ニーチェ『反時代的考察』は全四篇から成るうち第二篇が一番興味ある。「生に對する歴史の利害について」と題するその本文冒頭、まづ、來ては去る刹那刹那を「
別にフリードリッヒ・ニーチェからホルヘ・ルイス・ボルヘスへの影響といふ比較文學講義をしたいのでないから、偶合であっても構はない。むしろ逆に我々後世の讀者は、小説「記憶の人フネス」に觸發された評論として「生に對する歴史の利害について」を見出すことができるのであり、ボルヘスとそれに先行するニーチェとを共に「われらの同時代人」として併讀する愉しみを得るわけだ。屡々言及されるボルヘスのカフカ論の一節――「作家はそれぞれに自分の先駆者を
ニーチェの第二反時代的考察でも、熱っぽい
諸君が伝記を望むならば、「某氏とその時代」という繰り返し文句をつけた伝記ではなく、扉に「その時代に逆らう闘士」と書かざるをえないような伝記を望み給え。
「生に対する歴史の利害について」六『反時代的考察 ニーチェ全集4』前掲p.182
小さくも、歴史性を感じ取れる箇所だ。今もよくある「誰それとその時代」式の題名が早くも一八七四年に陳腐な
この原書名„Unzeitgemässe Betrachtungen“を曾て生田長江譯では「季節はづれの考察」とした(新潮社版『ニイチエ全集 第十編』一九二九年一月→「季節外れの考察」日本評論社版『ニイチェ全集 2』一九三六年四月)。一九〇九年刊の英譯書名も“Thoughts Out of Season”であったし、既に安倍能成譯『この人を見よ』中の章題「『非時代的思想』(die Unzei
ウェブ檢索すると、「Unzeitgemäße Betrachtungenは「反時代的考察」か?」といふ疑問から説き起こした講義が見つかった。
ドイツ語の文脈で考えれば、altmodisch(古風な)とかfuturistisch(未来派的な)といった語が、現代の流行に対するいわば対案としての積極的な意味を持ちうるのに対して、unzeitgemäßという語は時代に単にずれている、ということを意味するに過ぎない。Betrachtungenは、Betrachtungの複数形で、単数形のBetrachtungは、「観察」を意味する。複数形で用いられる場合には、「考察」をも意味するが、それでもBetrachtungenという語で含意される「考察」とは、考察に具体的対象を要求する性質の考察であろう。つまり単なる抽象的思弁とは異なる。そのことを意識した上で、ということならば、「考察」という訳語を用いることに無理はない。そうすると、連作集のタイトルは、直截に訳せば、原田義人の訳を現代表記に改めて『時代はずれの考察』とすべきではないか。
守矢健一「初期ニーチェの学問批判の一局面」大阪市立大学都市情報学専攻遠隔講義、二〇〇六年
原田義人譯だと『若き人々への言葉』(月曜書房、一九五〇年九月)が該當だが、同書創元文庫版(創元社、一九五二年三月→〈角川文庫〉一九五四年十二月)以降「反時代的」に改まってゐる。「時代はづれの考察」といふ譯し方は、夙に三木清(「現代思潮」一九二八年→『三木清全集 第四卷』岩波書店、一九六七年一月、p.221・257。『歴史哲學』第六章一、一九三二年→『三木清全集 第六卷』一九六七年三月、p.258)にも見られ、和辻哲郎『ニイチェ研究』(一九一三年初版)以來の踏襲であらう。「反時代的」とする意譯の火附け役と目される阿部次郎(和辻が一九二八年より絶交)なぞ、「彼[ニーチェ]のunzeitgemässの態度は眞正面から時代を對手とする、自ら正しとする自信によつて眞正面から時代に働きかけて行く。これを「時代外れ」といふやうな、自嘲と皮肉の響を帶びた側面的言語に譯することは當を得ない」と決めつけてゐたけれど(「『悲劇の誕生』――その體驗及び論理」註(五)初出一九三一年一月→『文藝評論第二輯 世界文化と日本文化』岩波書店、一九三四年四月、p.14→『阿部次郎全集 第九卷』角川書店、一九六一年九月、p.23「時代はづれ」)、マアそんな一面觀で逸り立たずに、物事は多面的角度から立體的に眺めて戴きたい。ニーチェが時世に正對して直言する意向だったとした所で、それを表明すべく適用したこの一語はさう素直に直面的ではない。否定のun(≒不、非、無)を接頭辭にしたzeitgemäß(即時代的)の反對概念ではあれ、前綴りgegen‐やwider‑(對、逆、反=anti)ほど直截な對抗を勝義としないだらう。unzeitgemäßのニーチェにおける初例(一八六九年八月十七日附エルヴィン・ローデ宛書翰)から推して「「反時代的」の語は、むしろ「時代に
時宜に適はないだの時機を誤っただの言っても、時間には進んだのと後れたのと二通りある筈。世のニーチェ宗は豫言者氣取りゆゑ前者だらう。ところが同樣のアナクロニズム(時代錯誤)といふ類語でも、後代の事物を前代に混入する時代設定上の喰ひ違ひ(つまりそこだけ時期尚早になる進みすぎ)を指す用法もあるものの、時流に逆行とか時勢に取り殘されたとかいった意味の方が強く、主に侮言として用ゐられる。當然だ、少數の先覺はいざ知らず、時世の移り變りに追隨する大衆は反應が遲れがちにならうから。
遲延の間隙、即時性からの阻隔。そこに、歴史は後向きに前進すると云ふ
由來
「歴史家とは後向きの予言者である」(Der Historiker ist ein rückwärts gekehrter Prophet.)とはロマン主義の創唱者フリードリッヒ・シュレーゲルの寸言であり(アテネーウム斷章80、Fr・シュレーゲル/山本定祐譯『ロマン派文学論』〈冨山房百科文庫〉一九七八年五月→一九九九年七月第二刷p.40)、十八世紀末當時、初期ロマン派にあっては豫言者たることを頌した肯定的な讚辭だったらしいが(ベーダ・アレマン/小磯仁譯『詩的なる精神 ヘルダリーン』第二部第四節、国文社、一九九四年十二月、pp.88-89)――同樣に十九世紀半ばキルケゴールが樣相論(可能、現實、必然)による歴史哲學批判の中でこれをヘーゲル右派神學者カール・ダウプの言として引照してゐるのも過去が豫言される點への着目からだったが(大谷長譯『ゼエレン・キェルケゴオル選集 第八卷 哲學屑或は一屑の哲學』「間奏樂」人文書院、一九四九年二月、p.145→『哲学的断片 或いは 一断片の哲学』「間奏楽」、『原典訳記念版 キェルケゴール著作全集 第六巻』創言社、一九八九年九月、pp.105-106及び「訳者註」p.216)――、それが、ロマン主義一流の含蓄あるProgreß(=發展、前進、累進。Progression=數列、級數)の觀念が專ら進歩(Fortschritt)の意で盛行するにつれ、今や後向きとは未來に盲目なることを諷する否定的な貶辭である(例、ハインリヒ・ハイネ/山﨑章甫譯『ドイツ・ロマン派』未来社、一九六五年四月、「第二巻」p.80、cf.「第一巻」p.61)。方向を變へて見通しを利かせるのと、目を背けて後戻りするのと。こんな意味も評價も逆方向に覆るなんて作者にも豫想外だらう。凡そ未來は
不安よ、おお、私のよろこび
お前と私とは一緒にゆく
海老が歩くやうに
後へ後へと。
ギイヨオム・アポリネエル「海老」堀口大學譯、『譯詩集 月下の一群』第一書房、一九二五年九月、p.33
→ギイヨオム・アポリネェル『動物詩集 又の名 オルフエさまのお供の衆』第一書房、一九二五年十二月、p.52
(→改譯「ざりがに」『月下の一群』白水社、一九五二年十月
→パリゾ編『アポリネール詩集』〈世界現代詩叢書〉創元社、一九五三年四月
→『アポリネール詩集』〈新潮文庫〉、一九五四年十月)
同種の隱喩はニーチェも歴史に用ゐた。「始源を探ねもとめることで、ひとは蟹[Krebs=ザリガニ]となる。歴史学者は後向きにものを見る、最後にはまた後向きに
――ここで物語っているのは、これ[破局へと急く奔流のやうなヨーロッパ文化全體の動き]とは逆に、おのれをかえりみること[sich zu besinnen=熟慮する、(ぐづぐづ)思案すること]以外にはこれまで何もしてこなかった者である。すなわちそれは、おのれの利益[Vortheil=長所]を、脇にそれ、外にはなれることのうちに、忍苦のうちに、躊躇[Verzögerung=遲延]のうちに、落伍[Zurückgebliebenheit=取り殘されてゐる、後れを取ってゐること]のうちにみいだした本能からの哲学者にして隠遁者として、すでに未来のあらゆる迷路に踏みまよったことのある冒険し実験する精神として、来たらんとするものを物語るときには、来しかたをふりかえりみる[zurückblickt]予言鳥の精神として、ヨーロッパの最初の完全なニヒリストとしてではあるが、[……]
原佑譯『権力への意志 上 ニーチェ全集12』「序言」3、〈ちくま学芸文庫〉一九九三年十二月、p.14=NF-1887, 11[411]
所詮、豫言は事が起きた後になってそれと氣づかれるもの、豫想のうち實現したものだけが遲れて再評價されるに過ぎまい。「我々、後れて來た者 Spätgekommenen(=遲參者)」(「生に對する歴史の利害」八、ちくま学芸文庫版p.192「後からやって来た者」、cf.仝「二」pp.135-136・「六」p.180)「
そもそも「後ずさりしつつ」あるいは「後ろ向きに」の意味のフランス語à reculonは熟語であり、「後退する」「退く」「しりごみする」「たじろぐ」という意味を持つ動詞reculerに由来する。この「後ずさりしつつ未来へ」reculons à l'avenirというフレーズにおいては、「前進」するのではなく「後退」するということを示すところに力点が置かれているのだが、このフレーズには、移動の方向を示すのみならず、一種の「しりごみ」や「たじろぎ」、躊躇の気配が漂っていることも確かである。
安永愛「〈我ら、後ずさりしつつ、未来へ〉―ポール・ヴァレリーの時間意識とその射程―」pp.58-59
氣後れ、といふ表現が日本語にはある。「「世の中の進歩」が喧伝されればされるほど、デタッチメントを習いとするヴァレリーは、自らの「遅れ」を自覚せざるを得ない。」(同前p.60)――時差、時代外れ、アナクロニズムの發生だ。ヴァレリーにしてなほ然りとせば、次々と現れ來る現在の把捉に出遲れて過ぎ去りつつある殘像の上に滯留してしまふ視線が世に溢れようとも、無理もない。ただ、無自覺な動態視力不足で生新さを見逃してゐる癖に正視し得てゐると思ひ込むのが困りもの。
迂回になるが、いささかアナクロニズムについての説明を插むとしよう。その項でわざわざ「英語の anachronism は,単に「時代遅れ」にかぎらず,過去の時代に現代の事物を持ち込むような状況設定を指摘するときにも用いられる」と注意する辭書もある(『新和英大辞典 第五版』研究社、二〇〇三年七月)。現在から過去へと溯向して持ち込んだと觀ればそれもまた接頭辭ana-のギリシア語源「上方に、さかのぼって」のうち。この語の本來の意味でのアナクロニズムを、テクスト讀解の心理として外山滋比古は取り上げた。
[……]現在、かくかくであるから、というので、それを過去の中にもち込む歴史的に「身勝手な」解釈をアナクロニズムと呼ぶのである。シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』を読むと、エリザベス朝英国風俗のローマ市民が登場したり、ローマにはまだなかったはずの時を打って報ずる時計があらわれたりするが、これがすなわちアナクロニズムである。
「「場」の錯覚」『近代読者論』みすず書房、一九六九年二月、p.295→新裝版、一九九四年八月
(→『外山滋比古著作集 2 近代読者論』みすず書房、二〇〇二年六月
→栗原裕編『ものの見方 思考の実技』PHP研究所、二〇一〇年九月
→『ものの見方、考え方 発信型思考力を養う』〈PHP文庫〉二〇一六年七月)
單に訂正すべき過誤なのではない。時間の隔った過去の事物は最早その儘では了解しきれないので現在の我々の考へ方を補充して解釋してやらねばならない、さうした主觀の導入によるアナクロニズムは歴史の理解につきものだ、と外山は説く。
現在を過去にもち込むことがアナクロニズムであるが、逆に言えば、古いものを生き生きとよみがえらせる効果をもつものでもある。過去を眼前に彷彿たらしめるもっとも素朴な方法の一つがアナクロニズムである。ローマ人がトーガを着て、ラテン語を話していれば、それはシーザーのローマには忠実であるかもしれないが、イギリス人には判らないものになってしまう。それを同時代の風俗・言語で表現するからこそ、芝居が生きて来るのである。
文法に「史的現在」という語法がある。過去の出来事などの描写を躍如たらしめて、読者の興味を高めるために、本来ならば過去の動詞が用いられるべきところへ、現在形を用いて表現するのがこの史的現在である。これはアナクロニズムが語法となって定着したものであると考えることができる。
同前pp.303-304
シェイクスピア劇で古代を舞臺とするものに「その時代にはまだ存在しなかった事物が描かれること」については、「これを「時代錯誤」として指摘する意識は近代以降のもので、一六世紀から一八世紀頃までは、むしろ異なる時代の存在が多層的かつ同時的に享受されていたとも言える」(「アナクロニズム」川口喬一・岡本靖正編『最新 文学批評用語辞典』研究社出版、一九九八年七月、p.7)。本邦江戸期に於る歌舞伎の時代物とて同樣、時代違ひの綯ひ交ぜはざらで、時代考證に神經を遣ふやうになったのは明治以後に活歴や史劇と稱してからであらう(Cf.坪内逍遙『小説神髓 下卷』「時代小説の脚色」一八八五年、目次では「時代物語の
引用後段の、過去を現在化する(歴)史的現在(the historic(al) present)といふ
ひとまづ『レトリック事典』(3‑16‑2‑2、pp.548-551)に從ってアナクロニズムを「時代混交」と總稱するなら、遡及的なと呼んだ方には「未来混入 prochronisme」「前進的時代混交 anachronisme progressif」、跛行的と呼んでみた方には「過去混入 métachronisme, parachronisme, catachronisme」「後退的時代混交 anachronisme régressif」といった術語が用意されてゐる。譯語を與へられた原語について佛和辭典を引くと、prochronismeは「(歴史的事実について)実際の時日より前に起ったことにする誤謬」(P・H・ゴス提唱のプロクロニズムの逆向性を生物が以前の成長プロセス・來歴を形態に留めることといふ時間推移に沿った順向性に轉義したグレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』は論外とする)、對してmétachronismeは「年代錯誤(ある事実の年月日を実際よりも後らせて記載する歴史上の誤謬)」、parachronismは英和辭典に「時日後記《年代や年月日を実際より後に付けること》」などとある。だが……いささかの途惑ひ。遡及すると前進的だとは、こは如何に。後退的と稱する方が時間の進行方向に沿って延長してゐるが? 前と言っても、已前の意味なら過去だが前途ならば未來である。後(ウシロ/アト)とは、向後の意味では未來だし背後に振り返る來し方だと過去となる。「「先に延ばそう」という言葉と、「さきの関白太政大臣」というのは、同じ言葉を前後両方使っている。だからそれは空間表象を時間に適用する時に、必ずしもユニバーサルな対応がないんじゃないか」(川田順造・坂部恵編『ときをとく 時をめぐる
「シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』に時計が出てきたり、『アントニーとクレオパトラ』にビリヤードが出てくるのは、おそらく単なる認識の誤りだが、意図的に使われた、つまりレトリックとしての時代混交」になると、「19世紀までのレトリックの書物には出てこないように思われる」、と『レトリック事典』も述べる。「この技法は厳密な歴史認識を前提とするが、そのような認識法が西洋において確立するのは19世紀末頃のことである」(p.550)。未來混入・過去混入といふ二種の下位分類のうち、「普通に「アナクロニズム」と呼ばれて非難される認識」である後者より「文学的な《時代混交》が《未来混入》に偏っている」と言ふのも*6、それが歴史學的實證主義(positivism)に否定されたアナクロニズムを逆手に取った文彩であるゆゑだらう。敢へて積極的(positive)に過去に介入してみせるわけだ。それに對し消極的ではあれ、過去からの作用に受け身で時代後れで後向きであるアナクロニズムも儼存するのに、そちらの方を徹底する事はまだ弱いと見える。いっそ否定的(negative=消極的)であってこそ「反時代的」であらうものを――。消極的であることに積極的になるのは難業かも知れないが、その形容矛盾を遂行するのが批判(=批評。英criticism、獨Kritik)といふもの。いづれにせよ、轉變を常とする近世以降、動搖する時代に對して「状況への局地局地の反応がいくつもの確信犯的アナクロニズムを生み出した」(野口武彦「江戸のドン・キホーテ*確信犯的アナクロニズムについて」岩波書店『思想』一九九四年一月號〈思想の言葉〉p.3)。もはや無知ではなく故意による、
さて、ニーチェが「反時代的」であり得た所以は古典文獻學者(klassischer Philologe)だからだ、と自任されてゐた。「生に對する歴史の利害」緒言末尾を、斎藤忍随の譯文(*4前掲「フィロローグ・ニーチェ――ニーチェ・コントラ・ブルックハルト――」『幾度もソクラテスの名を Ⅰ』p.59所引)で見ておく。
現代の子でありながら、私がこのように時代離れのした[unzeitgemässen]経験をもつようになったのも、もとはと言えば私がより古い時代の弟子、とりわけ古きギリシアの教え子であるためにすぎない。私としてはそのことだけはクラッスィッシェル・フィロローグという職掌からいってもどうしても断っておかなければならないのである。というのはクラッスィッシェ・フィロロギーが反時代的に[unzeitgemäss]働き、時代に逆らって活動し、それによって時代の上に働きかけ、できれば来るべき時代のために働くという意味をおいてどのような意味を現代にもっているかを私は知らないからである。
„Anachronismen“(2003)と題する論集中、第二論文が正に右の結文を引用してゐる(Wilhelm Schmidt-Biggemann, »Geschichte, Ereignis, Erzählung. Über Schwierigkeiten und Besonderheiten von Geschichtsphilosophie«, S.29)のがGoogleブック檢索によって知れ、アナクロニズムの一種としてunzeitgemäß(反時代的)を取り扱った節みたいだが、それ以上はドイツ語に文盲な身では解らない。アナクロニズムに重ねられることの傍證にはなるか。逆に「時代錯誤」(名詞Anachronismus/複數形Anachronismen、形容詞anachronistisch)といふ表現形をニーチェ著作中に索めても僅かな用例しか檢出されず取り立てて含意の籠った
――古典文獻學の精神からの意識的アナクロニズムの誕生。この古めかしくも由緒あるPhilologie(文獻學)を言語學と譯した本も散見するけれど(一例、大河内了義譯「生に対する歴史の功罪」『ニーチェ全集 第二巻(第Ⅰ期)』白水社、一九八〇年四月)、それでは十九世紀の新興科學であるSprachwissenschaft(延いてはLinguistik)と紛れて判別つかなくなる。ギリシア語源
古代に関する学問としての文献学は、勿論、永久的な持続性をもつものではない、その素材は汲み尽くされるのである。汲み尽くされ得ないものは、古代に対する各時代のいつも新しい適応ということ、古代に則った自己測定ということである。文献学者に対して、古代を媒介として
「Ⅷ 「われら文献学者」をめぐる考察のための諸思想および諸草案」(7)自己の 時代をより良く理解するという課題が、立てられているのであるならば、文献学者の課題というものは、永遠的なものである。――これが、文献学のアンチノミーなのである、すなわち、古代 というものは、事実上はいつも、現在からして のみ理解されたのである――しかして実は、古代からして 現在が 理解さるべきなのではないのか?
渡辺二郎譯『哲学者の書 ニーチェ全集3』〈ちくま学芸文庫〉一九九四年四月、p.460=NF-1875, 3[62]
大事なのは後半、「古代」と限ってあるのを過去全般に置き換へれば、この認識論は歴史學の
つまり、ユマニストの教育は、これまでローマおよびギリシアについて、われわれの時代とあまりにも類似したイメージを描くことをわれわれに習慣づけてきた。しかし、比較は、民族誌学者に用いられることによって[フレイザー『金枝篇』を指す]、一種の精神的衝撃をもって、過去についての完全に健全な理解には不可欠の条件である〔過去に対する〕異質感、
マルク・ブロック/高橋清徳譯『比較史の方法』「二」〈創文社歴史学叢書〉一九七八年十二月、p.8異国感 をわれわれに復活させた。
→高橋清德譯〈講談社学術文庫〉二〇一七年七月、p.13相當
この文獻學的‐歴史學的アンチノミーの二命題のうち、現在から過去を理解することは、結果と原因の取り違へとして屡々ニーチェが批判した因果性の錯覺に通ずる*9。歴史の損得論に擧げた三通りの歴史中でも「記念碑的歴史」は「いつも
アンチノミーの第二命題は第一命題と組み合せた上で
歴史的遡行の重要性が再認識される。だがそれは、現在の自分がおこなう歴史認識の公正さと客観性を疑わずに、それを前提として過去に視線を向けるのではなく、現在の自分が向ける過去へのその視線が歴史的にいかに成立したかを知るために過去に視線を向けるという、視線変更がなされたうえでの歴史的遡行である。
永井均『これがニーチェだ』〈講談社現代新書〉一九九八年五月、p.73
右に言及された『人間的、あまりに人間的な』初卷で該當するのは、「歴史的に哲学すること」を課題とした第一章「二」か。「あらゆる哲学者は、現代の人間から出発して、その分析を通じて目標に達すると思いこむという共通の欠陥を身につけている。」……「歴史的感覚の欠如があらゆる哲学者の欠陥[Erbfehler=遺傳的缺陥、宿弊、カント用語で「原謬」]である」……「彼らは、人間が生成してきたものであることを、認識能力もまた生成してきたものであることを、学ぼうとしない」云々(池尾健一譯『人間的、あまりに人間的 Ⅰ ニーチェ全集5』〈ちくま学芸文庫〉一九九四年一月、pp.26-27。Cf.NF-1885, 38[14]=榎並重行『ニーチェって何?』*4前掲pp.31-32所引/麻生建譯『ニーチェ全集 第八巻 第八巻(第Ⅱ期) 遺された断想(一八八四年秋―八五年秋)』白水社、一九八三年七月、p.430)。歴史音痴は哲學の體質、と十年後にも『偶像の黄昏』中「哲學における「理性」」で再論してゐる。ここで歴史とは持續や繼承よりも變化の
ただ、このやうに文獻學的‐歴史學的アンチノミーを敷衍する場合に注意が要るのは、解釋學的循環と似て非なるところ。平板に均した表現で、曾ての著名な歴史學者は言ふ。
とすれば我々はここで一つの循環論法に陥る危険性がある。歴史とは何か。それは現代の生活意識によつて成立する。しからば現代の生活意識とは何か。それは歴史によって証明されなければならない……。これは実際に歴史を論ずるものが常に陥るところのディレマである。
林健太郎『史学概論』「むすび」〈教養全書〉有斐閣、一九五三年五月、p.236
→『林健太郎著作集 第一巻 歴史学と歴史理論』山川出版社、一九九三年一月、p.176
この
時間経過というものを素朴なかたちで表象すると、いま鳥がたしかに青いとして、もともと青かったか、ある時点で青く変わったか、どちらかしかないことになるだろう。それ以外にどんな可能性があろうか? しかし、解釈学と系譜学の対立が問題になるような場面では、そういう素朴な見方はもはや成り立たない。もともと青かったのでもなければ、ある時点で青くなったのでもなく、ある時点でもともと青かったということになったという視点を導入することが、系譜学的視点の導入なのである。
「解釈学・系譜学・考古学」野家啓一責任編集『【岩波】新・哲学講義 ⑧歴史と終末論』一九九八年八月、p.215、傍線部は原文傍點ゴマルビ
現在の自己を疑ひ、そこに歴史の捏造や記憶の虚僞を見出し、その誤謬の成り立ちを探究するのが系譜學だ、と。改竄本文を系統立てる文獻學のやうな。ネガティヴな解釋學、なのか? いや、問題はその先にある。
だが、「ある時点でもともと青かったということになった」という表現には、本来共存不可能なはずの二つの時間系列が強引に共存させられている。「もともと青かった」と信じている者は「ある時点で……になった」と信じる者ではありえず、「ある時点で……になった」と信じる者は、もはや「もともと青かった」と信じる者ではない。だから、「ある時点でもともと青かったということになった」と信じる者の意識は、解釈学的意識と系譜学的認識の間に引き裂かれている。統合が可能だとすれば、それは系譜学的認識の解釈学化によってしかなされない。系譜学的探索が、新たに納得のいく自己解釈を作り出したとき、そのとき系譜学は解釈学に転じる。
「解釈学・系譜学・考古学」同前p.216
同時には現れ得ない筈のものの併存、別の時間に屬すべきものの混在、掛け違った時系列の共起は、アナクロニズムである。この時制の重層した命題、この分裂した二重論理にこそ系譜學は宿り、それでこそ「アンチノミー」といふものだ。カント用語で引き取るなら、ニーチェも「事実上は thatsächlich」と斷ってゐた通り現在から過去を理解してゐることは唯の「事實問題(quid facti)」だが(名詞T(h)atsacheは元來この意味での事實に當るラテン語res factiを獨譯するため造られた十八世紀後半の新語だとか)、そこに、過去からして現在が理解されるべきではないのかといふ「權利問題(quid juris)」(『純粹理性批判』B116)が絡まってくるのが要所か。――しかして恐らくは「物
ましてや二律背反の入り組んだ理路を、「歴史とは現在と過去との対話である」なんて平べったい言ひ方にしてしまった日には、E・H・カー『歴史とは何か』(清水幾太郎譯、〈岩波新書〉一九六二年三月、p.40・47・78・184)で話は濟むことになる。對話(dialogue)とか辯證法(dialectic)とか言っても現代の歴史家たる自己が一方的に主導權を握るやうでは
『歴史とは何か』中「ネーミアは、わざと反語的[paradoxical=逆説的]な言い方[……]で、歴史家は「過去を想像し、未来を想起する」と言っております」(Ⅴ章p.182)といふ一節があって、それを「未来だけが、過去を解釈する鍵を与えてくれる」と説く持論への呼び水にしてゐたが、進歩派カーが眞正の保守主義者と認めた歴史家ルイス・ネイミア像(同前Ⅱ章p.51)に悖るし、後世の史家からは「このあまりぱっとしない警句を発案したサー・ネイミアがいわんとしたところとはだいぶ違った意味でではある」(リチャード・J・エヴァンズ/今関恒夫・林以知郎監譯『歴史学の擁護――ポストモダニズムとの対話――』晃洋書房、一九九九年十一月、第八章p.182)と皮肉られた我田引水だし、本氣で對話するつもりだったら、その保守的なユダヤ系歸化英國人の文には敢へて捻くらないでは語り得ぬやうな屈折した考へがあったらうことも察して貰ひたい。史料の山に沒頭する微視の史學者として「ネイミアは、一見無関係なことを、倦むことなく捜し求めた。「実際かれは、自分の全生涯を脇道で過した」。」(クラカウアー『歴史 永遠のユダヤ人の鏡像』*11前掲p.104。詳しくはヴェド・メータ/河合秀和譯『ハエとハエとり壺 現代イギリスの哲学者と歴史家』みすず書房、一九七〇年一月、p.211を看よ)――「彼は局外者にとどまることに満足していた」(アイザィア・バーリン/河合秀和譯「L・B・ネーミエ」福田歓一・河合秀和編『時代と回想〔バーリン選集2〕』岩波書店、一九八三年九月、p.120)。この引用句原文の「過去を想ひ描き未來を想ひ出す they imagine the past and remember the future.」といふ交叉呼應*12のレトリックも、時間との關係を逆さまにしたアナクロニズムである。レイ・ブラッドベリの「過去を予言し、未来を思い出す」(市田泉譯、中村融監修『S‑Fマガジン』二〇〇六年一月號「レイ・ブラッドベリ特集」早川書房)と題するエッセイを見たら(‘Predicting the Past, Remembering the Future’といふ一句は公認傳記『ブラッドベリ年代記』原書でも副題の下に更に副へてある)、その豫言者としてネイミアを想像するがいい。固より當人には意圖しなかった結果だらうが、さて、斯く豫定外にて不調和なる今昔取り合せをも對話と呼べる器量(capability)ありや。
ついでに、すべての歴史は「現代史」(contemporary history=同時代史)であるといふベネデット・クローチェの有名な宣言もカーの『歴史とは何か』(Ⅰ章pp.24-25)に取り上げられてゐ、過去は現在の主觀が構成するといふ構築主義にも相性のいい文句だが、クロォチェ『歴史の理論と歴史』(羽仁五郎譯『歴史敍述の理論及び歴史』→改題、〈岩波文庫〉一九五二年五月)を
例へばここに好古者流の、現世を厭ひ過去に逃避するばかりの生活を離れた歴史への關心があるとして(當然あるだらうが)、それをも同時代史の一齣、現代に屬する生だとは言へるにせよ(おお、これまた人生!)、而してその甚だ現代的ならざるを如何せん(これぞ正に反時代的、ってかい?)。そんなもの「眞の」歴史に非ず、「僞歴史」(クロォチェ前掲書第一部「二 僞歴史の諸型」、文獻學的歴史はその筆頭)が現に存するとて「單に敵役であり、相手役である」(同前第二部「一 序論」p.190)と「清算」するのだとすれば、勝手な主役もあったものだ。自分以外には引き立て役しか宛てがはぬとは狹量な。「「歴史は現代史である」というクローチェの断言には、過去を生活の必要に順応させるというニーチェの決意が、まだこだましている」(前掲クラカウアー『歴史』第三章p.101)と見るにしても、まだしもニーチェによる生にとっての歴史の功過論の方が、歴史の「好古的 antiquarische」――「骨董的」「尚古的」などと譯される――な在り方を、記念碑的、批判的歴史と竝んで三幅對を成すものと認めてゐた。今日では古本屋を意味するAntiquarは「好古家」(『反時代的考察』第三篇「八」ちくま学芸文庫版p.337。同第二篇「二」「八」p.143・197では「骨董家」)が適譯だらう。英語antiquarian, antiquaryの譯語では古物研究家、古事學者、等。さう名指された者らが「近代的な歴史叙述の誕生にどれほど決定的な寄与をなしてきたか」は、アルナルド・モミリアーノの史學史研究に依據しつつカルロ・ギンズブルグが再三説いてをり(上村忠男譯『歴史を逆なでに読む』みすず書房、二〇〇三年十月、p.43及びp.67・79・182「古遺物研究」。Cf.仝譯『糸と痕跡』みすず書房、二〇〇八年十一月、p.28・58。前掲『歴史・レトリック・立証』p.60・68・109「古物研究」)、彼ら同國の後學によってもクローチェの現在的歴史主義に疑義を差し挾めよう。前提にされたその「歴史的現在」なるものの如何なる現在かが、反時代的な現在をも含めて問題となる筈。同時代人だからとて一括りに片づけられては亂暴だ。世代差、準據集團の不一致、通約不能な各種專門、利害關心の相反、趣味嗜好の好きずき。人それぞれに生きてある「現在」があって、現實は多元的に分裂してゐる。「だれもがみな同じ
ただ現在を生きる關心に、別に歴史研究を選擇すべき必然性などありはすまい。さう、さまで必要無いのにも拘らず、現在の關心でありながら今ここでも未來でもなく過去へと向ってしまふといふ拗れ方に、面白味があるのだ。必要以上に志向すること、趣味も學問もそこに成り立つ。度を越してからが本領だ。若きニーチェに「過剰なものは必要なものの敵」(「生に対する歴史の利害について」緒言、ちくま学芸文庫版p.119)と嫌惡されようとも……「それは過剰を必要とする」(『人間的、あまりに人間的 Ⅰ』「序文」八、ちくま学芸文庫版全集5p.21)、「自然のうちに支配しているものは、窮迫状況[Nothlage=必要に迫られた境遇]ではなくして、過剰であり、浪費である」(『悦ばしき知識(第二版)』第五書三四九、ちくま学芸文庫版全集8p.384。Cf.『反キリスト者』五二、ちくま学芸文庫版全集14p.251)とは十二年後のニーチェが記す所。
先に引いた『反時代的考察』第二論文緒言の末尾、あれをジル・ドゥルーズ『ニーチェと哲学』も引用してゐた。
能動的に思考すること、それは、「非現働的な仕方で、したがって時代に抗して、またまさにそのことによって時代に対して、来るべき時代(私はそれを願っているが)のために活動することである」。*13
江川隆男譯『ニーチェと哲学』第三章15、〈河出文庫〉二〇〇八年八月、p.215
引用内で「反時代的に」に當る部分が「非現働的な仕方で」と生硬な譯文である(Cf.第五章13p.366「非現働性〔反時代性〕」)のは佛文原語
現在に抗して過去を考えること。回帰するためでなく、「願わくば、来たるべき時のために」(ニーチェ)現在に抵抗すること。つまり過去を能動的なものにし、外に出現させながら、ついに何か新しいものが生じ、考えることがたえず思考に到達するように。思考は自分自身の歴史(過去)を考えるのだが、それは思考が考えていること(現在)から自由になり、そしてついには「別の仕方で考えること」(未来)ができるようになるためである。
宇野邦一譯『フーコー』「褶曲あるいは思考の内(主体)」河出書房新社、一九八七年十月、p.190
ハイデッガーが歴史學の本來的な主題を「既在した可能性」の「取り返し」(Wiederholung=繰り返し、反復)だと説いたのに似るか(原佑・渡辺二郎譯『存在と時間』第七十六節、原書S.394-395該當。Cf.第七十四節S.385、第七十七節S.401「「潛勢力」 »Virtualität«」)。尤もフーコーはその『存在と時間』(第三十六節以下)が難じた「好奇心」をば反って動機に掲げ、「すでに知っていることを正当化するというのではなく、別のしかたで考える」ためだと言ふのだけれど(桜井直文「ミシェル・フーコー『性の歴史』第二巻の二つの序文」『アレフ』第5號、『アレフ』の会、一九九二年十二月、p.129。田村俶譯『性の歴史Ⅱ 快楽の活用』「序文」新潮社、一九八六年十月、p.16相當)。そこを含む一節は、ドゥルーズがフーコーの葬送に際し弔辭代りに朗讀した所だった(ディディエ・エリボン/田村俶譯『ミシェル・フーコー伝』新潮社、一九九一年十一月、p.457。神崎繁『フーコー 他のように考え、そして生きるために』前掲p.7)。フーコー自身に碎いて語らせると、次のやうだ。
知識人の仕事は、ある意味でまさに、現在を、ないこともありえたものとして、あるいは、現にあるとおりではないこともありえたものとして立ち現れさせながら語ることです。それゆえにこそ、現実的なもののこうした指示や記述は、「これがあるのだから、それはあるだろう」という形の教示の価値をけっして持たないのです。また、やはりそれゆえにこそ、歴史への依拠――少なくともここ二十年ほどの間のフランスにおける哲学的思考の重大な事実の一つ――が意味を持つのは、今日そのようにあることがいつもそうだったわけではないことを示すことを歴史が役割としてもつかぎりにおいて、つまり、諸事物が私たちにそれらがもっとも明白なのだという印象を与えるのは、つねに、出会いと偶然との合流点において、脆く不安定な歴史の流れに沿ってなのだということを示すことを歴史が役割として持つ限りにおいてなのです。
黒田昭信譯「構造主義とポスト構造主義」『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅸ 1982‑83 自己/統治性/快楽』筑摩書房、二〇〇一年十一月、pp.322-323
これは少なくとも「過去の記念碑的考察」と違って、つまり「とにかく一度は
同工異曲をカントを論ずる中でも述べてゐる。
この批判が〈系譜学的〉であるというのは、私たちに行いえない、あるいは、認識しえないことを、私たちの存在の形式から出発して演繹するのでなく、私たちが今のように在り、今のように行い、今のように考えるのではもはやないように、在り、行い、考えることが出来る可能性を、私たちが今在るように存在することになった偶然性から出発して、抽出することになるからだ。
石田英敬譯「啓蒙とは何か」『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅹ 1984‑88 倫理/道徳/啓蒙』筑摩書房、二〇〇二年三月、p.20
→小林康夫・石田英敬・松浦寿輝編『フーコー・コレクション 6 生政治・統治』〈ちくま学芸文庫〉二〇〇六年十月、p.386
ここでは「私たちを構成し、またそのような主体として認めるように私たちがなった由来である諸々の出来事をめぐって行われる歴史的調査として批判は実行される」(同上)のである以上、現在と異なる可能性と云ふのも過去の記録から掘り出されるもの、歴史に喚起される別樣性だ。
夙に科學史の古典、エルンスト・マッハの力學史でも「歴史的研究は,現にあるものの理解を助けるだけでなく,現にあるものは大部分約束事[conventionell=規約的、因襲的]にすぎず,偶然なものにすぎないことを示すことによって,新しいものの出現を可能にする」(塩野谷祐一『シュンペーター的思考 総合的社会科学の構想』東洋経済新報社、一九九五年四月、第10章注3)p.402所引。伏見譲譯『マッハ 力学 力学の批判的発展史』講談社、一九六九年十月、第Ⅱ章§8-7. p.239相當)と言はれてゐた。ニーチェ研究上は、確證は無いがマッハ著作中ニーチェが讀んだかも知れない候補に擧がる一册であり(須藤訓任『ニーチェの歴史思想』「(補論3) ニーチェの「経済」思想――アヴェナリウス―マッハによる「あとからの影響」」*3前掲p.376)、一八八四年以降のニーチェが「マッハの歴史観に最接近する」(仝「第五章 「歴史精神」とは何か――ニーチェとマッハ」p.210)ことの例證として正に右と同箇所からの引用を插みながら(仝p.212)「偶然」「しきたり・とりきめ Convention」が強調されてゐる(pp.211-217)。世紀轉換期ウィーンを風靡したマッハの影響は多方面に及んだ。現存状態を偶然の結果に歸するこのマッハの哲學を學位論文で研究したために「現にあるものを絶対化せず別様でありうるものを見ようとするその視角」「現実を虚構と見なす精神の視角」を培ったのがロベルト・ムージルだとか(大川勇『可能性感覚――中欧におけるもうひとつの精神史』「第6章 可能性感覚の誕生」中「05―マッハと可能性感覚――ムージル『マッハ学説判定への寄与』」*8前掲p.335・338)。ムージルが『特性のない男』に造型した「主人公ウルリヒは、[……]現状を変革することよりも、可能な状態を思いめぐらすだけの、いわゆる「可能性の男」である」(W・M・ジョンストン/林部圭一譯『ウィーン精神 ハープスブルク帝国の思想と社会 1848–1938 2』「28 陽気な黙示録」みすず書房、一九八六年十一月、p.645)。ただ世に言ふ「未發の可能性」を先人から掬ひ上げてくる程度の論法だったら、殊に思想史や文學史の史論では使ひ古されてゐる……「それは「もしこうであれば」という嘆息[……]に止まっている」(「生に対する歴史の利害について」五、ちくま学芸文庫版p.165。未完稿「ギリシア人の悲劇時代における哲学」二よりの流用、前掲全集2p.363)。遺恨や願望を込めた「歴史のif」は史實では決してない、が、現實以上に惡變した可能性を考慮に入れ、あるまじき暗轉をもあり得べき公算に見込んだ上でなら、「もしもあの時」の蓋然性(當時どれほど實現可能性あったか)は歴史學的に考量可能である(Cf.マックス・ウェーバー「文化科学の論理学の領域における批判的研究」二、森岡弘通譯『歴史は科学か』みすず書房、一九六五年九月→改訂[第十一版]一九八七年十月、p.177以下)。現實の諸條件を可能な域内で假想變化させてみることはマッハ命名の「思考實驗」に通じ、一回限りの事實を事とする歴史學に實驗は不可能とは言ひ條、思考上ではなし得てゐたのだった。しかし、意向は未來にあると言ひつつも、現在では足らずにわざわざ後向きになって過去に可能性を得ようとする……その倒錯に、魅力は存する。
アイザック・アシモフの編んだ本につけられた、『過去カラ来タ未来』(石ノ森章太郎監修、パーソナルメディア、一九八八年十二月)といふ秀逸な譯題を想ひ出す。十九世紀末に描かれた未來豫想圖を紹介した畫集で、原タイトルは“Futuredays”と曲の無いものだった。横田順彌『百年前の二十世紀 明治・大正の未来予測』(〈ちくまプリマーブックス〉一九九四年十一月)だって同種の
いづれにしても肝心なのは未來でない、將來への糧とするために過去の遺産を探るに留まらず、可能性といふ未來さへ過去の相の下に觀る勝れて後向きの姿勢に意を注がれたし。すべて過ぎ去りしこと……夢も希望も未來も、もはや現用を離れ記録や遺蹟に見るのみといふ過剩な歴史化。「そしてすべての「移ろはぬもの」[Das „Unvergängliche“=過ぎ去らぬもの、不滅なもの]――それもまた單なる比喩にすぎない」(『斯くツァラトゥストラは語りき』第二部「詩人たちについて」、cf.『悦ばしき知識』附録「プリンツ・フォーゲルフライの歌」中「ゲーテに」)。化石となった過去を生き生きと今に甦らせるといった賞詞ならば珍しくもないが、それだけでなく「生きたものをもかれは、それがとっくに滅び去ったものであるかのように、考察することを好んだ」(テオドーア・W・アドルノ/野村修譯「ヴァルター・ベンヤミンの特質」好村冨士彦監譯『ベンヤミンの肖像』西田書店、一九八四年五月、p.73。テオドール・W・アドルノ/大久保健治譯「ベンヤミンの特性描写」『ヴァルター・ベンヤミン 新装版[増補・改訳]』河出書房新社、一九九一年一月、p.18/三原弟平譯「ベンヤミンの特徴を描く」『プリズメン――文化批判と社会』〈ちくま学芸文庫〉一九九六年二月、p.385に相當)――メドゥーサの眼差しとも形象される石化の邪視さながら。或いは、「
ここまで見てきたやうな兩方向に交叉した錯時的認識については、フーコーの言葉が示唆を與へてくれる。『監獄の誕生』第一章、序言となる締め括りで、自問自答しながらanachronismeへの複雜な態度を見せてゐる。アナクロニズムのアンチノミーとも言へようか。曰く――
[……]この監獄について、歴史を書きたいと思ふ。全くのアナクロニズムによって、か? 否だ、もし人がそれ[=アナクロニズム]によって現在との關聯における[dans les termes du présent=現在の用語による]過去の歴史を書くことと解するのならば。もし人がそれによって現在の歴史を書くことだと解するならば、然りだ。*15
しかし、当然にも、系譜学は、現在の用語―関心によって過去を解釈し、その解釈を歴史として書く、歴史解釈学の一分派なのではない。[……]つまり、系譜学が問題化する「近代」とは、現在の用語―関心によって「近代」と解釈され得るものの歴史ではなく、その用語―関心が誕生し、現実性を得、まさしくこのように働き得るようになるに至ったその歴史、すなわち「現在の歴史」のことだ。
榎並重行・三橋俊明『細民窟と博覧会 近代性の系譜学……空間・知覚編』「序」JICC出版局、一九八九年二月、p.14
いま現在といふものをも歴史と化し歴史と觀じ去る、強度の歴史主義。同時に、飽くまで現在に關心するアクチュアリティー*17。奇妙な二重性の混在。フーコーの現在性への執着ぶりは、カント「啓蒙とは何か」を讀み直した「カントについての講義」(小林康夫譯、前掲『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅹ』所收)等に著しい。さうして十九世紀以降哲學が漸近した「「われわれ自身であるこの現在」についての問い」とは、「現に過ぎ去っていくもの以外の何ものでもなく、それ以上の何ものでもないわれわれ」を問ふが故に「完全に歴史学的である」とされる(桑田禮彰・福井憲彦・山本哲士譯「セックスと権力」『ミシェル・フーコー 1926-1984 権力・知・歴史』新評論、一九八四年十月、p.65。慎改康之譯「性の王権に抗して」『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅵ 1976‑1977 セクシュアリテ/真理』筑摩書房、二〇〇〇年八月、p.358→『フーコー・コレクション 5 性・真理』〈ちくま学芸文庫〉二〇〇六年九月、p.55相當)。現在が歴史となると言っても、未來完了(前未來)時制みたいに先取りした未來の時點に自分を置くことで現在を過去と觀るなら前進志向にもありがちだが、過去に向って時代を遡り具體的な調査發掘をする歴史家ぶりがフーコーの身上であった――「思考に歴史的な作業の試練をおこなわせるひとつのやり方」(西永良成譯「歴史の濫造者たちについて」前掲『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅸ』p.273)。茫漠たるアーカイヴ(記録文書群)と取っ組む歴史學的作業はおよそ理論や思辨を事とする哲學者には乏しい經驗的實踐であり、所與の哲學的テキストをただ再解釋する哲學史の類ひと異なりまづ史料となり得るものの探索から始まる躓きや衝突の中で感得される抵抗感と言ふか手應へと云ふか、資料操作上の思ひ通りにならなさが
現在の觀點から過去を現在化する遡及的アナクロニズムに對し、現在を過去化する方向のアナクロニズムがあるだらう。現在を歴史化するとも言へる――歴史とは過去となったもののことだとすれば、だが。「歴史という概念において「過去」がもっている注目すべき優位」(『存在と時間』第七十三節S.379、原佑・渡辺二郎譯p.586)。ディルタイ門下が言ふには、「汝があらざりし時代を追体験し、汝がありはじめし時代をたどり、もはや汝があらぬかのごとくにおのれを見ることを知れ。これが歴史意識というものだ。これが歴史家の仕事なのだ。歴史家にとっては、すべてが過去になるのだ」(ベルンハルト・グレトゥイゼン/野沢協譯『ブルジョワ精神の起源 教会とブルジョワジー』「まえがき――ジャン・ポーランへの手紙」〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、一九七四年十二月、p.6。野沢協「訳者あとがき」pp.379-380も看よ)。それとも何かい、マサカ、歴史とは未來に向って創るものだ、とでも? 「「歴史を作る」というマルクスの考え方」はハンナ・アーレントも「政治と歴史の混同」だと戒める所……(引田隆也・齋藤純一譯『過去と未来の間 政治思想への8試論』「第二章 歴史の概念――古代と近代」みすず書房、一九九四年九月、pp.102-108)。
等しく專門家的でないにしてもディレッタントとヂャーナリストとは性質を異にしてゐる。少くともディレッタントであるやうなヂャーナリストはその名に値するヂャーナリストではない。ヂャーナリストの關心するのは今日の問題である。然るに現在が現在として關心されるのは未來が關心されてゐるからでなければならぬ。ディレッタントが關心するのは寧ろ過去である。彼はもとよりその多面性の故に現在についても或る興味をもつであらうが、然し彼にとつては現在もひとつの過去に過ぎない。なぜなら現在を眞に現在として顯はにするものは未來の見地であり、從つてそれ自身のうちに必然的に未來への動向を含む實踐乃至創作の立場であつて、これとは反對のディレッタンティズムの立場ではない。ディレッタントは何よりも趣味の人である。然るに趣味は好んで過去のもの、完成されたものの上で働き、從つてディレッタントはおのづから、ヂャーナリストがその中で生きる生成しつつある現在の渾沌たる喧騷から過去のうちへ逃避する。ディレッタントがモダンであるといふのは一の錯覺である。かくてまたディレッタンティズムは主として過去の批評に終始するアカデミズムと想像されるよりも遙かに容易に結び付く。
「ディレッタンティズムに就いて」『三木清全集 第十二卷』岩波書店、一九六七年九月、p.85、傍線引用者
かういふ概念整理をやらせたら三木清にはお手の物で、これまたハイデッゲル先生の時間論の應用か。このジャーナリスティックな哲學者は續けて言ふ、「なるほどディレッタントは懷疑的である。併し彼の懷疑はいはゆる歴史的相對主義、換言すれば、廣く過去を見渡すとき如何なる絶對的なものもないといふ感情に結び附いたものである。或は逆に、歴史的相對主義なるものはディレッタンティズムの産物である」云々(同前p.86)。かかる價値相對主義こそは、歴史主義の行き着く不可避の
ニーチェ=フーコー流系譜學においては、「起源」ではなく、「由來」と「發生」とを組み合せて探る*19。由來(Herkunft)を辿ることはそれがもと歸屬してゐたものを問ふことであり、起源論が回歸する同一性や連續性やから外れた異質な出自を突き止める。發生(Entstehung)については、今ある現況がどうやって出現したか、出來事を生起變動させた力(權力、でもある)を捉へる。「これが、系譜学上の注意だ。由来の分析と発生の把握を必ず両方やること、しかし、それを混同しないこと」(榎並重行『ニーチェって何? こんなことをいった人だ』前掲p.140)。状態と觀るか動きを視るかの違ひ、體・用の別にも近いか。『道徳の系譜學によせて』で照應するのは例へば第二論文「一二」、「起源と目的」は「それぞれ別個の、また別個であるべき二つの問題であるのに、普通は遺憾ながら一緒くたにされている」(ちくま学芸文庫版全集11p.451)と峻別する所から敷衍される「歴史的方法論」(仝p.454・455)の定則――。
あらゆる種類の歴史にとって、次の命題にもまして重大な命題は一つもない。[……]――すなわちそれは、ある事物の発生の原因と、そのものの究極の効用、その実用、それの目的の体系への編入とは、天地の隔たり(toto coelo)ほどもかけ離れている、という命題である。これを別言すれば、現存する事物、ともかくも成立するにいたったものごとは、それよりも優勢な力によって繰りかえし新しい目標へと指し向けられ[auf neue Ansichten ausgelegt=「新たな見方で解釋され」。Ansichten(見解)と異文Absichten(意圖、目標)とが雙行するがグロイター版に準じて訂した]、新しい用途に振り向けられ、新しい効用へと造り変えられ向け変えられる、ということである。
『道徳の系譜』「第二論文 〈負い目〉、〈良心の疚しさ〉、およびその類いのことども」一二、ちくま学芸文庫版全集11p.452
やや似て、舊惡を暴く「発生史」と現状への「批判」とは必ずしも直結しないから分けて考へねば「「起源」と「現在」の癒着」に陷る、との注意もある(須藤訓任『ニーチェの歴史思想――物語・発生史・系譜学――』「第四章 認識者の系譜学――「時代」という名の自己」*3前掲p.172以下、第五章「一 問題の所在」pp.198-203、及び「序文 歴史思想家としてのニーチェ」pp.13-14)。當のニーチェの用語法では「道徳的価値評価の発生と批判。両者は一致しない。ともすれば、そう信じられているが(そう信じられるのはすでに、「これこれの仕方で発生したものは、非道徳的な起源のものとして、価値の少ないものである」という道徳的評価の結果である)」(同p.201所引NF-1885, 2[131]、p.181所引同文異譯と照合)と言ったり「われわれの価値評価や善の一覧表[Gütertafeln=價値表、『ピレボス』66a6-67に據るか]の由来に関する問は、しばしば信じられているのとは異なり、それらに対する批判とは全然一致しない」(仝p.201所引NF-1885, 2[189]=『権力への意志』二五四、ちくま学芸文庫版全集12p.259相當)と云ったり、發生と由來とが交換可であるみたいだが、いづれにしろ、事象に首尾一貫した本質を求めるあまり無變化な同質性を想定しないやう、物事は初期設定がどうあれ舊態から沿革を經て現行態勢へ至る過程でも各期それぞれに變樣し機能や作用が轉化すると心得ておかないと、それを現に機能させてゐる力の作動を見落とし、批判は達せられまい。
何
榎並重行『ニーチェって何? こんなことをいった人だ』前掲p.50所引(原文の強調に從って傍點を補った)=NF-1885, 34[217]である のかということの叙述は、それの発生については何も教えない。そして、発生の歴史は、それが[da=現に]何であるのかについては何も教えない。あらゆる種類の歴史家が、ほとんどことごとく、そこで欺かれている。彼らが現存するものの上で考え、後方に目を向けるが故に。
/麻生建譯『ニーチェ全集 第八巻(第Ⅱ期) 遺された断想(一八八四年秋―八五年秋)』白水社、一九八三年七月、p.291相當
恐らくディレッタントらは本性享受者にして力無きがゆゑに、由來は見つけられても、發生の現場に働く力關係がよく掴めないのではないか……? 事件(獨Ereignis/英event=出來事)は現場で起きてゐるが認識はミネルヴァの梟よろしく後れてやって來るのだ(Cf.『ニーチェって何?』p.59)。さもありなむ、我々は現在を見るにバックミラーを以てし、眼差しを後向きにしたまま進むことを餘儀なくされる。よく引かれるヴァルター・ベンヤミンが歴史哲學テーゼに記したイメージを想起してもいい。
「
浅井健二郎譯「歴史の概念について」Ⅸ、『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』〈ちくま学芸文庫〉一九九五年六月、p.653新しい天使 」と題されたクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描かれていて、この天使はじっと見詰めている何かから、いままさに遠ざかろうとしているかに見える。その眼は大きく見開かれ、口はあき、そして翼は拡げられている。歴史の天使はこのような姿をしているに違いない。彼は顔を過去の方に向けている。私たち の眼には出来事の連鎖が立ち現われてくるところに、彼 はただひとつ、破局 だけを見るのだ。その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。ところが楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。この嵐が彼を、背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。
これを「「後ろ向きの予言者」は現在を凝視する天使になっている」(三島憲一「解説 時間のエネルギーあるいは広告の誕生」ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論――Ⅴ ブルジョワジーの夢』岩波書店、一九九五年八月、p.419)とロマン主義者との對比でアクチュアリティー志向に見立てようとも、いかんせん新しき天使の視線の通り、目下のその現在さへ遠退く過去の方向に顧みられるのである。
可能性とかpossibilityという概念が人の足をすくいやすいことには注意の必要がある。それはときには積極的な能力(……することができる)をあらわすが、また、ときには発生しうる事態への忍受(……となる場合がありうる)のようなものをあらわす。戦争をはじめる可能性と戦争のはじまってしまう可能性とは、似ていて、ちがう。いや、そうならかえっていいくらいで、実は、ちがっているようでありながらなお同一のカテゴリーにはいる、それゆえに微妙な錯覚が生じる。
佐藤信夫『記号人間 伝達の技術』「無限の事態あるいは視界」、大修館書店、一九七七年三月、p.168
憶えておかう、「歴史の死相」(原文通りには「歴史のヒポクラテス顏貌」)とベンヤミンが言ってゐたのを――「歴史にはそもそもの初めから、時宜を得ないこと[Unzeitiges]、痛ましいこと、失敗したことがつきまとっており、それらのことすべてに潜む歴史は、ひとつの
同じくベンヤミンで引用されやすい名文句には、「文学史と文芸学」結尾(野村修譯、『新しい天使 ヴァルター・ベンヤミン著作集13』晶文社、一九七九年八月所收、p.140/浅井健二郎譯、『ベンヤミン・コレクション5 思考のスペクトル』〈ちくま学芸文庫〉二〇一〇年十二月、p.220)がある。そこにも異なった時間の重ね合せといふ意味でのアナクロニズムがあり、捩れて裏返ったメビウスの輪のやうな歴史意識が疊み込まれてゐるのを見ることができる。
文学[des Schrifttums=文獻の]作品を、その時代のもつ連関のうちに叙述することこそが大切だ、というのではない。大切なのは、それが成立した時代のなかに、それを認識する時代――それはわれわれの時代である――を描き出すことなのだ。これによって文学は歴史の感覚器官[Organon]となる。
浅井健二郎編譯『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』〈ちくま学芸文庫〉p.10(エピグラフ)所引
それを認識する時代の中にそれが成立した時代を、ではない。どう違ふかが考へどころだ。――これをしも過去に〈いま〉を見出す
とはいえ、彼は思考についてはあまり能力をもっていなかったとわたしには思われる。考えるということは、相違を忘れること、概括すること、抽象することである。過度に充満したフネスの世界には、細部、ほとんど連続した細部しかなかった。*20
篠田一士譯「記憶の人・フネス」前掲『集英社版 世界の文学 9 ボルヘス』pp.77-78.
「Ⅷ 「われら文献学者」をめぐる考察のための諸思想および諸草案」(17)前掲『哲学者の書 ニーチェ全集3』p.467=NF-1875, 3[26]
記憶の過度の緊張 ――このことは、文献学者にあっては極めて普通のことである。彼らには判断の発達が比較的僅かなのである。
プロローグでひと言觸れただけなので、詳しく語ったものは、ジョルジュ・シャルボニエ『ボルヘスとの対話』「Ⅶ 新しい文学ジャンル」鼓直+野谷文昭譯、国書刊行会、一九七八年十一月、p.124以下參照。フネスの物語を書いたのは、現實に不眠症に苦しめられてゐたのでそれから逃れようとしてだ、とボルヘスは言ふ。
それは不眠症の、忘却に身をゆだねることの困難ないし不可能性の、いわば隠喩です。というのも、眠ることはすなわち、忘却に身をゆだねることだからです。己れの自己同一性、己れの置かれている状況を忘れること。フネスにはこれができなかった。結局そのために、苦悶しながら息絶えた。
『ボルヘスとの対話』p.127
眠ることは忘れること……確かに。とはいへ、夢も見ずに熟睡する限りで、と但し書きを添へずばなるまい。夢、殊に惡夢では忌はしい記憶が反芻され、眠ってゐる間も己が過去に魘されようから。夢もまたボルヘス愛用のモティーフではあったが、とすると、我を忘れさせてくれる夢こそが求められる夢である筈だ。或いは過去でなく、夢とは「將來の夢」の意味であればよいのか。いっそ豫知夢とか夢占ひとか。ミシェル・フーコーは處女作「ビンスワンガー『夢と実存』への序論」で、かう斷じた。
夢のもつ本質的な点は、それが過去を再生することのうちにではなく、未来を予告することのうちにある。夢は、患者がそれ自身もはや気づいてはいないが、にもかかわらず患者が抱えるきわめて重い負荷である秘密を、分析家に遂に打ち明けるであろうその契機を予示・予告しているのである。[……]夢は解放の契機を先取りしているのである。それはトラウマとなった過去の強迫的反復であるよりも、むしろ歴史の予示なのである。
このくだり(譯文が改變されてゐるが、『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅰ 1954‑1963 狂気/精神分析/精神医学』筑摩書房、一九九八年十一月所收、石田英敬譯p.122に相當)を引いて神崎繁は、「「過去志向的な」フロイトの「夢解釈」の理論とあえて対比することで、「未来志向的な」理解の方向性を強調する」ものだと評してゐる(『フーコー 他のように考え、そして生きるために』〈シリーズ・哲学のエッセンス〉NHK出版、二〇〇六年三月、p.102)。考へさせられる指摘だ。――なほ、引用されたフーコーの文中「歴史」とある箇所は、荻野恒一・中村昇・小須田健共譯『夢と実存』「序論」(みすず書房、一九九二年七月、p.71)では「生活史」と譯されてゐて、精神醫學の文脈ではその方が適切だらう。精神鑑定書だったら「生活歴」だ。
續けてフーコーは、「夢の構成契機になるのは、時間を通じて生成する実存、未来へ向かうその運動のうちにある実存以外にはありえないのだ。夢はすでにして、生成しつつあるこの未来であり」云々と述べてゐる。成程、現に夢を見てゐる主體にとってそれは生起しつつある現象であらうから、「過去の生活史が疑似的に客観化されたにすぎない主体[=主觀]」では「ありえない」だらう(同p.71)。が、異議あり。夢といふものは、その最中は眠ってゐるのだから覺醒後に想起されるものでしかない。したがって、單に過去の體驗が夢に見られることがあるといふ以上に、もっと根本から、夢とは意識にとって過去のものではないか(未來志向の生動が見出せるとしたらそれは、夢見それ自體に、ではなく、夢語りにおいて、聞き手との
入手しやすいのは、中村健二譯「カフカとその先駆者たち」『異端審問』晶文社、一九八二年五月、p.162→『続審問』〈岩波文庫〉二〇〇九年七月、p.192。但し英譯版からの重譯である。ほか、土岐恒二譯「カフカとその先駆者たち」中央公論社『海』一九七四年七月號、p.230。藤川芳朗譯「カフカと彼の先駆者たち」城山良彦・川村二郎編『カフカ論集』国文社、一九七五年二月、p.279(目次でのみ「エルヘ・ルイス・ボルヘス」と誤記)。
引用したこの箇所にボルヘスは註を附してゐる。T・S・エリオット著“Points of View”(1941)pp.25-26.を看よ、と。具體的には、有名な「傳統と個人の才能」(一九一九年初出)の次の部分に當る(Cf. Alice E. H. Petersen, Borges's “Ulrike”— Signature of a literary life, Studies in Short Fiction, vol.33 no.3, 1996 Summer)。吉田健一譯で引いておく。
一つの新しい芸術作品が創造された時に起ることは、それ以前にあった芸術作品のすべてにも、同時に起る。すでに存在している幾多の芸術作品はそれだけで、一つの抽象的な秩序をなしているのであり、それが新しい(本当の意味で新しい)芸術作品がその中に置かれることによって変更される。この秩序は、新しい芸術作品が現われる前にすでに出来上っているので、それで新しいものが入って来た後も秩序が破れずにいる為には、それまでの秩序
吉田健一譯「伝統と個人的な才能」『エリオット選集 第一巻』彌生書房、一九五九年三月、p.12全体 がほんの少しばかりでも改められ、全体に対する一つ一つの芸術作品の関係や、比率や、価値などが修正されなければならないのであり、それが、古いものと新しいものとの相互間の順応ということなのである。そしてこの秩序の観念、このヨーロッパ文学、及び英国の文学というものの形態を認めるならば、現在が過去に倣うのと同様に過去が現在によって変更されるのを別に不思議に思うことはない。しかしこれを理解した詩人は多くの困難と、大きな責任を感じなければならないことになる。
譯文中「不思議に」は原語preposterous、前後顛倒が文字通りの意味。「さかさま」と飜譯した矢本貞幹譯「伝統と個人の才能」(『文芸批評論』〈岩波文庫〉一九三八年五月→一九六二年九月改版p.10)、「途方もないこと」と辭書通りな譯語である深瀬基寛譯(『エリオット全集 5 文化論』中央公論社、一九六〇年八月→改訂・三版、一九七六年二月pp.7-8)、等々と對照のこと。エリオットが理念とする「秩序」即ちorderとは通時的系列に即せば「順序」であり、しかし文學史の時間性を空間性に置換して、繼起的秩序でなく「同時的な秩序」といふ呼び方さへされてゐたが、それが傳統として保持されるのも逆轉による變成を通じてこそだと言ふ次第。ここにソシュール以後の共時的體系の構造論を聯想したくなるのは、構造主義を經た讀者としては無理ならぬところ(例、加藤文彦『相互テクスト性の諸相――ペイター/ワイルド/イェイツ/エリオットの「常に既に」』国書刊行会、二〇〇〇年七月、第一章p.73以下)。曰く「構造主義の元祖になりそこねたエリオットを見る思いがする」(加藤文彦『文学史とテクスト』ナカニシヤ出版、一九九六年四月、第二章「4 エリオット/ソシュール/デリダ」p.94)と。舊風に泥む者なら「辨證法」の名を奉りもしようが(フレドリック・ジェイムソン/荒川幾男・今村仁司・飯田年穂譯『弁証法的批評の冒険 マルクス主義と形式』第五章、晶文社、一九八〇年一月、p.227)。兎まれこれにより、謂はゆる「傳統の發明 invention of tradition」の論は歸化英國人エリオットに胚胎し、アルゼンチン人ボルヘスが文學作品の具體例に即しつつその逆説性を高めて再提唱した、と系統づけられよう――いや、或いはこれもまた「創られた傳統」であるのかしれない……。加上説(富永仲基)としての「ボルヘスとその先驅者たち」。
中島義生譯『人間的、あまりに人間的Ⅱ ニーチェ全集6』「第一部 さまざまな意見と箴言」一四七〈ちくま学芸文庫〉一九九四年二月、p.113
歴史を傷めて大きくなる 。――芸術鑑賞家たちの趣味を自分の 軌道へと引き入れてしまう後代の巨匠はすべて、無意識のうちに、前代の巨匠とその作品の取捨選択や新評価をやっている。つまり、そのなかでも自分に 適うもの、血縁的なもの、自分を 予告し、予想させるものこそが、いまや、前代の巨匠とその作品における真に重要な もの と見なされる、――これは、ふつう大きな誤謬 が虫として隠れているひとつの果実である。
ジェラール・ジュネット/和泉涼一譯「文学のユートピア」花輪光監譯『フィギュールⅠ』〈叢書 記号学的実践〉書肆風の薔薇、一九九一年六月、p.155。より初出に近い異文と思はれるのは、G・ジュネット/倉沢充夫譯「ボルヘスの批評」牛島信明・鼓直・土岐恒二・鈴木宏編集『même/borges』〔季刊même第二號、一九七五・夏〕エディシオン エパーヴ、一九七五年七月(これは底本を記してないが、これを擧げたジュネット邦譯リストで原書誌を副へたものがある。花輪光「監訳者あとがき」ジュネット『フィギュールⅡ』〈叢書 記号学的実践〉書肆風の薔薇、一九八九年四月、p.347參照)。ジュネットの批評文が文學理論で謂ふ所の間テクスト性につながるのは容易に看て取れよう。分類魔であるジュネット自身は「超テクスト性 transtextualité」その他の造語で呼び換へてゆくけれど(和泉涼一譯『パランプセスト 第二次の文学』〈叢書 記号学的実践〉水声社、一九九五年八月)。
間テクスト性とは、從來の引用・典故・源泉・材源・影響關係等をカッコよく言ひ換へただけの代物でなく、クロノロジカル(年代記的)な順序を解體する概念としてこそ意義がある(土田知則『間テクスト性の戦略』〈NATSUME哲学の学校〉夏目書房、二〇〇〇年五月、pp.63-66・105-116)。讀解におけるアナクロニズムもそこに關はり、共時態と言ふものは現時點での時間軸の横斷面であるに盡きずその輪切りに幾分か過去をも含む厚みが入り込んでくることが考慮されよう(Cf.立川健二『《力》の思想家ソシュール』第2部、〈叢書 記号学的実践〉書肆風の薔薇、一九八六年十二月)。これを讀書心理上の記憶の錯覺と言ってしまへばそれまでだが、デジャ・ヴュ(既視感)ならぬデジャ・リュ(既讀感)なる語が既に存し(神崎繁『プラトンと反遠近法』新書館、一九九九年二月、p.22・184・215。仝「Déjà lu(既読感)」青土社『現代思想』一九九九年九月號卷末〈研究手帖〉。仝「私の「
「ニーチェ後一〇〇年を経て、[……]生や若さといった名辞を用いる健康論によって歴史学を抑え込もうとする試みも、もはや反時代的でないどころか、全く時代遅れになっている」(ノルベルト・ボルツ/村上淳一譯『世界コミュニケーション』「Ⅲ 歴史の
時代(Zeit=時間)の不適性(Unangemessenheit)、それは一般には專ら現代といふ特權的なこの時代との
「先」の語史について詳しくは、勝俣鎭夫「バック トゥ ザ フューチュアー――過去と向き合うということ――」日本歴史学会『日本歴史』二〇〇七年一月號「新年特集号 日本史のことば」吉川弘文館→『中世社会の基層をさぐる』山川出版社、二〇一一年九月、參照。サキといふ言葉の未來を示す用法は十六世紀以降に見られる新しい派生語意であり、元々中世までは時間上で過去を指す語だったことが考證されてゐる。よって、有名な土一揆の史料である柳生徳政碑文「
また言語學の阿部宏は次のやうに整理する。「空間概念の時間化について、主体は不動でその前を各事件が川の流れのようにつぎつぎに流れ去っていくイメージ(事件移動)でとらえられる場合と、主体が時間という一本道を自ら前へ前へと進んでいくイメージ(主体移動)でとらえられる場合と、主として二つの概念化がおこることが一般的に指摘されている。」
やはり空間概念が時間化された「さき」にも、以下のように過去と未来の正反対の用法が存在する。「さき」の場合は、「先端」→「空間的な前方」→「時間」であるが、事件移動のイメージでは、すでに流れ去って流れの前方にあるのが「さき(=過去)」で、主体移動のイメージでは、主体の前方の地点が「さき(=未来)」ということになり、「あと」とはちょうど対称的な関係になる。
「
「比較文法を批判してソシュールが考えたこと」岩波書店『思想』二〇〇七年第一一號「ソシュール生誕一五〇年」p.60さき (=過去)にお話しした件ですが……」/「それは、まださき (=未来)のことだ」
ジュネットも言ふ、「
斯くて文學技法上「過去混入」は「
兎もあれ時間轉移にしろ轉生にしろ神話にしろ自然主義リアリズム文學から懸け離れた空想設定であり、さうまでしないと過去混入は容易に實效が擧がらないやうだ。「こういう発明[=H・G・ウェルズ『タイム・マシン』]のおかげで登場人物は、一時的にか否かはともかく、自己の物語世界を離れ、他の物語世界に入り込むことができるのだ」(『パランプセスト』第六十二章p.524)。しかしまた――「タイム・トラヴェルをするためには、なにもタイム・マシンという機械やもっともらしい設定を与える必要はまったくない。われわれが手にする「書物」あるいは「小説」がそれだけで立派にタイム・マシンの装置であるかぎり」……(若島正「タイム・マシン文学史 第3回 失われた町」ポーラ文化研究所『is』No.65、季刊一九九四年九月、p.53。收録書『乱視読者の新冒険』研究社、二〇〇四年十二月ではこの文句は削除、代りに「第Ⅲ部 タイム・マシン文学史」扉裏に同趣旨の文あり)。殊に古書舊籍であればそれだけで過去を運んで來たタイム・カプセルではあり、記録裝置であると共に裝置そのものが記念物であり、歴史學的
第Ⅱ部「第3章|分身たち――第二部」中「4 復讐からの救済」參照。これは同書第Ⅰ部第1章3で「『反時代的考察』という標題に籠められた「
なほ、ニーチェの「反時代性」を「アナクロニスム」論につなげるものに、ジョルジュ・ディディ゠ユベルマン『残存するイメージ アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』(竹内孝宏・水野千依譯、人文書院、二〇〇五年十二月、pp.36-37・178-179・338)があり、「生成の可塑性と歴史のなかの断層」の章で『反時代的考察』第二篇も扱ってゐた。反時代性そのものは觸れる程度だが、歴史のアナクロニズム化といふ著者の持論が窺へる所は興味あるもの。
文獻學と歴史學とは對象も方法も重なるし(例へば、中島文雄『英語学とは何か』「3 フィロロギーと歴史」〈講談社学術文庫〉一九九一年五月、を看よ)、事實ニーチェにあっても併稱されるが(『道徳の系譜學によせて』「序」三及び第一論文註、前掲ちくま学芸文庫版全集11p.363・418)、しかしながら對立させられるものでもあることは留意しなくてはなるまい。この對立項にはニーチェ
ここですでに疑問が起こって来る、それはそのようで
「Ⅷ 「われら文献学者」をめぐる考察のための諸思想および諸草案」(182)前掲『哲学者の書 ニーチェ全集3』p.563=NF-1875, 5[64]なければならなかったのだろうか ? という疑問がである。どうしてそれがそのようになったのかということを聴き取るために、漸次、彼は歴史を必要として来る。しかして、そのようにすることによって、彼は、それがまた別様にもなり得るものであることを、学ぶのである。[……]ところで、それが如何に全く別様になり得るかということを示すためには、例えば、ひとは、ギリシア人たちを示せばいいのである。どうしてそうなったのか ということを示すためには、ローマ人たちが必要なのである。
ニーチェの場合も、キリスト教時代でなく、近代新人文主義(殊にドイツのギムナジウム教育)に範と仰がれてきた古典期ヘレニズムでもない、さういふ自らの現代との異質性に着目しての時代選擇と見ると、斷層や不連續を認められる差異ある過去の歴史であれば特定の時代に限らなくてよいのでないかとも思ふ。「古典」を冠さない近代的な文獻學(や歴史學)の不信心な立場だと、さうなる。「古典古代も一つの任意な古代になり果ててもはや古典的にも模範的にも作用してゐない」(「教育者としてのショーペンハウアー」八、前掲『反時代的考察 ニーチェ全集4』p.346相當)。それなら、歴史といふ時間ではなく空間上の他者によって、ヘテロトピア(異在郷)を以てする異化作用、つまり文化人類學が盛んにやった風な自文化の相對化でもいいのかといふことも疑問になるが……アナクロニズムの覺え書きでanachorism(土地錯誤)まで論ずるのは正しく「場違ひ」もいいところだらう、棚上げにしておく。御關心の向きは、「人類学と歴史学との認識論的な同型性」から「異文化としての過去」論へと轉ずる佐藤健二『歴史社会学の作法 戦後社会科学批判』「第1章 社会学における歴史性の構築」(〈現代社会学選書〉岩波書店、二〇〇一年八月)にでも就かれたい。實際二十世紀後半はむしろ文化人類學の隆盛に主導されさへしたことは、歴史の文化人類學化によって前向きでも後向きでもない「正面向き」な見方でその時代を認識しようとした村上陽一郎の
なほ、レーヴィットの「ブルクハルト對ニーチェ」といふ問題設定については實證以前の豫斷に過ぎないと言ふ批判もあるものの(浅井真男「ブルクハルトとニーチェ」『史境』第一號「特集 新たな歴史理論を求めて」、歴史人類学会(筑波大學)、一九八〇年九月)、齋藤忍隨を併讀するとやはり兩者の相違における對比は有意義に思はれる。「ニーチェとブルクハルトとの関係はすでにおおくの研究者によってあまりにもしばしば語られた問題であるが、」「つねにニーチェの歴史にたいする否定的面が浮き彫りにされることにならざるをえない。けれども実は、ニーチェの歴史にたいする肯定的面を明らかにすることは、かれとブルクハルトとの関係においてばかりでなく、歴史思想史・精神史・歴史意識の研究にとっても、また歴史にたいする人間の本来的なあり方を認識するためにも、もっとはるかに大きな意味を持つように思われる」(仲手川良雄『ブルクハルト史学と現代』「第六章 歴史的偉大さ」註(9)、創文社、一九七七年一月、pp.313-314)。ドイツ語で‚Burckhardt und Nietzsche‘乃至‚Nietzsche und Burckhardt‘を題名に持つ研究書にエドガー・ザーリン著(一九三八年→一九四八年増補版、一九五九年)やアルフレート・フォン・マルティン著(一九四一年→一九四七年四版)や毎熊(前野)佳彦著(一九八四年→一九八五年)等もあるが日本語版無くて讀めない。
以下など看よ。「すなはち本質と結果[Folgen=結末、結論]が同一化される、すなはち或る換喩である。」「すなはち、結果[Wirkungen=效果、影響]が原因と見なされる」……前掲『哲学者の書 ニーチェ全集3』所收「哲学者に関する著作のための準備草案」中「一 一八七二年秋および冬から」p.321相當=NF-1872, 19[242](Cf.須藤訓任『ニーチェの歴史思想』補論1註(5)*3前掲p.307所引=19[204]、『哲学者の書』同前pp.308-311=19[209]/[210])。「つまり結果であるものを原因ととることによって」……「原因と結果をとりちがえる」……『人間的、あまりに人間的な 初卷』三九、六〇八(池尾健一譯、ちくま学芸文庫版全集5p.75・466。結果=Wirkungは浅井真男譯で「作用」とも――『ニーチェ全集 第六巻(第Ⅰ期) 人間的な、あまりに人間的な 自由なる精神のための書(上)』白水社、一九八〇年五月、p.68)。同じくUrsache und Wirkungを主題とする『曙光』一二一、『悦ばしき知識』一一二、一二七。遺篇集『權力への意志』五一五番「理性における
かうしたニーチェによる因果性批判を、柄谷行人は「遠近法的倒錯」といふ呼び名で弘めたものだ。早くは「マルクスの系譜学――予備的考察」(筑摩書房『展望』一九七七年十月號、p.22)に「マルクスはここで歴史における目的論をたんに否定するかわりに、そういう遠近法的倒錯(ニーチェ)がいかに生じるかを示している」と見え、ニーチェの言として持ち出されたこの語で目的論を指すのは「マルクスその可能性の中心」第六章4(初出一九七四年→改稿『マルクスその可能性の中心』講談社、一九七八年一月→〈講談社文庫〉一九八五年七月、p.114・118)でも同樣であり、それが『日本近代文学の起源』「Ⅰ 風景の発見」(初出一九七八年七月→初刊一九八〇年八月→〈講談社文芸文庫〉一九八八年六月、p.45)では「認識論的な構図そのもの」の稱とまでされたが、『内省と遡行』の標題論文「序説」(初出一九八〇年一月→一九八五年初刊→〈講談社学術文庫〉一九八八年四月、p.11)に至って「ニーチェのいう「結果を原因とみなす」遠近法的倒錯」といふ風に特に因果顛倒のこととして述べられ、『探究Ⅱ』第二部「第九章 超越論的動機」(一九八九年六月初刊→〈講談社学術文庫〉一九九四年四月、pp.220-221)では「系譜学的であることは、結果であるものを原因とみなす「認識の遠近法的倒錯」をえぐり出すこと」と説かれる。また「そのことを最初にいったのは、[……]スピノザである」として、『エチカ』からの引用を掲げてゐる(同前pp.225-226、cf.第二部第八章p.203)。ところでしかし、引用符で括られてゐるが「遠近法的倒錯」といふそのものズバリの言葉はニーチェに見當らない。「結果の代りに由來。なんといふ遠近法の反轉!」(『善惡の彼岸』三二、ちくま学芸文庫版全集11p.68相當)といふ箇所で、どうだ? だが、この‚Umkehrung der Perspektive‘を遠近法的な倒錯と譯した邦文があったのかどうか、あっても果して適譯か。第一これは「結果を原因とみなす」のでなく逆、由來(Herkunft)を結果(Folgen)の代替にしてゐる。ニーチェ全集を繙くと、結果を原因と見做す遡及方向の逆轉でなく原因を結果と捉へる向きの誤謬を論じた箇所も散見する。例へば『道徳の系譜學によせて』第一論文「一三」、「同じ出来事を一度まず原因と見なし、次にもう一度それをその結果と見なす」(ちくま学芸文庫版全集11p.405)。また、「年代記的逆転」のため「原因があとになって結果として意識される」ことを述べ、さうした誤認を「文献学の欠如」と名づけた遺稿……尤もその斷章中では「結果がおこってしまったあとで、原因が空想される」とも説き、何やら循環端無きが如しであるが(『權力への意志』四七九、原佑譯『権力への意志 下 ニーチェ全集13』ちくま学芸文庫版pp.23-25.=NF-1888, 15[90])。柄谷の引例にあるスピノザも「目的論は、実は原因であるものを結果と見なし、反対に〈結果であるものを原因〉と見なす」(工藤喜作・斎藤博譯『エティカ』第一部「付録」、下村寅太郎責任編輯『世界の名著 25 スピノザ ライプニッツ』中央公論社、一九六九年八月→『スピノザ ライプニッツ 世界の名著30』〈中公バックス〉一九八〇年九月、p.120。〈 〉内はオランダ語譯遺稿集から補はれた箇所)と雙方向で論じてゐた。それにニーチェの場合、原因・結果といふ單語でなく「意圖」や「目的」といふ概念を俎上に載せた所が多いかも。といふことで、批評用語で常套となった「遠近法的倒錯」といふ成句、特にその意味を結果を原因に代入する方向に限るのは、ニーチェでなくそれを發想源とした柄谷行人の創意に歸する方が良ささうだ。實際
三島憲一「初期ニーチェの学問批判について――ニーチェと古典文献学」氷上英廣編『ニーチェとその周辺』朝日出版社、一九七二年五月→三島憲一『ニーチェとその影 芸術と批判のあいだ』未来社、一九九〇年三月→増補『ニーチェとその影』〈講談社学術文庫〉一九九七年九月、p.20。曰く、「しかし、何か不動なもの、時間の流れにかかわらず確固として不動なものによって自己を測るというだけでは、なにほどのこともなかろう。[……]偉大な過去によって現在を理解し、未来の指針を探ろうとするのは、ごく自然なことであろう。というよりも、正確にはまさにそれが市民社会における文化的正統性の追求にいわばつきものの営みであった」。むしろさういふ正統性を懷疑したのがニーチェであり、なぜなら規準となる過去といふのも現在から理解した像に過ぎないからで……と三島は讀んだ。誤解ではないものの、的を逸れてないか。問題となる文獻學的アンチノミーの文の流れは逆であった。三島譯ではかうだ、「事実問題として人は古代をいつも現代からのみ理解して来たのである。――そして今度は古代から現代を理解しろというのだろうか」(同前p.19所引)。語調は變へられたが、まづ現代からの理解を前提に擧げそれに對し古代からの理解を要請するといふ順序は搖るがない。ムザリオン版でなくグロイター版全集を底本とする別譯でも同樣、「実際は、つねにただ
なほ、ニーチェ前後のドイツにおける文獻學については西尾幹二『ニーチェ 第二部』(中央公論社、一九七七年六月→〈ちくま学芸文庫〉二〇〇一年五月)も調べてゐるが、むしろそこで擧げられ斎藤忍随も依據してゐたヴェルナー・イェーガー「文獻學と歴史學」に食指が動く。
ハンス=ゲオルク・ガダマー/轡田収・巻田悦郎譯『真理と方法 Ⅱ 哲学的解釈学の要綱』第二部第Ⅱ章第1節「d 作用史の原理」〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、二〇〇八年三月、pp.479-480。解釋學派からは異論もあらうが、その正典『真理と方法 哲学的解釈学の要綱』(轡田収ほか譯、〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、Ⅰ・一九八六年八月〜Ⅲ・二〇一二年十一月)に
かれは真理判断の試金石を外部に求めずに、歴史の連続性を聖別し、アクチュアルな伝統を聖化する[H・G・ガダマーの謂はゆる「作用史」(Wirkungsgeschichte=影響史)はWirklichkeit(=英actuality、現實性)に聯關させて導入された概念]。だがこのやり方では歴史は狭い閉鎖的体系になり、ヘーゲルの金言「現実的なものは理性的である」と同様に、見失われた原因や実現されなかった可能性を閉め出してしまう。成功のストーリーとしての歴史――ブルクハルトだったら現代の解釈学の基礎にあるこれらの命題を、決して承認しなかったであろう。
平井正譯『歴史 永遠のユダヤ人の鏡像』「8 前室」せりか書房、一九七七年九月、p.264
これは、歴史主義問題とその從來の解決案を檢討した中での評である。ハーバーマスとの論爭でガダマーの保守主義イデオロギーが取沙汰された(『真理と方法 Ⅲ』「第三版あとがき(一九七二年)」p.923以下)のと類似して見えようが、問はれてゐるのは政治的革新性をどこまで容れ得るかより歴史的認識論として非正統性を認知可能かだ。クラカウアー自身は、檢討した超越論的ならびに内在論的解決(ガダマーも後者)のいづれとも異なる命題に移行すると告げ、兩解決法は二者擇一でなく竝存に代るべきなのだと言ふ。
わたしの命題の立場から見ると、哲学的真理は二重の様相を持っている。超時間的なものは時間性の痕跡を免れ得ず、時間的なものは超時間的なものを完全には包摂しない。われわれはむしろ真理のこの両様相が並行して存在し、わたしが理論的には定義できないと考えるようなやり方で、相互に関係づけられていると仮定する他はない。それに近い類例は量子物理学の「相補性問題」に見いだし得るであろう。
同前p.266
理論で定義できないやり方と言ひ、「「
佐藤信夫企劃・構成/佐々木健一監修『レトリック事典』「1‑7‑1‑2 《交差呼応》」(大修館書店、二〇〇六年十一月、p.106)參照。これは形式上から見た場合の分類で、内容から見ると意味論上の矛盾を利用した
技法と別に文法から使用語彙を分析すれば、ギルバート・ライル『心の概念』(坂本百大・井上治子・服部裕幸譯、みすず書房、一九八七年十一月、第五章「5 達成」及び第八章「7 記憶」)に倣って、「想起する/想ひ出す remember」は達成動詞(到達動詞 achievement verbs)、「想像する/想ひ描く imagine」は仕事動詞(從事動詞 task verbs)として對比する手がある。仕事動詞がただ遂行自體を表はし成否を問はぬのに對して達成動詞はその行爲の結果・成果までを含意するもの、從って、心内だけに終始してもよい「想像する」と違ひ「想起する」は心の動きが志向先に首尾良く到達してゐなくてはならない。實際「Aを想起したが、想起が外れた」とは言へまい、それは想起になってないと言ふべきだらう。想起對象Aが現實に存在しなくては想起の成立條件が滿たされない、想起される目的語(object=對象)の
なほ、このネイミアの逆理をイギリス史研究者近藤和彦は「過去に想像力をはたらかせ、未来を忘れない(imagine the past and remenber the future)」と譯してをり(近藤著『文明の表象 英国』「序」山川出版社、一九九八年六月、p.24所引)、日本語としてはこの「忘れない」の方が自然らしく見えるかも。これを含む節は「2 過去を想像し、未来を忘れない」と題されてもゐる。但し、そこに附された註38には「カーの引用するネイミアの言」とあって、原文脈を見ない孫引きのやうである。しかもその引用の前後や、同書「結」での「わたしたちはヴァレリとともに、「後ずさりしながら未来に入ってゆく」」(p.232)と述べる邊りを見ても、この辭句をE・H・カーに寄り添ってあまりに前向きな未來志向に解してゐる。「ネイミアの生涯と歴史学 デラシネのイギリス史」(近藤ほか編『歴史と社会 11 英国をみる 歴史と社会』リブロポート、一九九一年一月)にてその業績を保守主義の歴史研究と結論した近藤にして、ネイミアを進歩主義紛ひにしてしまって怪しまぬとは――それほどにも前進偏向のしがらみは脱し難いのか。自體ネイミアとしては、問題の一句を「じつは、歴史を論じたり書いたりしているとき、人はみずからの経験に照らして歴史を想像しているのであり、未来を推測しようとしているときには、過去のなかから思いついたアナロジーを引きだしているのである」(前掲ケニヨン著邦譯p.355所引)との説明附きで述べ、常識の語法通りに「過去を想起して未來を想像する」ことですら滿足にできない人びとの知的限界に對して苦澁を滲ませた文章であった。「ネイミアはこの過程を深い絶望感を抱きつつみつめていた」(同前)。
ここに原注312が附されてゐるが、311と參照指示の宛先が入れ違ってゐるやうだ。即ち312で「『反時代的考察』、第三篇「教育者としてのショーペンハウアー」、三、四」を指示するが(ちくま学芸文庫版全集4p.265以下の邊りか)、311が仝「第二篇「生に対する歴史の利害について」、緒言」を擧げてゐ、註が附いた箇所の本文内容と適合させるには入れ替へねばならない。先行の足立和浩譯『ニーチェと哲学』(国文社、一九七四年八月)も見るに、同書p.160に附された第三章原註(90)に該當するが、やはり(89)と指示内容が前後してゐる。すると典據錯誤は原書からか(Nietzsche et La Philosophie, PUF, 1962, p. 122.)。しかし邦譯者二人とも當然ニーチェ全集との照合くらゐしたらうに、なぜ糾謬の註記もせず間違ひのまま引き寫してあるのやら解せない。兎まれ出典同定は『反時代的考察』第二篇緒言末文で確定にしても、その引用にあたっての前説では「反時代的で非現働的」と二語併記であり、原文は« intempestifs et inactuels »、大同小異の語句を疊み重ねて近似値的な
なほ、「權力への意志」とニーチェが言ふその權力(乃至は力、ドイツ語でMacht)を河出文庫版『ニーチェと哲学』で「力能」と譯すが、フランス語puissanceに哲學用語で可能態(潛勢態とも)の意味があるのを含ませたと見える。さういふ態、
嚴密にはドゥルーズの
田村俶譯『監獄の誕生 監視と処罰』(新潮社、一九七七年九月)p.35相當だが、誤解の餘地があるので譯文を私に改めた。これについては二〇〇四年にprospero氏のサイト『STUDIA HUMANITATIS』の掲示板である「口舌の徒のために」でフランス語原文からその譯し方まで大いに教示を受けた。一往、流布本である田村譯を抄出しておく。
こうした[……]監獄についての、私は歴史を書きあげたいと思うのだ。それはまったくの時代錯誤によって、であろうか。私の意図を、現在の時代との関連での過去の歴史の執筆であると理解する人には、そうではない。だが、現在の時代の歴史の執筆であると受けとる人には、そうなのである。
一番の變更點として、邦譯書で「私の意図を」とされた箇所は原文(佛文原書p.35)に無い補ひで、« par là »=英譯‘by that’(それによって)が指す所をさう取ったらしいが、それは直前に先行する語« un pur anachronisme »を指示すると讀んだ。作者の意圖よりアナクロニズムと言ふ言葉の意味が問題になる(蔑稱の否認から是認の自稱へ)。同じ讀みは、田崎英明『ジェンダー/セクシュアリティ』Ⅱ「第1章 個体化と
私がやりたい歴史というのは,この監獄,その閉ざされた建築物のうちにそれがかき集めた,身体に対する政治的備給の一切を含めたこの監獄についてなのである.ある純粋なアナクロニズム〔時代錯誤〕によって〔この歴史を書こうというの〕であろうか.もしも,〔アナクロニズムという〕この語によって,過去の歴史を現在の用語によって書き上げることと理解するのなら,否である.〔しかし,〕この語を現在の歴史を書く = 作ることと解するなら,然り〔と答えよう〕.
やはり原典には無い「この語」といふ代入がなされた上に、小煩いほど補填された龜甲括弧〔 〕がここの解讀しにくさを自づから示してゐる。「ある純粋な」の原語は« un pur »、pur(e)は名詞に前置されると「全くの、單なる、純然たる」といった意味で名稱の適切性の度合ひを表はす法形容詞(法=modal、敍法、樣相)となるさうだが(山本大地「フランス語の法形容詞purについて」川口順二編『フランス語学の最前線3』ひつじ書房、二〇一五年五月)、逐語譯されて不協和音が際立つ。「現在の用語によって」とあるのは、英語成句‘in terms of...’(〜に關して、〜の點から)に通ずるらしい原句« dans les termes du... »のtermeを單語通りの語義にした譯。「書く=作る」は英語でmakeにもdoにも當る原語faireの多義性を一語に約しかねた苦心の跡を見せる。
原文ではNonとOuiと(諾か否か)の後にそれぞれ« si on entend par là faire l'histoire du... »を繰り返してゐるので、直譯式に「もし人がそれによって〜の歴史を書くことと解するのならば」と私譯しておいたのだが、日本語として自然にするには不定代名詞onによる主語を省いた上で「もしそれで〜の歴史をやると解されるなら」と受け身形に飜譯するか、いっそ「それが〜の歴史といふ意味だったら」とでも意譯した方がこなれた譯文になるのかしれない。フランス語に無學なため請け合ひかねる。
この『監獄の誕生』初章結尾に着目してヒューバート・L・ドレイファス+ポール・ラビノウ『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』第五章「2 現在というものの歴史と解釈的分析論」(北尻祥晃譯、筑摩書房、一九九六年七月、p.174以下)は「デルフォイ風の宣言のなかである重要な区別を行なっている」云々と論じ、それを柳内隆は「ドレイファスとラビノウは、フーコーの歴史学について、過去を目的として、それを現在という手段で描くのではなく、現在を目的として、過去という手段でそれを描いた、とする」と要約した(『フーコーの思想』ナカニシヤ出版、二〇〇一年十月、第2章4p.62。但しフーコーの出典として註(42)で『監獄の誕生』でなく誤って『性の歴史Ⅰ 知への意志』原書名を擧げる)。解りやすい對句仕立て(倒置反復)のパラフレーズだが、「現在を目的」は訝しい。ドレイファスとラビノウの共著には「現在中心主義のもう一つの側面は目的原因論と呼ぶことができるかもしれない」とあって「あらゆるものが歴史が到達するであろう最終ゴールの方から位置づけられている」のは「避けるべき悪癖」だと難じてゐた(p.175)のに、到達點である現在を目的因に据ゑてしまっては、「彼は、現在の関心、制度、政治を遡って歴史のなかに、他の時代のなかに読み込むわけではない」(p.174)とフーコーを評した箇所と牴牾しないか。しかし他方でドレイファスとラビノウは「彼がこのような話題を選んだのは、彼の現在の関心からであり」(p.176)とも述べ、「環境、家族、監獄といった現代的な関心事が、過去を新しい方法で問うためのよい刺激となりうるだろう」(p.175)と問題史風なアプローチを慫慂する如くであったから、「現在の関心」から發してもそれが必ずしも「目的」(英end、佛fins=終り)にはならなくて、「現在を關心(事)として過去といふ手段でそれを考察した」とか言ひ直せば良いのだらうか(「それ」=現代、ではなく、=關心?)。
フーコーが目論んだ「現在の歴史 l'histoire du présent」(現在についての歴史、現在といふものの歴史)に關し、一説として、次の示唆的なコメントを引いておく。
その他、例えば「現在の歴史」l'histoire au présentという言い方がおそらくドイツ語で「歴史」を意味するGeschichteをフランス語に訳したものであるだろうことを指摘しておいてもよい。ドイツ語において「歴史」は、「物語」histoireとではなくむしろ或る「様相」「構造」的現前と結びつくのである。
ジル・ドゥルーズ「ペリクレスとヴェルディ フランソワ・シャトレの哲学」に邦譯者・丹生谷貴志が副へた「解題」の一段である(宇野邦一編『ドゥルーズ横断』河出書房新社、一九九四年九月、p.26)。現在=présentとは現前すること(présence)なり。ただ、そこで「現在の歴史」と言ふのはフーコーでなくシャトレの言葉であるし、「現在」と「歴史」を繋ぐ助詞が日本語では「の」と飜譯されるもののフランス語原文では縮約冠詞du(≒英of the, from the)とau(≒英at the, in the)とで異なるからそのまま當て嵌められない懼れもあるが語學力無きゆゑ佛文のニュアンスは判らず、しかしながら既に「フーコー、現在の歴史家 Historien du présent」(1988)と呼んだことのあるドゥルーズであってみれば間テクスト的な共鳴は認められさうであり……參考までに。なほ、右引用段落の直後に丹生谷が併讀を奬めてゐるルイ・アルチュセール(聞き手フェルナンダ・ナバロ)『不確定な唯物論のために 哲学とマルクス主義についての対話』を見ると、Geschichteを擧げて「このことばは、燃え尽きてしまった歴史ではなく、
ジル・ドゥルーズは「装置とは何か」(財津理譯。宇野邦一監修『狂人の二つの体制 1983-1995』河出書房新社、二〇〇四年六月、所收)と題するフーコー論(一九八八年初出「フーコー、現在の歴史家」の改題)で、そのアクチュアリティーを頻りに強調してゐる。
わたしたちは、いくつかの装置に属しており、それらのなかで活動する。ひとつの装置が以前の諸装置に比べて新しいとき、わたしたちは、その新しさを、その装置のアクチュアリティー、わたしたちのアクチュアリティーと呼ぶ。新しいもの、それはアクチュアルなものである。アクチュアルなものは、わたしたちがいまそうであるところのものではなく、わたしたちが何かに生成するときのその何かであり、わたしたちがそれへと生成するただ中にあるところのそのそれであり、すなわち《
「装置とは何か」p.229(傍線部は原文傍點ゴマルビ)他なる 》ものであり、わたしたちの〈他に‐生成すること〉である。わたしたちがいまそうであるもの(わたしたちがもはやすでにそうあるのではないもの)と、わたしたちがそれへと生成するただ中にあるところのそのそれとを、あらゆる装置において区別しなければならない――歴史の持ち分とアクチュアルなものの持ち分とをである。歴史とは、アルシーヴであり、わたしたちがいまそうであるところのものの素描であり、かつわたしたちがそうであるのをやめるところのものの素描である。他方、アクチュアルなものとは、わたしたちがそれへと生成するところのそのそれの兆しである。したがって、歴史あるいはアルシーヴは、わたしたちをさらにわたしたち自身から分かつものであるが、アクチュアルなものは、わたしたちがすでに合致しているそうした《他なる》ものなのである。
この動的對立圖式に從へば、「フーコーによって記述されたもろもろの
どの装置においても、わたしたちは、もっとも近い過去[passé récent]のもろもろの線と近未来[futur proche]のもろもろの線を――アルシーヴの持ち分とアクチュアルなものの持ち分を、分析論の持ち分と診断の持ち分を――解きほぐさなければならない。フーコーが偉大な哲学者であるのは、かれが歴史を他のものごとのために利用したからである。ニーチェが言ったように、この時代に逆らって、したがってこの時代に向かい合って、そして来たるべき時代のために活動し、その来たるべき時代をわたしは望むということだ。フーコーの意味でのアクチュアルなものとして、あるいは新しいものとして現れるものは、ニーチェが反時代的なもの、非現代的なものと呼んだものであり、歴史とともに分岐するあの生成であり、他のいくつかの方途を携えて分析に取って代わるあの診断である。それは、予言することではなく、ドアをノックする未知のものに注意を払うということである。
「装置とは何か」pp.230-231(傍線部は原文傍點ゴマルビ)
右文中「反時代的なもの、非現代的なもの」は原語« l'intempestif, l'inactuel »だから、「時ならぬもの、非アクチュアルなもの」と飜譯するも可。『フーコー』刊行後のインタヴューでは「ニーチェが非゠現在とも反時代とも呼んだもの」(「芸術作品としての生」初出一九八六年。宮林寛譯『記号と事件 1972‑1990年の対話』〈河出文庫〉二〇〇七年五月、p.192)であった。フーコーが包藏してゐたイナクチュエルなものが話題になったのも(石田英敬・小林康夫・松浦寿輝鼎談「フーコーからフーコーへ」青土社『現代思想』一九九七年三月號「特集 フーコーからフーコーへ」pp.47-48・57・58・63・65)、これが暗默裡の參照源だったやうで、同じ特輯號が「装置とは何か」邦譯初出でもある。
ここでのドゥルーズは今しもアクチュアルに創成されようとする近接未來(futur proche)へ加勢するあまり、その一方、今しがた
フーコーはおろかデリダと比べてすら歴史學との親和性が薄いドゥルーズ哲學には反歴史的な思考に傾く嫌ひがあらう。現にドゥルーズ論では、檜垣立哉『瞬間と永遠 ドゥルーズの時間論』(岩波書店、二〇一〇年十二月)は「[……]ドゥルーズから、歴史性に関するポジティヴな主張をとりだすことははたして可能だろうか」(「第四章 生成の歴史」p.94)と問うた末「[……]歴史記述と時間性は、それ自身、絡みあったテーマである。しかし、このテーマについて、ある程度以上の踏み込んだ記述をドゥルーズのみに求めるのは無理がある」(同章「結」p.114)と見切り、代りに「きわめてドゥルーズ的な思考装置に近接し、なおかつドゥルーズ以上に断片化した歴史の本性に自覚的であった」(p.114)と評するベンヤミンとフーコーとを次章「第五章 断片の歴史/歴史の断片」に論ずることで歴史論の缺を補ふこととなった。
レーヴィット『ヤーコプ・ブルクハルト』*8前掲ちくま学芸文庫版p.28及び瀧内槇雄「文庫版あとがき」p.547、斎藤忍随「フィロローグ・ニーチェ」pp.55-56、參照。全文邦譯は佐野利勝「ブルクハルト・ニーチェ往復書簡」京都大學分校獨逸語研究室『獨逸文學研究』報告第2號、一九五三年十二月、該當箇所はp.73。ついでだから、クラカウアー『歴史』(前掲p.274)による魅力あるブルクハルト像をも掲げておく。
ブルクハルトはもちろん専門家であったけれども、かれは自分の好みに従うアマチュアのような態度を歴史に対して取っている。かれはただ、自分の内なる専門家が、歴史は科学ではないことを深く確信していたから、そうしたのである。「大ディレッタント」、ブルクハルトはある手紙のなかで自分をそう呼んでいるが、これが歴史を適切に取り扱うことのできる唯一のタイプであるように見えるであろう。専門家がアマチュアのなかから生まれることは知られている。だがここでは一人の専門家が、その特殊な主題のために、アマチュアに留まることを固執している。
この好事家ぶりは好古家と同臭であり、「かれのディレッタンティズムは、古代以来十八世紀まで続き、十九世紀になって消えた古事研究的antiquarianな方法、「オリジナルな記録にたいする好み、にせ物を発く際の手ぎわよさ、証拠を集め分類することの練達さ、そしてとりわけ知識にたいする捉われない愛」(Arnaldo Momigliano, Studies in Historiography, London 1966, p. 27)と一脈相通ずるものをもっており、こういうところに、ブルクハルトの歴史叙述の近代的批判的方法を通過したうえでの「非近代性」を認めることができる」(仲手川良雄『ブルクハルト史学と現代』「第一章 革命時代と大衆」註(149)前掲pp.70-71)。
また、歴史家としてのウェーバーのディレッタント性に注目した犬飼裕一『マックス・ウェーバーにおける歴史科学の展開』(ミネルヴァ書房、二〇〇七年七月)も參考になり、特に第4章「第2節 生に対する歴史の利害」はニーチェとブルクハルトとの對比が主題でもある。惜しむらくはこの一九三六年初刊の『ヤーコプ・ブルクハルト』を原書新版の刊年に據って「一九六六年のレーヴィットの見解」としてしまってゐるし(p.156)、「マルチン・ハイデガーに師事したレーヴィットは「生の哲学」の信奉者の一人として、どちらかといえばニーチェの側に加担している」(p.158)との評は誤斷でむしろ當人は「その第一章が、ブルクハルトの側に付いて行なったニーチェとの対決なのである」(秋間実譯『ナチズムと私の生活 仙台からの告発』〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、一九九〇年十二月、p.224。Cf.p.82)と自傳に述べてゐたし、何よりレーヴィット著にも觸れられたブルクハルトのディレッタンティズム(前掲書p.28・127・319・430)にまでは目配りが利いてなかったのでそこは讀者が補強せねばならないが、レーヴィットによるブルクハルトとニーチェの論じ方に潛む思想史にありがちな缺點への批判(p.159「特定の思想家の「成熟期」の到達点からそれまでの生涯を目的調和的に再構成しようとする」、cf.第2章「第1節 新たな読みの可能性」pp.65-66)なども含め、面白く讀めた。
非專門的なディレッタント傾向が拭ひ難いのは文獻學の性格でもあり、近代における文學・史學・哲學・法學等の母胎であったのにそれぞれが獨立分科した後はその補助學に成り下がった經緯による
ミシェル・フーコー/伊藤晃譯「ニーチェ、系譜学、歴史」(『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅳ 1971‑1973 規範/社会』筑摩書房、一九九九年十一月所收)、及び榎並重行『ニーチェって何? こんなことをいった人だ』前掲p.21・49・51・139・140・196、に據る。フーコー譯文に「émergence 現出」とされたEntstehungを「發生」に改めたのは、それが獨和辞典でも普通の譯語だからに過ぎない(佛語émergerには「創發」と生物學上の譯語を當てた方がまだしも思ひがけぬ新しさを言ふ趣意が傳はらうが、發生を意味する語は系譜(學)=généalogieと同系語源で揃へるとgenèse/獨Genes/英genesisにならうし、發生學embryologieといふ生物學用語は醫學では胎生とも言ってまた別だし……)。フーコーが註記に示した該當箇所を邦譯『ニーチェ全集』と照合した限りでも「現出」といふ語は使用されてないやうだ。『ニーチェって何?』第一章(p.49)は「発生をとらえる系譜学」といふ見出しで一節設けてをり、神崎繁『ニーチェ どうして同情してはいけないのか』中「「起源」をめぐる誤解」の節(〈シリーズ・哲学のエッセンス〉NHK出版、二〇〇二年十月、p.36)でも「発生(Entstehung)」。因みに、Ursprung(起源、根源)とEntstehung(發生、成立)とを對立させる用語法はベンヤミンにも見られ(浅井健二郎譯『ドイツ悲劇の根源 上』「認識批判的序章」〈ちくま学芸文庫〉一九九九年六月、p.60)、とはいへ前者
前後してフーコーは同じくニーチェを讀む中で今度は「発明」Erfindungを「起源」Ursprungと對立する言葉と見てもをり(「ニーチェ講義」慎改康之・藤山真譯『ミシェル・フーコー講義集成1 〈知への意志〉講義 コレージュ・ド・フランス講義 1970─1971年度 付「オイディプスの知」』筑摩書房、二〇一四年三月、p.268。西谷修譯「真理と裁判形態」Ⅰ『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅴ 1974‑1975 権力/処罰』筑摩書房、二〇〇〇年三月、pp.100-102)、暗にエドムント・フッサール『幾何學の起源』(細谷恒夫・木田元譯『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』「付録二 幾何学の起源について」中央公論社、一九七四年四月→〈中公文庫〉一九九五年六月。田島節夫・矢島忠夫・鈴木修一譯/J・デリダ序説『幾何学の起源』青土社、一九七六年四月→二〇一四年九月)へ當てつけたらしいが、要は起源(論)の特權性を無效化したいので、それからずらした語を對置する戰術であった。代って別の一語が特權化されては元の木阿彌、
語の對比が用例から歸納した辨別に基づく點、哲學者のやりがちな自家製
これまたボルヘスに對する
異口同音でヨリ詳しい説明文が一九一〇年ベルリン刊の哲學書に見え、まるで一九四二年初出の「記憶の人フネス」を豫表したかのやうに符合するのが面白いから、引いておく。邦譯書エルンスト・カッシーラー『実体概念と関数概念――認識批判の基本的諸問題の研究――』(山本義隆譯、みすず書房、一九七九年二月)「第一章 概念形成の理論によせて」である。曰く、概念の獲得が「抽象」(Abstraktion=捨象化)に基づき「伝統的論理学では、われわれは特殊から普遍へと上昇する規則にもっぱら従っているのだとすれば」――
精神に概念形成の能力を与えているものは、われわれの精神に備わった〈忘却〉という幸運な才能であり、現実にはつねに存在する個々の事例の差異をそのとおりに捉える能力の欠如だということになる。もしも過去の知覚によって残されている記憶像のすべてがまったく鮮明に規定されているとしたならば、その記憶像がわれわれの消え去った意識内容をすみずみまで具象的にいきいきと思い出させるとしたならば、そのときには、想起された表象が新しく生起した印象と完全に〈同種〉のものと捉えられ、両者がひとつのものに融合されうるというようなことは、およそ不可能であろう。以前の印象全体を完璧に保存するのではなく、ただその漠然とした輪郭を保存するにすぎない再生(Reproduktion)の不確かさによってはじめて、それ自身としては同種でない諸要素をひとつにまとめあげることが可能となっている。というわけで、すべての概念形成は個的な直観を概略的な全体像で置き換え、現実の知覚のかわりにその不完全で漫然とした残存物を置くことから始まる、ということになる。
『実体概念と関数概念』p.21
尤も、前後の文脈はこれの批判で、古典論理學の類概念に固執するとこんな「奇妙な結論」(p.21)が出てしまふと示す歸謬法みたいな部分だから、それに代ってカッシーラーが函數(Funktion=機能)概念・系列概念による現代論理學の革新を引き立ててゆくための踏み臺に過ぎない。「忘却を唯一の頼みとする論理、これが抽象的実体概念の最も悪しき名前となるのである」(中井正一「委員会の論理――一つの草稿として――」9、初出一九三六年→『中井正一全集 1 哲学と美学の接点』美術出版社、一九八一年四月、p.83)。畢竟ボルヘスの報告した超記憶症候群の事例イレネオ・フネスは形式論理學に則った
野暮は承知で言はずもがなの註釋をしておくと、各節の見出しは引喩(暗示引用)である。順に出典は、『アルジャーノンに花束を』『地獄の季節』『遅れてきた国民 ドイツ・ナショナリズムの精神史』『つゆのあとさき』『論語』『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』『歴史家の同時代史的考察について』『プルウスト全集 失はれし時を索めて』『同時代も歴史である 一九七九年問題』『いつまでも前向きに 塵も積もれば…宇宙塵40年史 改訂版』。もぢっただけ、必ずしも内容と關はらず。