(についてのノート annotation, commentary, notes 


註こそは本の中の本

註といふものに惹かれるのは、何故か? 語註語釋に示される言語への愛着(原義のフィロロジー)、固有名詞その他について註記された百科事典的知識の悦び(知的好奇心)、典據を探り史實と照合する註解の愉しみ(考證癖)、評註やコメントに現れた讀みの批評性、欄外註や補註に横溢する脱線の興味(『批評の解剖』の所謂アナトミー)、文獻註によって本から本へと誘はれる魅力(間テクスト性乃至メタテクスト性)、等々が理由に擧げられようが、むしろ本好きの活字人間ならば註を好むのは當然のことで、疑問とするに足りまい。當然なるがゆゑにか却って、註それ自體を主題にした論は案外に見掛けない。その意味で、マクルーハン門下であるヒュー・ケナーのジョイス論が、「本としての本のパロディ」と呼んでスウィフト『桶物語』に論及する中で、いささか脚註論への展開を見せてゐるのは興味深い。

ヒュー・ケナー「ジェームズ・ジョイス――目録のコメディアン
『ストイックなコメディアンたち フローベール、ジョイス、ベケット
富山英俊譯、〈転換期を読む〉未來社
、一九九八年十一月

こうして本としての本は、序論、緒言、弁明、献辞を含み、見出し、小見出し、目次、脚注、索引、さらに挿絵を含む。これらの一部が語る行為の機械化を助けることは、まったく明白である。たとえば脚注を考えてみよう*2。脚注とその本文との関係は、完全に視覚的でタイポグラフィー的な手段によって確立され、特徴的にも、話す声が視覚的な助けなしにそれを明確化しようとしても徒労である。括弧記号は、コンマのように、声になにをすべきか指示するが、アステリスクはなにもできないことを示す。散文の一節を脚注を挿し入れて読みあげて、脚注が従属関係にあることを自然な読み方で了解させることはできない*3。言語は、声の環境と、対人的な口頭の伝達という文脈を放棄し、テクノロジー的空間の表現の可能性を利用しはじめる。

この脚注という腹話述〔術〕的な仕掛けは、若干の注目に値する。というのもスウィフトはこの新しい道具の達人になり、ジョイスは『フィネガンズ・ウェーク』の一節全体で[フェーバー版二六〇ページ以降]、脚注とその従兄弟である欄外注を、つぎつぎと転調しつつ鳴る鐘のように響かせたのである。脚注は、いつ発明されたか知りたいものだが、はさみや揺り椅子のように根本的でまた匿名の発明なのだろう。欄外に書き込みをするひとは、じぶんが読むテクストと対話をするが、脚注をつくり本文とともに印刷工に送る人間は、印刷言語の仕掛けのなかに対位法に似たなにかを発見した。つまり同時に二つの声で語り、中断なしにじぶんの言説に重みを与え、変更を加え、また多数の例外によって砲撃さえする技法である*4。非連続性の方向への一歩であり、言説のかたまりを、時間の継起性においてでなく空間の同時性において組織する。われわれはその最良の精華を、[アレグザンダー・ポープの]『愚物列伝集注版』の最終版[一七四三]にまで至る膨大な注釈の企画に認めることができる。その企画には、スウィフトの介在を想定するのが通例である。『愚物列伝』は『桶物語』のように、グーテンベルクの時代の悪弊に対する諷刺であるのみならず、その時代が可能にした技術を利用しつくす。印刷は韻文と散文を一目で識別させるので、ここではページごとに、韻文のアッティカ風の柱列が、[注釈の]雑多な学識の分厚い台座のうえに立つ様子が見られる。あるいは韻文は、注釈の奇妙にも整然とした騒乱のなかで、三文文士街のあらゆる虻にでたらめに襲撃されつつも、堂々と突撃する。非常にしばしば注釈は詩的効果を完成させるのに必要であり、エンプソン氏[一九〇六八四、『曖昧の七つの型』など]は有名な実例を分析した。こう述べるのが適切であろうが、他の詩篇への言及からなるポープの細密なモザイクは、その機知あふれる緻密さを得るために、愚物たちの第一の思いこみを共有するかのように利用している。つまり詩はひたすら書物に見いだされ、過去の古典のテクストはモザイクのタイルと同様に固定していて(印刷工に瞬間冷凍されて)、小型のはさみと糊の瓶をもつ人間は文学の普遍的資源を並べ換えて新しい美を創造できる、という観念である。愚物たちは確かに、四六時中そうしていた。ポープはつねに注意深く、かれらのあらゆる性癖を尊大な忠実さで模倣したが、それは、韻律が極度に標準化されていたので容易だった――ちょうど今日国際的なテクノロジーを可能にする、機械のネジの条の標準化のように。

われわれは脚注を、言説の単位を時間において連続的にでなく空間において非連続的に組織する仕掛けと呼んだ*5。『桶物語』がまことに贅沢に備える序論や献辞や脱線も同様であり、すべてが、本としての本がもつ本質的な非連続性を体現し利用する。〔……〕

*2

わたしは、出典を与える学者の脚注でなく、補正し限定し比較し皮肉り脱線しあるいは解明する脚注を考えている。

*3

そしてそれらは、従属するというより対位法的な関係にある。

*4

ある種の脚注はもちろん、それが附された本文の論点とまったく無関係に見える。それらは、イェーツの後期の詩のリフレーンに似た技法を示唆する。

*5

先の段落のなかほどで。注意を払われたい。

右の引用に説かれる非連續性とは、脚註による脱線や複線化が自然言語の線状性原理を分裂させる作用を謂ふ。要は脚註をば印刷機仕掛けの多聲性ポリフォニーと見るわけで、殊に對人間の口頭コミュニケーションとの差異が強調されてゐる。且つまた言葉の綾とはいへ、脚註による對位法(に似た何か)は、對話に對置されてもゐる。周知のやうに批評理論では、對話とか對位法といへばミハイル・バフチン(『ドストエフスキーの詩学』ほか)の唱へた用語であり、そのポリフォニー小説論では竝べて同義語扱ひだったのだが、バフチンが西歐に知られる以前のケナーの論にあっては、音聲言語か視覺記號か、手稿か活版本かといふメディアの差によって、對話と對位法それぞれを分けて當ててゐたのである。無論、註といふものの實態は一樣でなく、混成的で辨別し難いにしても。

そもそも註は、ここでケナーが同列に述べた序論や獻辭や目次といった裝置と共に、テクスト理論の術語で分類すればパラテクスト、中でも、同じ書物の空間内にあってテクストの周圍に位置するペリテクストに屬する。言ふ迄も無く、周邊こそが本文テクストを際立たせるのであるし、校註なぞは時に本文そのものを派生させさへする(本文批判、異文)。しばしば註は、テクストに附されたパラテクストといふより、テクスト自體の延長であり分岐であって、「テクストとパラテクストが相接するまことに定かならぬ境界」に存する――パラテクスト論の大著であるジェラール・ジュネット『スイユ』水声社、二〇〇一年二月)の第十一章「注」を、參照のこと。註そのものを主題にした一般理論的研究として特筆すべきものである。

 

↓

↑

八〇年代ポスト・モダンに始まる

他に、是非讀んでみたいものに、Anthony Grafton“The Footnote. A Curious History”(1997)がある。宮下志朗ヨーロッパにおける書物史研究」の「参考文献表」に擧げられてゐ、「脚注という知的意匠の歴史と、そのイデオロギー性をめぐる快著」との附言コメントが讀み氣をそそる(宮下『書物史のために晶文社、二〇〇二年四月、p.220)。邦譯されないものか(本間栄男『ほんまのほんだな』「地獄の読書録」に書評あり)。なほ宮下は別文中に、かつてのニューアカと稱された輕やかなスタイルが今やアカデミズムの論文にも影響を與へたため「たとえば本文の論旨を支えると同時に博識の標識でもあった脚注・後注などの近代知の産物は、知識人の抑圧された自我の表象にすぎないとして、最近ではむしろ敬遠されがちだ。[……]着脱可能な身軽な知――インターネットという間テクスト性インターテキスチユアリテイを本質とする世紀ともなれば、この傾向はますます強まるにちがいない(「スコラ時代への逆行?」前掲書pp.206-7.)と述べるのだが、これには異議がある。その反對に、例へば日本近代文學畑では長老格から「インターネット時代にふさわしくの量を競うような近年の若手の論文」といふ聲が漏らされたりもする東郷克美前田愛・私的断章一柳廣孝・吉田司雄編『幻想文学、近代の魔界へ〈ナイトメア叢書2〉青弓社、二〇〇六年五月→改題「わが前田愛体験」『ある無名作家の肖像翰林書房、二〇〇七年三月)。インターネット上の、リンクでつながったハイパーテキストから成るウェブ・ページは、間テクスト性の理念を體現してゐる……とはよく云はれたこと(ex.ジョージ・P・ランドウ/若島正・板倉厳一郎・河田学譯『ハイパーテクスト 活字とコンピュータが出会うとき』ジャストシステム、一九九六年十二月、p.21)。むしろ、宮下が謂ふ一九八〇年代の「地下茎リゾーム(ドゥルーズ = ガタリ)のような知の出現」に伴って、新たな註の文化が生長しつつあったと見たい。

を以て註せむ。丸谷才一・木村尚三郎・山崎正和による鼎談書評シリーズ三册目(最終卷)に當る『鼎談書評 固い本 やわらかい本文藝春秋、一九八六年六月)で、「純然たる学術書でもないのに、こうやって注をたくさんつける本のスタイルが出てきたというのは、どういうことなんでしょう。(木村、p.149)と話題にされたことがある。そこで取り上げてゐた本が松山巌乱歩と東京(一九八四年十二月初刊)に中野美代子『西遊記の秘密(一九八四年十月初刊)だった――と言へば、およそ趣旨は察しられようか(共に八〇年代の知の一端を表はす本であり、遲れてきたニューアカ青年としては面白く讀んだものだ)。木村の問ひに應じて丸谷や山崎も最近になって自著に註を附けたことを語ってゐるし、前驅としてかの田中康夫『なんとなく、クリスタル』(一九八一年一月刊)が擧げられてもゐる。

丸谷 実は私も、こないだの本に注をつけたんです。本文だけ読んでいっても一応分るが、熱心な読者は脚注まで読む。そういうふうに、読者を二段構えにした書き方だろうと思うんですよ。つまり、読者の対象が広がってきたということが一つ。[……]

木村 今までの注というのは、本論の確かさを補強するもの、あるいはちょっと本論からはずれるけれど因みに、参考のために書くという性質のものでした。ところが、中野さんの本にもこの本[『乱歩と東京』]にも、本文の世界とは別に、注の世界といったものがあるように思えるのです。関連する材料はみんな出しときますから、読む人が好きなようにして下さいという感じです。これでは、従来の考えでは著者の自己主張がボケてしまう、ということになりかねない。

山崎 [……]最近、私は初めて注のたくさんついた本を書いたんですよ。それは『柔らかい個人主義の誕生』なんですが、その時の考え方は、いま丸谷さんのおっしゃったことですね。読者を二種類想定しまして、一般の社会人が読んでそれなりに興味を持って下さりそうな話を本文に書き、思索的なことの好きな読者へのサービスを考えて注を書いた。この場合、注が一つの短篇論文になっているという形で書いたわけですね。[……]

木村 [……]おっしゃる意味で、いま、注の文化というのが育ちつつあるのじゃないか。かつてのような骨筋だけの明確な自己主張ではなく、枝葉のたくさんついた、雑然とした、しかし生の現実そのものを伝えたい、読者に感じとってもらいたいということですね。それがいい意味で発揮される場合と、自己主張のなさゆえの隠れみのに使われる場合と、両方あるんじゃないかという気がします。[……]

鼎談書評 固い本 やわらかい本』pp.149-150.

ここで、讀者といふ契機が出てきてゐることに注意しよう。「作者の死」を合言葉にして讀む側の權能を強めたテクスト論が勃興したのと同時代の現象なのである。實際、かのロラン・バルトによるテクスト理論の實踐と目される『S/Z バルザック『サラジーヌ』の構造分析沢崎浩平譯、みすず書房、一九七三年九月)は一短篇に對する異樣に膨張した逐條的な註釋書であって、自身の試みを「一歩一歩注解すること(仝「 一歩一歩」)と言ってゐた。

 

↓

↑

フーコー註釋

ミシェル・フーコーは、註釋 commentaireについて幾度か述べてゐる。いつもながらフーコーらしいのは、註釋といふ營爲が前提とするその「可能性の條件」を考察してゐるところで、そこがカント流で面白く(フーコーの博士號副論文はカント『人間學』の飜譯註解だったし、「考古學」もカント由來の概念だった)、のみならずフランス風の哲學的プレシオジテで以て、修辭過多な言ひ換へパラフレーズを展開するので、巧妙な表現に惹かれて引用したくなる。

ミッシェル・フーコー『臨床医学の誕生』「序」
神谷美恵子譯、みすず書房
、一九六九年十二月

注釈用に使う以外に、ことばの用法を知らないというのは、それだけ致命的なことになるのだろうか。注釈書というものは、たしかに、叙述(デイスクール)がものがたること、それが言わんとしたことを問う。つまり、ことば(パロール)の二重底を浮かびあがらせようとする。この二重底において、ことばは自己自身と同一なものとしての自己を再発見するのだが、この自己はその真実に一層近いものであろうと推察されるのである。問題は、すでに言われたことを発言エノンセすることによって、いまだ嘗て発音プロノンセされたことのないことを再び言うことにある。緊密にでき上がっている叙述(デイスクール)。すでに古びていて、いわば自己に対して沈黙を守っている叙述を、もっと多弁で、古風であると同時に、もっと現代風な叙述へと移そうとするのが、この注釈という仕事なのだが、この中には言語活動ランガージユに対する奇妙な態度がかくされている。注釈する、ということは、その定義からして、「意味するものシニフイアン」よりも、「意味されているものシニフイエ」が過剰にある、ということをみとめることである。つまり、言語活動ランガージユは、思考のすべてを明るみに出すわけでなく、必然的に表現されない部分を影の中に残しておくのだが、この残余物は思考の本質そのものである。その本質が、自らの秘密の外へと追いやられているのである。しかし、注釈するということには、また、べつの仮定がある。それは、この「語られてないものノン・パルレ」が、ことば(パロール)の中に眠っていると考え、「意味するもの」に特有な過剰のゆえに、これに問いを発することによって、あからさまに意味されていなかった内容をして、語らしめることができる、という前提である。こうした二つの意味での過剰は、注釈の可能性を切りひらいて、何ものにも制約されない、限りない任務へと、われわれを追いやる。というのは、いつも「意味されたもの」が残っていて、それに更にことばを与える必要があるからである。「意味する」ものについていえば、これはつねに豊かに提供されていて、この豊かさは否応なしにわれわれに問いかけ、それが、何を「意味する」のかをたずねるのである。このようなわけで、「意味するもの」と「意味されるもの」とは実質的な自律性を獲得し、各々は独立して可能的な意味の宝庫を、この自律性によって保証されることになる。極限の、ぎりぎりのところでは、一方は他方がなくても存在し、自発的に語りはじめる、ということがありうるであろう。つまり注釈とは、この仮定された空間に宿るのである。しかし、同時に、注釈はこの二つの間に複雑なきずなを作り出す。それは漠然たる大きな網目のようなもので、それが、表現のもろもろの詩的価値を発揮させるのである。すなわち、「意味するもの」は「意味されるもの」を隠すところなく「ほんやく[なぜ平假名?]する」とは考えられていないし、なお汲みつくしえぬままにとりのこすことなしに「ほんやくする」とは考えられていないのである。「意味されたもの」は或る「意味するもの」の、可視的で重味のある世界においてのみ、あらわになるのだし、この「意味するもの」自体も、それが支配しえない意味をになっている。注釈がもろもろのテクストに立ちむかうとき、それはあらゆる言語活動ランガージユを、記号上の関係として扱う。この関係は、一面では自然的なものであるが、一面では恣意的なものであって、けっしてピッタリと適合はしない。というのは、同一の記号的要素の中に集められるものの過剰のために、また、ただ一つの主題を記号化しうる、あらゆる形態がおびただしく増えて行くために、このどちらの面からも平衡が失われてしまう。注釈は次のような前提の上に立つものである。すなわち、ことば(パロール)は「ほんやく」の行為であること。それは隠すことによって示す、という映像イマージユの危険な特権を持っていること。また叙述のくりかえし、という開かれた連鎖の中で、パロールは際限もなく自己にとってかえられうる、ということ。以上がその前提条件である。要するに注釈は、言語活動ランガージユの心理主義的な解釈の上に立つものであり、この解釈は、その歴史的起源の烙印をおびている。その起源とは要するに、聖書注解である。これが聴きとろうとするものは神の言葉 le Verbe de Dieuであるが、神の言葉はつねに秘められたものであり、自己を越えたものである。しかし、聖書注解は、もろもろの禁止令や象徴や感覚的映像を通して、また啓示という仕組み全体を通して、この神の言葉を聴きとろうとするのである。われわれは、何世紀もの間、神の言ラ・パロールの決定を待ちのぞんで、むなしい思いをしてきたのだったが、まさにその立場に立って、長い年月以来、われわれの文化の言語を注釈しているのだ。

[……]「意味されたもの」の構造論的分析を行なうことは不可能であろうか。そのような分析は、注釈の宿命を免れて、「意味されたもの」と「意味するもの」とを、その根源的な適合性の中にとどめるであろう。[……]ある文章の意味は、その文章にふくまれていると考えられる無尽蔵の意図によって、あらわされると同時に留保されもしている。しかし、以上のような分析においては、文章の意味はこうした意図によって定義されず、他の発言との差異によって定義されるであろう。[……]

ここに含まれたモチーフはその後の著書でも繰り廣げられる。『言葉と物』、就中、第四章「語ること」の「一 批評と注釈」參照。曰く、古典主義時代に「《註釈》が《批評》に座を讓った」のだが、「批評の特権的な対象である文学は、マラルメ以来、その存在自体における言語なるものに近づくことをやめず、そのことによって、もはや批評の形ではなくて註釈の形をした第二の言語を招き寄せている」と。また、ここでシニフィアンとシニフィエそれぞれの過剩として述べられたことは、言説の一般理論の中では、逆に、稀少性の問題として論じられる。「解釈というものはすべて、その存在自身が言表の実際の稀薄性によってのみ可能なものだが、それを無視して、反対に、言われたことの凝縮された豊かさを主題とする。そういう解釈と異なって、言説形成=編制の分析は、こうした稀薄性に向かう」、と(『知の考古学』‐4「稀薄性、外在性、累合」參照。邦譯初版では譯語は「稀少性ラールテ」だった)。『言語表現の秩序』では、言説統御の内的手續きの第一に、「注釈コマンテール」を擧げた(邦譯p.23以下參照)。「注釈は、〈反復〉と〈同じものメーム〉という形式をもつ〈同一性イダンテイテ〉の働きにより、言説の偶然性に制限を加えてきました」と。或いはまたフーコーの、他者の言説を要約しパラフレーズしつつ論じるスタイル、性の歴史Ⅰ 知への意志等に顯著な自由間接話法的な文體、本人だったら到底「そんなんよう言はん」やうなところまでも詞藻豐富なフーコーならではの表現を與へながら彼らの論述ディスクールの前提と歸結とを明らかにする論法は、フーコーなりの註釋實踐と見られないか。

 

↓

↑

註釋學的世界像

かつて柄谷行人は、連載評論第一回「注釈学的世界――江戸思想序説(季刊『文藝1986春季号、河出書房新社、一九八六年二月)で、フーコー『臨床医学の誕生』のこのくだりを一段落丸ごと長々と引用してゐたものだ。附して曰く、「そして、今日では、注釈学的思考は、大文字のテクストやエクリチュール(聖書)について語るかわりに、知の考古学グラマトロジーと自称するだろう(すでに、ニーチェは文献学者として語っていたが)」と。この連載は三回で杜絶してしまひ、のちやっと『ヒューモアとしての唯物論筑摩書房、一九九三年八月)に「伊藤仁斎論」と改題して入ったと思ったら、第二回第三回のみ收録で、この第一回は埋もれたまま。講演「江戸の注釈学と現在(『言葉と悲劇第三文明社、一九八九年五月→〈講談社学術文庫〉一九九三年七月)の方が一般には知られてゐたか。丸山眞男發・江藤淳經由の「朱子学的世界像」といった言ひ方への對抗意識もあったかしれないが、柄谷が「注釈学」と呼んで仁齋らを評價するのはまづ方法論としてである。「理」の批判といふ近世儒學におけるカウンター朱子學運動を述べるのに、「ロゴス中心主義」に對するデリダの脱構築を引合ひにする。そしてその「理」への批判の仕方、即ち方法が、もう一つの理論を立てるのでなく註釋を以てするものであったこと、『論語』なら『論語』を「テクスト」として見出したことによる讀みの轉回があったと、柄谷は指摘してゐる。傳統的な經典註疏の繼承といふよりはそこで註釋といふ營爲が變質し切斷を孕んでゐるといふわけだ。

ともあれ、かうした構造主義以降の現代思想(特にフランスの)との類比で以て近世日本思想史(殊に古學諸派に見られる言語論)を評する趣向は、つとに森本和夫『沈黙の言語〈UP選書〉東京大学出版会、一九七六年九月)に收める「古学の復権 国語国字問題のために(初出一九七一年)古文辞学とアルケオロジー 徂徠・宣長とフーコー・デリダ(初出一九七二年)が先鞭をつけてゐて、清朝考證學を範とする吉川幸次郎『仁斎・徂徠・宣長』読書の学(共に初版一九七五年)などと共鳴してもゐたのだが、既に顧みられなくなってゐたやうだ。連載中の『読書の学』を援引した森本から論文拔刷を送呈された吉川が『読書の学』「十」で得たりとばかりに紹介してゐたにも拘らず大方の讀者には看過されたらしく、雙方に跨がる讀書が發現するには時期尚早で潛伏期を要したと見える。歐米だとフーコーの影響下に書かれたイアン・ハッキング『言語はなぜ哲学の問題になるのか』の原著が一九七五年刊、邦譯書は一九八九年(勁草書房)。前近代日本思想をポスト・モダンと重ねるこの流儀が一般化したのは八〇年代後半、柄谷による連載以降で、やはり有名批評家ならでは。それが喚んだ波紋を窺ひ知るには、中村春作注釈学的世界像の再検討に向けて日本文学協会日本文学』一九九二年一月號「特集 〈作者〉・〈作家〉Ⅱ」)等が例證になる。柄谷行人が江戸の思想へ向かった一因は舊友である子安宣邦の影響と覺しく、既に子安著『宣長と篤胤の世界』第一部第二章(〈中公叢書〉中央公論社、一九七七年六月→改題増補『平田篤胤の世界』ぺりかん社、二〇〇一年)には「注釈学的世界」といふ語が見られた。尤も、子安自身がポスト・モダン風の方法論を持ち出すのは十餘年後の、『「事件」としての徂徠学』青土社、一九九〇年四月。帶文は柄谷行人)まで待たねばならなかったが。同樣にアメリカの日本研究における徳川思想史論でも八〇年代以降、酒井直樹『過去の声 一八世紀日本の言説における言語の地位(酒井直樹監譯、以文社、二〇〇二年六月)の如き、言語論的轉回が進んでゐた。それがまた、柄谷・子安らの仲介もあって、日本に輸入されていった(cf.第一期『批評空間』第5號江戸思想史への視点福武書店、一九九二年四月。仝11號音声と文字/日本のグラマトロジー一九九三年十月)。かかる理論的文脈において、註釋とか訓詁の學が見直されるわけである。古めかしい東洋傳來の學問と尖端的な舶來理論との、取り合せの妙。アナクロニズムと言ふかエキゾチックなオリエンタリズムと云ふか、そんな魅力でもある。

 

↓

↑

近代と註釋と

一九七五年一月に刊行開始し一九八九年九月に第四卷を以て完結したのが、西郷信綱『古事記注釈』(平凡社である(のち二〇〇五〜二〇〇六年、〈ちくま学芸文庫〉より全八卷にて再刊)。固より本居宣長『古事記傳』を意識した大業であり、しかも注釋を名乘って始めたからには、そのころ吉川幸次郎著が伊藤仁齋・荻生徂徠・本居宣長の名によって代表させたごとき、古學より古文辭學を經て國學に至る文獻學的方法論の再評價に、後押しされるところがあったわけだ。そして第二卷より十二年の中絶を經て一九八八年に第三卷が出た頃には、再び註釋學的世界が論議される機運を迎へてゐたことになる。よく時宜を得たと言ふべきか。完結後、西郷を筆頭とする座談會「方法としての注釈」(神野志隆光・伊藤博之・鈴木醇爾・斎藤英喜、司會・杉山康彦)が『日本文学』一九九〇年七月號日本文学協会に載った。

だが古典文學研究において、殊に古事記のごとき聖典ともされるテキストに對して、たとひ全註釋が施されようとも、勞作でこそあれさして異とするに足りぬと思はれるかもしれない。對照の妙を味はふには新舊の差が劇しい方が良い。座談會「方法としての注釈」でも贊否兩論だったものに、同じ頃に發表された近代文學專攻者の共同研究による一連の註釋があった。

一九三一年以來長い歴史を持つ岩波書店の月刊誌『文学』は、一九九〇年一月より季刊となり改めて第一卷第一號より刊行された。その新裝再創刊號(一九九〇年冬號)から連載されたのが、近代の短篇作品への註釋だったのである。「樋口一葉「十三夜」を読む」が上下二回、續く第三號(一九九〇年夏、七月)で田山花袋に轉じて「『少女病』を読む」。季刊とするにあたって判型が從來のA5判よりB5變型判と大きくなり、それを三段組にして註釋が下二段分に割り當てられ、實に本文に倍する詳註が盛り込まれた勘定だ。これらの締め括りとして、第四號(一九九〇年秋、十月)に座談會「近代文学と注釈」(十川信介司會、鈴木日出男・蓮實重彦・中島国彦・小森陽一)が掲載された。そこで註釋論が談られてゐるのが、色々參考になる。最後に、間を空けて一年後の第二卷第四號に「『銀の匙』(中勘助)を読む(一九九一年秋、十月)が載った。以上は、十川信介「注釈シリーズのころ(隔月刊文学』二〇〇三年五・六月號《創刊七〇年記念》、岩波書店)が回顧しつつ要約してゐるが、加へて、そこで觸れられてない『詳注煤煙(森田草平原著・佐々木英昭編注・根岸正純共同注釈、〈日文研叢書〉国際日本文化研究センター、一九九九年三月)漱石文学全注釈若草書房、二〇〇〇年〜)、『真珠夫人 注解・考説編菊池寛研究会編・片山宏行監修、翰林書房、二〇〇三年八月)、といった後續を誘發した效果も見落としようもないことで、劃期的な試みであった。それまでにも〈近代文学注釈大系〉全九卷有精堂、一九六三〜一九七四年)とか、「注釈」を特色とした『日本近代文学大系』全六十卷別卷一角川書店、一九六九〜一九七五年)はあったし、單行本では吉田孝次郎・中野恵海芥川龍之介 西方の人 全・注解清水弘文堂、一九八二年四月)など擧げられようが、ポスト・モダニズム時代の洗禮を經ると註釋といふものが意義を改めて浮上してきたのである。

この座談會「近代文学と注釈」での發言をちょっと見てみよう。例へば、

……*

「みづから物の注釋をもせんと、こゝろがけて見るときには、何れの書にても、格別に心のとまりて、見やうのくはしくなる物にて、それにつきて、又外にも得る事の多きもの也」(本居宣長『宇比山踏うひやまぶみ』)

↑


▲刊記▼ 【書庫】補註 > 註(についてのノート

發行日 
2007年9月17日 開板/2009年10月16日 改版
發行所 
http://livresque.g1.xrea.com/notes/comment.htm
ジオシティーズ カレッジライフ(舊バークレイ)ライブラリー通り 1959番地
 URL=[http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/notes/comment.htm]
編輯發行人 
森 洋介 © MORI Yôsuke, 2007. [livresque@yahoo.co.jp]
亂丁落丁(リンクぎれ)、誤記誤植、刷りムラ等、お氣づきの點は、乞ふ御一報