しかし讀書する間、なにしろ我々の頭腦は土臺他人の思想の遊び場であるに過ぎぬわけだ。
ショーペンハウエル讀書論
本を讀むとき、よく自家用索引を作る*1。附箋を貼る讀書家は多いがそれと同樣にして、自分の關心に繋がる語句が出て來たら卷頭卷末の餘白や見返しにでも書き出し、後出の箇所も含めページ番號を書き加へながら讀み進める。興味を覺えた事項だけを拾った簡略なメモだから、五十音順等の排列に腐心するまでもない。既に索引の備はった書物だったらそこに人名書名の固有名詞に留まらず件名(Subject=主題)を書き込んでゆけばよく、遺漏あらば追補すべきは勿論ながら、むしろ分散關聯事項(distributed relatives)を集中させるため相互參照*2に意を用ゐる。まづ切片に分割し、然るのち再統合せよ。個々の見出し(圖書館學用語だと、標目 heading)は網細工の結節點であって、それら語彙が前後照應する編み目が讀み取れればしめたもの。インデックスはコンコーダンスに、抽出索引語は意義相通する概念索引に化し、項辭(terminus)の連環から
ヴィンフリート・メニングハウス著『無限の二重化 ロマン主義・ベンヤミン・デリダにおける絶対的自己反省理論』(伊藤秀一譯、〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、一九九二年二月)といふ本を讀むと、そのキイワードの一つである「媒質」が目に止まり、メディア論に關心する者として自家用索引に摘記せずにはゐられない。それは元來ヴァルター・ベンヤミンの初期言語論(一九一六年成立)に發するものだとて、該當箇所が引照されてゐる。
媒質的なもの、これはすべての精神的伝達[Mitteilung]の直接性〔
『無限の二重化』p.46所引(〔 〕内は譯者、[ ]内は筆者補記)非媒介 性 Unmittelbarkeit〕であり、言語論の根本問題である。そしてこの直接性を魔術的と名付けるなら、言語の始源的問題とは言語の魔術である。だが同時に言語の魔術という言葉はもうひとつ別のもの、すなわち無限性を指す。直接性が無限性の原因となる。
メニングハウス附言して曰く、「直接性、無限性、媒質。これだけのものが一致しているということは決して偶然ではありえない」。ここに要語が集中してゐると言ふわけだ―― 一讀 解し難いけども。釋文するに即ちベンヤミンの説く所、言語とは言語によって何か内容を傳へるといふより言語形式において自己自身を傳達するものであるからして、媒介でありながら直接的(=非媒介的)であるといふ二重性を持つ。その自己自身である直接性を
「媒質的なもの」と若きベンヤミンが記した一句は、邦譯書では「
メニングハウス『無限の二重化』は、このベンヤミンのロマン主義論について再考した解説にもなってゐる。原著は一九八七年刊の教授資格申請論文とかで、フランス發で世界を席捲したポスト構造主義に引き寄せてドイツ傳家のロマン主義思想を再評價する流れに棹さす(その方面の概觀として、今泉文子「鏡とモデルネ――初期ロマン派からの美的転回」『ノヴァーリスの彼方へ ロマン主義と現代』勁草書房、二〇〇二年一月)。概容は、伊藤秀一「訳者あとがき」に要述がある。
図式的な単純化を好む人々には、本書の理論装置をおそらく次のように説明すると納得されるだろう。すなわち、理論形成の出発点となるのはベンヤミンの博士論文『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』であり、そこに含まれる初期言語論と密接に結びついた絶対的反省理論とデリダの差延作用の理論を初期ロマン主義の表出理論において関係づけることによって、初期ロマン主義詩学の現働化をはかるものだ、と。
『無限の二重化』p.325
同書中、上述した能動性/受動性のことは、『ドイツ・ロマン主義における藝術批評の概念』の「第一部 反省」中「Ⅳ 初期ロマン主義の自然認識の理論」を檢討した節「自然対象の反省」に論じられてゐる。哲學的で晦澁だが。
[……]それ自身同時に思惟受動〔考えられること〕でないような思惟や、思惟でない思惟受動は存在しない。認識者と認識されるものとの間の相互行為についてのこのような考えは、すでにフィヒテの相互能動受動理論のなかにある。そこにおいて「受動」とは決して単なる自己能動性の欠如ではなく、単に異なった方向を向いた能動と呼ばれるのだ。ノヴァーリスはこの理論をかなり自家薬籠中のものにしており、次のように言う。「単なる受動、単なる能動とは抽象的状態である。すべてはそれが能動的である限りにおいて受動するのである。そして逆もまた真である」(N2, 296)。認識者の「自己能動性」は同時に認識対象に対する「感受性〔Empfänglichkeit〕」であり、認識対象の受動的「知覚可能性」は同時に認識者への能動的な「注目喚起〔Aufmercksamkeit[cが衍字、Aufmerksamkeit=注意深さ]〕」(N2, 238)である。この関係をベンヤミンは、通常の相互行為という意味ではなく、「客体の自己認識のなかにすべての客体認識が制限されていること」(I 55[浅井譯p.107該當])という特殊な意味で解釈している。すなわち、自己能動的で自己思惟的な客体の定理を、
『無限の二重化』「Ⅱ ヴァルター・ベンヤミンによるロマン主義反省理論の叙述」p.69自己自身 を思惟する客体という意味で解釈しているのである。
幾分かなりとも解し易く言ひ換へてみよう。これは、認識對象が認識者に認識されるとは認識者が認識對象を認識することだ、といった受動文⇔能動文の構文變換の
他動詞的な作用より自動詞のやうなあり方が強調され、それでこそ自己認識は自己反省だといふことになる。そして、さうした知覺のあり方を組織するものが媒質であるわけだ。媒質は言語學から言へば中動態であり、「ドイツ語ではいわゆる再帰用法として他動詞が再帰代名詞sichとともに用いられるあり方がおおよそそれに相当している」(前掲細見和之著p.22)。再歸=Reflexivが反省(反射・反照・反映)とも譯せる語なること、固より織り込み濟みだらう。再歸的な中動態reflexive Medium、別言すれば、反省媒質Reflexionsmedium。
ロマン主義的反省概念を理解するためには、「私は私を(鏡で)見る」といった命題から出発するのは非常に不利である。なぜならそこにはつねに、出発点となる「私」と追補的に映し出された「私」という二つのものが、時間的・論理的な「前・後」という秩序を持った実定的な極として介在するからである。むしろここでは、ドイツ語やフランス語の再帰動詞で自動詞的な意味作用をするものを考えてみたほうがよい。そういった場合、主語と再帰代名詞に分裂したものが、それぞれ先行的・追補的に作用・被作用の関係にある(たとえば「私が私を〜」といったように)わけではなく、むしろ作用それ自体が作用点と同根源的に(いつもすでに)生起してしまっていると考えた方が自然である。
伊藤秀一「訳者あとがき」『無限の二重化』p.329
具體例を出すと、「「伝達する(mitteilen)」という動詞は再帰代名詞sichとともに用いられると、通常は「自らを伝える」ではなく「伝わる」という自動詞的な意味をもっている」(前掲細見和之著p.22)。ベンヤミンが初期言語論中に頻りと繰り返す「自己を傳達する」とはこれである。受け身形の「る・らる」が自發の意となるが如し(中井秀明「ベンヤミンの中動態、ヘイドン・ホワイトの誤解」『翻訳論その他』2011-07-28も見よ。また、森田團『ベンヤミン 媒質の哲学』第三章「第四節 媒質概念と中動態」水声社、二〇一一年三月)。
ベンヤミン(ら)は我々人間のみならず萬物總體が自己認識を有するとした所がアニミズムめいて異樣だったのだが、普通よくある自己意識やら反省やらの觀念論的思辨だと、どうも自我とか主觀性とか人間存在の特權性ばかりを増長させる話になってしまひがちだ。それで意識哲學に嵌り込まぬためには言語論的轉回が有效といふことなのだらう。「ロマン主義哲学とは、首尾一貫して記号もしくは言語の理論として読むことができるものではないだらうか。」「存在‐記号論的パラレリズム――[……]ロマン主義記号学とロマン主義存在論とは非常に密接な呼応関係を示している」(『無限の二重化』p.116・117)。存在は記號でしかなく、言語にこそ存在がある……とか言ひたくなるところ。他の事物はさておき言語であれば、それ自身に自己認識があると想定されてもマア解らぬでもない。人は言葉で以て認識する、といふか言葉にすることそれ自體が認識なのだから(レオ・ヴァイスゲルバー流、新フンボルト學派式言語觀に通ず)――或いは、記號操作そのものが即ち思考であり(ライプニッツ)言語使用の裡面に心的過程の存在を想定すべからず(ウィトゲンシュタイン)、とでも言ふか。その言語といふ媒質のさらなる媒體である書字(Schrift)、これについての論述も『無限の二重化』に含まれる(p.98-102・110・115・119・150・183)。ドイツ・ロマン主義とメディア論とを接續した代表格であるフリードリッヒ・キットラーは、近代人の自己同一性は讀み書きの回路に媒介されてゐながらそれを無きかの如く内面に解消してしまったのだと喝破してゐた。
自意識という哲学的な幻想と作者であることという文学的な幻想が同じ時期、一八〇〇年頃に出現してきたのは偶然ではない。デリダのいうように、自意識が自らの発話を聞くという欺瞞に基づくとすれば、作者であることは自らの書くことを読み、自らの読むことを書くという欺瞞に基づいている。
フリードリヒ・A・キットラー/石光泰夫譯「作者であることと愛」青土社『現代思想』一九九三年十月號「特集 文字と共同体」p.77
音聲言語と
書物の世界で能動性と言ったら書くこと、對になる讀むことが受動性と言へよう。讀書を享受と言ひ讀者を受容者と云ふ如し。すると「自らの書くことを読み、自らの読むことを書」きたいとは、受動即能動、
「自ら書くことを讀む」のは執筆中にも眼は書かれつつある文字列をおのづから追ってゐるので當然として、他方の「自ら讀むことを書く」とは何やら不自然に思はれるかしれない。だが實際、受動的なまま生産する文筆活動があるではないか。讀むやうに書くこと、既に書かれてある
批評(Kritik=批判)、これぞカント哲學からドイツ・ロマン派に到って近代へ將來されたジャンルであったこと、ベンヤミンも述べる所(浅井譯『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』p.96)。才氣煥發なカール・シュミットの名高い『政治的ロマン主義』(一九一九年初刊。一九二五年第二版=大久保和郎譯、みすず書房、一九七〇年八月)もまた、ロマン主義者の非活動的な受動性を皮肉って言ふ――「政治的活動はこれではおこない得ないが、批評は勿論可能であって、革命であれ復古であれ、[……]すべてを論評し」(「むすび」p.202)……「彼らの仕事は批評と人物論[Charakteristik=性格描寫・特性記述]だった」(仝「Ⅱ ロマン主義精神の構造」p.82)。ロマン主義を創唱したシュレーゲル兄弟の評論集の書名『特性描寫と批評 Charakteristiken und Kritiken』(一八〇一年)を仄めかした當て擦り(=
機会原因論者として彼ら[=藝術的造形力を缺く政治的ロマン主義者]は自分らの周囲に起ることに称讃や非難、賛意や嫌悪を纏わせ、性格描写をしたり批評したりした。しかしロマン主義として彼らはまさにそのことにおいて天才的主体性の生産性に達しようと努めたのである。[……]このロマン主義者たちは、知的な材料で随伴的情感を作り出し、哲学や文学や歴史や法学の議論でこの情感を保たせようと試みた。こうして諸芸術のロマン主義的混淆とは別に、美的、哲学的、また学問的因子から作られた一つの新しいロマン主義的な混合物ができあがる。一番身近にある現実の印象に溺れながら彼らは自分たちの感情に知的な根拠をいつの間にか与え、情感を哲学的学問的な組合せや連想的な言葉で装い変え、しかもそのための材料を全世界の文学から、あらゆる民族、時代、文化から取って来る。それによって束の間だけ測り知れぬ豊かさの感じが生れ、全世界が征服されるように見える。事実彼らは偉大な詩人や学者に刺戟を与え、それによって生産性を高めさせたのである。しかし彼ら自身にとってはそれはあらゆる価値の広汎な動員にすぎず、他者の活動につけた――それは彼らが称讃あるいは非難の批評や性格描写によってこの他者の活動に関与するためであるが――伴奏のための大きな棚ざらいにすぎなかった。
『政治的ロマン主義』「Ⅱ ロマン主義精神の構造」みすず書房版pp.134-135
寄生した書き物、獨自性無き再生産、借り物の知識や思想の
ところで間テクスト性(intertextualité=テクスト相互關聯性とも)――間主觀性(相互主體性、共同主觀性)に代る考へ方としてジュリア・クリステヴァが想ひ着いた造語――は、屡々、オリジナリティーを尊ぶロマン主義美學と對比させながら解説されてきた。土田知則『間テクスト性の戦略』(〈NATSUME 哲学の学校〉夏目書房、二〇〇〇年五月、p.23)から引例を。
個人的な詩的霊感とでも呼ぶべきものが、天才作家の独創性・唯一性を保証し、それを啓示するといったロマン派流の美学は、もはや素朴な幻想以外の何ものでもない。すべてのテクストが引用で織り成される織物でしかないとするなら、作者はテクスト生成のほんのわずかな部分を担うだけの存在(媒介)にすぎないと考えるほかない。
「第1章 間テクスト性とは何か」
また曰く、「「独創性」(originality)なる概念からすべての創造行為を説明しようとする「ロマン派的な虚偽」(romantic fallacy)」(仝p.168)。ロマン主義は間テクスト性にとってすっかり敵役である。そのロマン派に間テクスト性が顯著だなんて……逆説を弄するのもいいところだ、でなきゃロマン主義
とはいへ、『アテネーウム』誌に集ったイエナ初期ロマン派における
ロマン主義の言語論との近い距離がここにも見て取れる。ノヴァーリスはかつて言語とエクリチュールにおける差異的に「自己自身とだけ戯れる」「数学的」構造を「記号の織機」(N3, 684)と呼んだことがある。そのような織り[Weben]として反省の浮遊[Schweben]と生[Leben]は織物〔テクスチャー〕の、テクストの概念に転じるのである。
『無限の二重化』「Ⅲ 産出および絶対的総合としての反省――非再現前化主義的な自己二重化モデルの根本規定(記号、言語、表出)」p.171
むしろロマン主義はそれ以前の天才美學の著者中心主義を顛倒させ脱中心化したのだとメニングハウスは言ふ。その反省理論の徹底により、作品は全能の作者でなく言語システムが自己創出する差異の戲れとされた、と(『無限の二重化』「あとがき」pp.279-281)。「デリダの先取りとしての初期ロマン主義的記号存在論」(p.140以下)……さうなのかしらん。だとしてもそれは、「無からの創造」といふテーゼに結びつけられてゐる。
そのことは、索引にして檢出すれば歴然としてゐる(p.56・99・104・118・152・176-177・197・256・280)。「資料〔データ〕なき発明術」(『無限の二重化』p.76所引。浅井譯『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』p.130所引「
シュレーゲルらロマン主義藝術論における「無ヨリノ創造 creatio ex nihilo」といふ
「間テクスト性」の議論がわれわれに見直しを迫っているのは、まさにこの「一なるもの」(l'Un)としての中心といった問題の立て方なのである。[……]「間テクスト性」の議論は中心の不在性(死)を執拗に主張しようとするものではなく、いわば同列的(水平的、換喩的)に並置されうる複数無限の中心を同時的に認め、引き受けようとするものなのである。
土田知則『間テクスト性の戦略』pp.177-178
「父殺し」(土田著第4章p.164以下)に拘泥しては、「作者の死」も讀者を父になり代る主體に仕立てるのが落ちだ。そも無からであらうとなからうと創造に執するは作者の所業、讀者は受け取るばかりが本分である。間テクスト性は「間読み性」(土田著第2章)であり「創作技法の名称ではなく、主として読解に関わる関係概念である」(佐々木健一「引用をめぐる三声のポリフォニー」『現代哲学の冒険⑤ 翻訳』岩波書店、一九九〇年十二月、p.151。cf.土田著第1章p.64)。讀者には、白紙で始めたがる作者の眞似は似合はない。むしろ本が多いほど喜ぶのが讀書人だ。
本源の無化か、無數の由來か。『無限の二重化』にも一箇所だけ「彼らは哲学に関しても唯一の必然的で正当な始源ではなく、「無限に多くの哲学の始源」(S18,40)を要請する」(p.186)といふ記述があって、無を以て一貫させられずにゐる。無と無數とでは一字の差でまるで大違ひ、それを「「無と全」の弁証法」(『無限の二重化』p.256。cf. p.56・177)とやらで反轉するにしたってそんなお題目の呪文詠唱だけで濟むものか、いくらロマン主義お得意の「観念遊戯」(p.189所引)にしても「ロマン主義者にとって「混沌こそ無の唯一の実在概念」」(p.256)とか斷言するにはもっと論證に手間を掛けてくれねば滿足できない。兩者の區別すべきこと、ベンヤミンとて後に「芸術作品は無から生じるのではなく、カオスから現われ出てくる」(「ゲーテの『親和力』」一九二一年成立、浅井健二郎譯、前掲『ベンヤミン・コレクション1』p.145)と言ってゐた。具體的には、空無から充溢への隔たりはどうやって埋められると言ふのか。
ここでひとつ、同じくベンヤミンの影響圈にあったアントワーヌ・ベルマンの飜譯理論史『他者という試練 ロマン主義ドイツの文化と翻訳』(藤田省一譯、みすず書房、二〇〇八年二月)を横に置くと、初期ロマン主義理論に見られる複數性について特筆してゐる(p.32・104・152・163・165-166・167-168・264・310・313)。尤も、間テクスト性はジェラール・ジュネットに從って
周知のごとく初期ロマン派の作品は、数自体が極めて少ないうえどれも未完に終わっており、[……]初期ロマン派が完成された形で遺しえたテクストとは実のところ、
『他者という試練』「第五章 ロマン的転回と無限の反転可能性」pp.152-153批評 であり、断章 であり、対話 ・文学書翰 、そして……翻訳 にすぎなかった。[……]いずれも〈そこにないもの〉へと送り返される点で共通していた。翻訳は原典に、断章は全体へ、書翰や対話はそこで語られる外的な参照項へと、そして批評は文学テクストないし文学の総体に――つまりこれら形式は作品そのものではない が、作品との間にきわめて深く、また郷愁を強く帯びた関係を取り結ぶエクリチュールなのである。作品自体はすでに存在しているのでも、実在せず、ただ夢見られただけであっても構わないが、とにかく作品へのそうした関係に住まうこと、そしてそのような仕方で関わりつつ、作品を存在の絶対たる 作品として考察すること 。それが『アテネーウム』のロマン主義の本質だった。
作品とは何か。完成し完結したものであるはずの作品のまわりに註や断片、批評、註釈、引用そして翻訳といった副次的テクストが「文献学」的に増殖を重ねてゆくことは何を意味しているのか、作品をめぐって、作品の前にあるいは後で、あるときは寄生生物のように作品から養分を吸い上げるかに見え、あるときは眩暈のするような無限の空間に作品を拡張し作品を超えてゆくとも見えるそれらテクストの終わりなき連鎖は、総体としていかなる意味を持つか。作品の解明を目指しながら、解き明かすこともあれば逆に難解にしてしまうこともあり、また時にその両方を同時に行ないもするこれらテクストはいったい何だろうか。作品が読まれることで
『他者という試練』「第八章 批評運動としての翻訳」pp.263-264文書 がそのまわりに大挙して姿を現す、あるいはそういった形で書かれたものが時として逆に作品を生み出すこともあるという、この書かれたもの の複数性とはいかなる性質のものであるか。文学におけるそのような書かれたもの の過剰性を、自身の無限性および複数性において、百科全書のやり方でおのれのうちに反復しうるかもしれぬ、あるいはすでにそうした反復を胚胎しているだろう作品ないし作品ジャンルがありはしないか。こうしたものこそ、強迫観念となるまでにイェーナのロマン主義が展開させた一連の問いにほかならない。
逆にベルマン著では、『無限の二重化』が繰り返し力説した「無からの創造」はほんの二度、それも引用文中(p.196・312)にしか出て來ない。それどころか反對に「言語というのは無から発明されるものではない」(p.302)とする見解を含む引用も見つかるが、雙方を對立させるでもなく、何ら意に介してゐない。無にこだはったメニングハウスとの相違だ。恐らく、それぞれ我が田へ水を引く如く正に斷章取義をやったからだらう。「無からの創造」と「複數無限の中心」とはロマン主義の多面性において矛盾したまま曖昧に包含されて、讀む者の關心に應じていづれかが前面に浮上するばかりで、相反した側面を對質させるか兩面を結ぶ理路を見出すかして考究することはできないのだらうか。もしや、ゼロと無限大とすらも渾融するさらに高次のカオスがロマン主義である、とか?
だが注意しよう、メニングハウスですら一言斷らざるを得なかったのだ――「たしかに、十分な抽象化を施せば、ロマン主義者たちの膨大な断章や覚え書き類からは、いかなる理論的立場にとっての典拠でも探し出すことが可能であろう」……と(『無限の二重化』pp.95-96)。
ロマン主義の
自然哲学的思弁の背反論も神秘主義の心理学も、[……]彼[ロマン主義者]はただ創造的主体としての自分の半ば美的な、半ば学問的な織物を作り出すためにこれを利用するだけなのだ。そしてこの織物自体がまた深い意味を持った暗示の結節点となり得る。なぜならこの織物のうちには、客観的な諸概念ではなく、オッカジオネル[機會的]な気分表現、連想、色彩と音響が集って混合物となっているからである。それ故、星占いの託宣からどんなことでも引出せるのと同様に、――あるいは、マルブランシュの比喩を引くならば、鐘は何も言わずただ鳴っただけであるのに、子供は鐘の音から鐘の言ったと思われるあらゆることを聞き出せるのと同様に、ロマン主義者の断章や暗示からはどんな思いがけない金言でも随意に聞き取ることができるのである。
『政治的ロマン主義』みすず書房版「Ⅱ ロマン主義精神の構造」p.135-136
讀者が勝手に深讀みして感心してくれるのだから世話は無い。またそれを當て込んで、切れ切れで含みありげな仄めかしが頻用される。
事実、ミュラーの言葉に接して連想されて来ないような思想は、社会学やプラグマティズムの理念のなかにはほとんどないし、同時にまたたとえばフッサールの数理哲学にもほとんどない。[……]勿論その反対のものも読取れる。すべてを多様な意味を持った空想の機因とすることはまさにロマン主義の仕事である。しかしそうせずに、ロマン主義者の一語々々をそのまま信じるものには、容易にいろいろの発見ができるだろう。
みすず書房版「Ⅲ 政治的ロマン主義」註(22)p.251
もっと直截なとどめの一撃を。
ロマン主義の理論家は――勿論この場合には理論とか思考[Denken=思索]とかを云々するのは不精確なのだが――比喩[Bild=象徴、形象]がひとりだちで考えるに任せ、自分自身は外来のいろいろの観念の結びついたり対立したりする動きに身をまかせながら、これらの観念の言葉による表現を膨らませて関係性の多い多義性にまで持って行くだけである。だからロマン主義的観念などというものはなく、ロマン主義化された観念があるにすぎない。
みすず書房版「Ⅲ 政治的ロマン主義」p.181
右文中「ロマン主義の理論家」は「ロマン主義(について)の研究者・評論家」と讀み替へが利くこと、言ふにや及ぶ。
さうしたロマン主義式の言語の變形演算は、「一般化された翻訳」といふ概念にしてベルマン『他者という試練』(第五章p.174以下。cf.第七章原註(25)p.248・結論p.375)が論じてゐる。そのやうに擴張された廣義の飜譯可能性の條件は、「人間にかかわる媒体のうち、言語こそ最も普遍的なものだ」(p.186。cf. p.154)といふことにあるのだらう。メニングハウスも「はじめは〈局部的〉だった術語を普遍化していくという、ロマン主義の概念錬金術に特徴的な傾向」(『無限の二重化』p.211。cf.「解題」p.4)と似たこと言ってはゐるけれど、自分は恣意的摘まみ喰ひでない「一貫性を形成する構造」(p.96)だといふ自信があったものか。
特にフリードリヒ・シュレーゲルの断章に特徴的なのが、用語法の全体系を隠喩化あるいは類比化し、それによって見かけ上は豊富な準同義語の山を生み出したり、諸概念の構造のなかでのずらしによって複雑な諸連関をたったひとつの概念のなかに浮かび上がらせたりすることである。このような用語法の妙技が成功するための前提として、ベンヤミンは言語それ自身の一種の絶対的体系性を明らかにしている。「用語や概念は(シュレーゲルにとって)体系の萌芽を含むものであり、根本においては前成した体系自身にほかならない」(I 47[浅井譯p.88該當])。あるいは反省理論の言葉で言えば、「ここで前提とされるのは概念の恒常的な媒質的連関、すなわち概念の反省媒質である」(I 49[浅井譯p.91該當])。
『無限の二重化』「Ⅱ ヴァルター・ベンヤミンによるロマン主義反省理論の叙述」pp.66-67
畢竟それを彼もなぞってゐるのだ、ベンヤミンをデリダをその他諸々を重ねながら。言語といふ媒質の自づから系を成す動向に添ふかの如く。メニングハウス自ら終章末でかう締め括ったやうに――。
本書が意図したのはただ、初期ロマン主義の自己反省詩学の問題状況と用語法をできるだけ強力に整備しなおし、それによって同時に現代詩学と言語論のいくつかの要請に対して純粋にロマン主義的な提案をすることなのである。それはすなわち、同時代の主唱者たちがそれを理解していたよりも――たぶん――もっとすぐれた自己の理解という意味でロマン主義的な提案なのである。
「Ⅴ ロマン主義の絶対的自己反省理論のシステム理論と歴史哲学における消尽点」p.277
ここでロマン主義的とは、評論「難解さについて」でシュレーゲルが「言葉〔Worte〕というものがそれを用いる人々よりもずっと自己自身を理解しているということを示したい」(cf.浅井譯p.92所引。山本定祐譯「難解ということについて」Fr・シュレーゲル『ロマン派文学論』〈冨山房百科文庫〉一九九九年七月第二刷p.235)と述べた含意であると譯者は注意する(Ⅴ章訳注(三)p.324)。それはノヴァーリスが「真の読者は拡大した作者であらねばならない」(p.83所引、cf. p.115。浅井譯p.137所引)と『花粉』(前田敬作譯『日記・花粉』〈古典文庫〉現代思潮社、一九七〇年四月、p.166、一〇九a)に記した發展的讀書法にも相通じようが、しかしまた、ロマン派神學者シュライエルマッハーが解釋學の要諦として「著者を著者自身よりよく理解する」といふ名文句を豪語するに至ったほどロマン主義的な、あまりにロマン主義的な主觀優位への傾向を抱へてゐる。これと相同に、「批評行為とは著者の自己理解よりもよりよく彼を理解することである」といふ格率をシュレーゲルの言として「訳者あとがき」(p.326)は引く(出典は『文學ノート』983番=批判版全集第十六卷992番か)。發言者の意圖ではなく言葉自體の自己理解に即する筈が、發せられた言語そのものが有する自己認識を離れて作者自身の眞意(精神分析風に呼べば無意識)を忖度する擴張解釋にすり替ってしまふ。テクスト論のつもりで作家論へ舞ひ戻るのと類似の陷穽だ。言葉を使用する者以上にその言葉を理解するのは言葉自らであって著者とか擴大された作者とかいった人間的主體ではないこと、自己理解をするその自己とは言語それ自體であって人格ある自我でないことは、自身を理解すると言ふやうな中動態・再歸用法の言語論=認識論について先述した所からも支持されよう。「作者からの作品の離脱、つまり意図、作品、批評の三者の創造的非同一性というロマン主義特有の認識」(p.29)と號した『無限の二重化』であるが、同一性の求心力に囚はれぬための用意が足りなかったと見える。「一般的翻訳可能性の理論がつねに抱えている問題は、それがあらゆる差異を消し去ろうとする点にある」(『他者という経験』p.175)。
ロマン主義論は、對象に沒入したり同一化したりするあまり(おお、それこそロマンチックに?)過去との差別が忘却されたところで上滑りした言葉が紡がれがちなのであり、そこで改めて歴史上のロマン主義と現代思想との異同を考量するとなれば、小野紀明『美と政治 ロマン主義からポストモダニズムへ』(岩波書店、一九九九年七月)とか仲正昌樹『モデルネの葛藤 ドイツ・ロマン派の〈花粉〉からデリダの〈散種〉へ』(御茶の水書房、二〇〇一年十月)あたりを參看し、または屡々言及されるが未邦譯の『驚愕の美學』はじめカール・ハインツ・ボーラーの諸著が日本語で讀める日を待って……といふことにならうけども、ここで志向するのも所詮往昔のロマン派運動それ自體ではなく、現に『政治的ロマン主義』といふ本が論じてみせたやうな意味でのロマン主義、主觀化された機會原因論としてのそれといふ概念史の方に興味がある。しかも、さうやってロマン主義を批判したシュミット自身、機會原因論に染まってしまってゐるではないかと批判を投げ返したのがカール・レーヴィットによるシュミット論であった(「カール・シュミットの機会原因論的決定主義」田中浩・原田武雄譯、カール・シュミット『政治神学』所收、未来社、一九七一年九月、p.98・99・105・142)*8。反ロマン主義さへ實はロマン主義と同根だったとは、これまた何と
いや『無限の二重化』にまるで批評性が無かったのではない、はじめベンヤミンに對しては祖述に留まらずなかなか批判的であった。『ドイツ・ロマン主義における藝術批評の概念』を讀解する「Ⅱ ヴァルター・ベンヤミンによるロマン主義反省理論の叙述」の所どころでその疎漏や曲解が指摘されてゐるのは、讀んで面白く、ためにもなる――ベンヤミンに眩惑されないために。なほかつ難點を擧げるばかりの一本調子でなく、「ベンヤミンの大ざっぱな企図は、はじめはこじつけやら短絡やらが目立つわりには、結局最後には「成功裡に」終わるのである」(p.77)と、結構がひと捻りしてあるのが期待させてくれた。「メニングハウスは、ベンヤミン論文の理論的手続きにおける欠陥とそれにもかかわらず到達された正しい結論との間の矛盾を暴き出した。そしてこの矛盾を、ベンヤミンが依拠したものよりも格段に整備されたロマン主義詩学のテクスト基盤の上に立って調停したのである」(伊藤秀一「訳者あとがき」p.326)。なるほど、ベンヤミンの使用した版では讀み得なかったシュレーゲルらの厖大な草稿類が後年公刊されたこと(p.39・43)、後進の有利である。しかしさうした「実証的文献学」(p.30・43)の地道さよりは、哲學的なデリダらの議論が利用可能な準據枠(參照枠組)として登場してゐたことが立論の導きとなってゐる。メニングハウスも自認する通り、初期ロマン主義が「今も衰えることなく理論的注目に値し続けている」にしても「このような注目喚起性はおそらく構造主義とポスト構造主義の発展によって〈目覚め〉、増大したのである」(p.274)。
指摘して措かねばならないのは、W. メニングハウスがこのようにロマン派を〈先鋭化して〉解釈しうるのは、また彼の読み解きがより鮮明に意味を持ちうるのは、デリダ理論を介してではないか、ということである。その傍証は彼がM. フランクやD. ヘンリッヒを論駁するのにデリダ理論を持ち出していることにも看て取れる(S.267 ff)。
米沢充「〈書かれたもの—Schrift—の意味〉(続)――R. ムジールの言語観をめぐる考察――」『山口大学独仏文学』20、一九九八年、p.31
そこに、依存による弱みも見えてくる。
ベンヤミンによる導出が的を射てゐることを豐富になった資料と研ぎ澄まされた理論道具とを以て裏づけようとするのは惡くなささうだが、それでいよいよ「Ⅲ」章以下に初期ロマン主義の理論を再檢し出すと、對象への批判力は薄れてしまった。ロマン主義がデリダに引き寄せて稱揚されるに留まらない。
それどころか、デリダが初期ロマン主義に対して実体的に新しいものを提起しているのは一体何なのか、というのはなかなかに難しい問題である。だがそれに対して、彼がどのような点において初期ロマン主義者より劣っているのかということになれば、問題はずっと簡単なものになる。
『無限の二重化』「Ⅲ 産出および絶対的総合としての反省」p.161
引き上げられたら、引っ張ってくれた裝置を超えた上方にまで飛び出す勢ひなのだ。以下「Ⅳ」章、R・ヤコブソンの構造主義詩學よりも(p.208・216)、A・J・グレマスの構造意味論よりも(pp.223-224)、ロマン主義理論は優れてゐたのだとする論述が續く。「Ⅴ」章に入ってN・ルーマンのシステム理論とも同等と見做す邊りで、さすがに氣が引けたか、「この比較は、[……]非生産的な概念音楽に帰着するものだろう」と反省し掛けるものの「少なくとも類型論的な有意性は残る」(p.268)と言ひ拔ける*9。いくら「増進的読みによって作品を完成させるという、まさしくロマン主義批評の精神によって、メニングハウスはベンヤミンのテクストを発展的に救済した」(伊藤秀一「訳者あとがき」p.326)と言っても、あんまり持ち上げすぎな氣がしてくる。そんなに初期ロマン派ばかり――それもほぼシュレーゲル弟とノヴァーリス及びヘルダーリンの三人に盡きる上、若い頃の著述に限られる――が萬事に魁けた俊英だったなんて、あり得ることだらうか。内在的讀解であらうとするあまり胚種に一から十まで可能性を詰め込んだ前成説的發生論となり、現在の成果を起源に持ち込む前後顛倒、遡及的アナクロニズムに陷ってゐる。天才神話、再び。これだけ大層に
その行論が肯定に轉じると『無限の二重化』には不審を覺えずにゐられないけれど、その代りに否定的批判力が發揮されるのが、ロマン主義を論じた先行文獻に對してである。メニングハウスにとって同時代に屬する研究者の誤解や無理解に對する駁論が插入されると、筆に氣が乘って齒に衣着せず、痛快である。甚だしきは、ロマン主義解釋の新傾向を代表するマンフレート・フランクに咬みついた「Ⅲ」章注(104)など、註の細字で八ページを超過する逸脱ぶりで論陣を張り、やはりただ者ではない。ところが「訳者あとがき」によると、それすら氷山の一角が突出したに過ぎぬらしい。
実はこの翻訳において訳出されていない部分が少々ある。それはロマン主義研究におけるベンヤミンの受容史を叙述した補遺で、原書で二四ページ分に相当する箇所である。教授資格申請論文としての本書の制度的な性格上、研究史的位置づけを明確にしておく必要から付けられたものだが、このような翻訳書にはさしあたって不要なものと考え――原著者の意向もあって――割愛した。だがこの割愛した箇所には、単なる研究史的興味を越え出たもの、すなわち従来のロマン主義理解に対する根本的な批判も含まれている。
伊藤秀一「訳者あとがき」pp.326-327
クラウス・ブリーグレープからエルンスト・べーラーにいたる現代のゲルマニストたちのロマン主義論におけるベンヤミン論文の受容は、メニングハウスにはことごとく不満足なものだった。個々の研究に対するメニングハウスの批判は容赦なく厳しいものだが、ここでそれをいちいち紹介するのは控えよう(メニングハウス自身もそれを望んではいないようである)。
「訳者あとがき」p.328
惜しい哉、一番興味そそる章がそっくり省かれてしまったとは。著者自らの希望といふことは、メニングハウスは自分の長所を理解してないのか、年を歴て軟化したのか。大體、補遺こそ本文以上に間テクスト性を具現するものだらうに、デリダ用語で謂ふ代補について「補遺は第一のもの、および第一のものを欠いた第二のものになる」(p.147)とか言って根源的二次性を尊んだのは口先だけだったのか。抑も、ベンヤミンの博士論文自體が「二次文献に向けられた批判的言及も[……]ほとんど見られない。そしてその理由は、ロマン主義の批評概念からベンヤミンが受け継いだ「劣悪なものの批評不可能性」だと[メニングハウスは]いう」(伊藤秀一「訳者あとがき」pp.327-328)。恐らくは、それにメニングハウスも倣はうとしたのだらう……日本語版での遲れ馳せながらであれ、シュレーゲルの批評が「純粋に否定的な批判をできるだけ完全に、そして目立たないように実定的[positiv=肯定的]再構成の中に包み込もうと努力している」(p.242)のを踏襲したかった、のかも。にも拘らず完全な默殺は成らず、批判の痕跡は拭ひ切れず殘留して、讀者の興味を惹く。
メニングハウスはベンヤミンやロマン主義の批評方針に忠實であらうとしたのか、また果して忠實であり得たか。いかにもベンヤミンは、初期ロマン主義の理念は作品に内在する傾向を高めて成就してゆく建設的批評にあったと説き、以後の近代批評が主觀性助長に傾いたといふ事實に抗しようとした(浅井譯p.144-147)。ロマン主義における批評概念の「完全な肯定性(Positivität〔積極性〕)」を強調し、「批評というものをひとつの
實際、批評において否定は肯定の下に納まった儘でゐてくれようか。この博士論文公刊の翌一九二一年、雜誌『新しい天使』の創刊企劃(計畫倒れとなるが)のためにベンヤミンが起草した案文では「粉砕批評 annihilierende Kritik」と「積極的批評」との二本立てで提言されてをり、前者が「ロマン派研究で学んだものである」こと、三島憲一『ベンヤミン 破壊・収集・記憶』(〈現代思想の冒険者たち09〉講談社、一九九八年六月、pp.180-181→〈講談社学術文庫〉pp.201-202)に指摘がある――野村修の舊譯「無効宣告をおこなう批評」と「実証的批評」(「雑誌『
〈出来の悪いものは批評不可能である[Unkritisierbarkeit des Schlechten=劣惡なものの批評不可能性]〉という根本命題に、芸術においてのみならず、精神生活のすべての分野に合致する態度を言い表わす、ロマン主義的
浅井健二郎譯『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』「第二部 芸術批評」p.163術語 が、「無効を宣言する」(annihilieren)という術語である。この術語は、黙殺によって、イローニシュ〔イロニー的〕な称讃によって、あるいは優れたもの[des Guten=善なるもの]を絶讃することによって、無価値なものを間接的に批判すること、を言い表わしている。イロニーの間接性[Mittelbarkeit=媒介性]こそ、シュレーゲルが考えるところでは、批評が無価値なものに正面切って対抗しうる、唯一の様態なのである。
Annihilationはドイツ觀念論史上シェリングがフィヒテを「自然の破棄 Annihilation der Natur」と責めた語で(cf.『政治的ロマン主義』みすず書房版p.66・94)、絶滅、廢棄、無效(取消し)宣言、といった意味。およそ肯定的とは思はれぬニヒルな單語だが、無を無化すればプラス(陽極=積極)に轉ずると言ひ做すつもりか、露骨な否定にはならぬやう遠回しにした手段が三通り示されてゐる。しかしその後ベンヤミンも粉碎批評では、「默殺」どころか直截に惡しきものを槍玉に擧げる否定性が目立ち、批評不可能どころでない。また「優れたものの絶讚」のことを「
就中この所謂ロマンティッシェ・イロニー(英語だとロマンティック・アイロニー)を證しとして、ロマン派は主觀主義だとの誹りを受けてきた。そこでベンヤミンはイロニーを二樣に分け、批判は「素材のイロニー」に妥當するに過ぎないと躱す。「主観主義的イロニーの精神とは、作品の素材性を蔑ろにすることによってこの素材性を超越する作者の精神にほかならない」(浅井譯p.171)。例へば主題についてや作中人物について、メタフィクションめいた茶化しを插入して幻滅させるやうな。他方、さうした素材に對してでなく形式において作用するイロニーもあり、こちらは「勤勉さや愚直さとは違って、作者の志向的[intentionales=意圖的]態度ではない。それは、通例なされているように主観的放埒さの指標として理解されるべきものではなく、作品自体における客観的契機として正当に評価されなければならないものである」(『無限の二重化』pp.80-81所引、浅井譯p.179該當)。そも形式とは作品を客觀的法則性の下に置く自己限定である(浅井譯p.171)。そして形式のイロニー化が作品の統一性(Einheit=單位)を解體するのは、主觀(Subjekt=主體)によってではなく客體自らが、作者ではなく作品が――さう呼びたければテクストが――それ自體の内に具はったイロニーを發動する「
素材のイロニー(Ironie des Stoffes 〔素材に関わるイロニー〕)は素材を壊滅させてしまう。このイロニーは
浅井健二郎譯『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』「第二部 芸術批評」p.176否定的〔消極的〕 、かつ主観的である。これに対して、形式のイロニー(Ironie des Form 〔形式に関わるイロニー〕)は肯定的〔積極的〕 、かつ客観的である。
ここで形式のイロニーを否定的に非ずと言ひ張らうとして、イロニー同樣、形式の概念にも二重化が施される。個別作品の限定された「叙述〔表現〕形式」(浅井譯p.177)はイロニー的解體の犧牲になるも、その果てに「絶対的な形式」(p.178)として「芸術という理念」(Ⅲ章標題)が望見されるのであって、この「芸術の統一性(die Einheit der Kunst〔芸術という統一体〕)」(p.183)に組み入れられて作品は不滅となる、と言ふのだ。敍述形式・絶對的形式といふ雙形式を後で「
ネガ/ポジ(否定/肯定、消極/積極)、素材/形式、さらに主觀/客觀といふ二項對立も重ねられるからややこしくなる。素材のイロニーが消極的なのに主觀的(=主體的)とは妙だが? これは、客觀=客體に對して否定的である時はそこに能動的な主體性が働いてゐるといふことだらう。逆に、對象に肯定的であればそれは客觀(=對象)に則してゐようが、そこで主體の方は積極的といふより消極的・受動的である。positiv/negativを積極的/消極的と譯す場合、行爲主體の振舞ひを形容するが、肯定的/否定的と呼ぶ場合は客體についての被作用を言ふ。と、主客相互に割り振れば一往は縺れが解せるものの、本來ベンヤミンの對象認識論にあっては能動的主體と受動的客體に分ける主客圖式は媒質=中動態に解消されるのだから(浅井譯p.109以下)、そんな主觀的だの客觀的だの論ふこと自體が意味を成さなくなってしまふ筈でなかったか。相手の議論に合はせすぎて混迷の態である。それに「
これは彼の推論や論拠の客観的な[sachliche=實質的な、事物に即した]内容ではなく、そうしたものとは無関係に下された肯定もしくは否定である。この肯定なり否定なりが、どんな事態にも適用し得る実質のない公式をあやつる似而非論理の動因なのだ。ロマン主義的機会原因論者のconsentement[同意、承認]は、現実の外界とは接触のない、それ故また否定されることもない網を自分のまわりに織り出す。
『政治的ロマン主義』「Ⅱ ロマン主義精神の構造」みすず書房版p.130
この網、織物(Gewebe)――「この織物のうちには、客観的な諸概念ではなく、オッカジオネルな気分表現、連想、色彩と音響が集って混合物となっている」(前引p.136)――蓋し「テクスト」の謂に
ベンヤミンも默殺せずに對處せざるを得なかったロマン主義は主觀的だとする批判、正にそれをカール・シュミットは『政治的ロマン主義』で突き詰めてゐる。「その本質からすればロマン的イロニーは、客観性に対して自己を留保する主観の知的方法である」(みすず書房版p.90)。だがそこには「自己イロニーがまったく欠けていた」(p.91)。
自己イロニーのなかには自己客観化というものがあるが、この客観化や、また主観主義的幻想の最後の名残をも放棄することは、ロマン主義の立場にとって危険だったろう。ロマン主義者はロマン主義者にとどまるかぎりそうしたことを避ける。彼のイロニーの攻撃目標は彼の主体ではなく、主体のことなど問題にしない客観的現実なのだ。ただイロニーは実在を破壊してはならず、その現実的存在としての質を保持させながら実在を主体の自由に利用する手段たらしめ、主体がすべての規定から逃れることを可能にする。
『政治的ロマン主義』「Ⅱ ロマン主義精神の構造」みすず書房版p.91
かくて「主観主義化された機会原因論として」ロマン主義は「その精神的本質を理論的あるいは実践的=具体的な関連のなかで客観化する力を持たなかった」(「むすび」p.202)。「しかしこの主体の空想的な優越性の核心には、現実世界をいささかでも能動的に変更することの断念が、或る受動主義がある。この受動主義の結果として、今やロマン主義自体が非ロマン主義的な活動の手段として利用されるのである。その主観的な優越性にもかかわらずロマン主義は、結局のところその時代とその環境の活動的な諸傾向の随伴者にすぎない」(仝p.205)。「そして単なるオッカジオネルなものとして見られた現在に対するその優越性はきわめて皮肉な[=反語的な]逆転を蒙らされる。ロマン的なるもののすべては他のさまざまの非ロマン的なエネルギーに仕え、定義や決断に超然としているというその態度は一転して、他者の力、他者の決断に屈従的にかしづくことになるのである」(p.206)。主觀を自ら積極的に客觀化する能力が無い以上は、所與としてある他の實定的な(positiv=既成の、現實的な)客體への依存は必至なわけ。無から有は生ぜしめられないのだから(nihil ex nihilo)。何だか、フランス語圈で主體(sujet)とは臣從(sujétion)なり服從化(assujettissement)なりと言はれるやうな顛末でもある。
かう推し究めると、主觀は客觀に變じ、自主は他律に、能動(と見えたもの)は受動に歸してしまった。となれば、ロマン主義に對しシュミットがその結果から判定したことはベンヤミンがその初念に見出したことと似寄る。違ひは、ベンヤミンはロマン主義を「客観的に生産的」(浅井譯p.96)と稱さうとしたが、シュミットの方は謂はば非生産的な被客觀化だと難じてゐる。「この矛盾は、ロマン主義者がその機会原因論的な構造に内属する有機的な[organischen=器質的な]受動性のなかで、能動的にはならずに生産的であろうとするところにあるのである」(『政治的ロマン主義』「むすび」p.201)。評價のベクトルが逆向きの儘、同じ場所に表裏背中合せで立ってゐるやうだ。直情的と見られがちなロマン主義を媒介(Medium)の思想として捉へ直したのがベンヤミンの離れ技だったが、シュミットもまた言ふ、「いつもあれほど好んで媒介[Vermittlung]や相互作用について語るアーダム・ミュラー」……つまり、二項對立を止揚する上級の第三項として「マルブランシュが本来の力として„communication“〔伝達〕について語るように、アーダム・ミュラーは「媒介」について語っている」と(みすず書房版「Ⅱ ロマン主義精神の構造」p.110・111)。或いは、シュミットによる主觀中心化した機會原因論の措定に呼應するかの如く、「
初版『政治的ロマン主義』に續き『獨裁』を挾んで著した『政治神學――主權論四章――』(一九二二年)でシュミットは、ロマン主義的な「永遠の對話」の優柔不斷を打破すべく決斷主義に踏み出した。開口一番、「主權者とは、例外状態について決定する者である」(第一章、未来社版『政治神学』p.11該當)と。そこで言ふには、「すべての具體的な法律的決定は、内容に無關心なモメントを含んでゐる。」「決定は、規範上から考察すれば、無から生まれたものである」(仝第二章p.42・44該當)。この決定はまたかう形容される――「純粹な、理窟づけるのでなく、討論するのでなく、正當化するのでもない、それゆゑ無から創造される絶對的決定」(仝第四章p.86該當)。この三重否定(原文だとnicht三連發+Nichts)はカトリック系國家哲學者ドノソ・コルテスの獨裁論を引き合ひにした文脈での言だが、しかしカール・レーヴィットの批判によれば、「そのコルテスはキリスト教徒として、神のみが、だが決して人間ではなく、無から有を創り出せるという信仰を抱いていた」のであり、「この行動的ニヒリズムはむしろただシュミット自身と二十世紀のドイツの精神的親近者に特有のものである」(*8前掲「政治的決断主義」p.32。「カール・シュミットの機会原因論的決定主義」『政治神学』所收p.110該當)。こんなニヒリスティックで「それ自体として空虚な決定」は、結局「そのときそのときにおいて、事実上、政治的に生起することがらによって、内容を付与される」機會原因的なものとならざるを得ない、と(仝『政治神学』所收p.142)。必然的根據の不在は偶因を呼び込むわけだ。ロマン主義とシュミット型決斷主義とは、世俗化した近代における最早神無き機會原因論よりの同根分岐として考へられよう*10。すると「能動的ニヒリズム」による決斷主義と對比される限りでのロマン主義は、能動意慾を缺く受動性ニヒリズムといふことになるか。果斷への實存主義的投企に至るなき、無への滯留。
形式性の極み、中味が無に近い器であるほど、與へられた客觀性を何でも受け容れられる。『無限の二重化』が「「混沌」を内部に引き入れる」(p.256)と言ったのはこのことなのだらうか……。さういへば高名な批評家で老いて「無私の精神」を標榜し出した人もゐたが、但し、完全な無は理念でしかあり得ない。自然は眞空を嫌ふ。白紙とて既存の質料より製造され、機械でさへ純粹な形式にはなり切れない、まして人たる身においてをや。何かしら殘存する實質によって自働せざるを得ず、攝受に徹した無爲であり續けることは礙げられよう。だからこそ人間やめていっそ書物になりたい、メディア(媒體=中動態)になってしまひたいといふ念ひも募る。そんなのは特殊な嗜好だフェティシズムだと言はれるのならば、より一般的な表現にすると、この有限で卑小な自我を脱け出すこと、沒我の境に入ることだ。メディウムとは靈媒でもある。「つまり天才の産出的[生産的]主観性は、最終審級ではなくて一種の媒質として理解され、」「天才としての著者が作品を産出するのではなく、熱狂させる自然――および神――が彼において彼を通して生み出すのだ」(『無限の二重化』「あとがき」p.281)。あたかも自動筆記の如く、機會原因論者に言はせれば「私が書くとき、神が筆を動かし、私の手を動かし、筆を動かす私の意志を動かす。書くことはそもそも神の運動なのである」(シュミット『政治的ロマン主義』「Ⅱ ロマン主義精神の構造」みずす書房版p.108)。間テクスト性論議の界隈ではテクストとエクスタシーを掛け合せたテクスタシー(textacy)といふカバン語も造られ、「テクストでの
ベンヤミンは「反省は脱自〔Ekstase[=忘我、法悦、陶醉]〕の対極である」(『無限の二重化』p.60所引、cf. p.255。浅井譯p.219該當)と言明したが、メニングハウスによると、これはシュレーゲルが手稿で「詩的反省は脱自であり、超越論的な意識である」(p.254所引)と書いてゐた事實と衝突する。ベンヤミンとしては熱狂・神祕・靈感といった通俗イメージを改めてロマン主義に「〈冷徹さ〉(Nüchternheit〔醒めていること、思慮深さ、飾りのないありよう〕)」(浅井譯p.219)を認めさせるため、それは「
しかし、どうも『無限の二重化』の論證は初期ロマン主義自體に内在的な論理展開と受け取るには飛躍や牽強が目立ち、結論が先にあった風である。要は、最初から假想敵があって對抗上「〈唯我論的〉自我の空虚な自己照鏡の対極」(p.251)とか「意識哲学のパラダイム一般の解体を示している」(p.254)とか宣明したいがために、自己回歸に非ざる脱自的要素を探してゐたのでないか。それだから附會できさうな語彙が易々と拾はれて性急に連結されるのだらう。大體、自己超出について言葉にする「概念的努力」(p.250)がロマン派にあったからとて、言葉通りに自己超出が概念外にまで結實するとは限るまい。空論でないかどうか、事實として如何に自己超出してゐたのかを遂行に即して檢證してくれなくては。一例ながらシュレーゲルのパレクバーゼ論が今日なほ興味深く讀まれるのは、彼が自己反省によって自己超出してゐるからと言ふよりは、他者の言葉であるアリストファネスといふ出典から引っ張って來られたパレクバーゼといふ名辭そのものの存在感が要因にありはしないか。自己外の參照項への結びつき、異質なものとの取り合せ、他なるものに浸透されてあり且つまたそれから距離を取ること。明示暗示いづれにせよ引用され參照され讀まれた他の文獻との關係から成る批評文、延いてはテクスト一般は、無よりの創造ではなく多端な外因に觸發されて編み出されてゐる。それらの間の照合やズレやが讀者のさらなる批評を誘發してゆく。論文や研究書等でしばしば本論以上に先行研究批判が有意義なのも、當否は別に、言及された言葉と交はる言葉であるが故だらう。
そこでの異他なるものの攝取を、肥大化する主體が自己のテクストに採り入れる一方の貪慾と目するのは必ずしも當らない。自己からの脱離が懸ってゐるからだ。シュミットは「ロマン的なもの――その核心は受動性である」(『政治的ロマン主義』「Ⅲ 政治的ロマン主義」みずす書房版p.145)と看破したが、ベルマン『他者という試練』第三章もドイツのビルドゥング概念を考察して受動的なることをその本性となす。「経験の運動において受動性が占める地位の高さからは必然的に、同一者の他者に対する関係は我有化の関係ではありえないという帰結が導かれる」(p.95、傍線部は原文傍點ゴマルビ)。「我有化」(appropriation=我が物にすること。領有とも譯す)の運動では「異なるものの
その意味で『無限の二重化』の最終段落は、他者といふ試練に向ってゐる。「ロマン主義の反省理論の無限の変形可能性と順応可能性ではなく、何か別のもの」について述べようとした結語は、開かれた間テクスト性への傾向を仄めかすかのやうだ。
反省理論は、不毛で恣意的なものに変質しない限り純粋な形ではほとんど存立できないのである。[……]むしろこの理論はさまざまな色が織り込まれた織物[Textur]の一本の糸にすぎない。他のコンテクストに引用されたり取り込まれたりすることは、それゆえこの理論にとってその真正性の危機を意味するものではなくて、むしろその生産性の条件となっている。これはまた生き延び[Fortleben≒死後の生]というロマン主義の理念にも相応している。そしてさらにこれは絶対的反省形式自身の中心的な一契機――絶対的反省形式に当てはまるということは、その周囲に形成される理論にも当てはまる――にも相応しているのだ。すなわち、自己自身であるためには常に自己を超え出て行かなければならないというあの契機に。
『無限の二重化』「あとがき」p.284
けれども、遂に最後まで我執を去ることは出來なかった。
索引について、「今までの經驗に依ると、讀者が讀みながら作つて行くものが、一番に效果は多いかと思はれる」と慫慂したのは柳田國男である(初出「序」辻本好孝『和州祭禮記』天理時報社、一九四四年三月、p.5→初收「辻本好孝著『和州祭禮記』」『柳田國男先生著作集 第九册 老讀書歴』實業之日本社、一九五〇年一月、p.93→『柳田國男全集 18』筑摩書房、一九九九年三月、p.533該當)。
著者の手に成つた索引は親切で隅々に行屆いて居るが、通例は詳し過ぎ、又項目の重要性を差等づけることが出來ぬ爲に、骨の折れた割には存外に利用する人が少ない[初出「少なかつた」]やうである。自身通讀の印象にまかせて、他日もう一度拾つて讀みたいと、思ふ點だけを爪じるしすることは、何でも無い勞力であるばかりか、寧ろ書物との親しみを一段と深くする。さうして和州祭禮記の如き性質の本ならば、表紙か扉の裏の僅か一頁位[初出「一頁分」→初收「一頁外」→『定本 柳田國男集 第二十三卷』「一頁程」]の餘白でも、相應に便利な見出しが出來るのである。
『柳田國男全集 18』p.533該當
これを引用しつつ讀者の方法としての索引論に擴張した佐藤健二『読書空間の近代 方法としての柳田国男』第3章「3 索引の思想――読むことの遠近法」(弘文堂、一九八七年十一月)を、參照せられたい。表記形その儘の機械的な抽出索引法に頼り切ったテキスト・マイニング(採鑛)では粗漏になるから、人力の讀解を通じた手動式の概念索引法で製錬されなくてはならぬわけだ。因みに柳田同樣の讀者による索引補完法は、早くは十八世紀初め、ピエール・ベール『歴史批評辞典』「第二版のおしらせ」(一七〇二年發賣)も忠告する所であった。
おぼえておいたり、必要に応じまたみつけたりする価値があると思うなんらかの個所を読まれた際は、それが索引にのっているかどうか見てくださればいい。のっていなかったら、索引の余白のいちばん便利と思う言葉の下か、それとも別紙に、御自分で記入しておかれることである。本の索引がお粗末だと思い、それがひきおこしかねぬ損害を予防したい人は、みんなそういうやりかたをするものである。
野沢協譯『ピエール・ベール著作集 第三巻 歴史批評辞典 T A - D』法政大学出版局、一九八二年三月、p.55
なほ類例に、結城信一「自製索引の愉しみ」(岩波書店『荷風全集 月報 27』所載、『荷風全集 第二十五卷』一九六五年五月→第二刷『荷風全集 月報 25』『荷風全集 第二十五卷』一九七三年二月)があり、矢部登「結城信一の荷風耽溺」(EDI『舢板 SAN PAN』第Ⅲ期第五號、二〇〇三年八月)が結城舊藏の『改訂下谷叢話』に挾み込まれてゐたその手筆索引を寫眞で掲げながら紹介してゐる。但し人名のみの索引だったのは、對象の傳記といふ體裁に制約されたか。結城が言ふには、續いて「葷齋漫筆」から更に隨筆集『冬の蠅』を讀むに至って「人名索引とともに、事項の索引をも作つてみた」由だが。「私は、この決定版とも言へる荷風全集でも、最終巻の第二十八巻で索引が編まれるとい
cross referenceを相互參照と譯すのは誤用、と図書館問題研究会用語委員会編著『みんなの図書館入門〈用語篇〉』(図書新聞、一九八一年四月。一九八二年九月第二版は未見)が「相互参照」の項で問題にし、同書を準備版として成った図書館問題研究会編『図書館用語辞典』(角川書店、一九八二年十月)の「相互参照」の項でも「「交差する」という意はあっても「互いに」という意味は無く,相互参照は参照と同じ意味である」、「日本の図書館では件名目録において,複数の関連ある標目間において,互いに「〜をも見よ」で参照し合っている場合,包括して相互参照と理解されているが,本来,[……]関連語への一方的な参照を意味している」と説くけれども、さうだとして、では本當に相互に參照するのは西洋で何と呼ばれ日本語で何と呼ぶべきなのか? 相關索引(relative index)とはまたちょっと違ふし、雙方向と片方向とを區別する需要が全然無いとも思はれないし……。交互參照とかinter-referenceとでも言ったら良かった? 原語を如何に和譯すべきかと問ふ向きだけでなく、現場の必要と實際の使用を觀察して語彙を記述し概念を案出してゆく方向が無ければ、遂に輸入學問の域を脱せまい。學びて思はざれば則ち罔し。
譯者伊藤秀一は後にかう解説してゐる(「「批判・批評」について」中央大学出版部『中央評論』236號「特集:批評のさまざまな顔」二〇〇一年七月)。
「媒質」という言葉は聞き慣れないものだが、メディア/メディウムの訳語の一つで、「空気は音の媒質である」というように、あるものの存在や作動の可能性の物質的条件や環境を意味する物理学の用語である。ここであえて物理学の用語を訳語として採用したのは、二つの項の中間にあって橋渡しをするという含意を抜け出るためである。空気は音を伝えると考えることもできるが、音の正体は振動する空気だと言い換えることもできるように、知性や感性が生み出す意味や内容とその媒質という関係を考えた場合、媒質は意味や内容を伝達する手段というよりも、むしろ意味や内容の物質的な成就であると考えた方がよい。
右で「成就」とは日本語としてちょっと變な言ひ方だが、『無限の二重化』Ⅱ章訳注(七)(p.295)に取り上げた言葉であり、原語Erfüllungにある「滿たすこと」「充實」の意を籠めてゐる模樣。なほ、媒質について同樣の語釋は伊藤秀一「メディア環境と文化――フリードリヒ・キットラーにおける文化媒質理論」(長崎大学環境科学部『長崎大学 総合環境研究』第二卷第一號、一九九九年十二月、pp.1-2.→加筆修正「メディア環境と文化――F・キットラーの文化媒質理論――」長崎大学文化環境研究会編『環境と文化 〈文化環境〉の諸相 』九州大学出版会、二〇〇〇年六月、pp.88-89)にも見られ、「メディア概念の媒質論的転換」として「手段から存在形式としての媒質へメディア概念の重心を移すこと」がやや詳しく説かれてゐる。但し――「起こりうる混乱を避けるためあらかじめ記しておくなら、映画等を論じた複製芸術論のなかでも狭義の〈技術メディア〉の語義でベンヤミンはMediumという語を使っていない。そもそも当時、そのような〈メディア〉の語義は一般化していなかった」(初見基「〈書く〉こととメディア―W.ベンヤミンの〈媒体〉観を手がかりに―」日本大学桜門ドイツ文学会『リュンコイス』第42號特集号「メディアの発展と文学」二〇〇九年三月、p.52)。
これは飜譯の仕方によっては異なった意味に取られる斷片である。管見の限り『ノヴァーリス全集』全三卷(牧神社、一九七六〜八年)『ノヴァーリス全集』全三卷(沖積舎、二〇〇一年)『ノヴァーリス作品集』全三卷(〈ちくま文庫〉二〇〇六〜七年)はじめ邦譯ノヴァーリス著ではどれにも收められてなかったが、文意を違へた實例として、同じ斷章がアントワーヌ・ベルマン/藤田省一譯『他者という試練 ロマン主義ドイツの文化と翻訳』(みすず書房、二〇〇八年二月)に引かれた所の譯文を擧げる。
各人が自分の身体を
見る のは、ことによるとただその身体がそれ自身を見るかぎりにおいて――そしてまた各人が自分自身を見る限りにおいてのことではないだろうか。われわれが化石を見るという風に陳述されるときはいつも、その化石の方も我々を逆に見返しているのである。
『他者という試練』p.161所引
原文も竝記しておく(ベンヤミンが用ゐた一九〇一年版とは表記に異同あり)。
Sieht man etwa jeden Körper nur so weit, als er sich selbst sieht – und man sich selbst sieht? In allen Prädikaten, in denen wir das Fossil sehn, sicht es uns wieder. (Schluß auf den Glauben.) 2263
大峯顕譯では「ひとがいずれの物体を見るときにも、その物体が物体自身を見、そしてひとが自己自身を見るところまでは到達するのではないか?」(「ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念」『ドイツ・ロマン主義 ヴァルター・ベンヤミン著作集4』晶文社、一九七〇年九月、p.69所引)、末尾が意味不明。浅井健二郎譯の該當箇所を再度掲げると、「どんな
ついでながら原文後段は、大峯譯「ひとがそれらのなかに化石を見るところのあらゆる述語のなかで化石がわれわれを見る」(p.69所引)、浅井譯『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』p.107所引では「われわれが化石を見る(sehen 〔なんらかの見方で判断する〕)際に用いるすべての述語のなかで、化石がわれわれを見る」とし、『無限の二重化』p.70所引では「われわれがそこにおいて化石を見るすべての賓辞において化石はわれわれを見る」。かう比べてみると、この一文に限っては藤田省一の譯文は日本語としてよりこなれてゐる分、却って碎きすぎてしまってないか。「こなれすぎた訳、「翻訳であると感じさせぬ翻訳」こそ真に
同樣な
(デリダとともにいうなら)いわゆる人間という存在とその意識は、己れが喋るのを聞き、あるいは己れが書くのを見ることによって形作られるものなのだが、メディアはそういうフィードバックをいっさい断ち切ってしまう。
『グラモフォン・フィルム・タイプライター』「グラモフォン」p.41
正にこの箇所に對する批判が、蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』(NTT出版、二〇〇八年十一月)にある。
だが、後半の「己れが書くのを見ることによって」という部分は、「(デリダとともにいうなら)」という言葉といささかの齟齬をきたしているというほかはない。なぜなら、デリダにとっての「文字」は、メディアの介入以前に、コンテクストの形成にさからうというそれ自体の特性として、すでに「フィードバックをいっさい断ち切ってしまう」ものと見なされているものだからである。キットラーは、声の「自己への現前」とほぼ同じものとして文字の「自己への現前」を考えているようだが、それはジャック・デリダの誤読というにとどまらず、『グラモフォン・フィルム・タイプライター』という書物によるメディア論のいささか抽象的な楽天性を露呈させているように思う。
『ゴダール マネ フーコー』「Ⅷ 声と文字」pp.171-172.
いかにも、音聲と文字との間には
そのような歴史のなかで、未来のグラスファイバーよりはシンプルだが、技術という点ではいささかも見劣りがしなかった文字は、まさにメディアそのものとして機能していた。だからメディアという概念もかえって存在しなかった。文字以外で流通していたメディアもすべて、表音文字あるいは表意文字のフィルターをくぐり抜けていたからである。
『グラモフォン・フィルム・タイプライター』「導入」p.16
こうしたシステムが崩壊しなければ、文を、イメージを、音を記憶する機械装置は発展することができない。このシステムが崩壊したときにはじめて、文を手で書きそれを読みなおすことによって魂〔心〕をみつけだすことができるという保証をあたえていたあの心理学的な人間観が、生理学というハード・サイエンスにとって代わられたのである。カント以来、「私」をめぐるあらゆる観念に付随することができるはずだった「われ思うに」という言葉は、おそらく文字を読むときのみの付随現象だったのだ。
仝「タイプライター」p.289
ここでのキットラーは文字(乃至は書字)として一括されるものの裡に歴史的差異を插し入れて微妙に識別しようとしてゐる。その反面、聽覺その他書字以外のメディア的差異を總て大掴みに廣義の文字(
他方で、初めに『グラモフォン・フィルム・タイプライター』より引用した箇所では、「作者であることと愛」で述べた「自らの書くことを読み、自らの読むことを書く」のうち後者「自らの読むことを書く」についてが脱落してしまってゐる。書くことと讀むこととの組み合せに竝列ならざる不均衡があること、留意せずばなるまい。キットラーに言はせれば――。
なぜなら、テーヌやスペンサーが脳をめぐる比喩で用いていたグーテンベルク式印刷所やエールリッヒ式自動ピアノとちがって、慎みというものを一切欠いたフォノグラフだけが、万能機械の同時に果たすべきふたつの行為、すなわち書くことと読むこと、記憶することとそれをまさぐること、記録と再生を組み合わせることができたからである。原理的には(エディソンがたとえ後になって記録部分と再生部分を分離したとしても)、フォノグラフに痕跡を残し、かつその痕跡をたどりかえすものは同じひとつの尖筆だけなのである。
『グラモフォン・フィルム・タイプライター』p.56(傍線引用者)
從って……「フォノグラフが存在するようになってからは、主体のないエクリチュールというものが存在する。これ以降、あらゆる痕跡にその作者を見つけてやる必要などなくなってしまった」(p.72)。同樣にまた、書く手元から離れた印字紙面を持つ
アンゼルムス、ブヴァールとペキシェについては、キットラーのメディア論を逸早く本邦に導入した原克『書物の図像学』(三元社、一九九三年六月、pp.127-128・145-146、pp.63-67)に取り上げられてゐる。バートルビーに關しては、拙文「メルヴィル「バートルビー」――或いは、讀むやうに書く受け身なあり方」參照。
近世文學研究において、諸本が錯綜する上田秋成『春雨物語』を論じる枠組として「異本アナキズム」といふ考へ方が佐藤深雪により提起された(「偽書と異本」『綾足と秋成と 十八世紀国学への批判』名古屋大学出版会、一九九三年四月)。それが論議を喚んだこと、風間誠史「「異本アナキズム」とは何か」(『春雨物語という思想』補章1、森話社、二〇一一年七月)に概論がある。特に、秋成の論敵でもあった本居宣長らの國學に對抗する志向があったとする觀點が興味深い。異本を定本に集約してゆく學問研究、即ち、後にドイツ留學から歸朝した芳賀矢一が日本文獻學と名づけた意味での國學の、批判。ドイツに發した文獻學とロマン主義との相即關係を想へば、更に「ドイツ・ロマン派と江戸時代の国学とをたんなるアナロジーとしてではなく、もっと積極的に同時代現象として把握する」(野口武彦『日本思想史入門』「第六章 ドイツ・ロマン派と国学」〈ちくまライブラリー〉筑摩書房、一九九三年五月、p.167)論があることを想へば、ドイツ・ロマン主義論を主材とする本稿にとっても示唆に富む。また、出版主義により正典を確立する宣長らと反對方向に秋成の反時代的な寫本主義があったといふ佐藤の見立ては、ドイツ・ロマン主義を出版量増大に伴ふ讀書革命期の文脈に置く見取圖とも相性が良い(拙文「讀書革命――或いは、世俗化する讀者」參照)。
ユダヤ系ゆゑにナチス・ドイツから亡命中であったレーヴィットが一九三五年に僞名フーゴー・フィアラで„Politischer Dezisionismus“と題して發表した論文。一九六〇年刊本に基づく未来社版邦譯ではこの初出經緯につき記載を缺く。のち新譯で「政治的決断主義(C・シュミット)」(ベルント・ルッツ編/中村啓・永沼更始郎譯『ある反時代的考察 人間・世界・歴史を見つめて』〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、一九九二年十一月)が出たが、こちらは初出版の儘らしく、一九六〇年版で兩大戰間期ドイツにおける決斷主義として政治的なそれのみならず哲學者マルチン・ハイデッガー及び神學者フリードリヒ・ゴーガルテンをも例示した附論部(未来社版『政治神学』pp.144-163)が無く、中村啓「訳者解説」でも「戦後、一九六〇年にはこの論文にハイデッガー論も追加される」(p.501)と言ふのみで先行譯の未来社版に觸れず。尤もそのハイデッガーの部分は、同じく『ある反時代的考察』所收の長論文「ヨーロッパのニヒリズム ヨーロッパの戦争の精神的前史のための考察」(初出一九四〇年柴田治三郎譯→カルル・レヸット『ヨーロッパのニヒリズム』〈筑摩選書〉筑摩書房、一九四八年十一月)の「第二部」中「二 ハイデッガーの実存的存在論の政治的地平」と重複する段落が大半。ほか、レーヴィットはシュミット論でその精神的親近者としてエルンスト・ユンガーからも引證してゐ(註(37)未来社版p.110以下)、初出當時ユンガーはシュミットとの間で話題にした(ヘルムート・キーゼル編/山本尤譯『ユンガー=シュミット往復書簡 1930-1983』法政大学出版局、二〇〇五年三月、p.51)。なほ、これら決斷主義について一書に展開したクリスティアン・グラーフ・フォン・クロコウ『決断 ユンガー、シュミット、ハイデガー』(高田珠樹譯、〈パルマケイア叢書〉柏書房、一九九九年二月)は追補中にレーヴィットも擧げる所であり(未来社版p.145)、決斷(Entscheidung)をめぐる思想史として既に古典的なもの。
この「類型論的な有意性」を引き繼いで敷衍したのが、北田暁大「ディスコース・ネットワーク――2000 02 オートポイエーシスとロマン主義/接続不安の論理」NTT出版『InterCommunication 季刊インターコミュニケーション』No.51 Winter 2005(第14卷第1號通卷52號、二〇〇五年一月)。これの第一段落で、「彼[=メニングハウス]は、メディアを媒介として、ロマン派とベンヤミン、そしてルーマンを同一の線分上に配置した」(p.82)と概括するのは、正確でない。なるほど『無限の二重化』ではベンヤミンの造語した「反省媒質」といふ概念が注目の的となるものの、この複合語に結びつけられた二語に關しては、それを哲學的な反省理論の面から照明するのに專らで、媒質=メディアはメニングハウス自身の關心事とはならなかった。所詮ノルベルト・ボルツやフリードリッヒ・キットラーらメディア論者とは流儀を異にする。だからこそ、「Ⅴ」章にて社會システム理論との相似が説かれてもルーマンにおける獨自のメディア概念は一顧だにされてないのだらう。その缺を補ったのが北田論文の意義有る所で、ルーマンのコミュニケーション論を「ロマン派のアイロニー論を現代的に翻訳した発想」(p.88)と解くなど、それはそれで興味ある考察であったけれど、ちょっと引っ掛かるものがある。同論は、「精緻な文献学的考証を得意とするメニングハウスにしても、正直な話、ルーマンとロマン主義との関連にかんしては連想ゲームの域を越えているとは言いがたい。だが(文献学的ではなく)理論的な水準においては、メニングハウスの提言は、きわめて魅力的であり、かつ説得力をもつものだ。とりわけ、〈一八〇〇〉と〈二〇〇〇〉とを対照する理論的補助線を求めている私たちにとって、メニングハウスの議論は重要な示唆を与えてくれる。無謀さに呆れる前に、実りあるアナロジーを展開した蛮勇に敬意を表しつつ、メニングハウスの議論を追尾していくこととしたい」(p.82)と枕を振った上で、論點整理に掛かる。そしてロマン主義とシステム理論との「大幅な合同関係」(『無限の二重化』p.267)が確認されるが、直ぐに留保が續く。「もちろん、メニングハウス自身が注意を促しているように、こうした合同関係の指摘が「偶然[に]似かよったマークによる人目をひく遊戯以上のものであり
山田広昭「三点確保 ロマン主義の理解と批判のために」は、同じくカール・レーヴィットのシュミット批判に據りつつ、それを「ロマン主義への対抗概念として提出されているはずのシュミットの政治理論、とりわけその決定主義(決断主義)が、それ自身まさしくロマン主義的なものにほかならないことを指摘した」と要約する(『三点確保 ロマン主義とナショナリズム』新曜社、二〇〇一年十二月、p.200)。ここから、「ロマン主義には少なくとも二つのヴァージョンがありえるのだ。美学主義と決断主義の。それゆえ、後者を、すなわちロマン主義としての決断主義を論ずるためには、あきらかに別の稿を立てねばならない」(p.201)と論文の末尾は結ばれる。この好論文は、惜しくも最後に詰めを焦って無造作な混同を犯してしまった。レーヴィットはシュミットの思考法を機會原因論的だと言ったが、ロマン主義的とは言ってない。それどころか兩者は區別されてゐる――「かれ[=シュミット]の決定にとっては、いかに非ロマン主義的・決定主義的形態をとるにせよ、機会原因論が本質的なのであるから」(レーヴィット、前掲『政治神学』所收p.105。下線部は原文傍點ゴマルビ)。決斷主義とは「ロマン主義的なものにほかならない」のではなく機會原因論的なものにほかならぬ、つまり、機會原因論的なロマン主義と機會原因論的な決斷主義とがある、といふことだ。決斷主義を機會原因論よりもその主観化ヴァージョンであるロマン主義の延長上に引き寄せる山田のやうな見方の先例は、クロコウ著『決斷』である。曰く、「むしろ、決断主義とは、歴史主義の成立と主観性に関心が向かうのとによって、同時に「最初のロマン主義」によって生じた方向性を最終的かつ極端なまでに徹底させたものにほかならない。」「美的なものの絶対化とは、ただ形式だけ、「いかに」だけが問題だという意味である。[……/]ここからして決断主義との一致は明らかである。」「決断主義はここにおいても、本当に一貫した完全なロマン主義、徹底的に考えぬかれたロマン主義であることが明らかとなるだろう」(*8前掲『決断』p.114・115・117)。レーヴィットとクロコウとの異同をどう對質するのかが問題になる。のち、「ロマン主義としての決断主義を論ずる」といふ末文での約束を履行する如く發表された山田広昭「カール・シュミットの決断主義」(『批評空間』第Ⅲ期第4號、批評空間、二〇〇二年七月)では、「クロコウも、少なくともシュミットに関する限りは、レーヴィットの議論をほぼそのままなぞる以上のことはなしえていない」(p.224)と片づけられてしまひ、もはや決斷主義をロマン主義として論じるよりは政治論に傾いてゐる。しかしながら、ロマン主義とシュミットの諸著作とを關係づけて讀み解くことは依然興味ある論題ではある――それがシュミットを亞ロマン主義として貶價するためだけなら政治的俗論だが、カール・H・ボーラー「ロマン主義の現代性 その阻害の伝統について」(宮田真治譯、河上倫逸責任編集『ゲルマニスティクの最前線 歴史と社会14[終刊号]』リブロポート、一九九三年五月)のやうにロマン主義擁護のため裏返しに讀んだ例もある――。近代諸思想を機會原因論からの變形として考察するといふシュミットが提起した興味ある概念史的視座を踏まへつつ、レーヴィットの哲學史を參照するばかりではなくクロコウの文脈を、特に決斷主義の背景として考察された歴史主義や反