯一のタイプであるように見えるであろう。専門家がアマチュアのなかから生まれることは知られている。だがここでは一人の専門家が、その特殊な主題のために、アマチュアに留まることを固執している。

この好事家ぶりは好古家と同臭であり、「かれのディレッタンティズムは、古代以来十八世紀まで続き、十九世紀になって消えた古事研究的an­ti­quar­i­anな方法、オリジナルな記録にたいする好み、にせ物を発く際の手ぎわよさ、証拠を集め分類することの練達さ、そしてとりわけ知識にたいする捉われない愛Ar­nal­do Momigliano, Stud­ies in His­to­ri­og­ra­phy, Lon­don 1966, p. 27)と一脈相通ずるものをもっており、こういうところに、ブルクハルトの歴史叙述の近代的批判的方法を通過したうえでの非近代性を認めることができる」(仲手川良雄『ブルクハルト史学と現代』「第一章 革命時代と大衆」註(149前掲pp.70-71)。

また、歴史家としてのウェーバーのディレッタント性に注目した犬飼裕一マックス・ウェーバーにおける歴史科学の展開ミネルヴァ書房、二〇〇七年七月)も參考になり、特に第4章「第2節 生に対する歴史の利害」はニーチェとブルクハルトとの對比が主題でもある。惜しむらくはこの一九三六年初刊の『ヤーコプ・ブルクハルト』を原書新版の刊年に據って「一九六六年のレーヴィットの見解」としてしまってゐるし(p.156)、「マルチン・ハイデガーに師事したレーヴィットは生の哲学の信奉者の一人として、どちらかといえばニーチェの側に加担している」(p.158)との評は誤斷でむしろ當人は「その第一章が、ブルクハルトの側に付いて行なったニーチェとの対決なのである」(秋間実『ナチズムと私の生活 仙台からの告発』〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、一九九〇年十二月、p.224。Cf.p.82)と自傳に述べてゐたし、何よりレーヴィット著にも觸れられたブルクハルトのディレッタンティズム(前掲書p.28・127​・319​・430)にまでは目配りが利いてなかったのでそこは讀者が補強せねばならないが、レーヴィットによるブルクハルトとニーチェの論じ方に潛む思想史にありがちな缺點への批判(p.159「特定の思想家の成熟期の到達点からそれまでの生涯を目的調和的に再構成しようとする」、cf.第2章「第1節 新たな読みの可能性」pp.65-66)なども含め、面白く讀めた。

非專門的なディレッタント傾向が拭ひ難いのは文獻學の性格でもあり、近代における文學・史學・哲學・法學等の母胎であったのにそれぞれが獨立分科した後はその補助學に成り下がった經緯による履歴效果ヒステリシスだらうが、アウグスト・ベークに據ればそもそも古代アレクサンドリアのエラトステネス以來 「フィロロギーの概念の中には、フィロローグは皆自己の専門学科においては一流であり、他の学問においても二流すなわちベータでなければならぬということが含まれていた」(中島文雄『英語学とは何か』「2 A・ベックのフィロロギー」前掲p.46。Cf.安酸敏眞「アウグスト・ベーク『文献学的な諸学問のエンチクロペディーならびに方法論』――翻訳・註解(その1)――北海学園大学人文学会『北海学園大学人文論集』40號、二〇〇八年七月、p.23→アウグスト・ベーク/安酸敏眞譯『解釈学と批判――古典文献学の精髄――序論Ⅰ​§1知泉書館、二〇一四年五月)。

*19

ミシェル・フーコー/伊藤晃譯「ニーチェ、系譜学、歴史」(『ミシェル・フーコー思考集成  1971‑1973 規範/社会筑摩書房、一九九九年十一月所收)、及び榎並重行『ニーチェって何? こんなことをいった人だ前掲p.21・49・51・139・140・196、に據る。フーコー譯文に「émer­gence 現出」とされたEnt­ste­hungを「發生」に改めたのは、それが獨和辞典でも普通の譯語だからに過ぎない(佛語émer­gerには「創發」と生物學上の譯語を當てた方がまだしも思ひがけぬ新しさを言ふ趣意が傳はらうが、發生を意味する語は系譜(學)=gé­néa­lo­gieと同系語源で揃へるとgenèse/獨Genes/英gen­e­sisにならうし、發生學em­bryo­lo­gieといふ生物學用語は醫學では胎生とも言ってまた別だし……)。フーコーが註記に示した該當箇所を邦譯『ニーチェ全集』と照合した限りでも「現出」といふ語は使用されてないやうだ。『ニーチェって何?』第一章(p.49)は「発生をとらえる系譜学」といふ見出しで一節設けてをり、神崎繁『ニーチェ どうして同情してはいけないのか中「起源をめぐる誤解」の節(〈シリーズ・哲学のエッセンス〉NHK出版、二〇〇二年十月、p.36)でも「発生Ent­ste­hung)」。因みに、Ur­sprung​(起源、根源)とEntste­hung​(發生、成立)とを對立させる用語法はベンヤミンにも見られ(浅井健二郎譯『ドイツ悲劇の根源 上』「認識批判的序章」〈ちくま学芸文庫〉一九九九年六月、p.60)、とはいへ前者「根源」ウアシュプルングを後者より重く視るのはフーコーとあべこべだが、固より語に含ませた意味合ひが異なる。個々の語意より、ここでは同義の類語に差異を差し込んで對義語のやうに言ひ分ける概念操作法を見れば足りる。

前後してフーコーは同じくニーチェを讀む中で今度は「発明Er­fin­dungを「起源Ur­sprungと對立する言葉と見てもをり(「ニーチェ講義」慎改康之・藤山真ミシェル・フーコー講義集成 〈知への意志〉講義 コレージュ・ド・フランス講義 1970─​1971年度 付「オイディプスの知」筑摩書房、二〇一四年三月、p.268。西谷修譯「真理と裁判形態ミシェル・フーコー思考集成  1974‑1975 権力/処罰筑摩書房、二〇〇〇年三月、pp.100-102)、暗にエドムント・フッサール『幾何學の起源』(細谷恒夫・木田元譯『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』「付録二 幾何学の起源について」中央公論社、一九七四年四月→〈中公文庫〉一九九五年六月。田島節夫・矢島忠夫・鈴木修一譯/J・デリダ序説『幾何学の起源』青土社、一九七六年四月→二〇一四年九月)へ當てつけたらしいが、要は起源(論)の特權性を無效化したいので、それからずらした語を對置する戰術であった。代って別の一語が特權化されては元の木阿彌、同義循環(トートロジー)に嵌るから、一群の類義語に分散して相對化することになる。文獻學お得意の變異形(ヴァリアント)との校勘(つきあはせ)recensio(レケンシオ)とも)――但し原本(オリジナル)への收斂を目的としない――であり、差分A′を以て變項Aを限定する論法である。

語の對比が用例から歸納した辨別に基づく點、哲學者のやりがちな自家製術語體系(ターミノロジー)の構築に耽るネオロジズム(造語癖、言語新作症)とは撰を異にし、また新き酒を舊き革嚢に(いる)る」如き既成概念の再定義による意味改變(デリダ派の謂はゆる古名(パレオニミー)の戰略)とも別種であり、語源論による古義への還歸(ハイデッガー流解釋學に顯著)でもないこの微分する批判法を、さて何と名稱したものか。修辭學傳統の術語では大まかにparadiastolē(希παραδιαστολή)乃至distinctio(羅)に類し(婉曲語法の言ひ換へをも指す語だが)、前掲『レトリック事典』は「3‑5‑3‑4 《類義区別」、中村明『日本語の文体・レトリック辞典』(東京堂書店、二〇〇七年九月)は8.7.5「微差拡大」として立項する。para­dias­toleは思想史研究でも注目され、クェンティン・スキナーの謂ふpara­dia­sto­lic re­de­scrip­tionの譯語を「隣接対照的再記述」としたのは神崎繁「言葉と表象」表象文化論学会『表象01』月曜社、二〇〇七年四月→前掲人生のレシピ 哲学の扉の向こう』pp.116-​121)。

*20

これまたボルヘスに對する先取性(プライオリティー)を示すかのやうに、ニーチェは道徳外の意味における真理と虚偽について(一八七三年。前掲『哲学者の書 ニーチェ全集3』pp.352-353)に述べた――すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである。一枚の木の葉が他の一枚に全く等しいということが決してないのが確実であるようにライプニッツの逸話!]、木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性を任意に脱落させ、種々の相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、」……生憎と忘却力(Cf.『曙光』一二六、前掲ちくま学芸文庫版全集7​p.149。『道徳の系譜學によせて』第二論文冒頭)はもうそこまで確實性のある説でもないけれど、この箇所は柄谷行人『マルクスその可能性の中心』標題作「序章」2(前掲講談社文庫版p.19)に引用されたりして(出典「哲学者の書」が「哲学者の本」となってゐるが)、生前未發表稿の割に弘まってゐるやうだ。そこで柄谷は、同一視されるものに「差異性」(同p.17・22「微細な差異」、cf.第五章3​p.83・第六章2​p.107)を見出すことがマルクスにとって「読むこと」であったと説き、自らの批評法に重ねた。さう言ふ當人にしてなほ、「思想の核心は、共通性にではなく、微細な差異性にあると断言していながらも、彼は、微細さによりそうことをせず、もっぱら差異性の側につくことを選んでいるかに見える。つまり、柄谷行人は、微妙なニュアンスの推移への共感を断念しているということなのだ」(「戦闘の光景――柄谷行人の『探求』を読む」文藝春秋『文學界』一九九〇年新年特別號「柄谷行人の世界」p.254)とか「思想の核心は、共通性にではなく、微細な差異性にあると断言されている書物にあって、著者がもっとも力をこめて実践している振舞いが、差異の識別というよりむしろ同じであることの確証であるかに見える」(「戦闘の光景(二)――柄谷行人の『探求』を読む」『文學界』一九九〇年二月號、p.346)等と皮肉な評價を受けるのは、哀れな「記憶の人」や文獻學者と違ひ抽象力に惠まれてゐる所爲なのか?

異口同音でヨリ詳しい説明文が一九一〇年ベルリン刊の哲學書に見え、まるで一九四二年初出の「記憶の人フネス」を豫表したかのやうに符合するのが面白いから、引いておく。邦譯書エルンスト・カッシーラー『実体概念と関数概念――認識批判の基本的諸問題の研究――』(山本義隆譯、みすず書房、一九七九年二月)「第一章 概念形成の理論によせて」である。曰く、概念の獲得が「抽象」(Ab­strak­ti­on​=捨象化)に基づき「伝統的論理学では、われわれは特殊から普遍へと上昇する規則にもっぱら従っているのだとすれば――

精神に概念形成の能力を与えているものは、われわれの精神に備わった〈忘却〉という幸運な才能であり、現実にはつねに存在する個々の事例の差異をそのとおりに捉える能力の欠如だということになる。もしも過去の知覚によって残されている記憶像のすべてがまったく鮮明に規定されているとしたならば、その記憶像がわれわれの消え去った意識内容をすみずみまで具象的にいきいきと思い出させるとしたならば、そのときには、想起された表象が新しく生起した印象と完全に〈同種〉のものと捉えられ、両者がひとつのものに融合されうるというようなことは、およそ不可能であろう。以前の印象全体を完璧に保存するのではなく、ただその漠然とした輪郭を保存するにすぎない再生(Re­pro­duk­ti­on)の不確かさによってはじめて、それ自身としては同種でない諸要素をひとつにまとめあげることが可能となっている。というわけで、すべての概念形成は個的な直観を概略的な全体像で置き換え、現実の知覚のかわりにその不完全で漫然とした残存物を置くことから始まる、ということになる。

『実体概念と関数概念』p.21

尤も、前後の文脈はこれの批判で、古典論理學の類概念に固執するとこんな「奇妙な結論」(p.21)が出てしまふと示す歸謬法みたいな部分だから、それに代ってカッシーラーが函數(Funk­ti­on​=機能)概念・系列概念による現代論理學の革新を引き立ててゆくための踏み臺に過ぎない。「忘却を唯一の頼みとする論理、これが抽象的実体概念の最も悪しき名前となるのである」(中井正一「委員会の論理――一つの草稿として――」9、初出一九三六年→『中井正一全集 1 哲学と美学の接点』美術出版社、一九八一年四月、p.83)。畢竟ボルヘスの報告した超記憶症候群の事例イレネオ・フネスは形式論理學に則った虚構(フィクション)であり論理の遊戲であって、現實味の程は怪しい(アレクサンドル・ルリヤ『偉大な記憶力の物語』やサヴァン症候群等の實在の症例と重ねたくなる前に、この小説を收めた『伝奇集』と譯される短篇集の原題がFic­ciones​=作り話であったことを想ひ出さう)。現にカッシーラー自身、異常なまでに博覽強記で原典に當らずに引用できてしまふほど諸書を諳んじてゐたといふ逸話の持ち主で(木田元「訳注」、カッシーラー『シンボル形式の哲学 (四)』〈岩波文庫〉一九九七年五月、p.376)「ページ数まで全部暗記している」程だったが(木田元、富山太佳夫ほか《座談会》 引用という文化」岩波書店『図書』二〇〇四年七月號、p.10)、それで概念思考に支障を來すどころか大いに實踐躬行してみせた。いま雙方を併せ讀んだ我々は、先立つ新カント派哲學者の數理的觀念を解明した著書と對照することで、その後三十餘年を經て書かれたアルゼンチン産の作品における「奇妙な論理」は同時代に發展した二十世紀初頭の科學哲學に比して當初から既にやや時代遲れ(アナクロ)な古めかしさがあること(そこに魅力の一斑もあるが)、記憶力だけを恃みとして思考力も教養も不足した青年主人公の認識が殆んど無限論へと接近しながらも依然餘りに實體的な概念に囚はれた儘の經驗主義であることを、讀み取れるわけだ(ニーチェの方が人口に膾炙し、素朴な實體論は今なほ關係論より知れ渡ってゐようが)。ならば更には、カッシーラーに倣って非アリストテレス論理學に準據することで、フネスとは別樣な「記憶の人」の系列を造型できる、かも知れない……。

附記

野暮は承知で言はずもがなの註釋をしておくと、各節の見出しは引喩(暗示引用)である。順に出典は、『アルジャーノンに花束を』『地獄の季節』『遅れてきた国民 ドイツ・ナショナリズムの精神史』『つゆのあとさき』『論語』『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』『歴史家の同時代史的考察について』『プルウスト全集 失はれし時を索めて』『同時代も歴史である 一九七九年問題』『いつまでも前向きに 塵も積もれば…宇宙塵40年史 改訂版』。もぢっただけ、必ずしも内容と關はらず。

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【書庫】補註 > アナクロニズム

▲刊記▼

發行日 
2010年1月22日 開板 / 2022年12月29日 改版
發行所 
http://livresque.g1.xrea.com/notes/anachronism01.htm
ジオシティーズ カレッジライフ(舊バークレイ)ライブラリー通り 1959番地
 URL=[http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/notes/anachronism01.htm]
編輯發行人 
森 洋介 © MORI Yôsuke, 2010-2022. [livresque@yahoo.co.jp]
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