トポスとは何か――。そもそもトポス論を現代的トピックとして新たに再生せしめたのは、ロマニストとして知られるエルンスト・ロベルト・クルティウス(1886-1956†)であったといふ。
[……]要するにすべて弁論(賛美の弁論もふくめて)の狙いは,一つの命題もしくは事柄をもっともらしく思わせることにある.それには聴き手の悟性もしくは心情に訴える論法をあやつることが必要である.ところで,多種多様の場合にも応用されうるような一連の論法が存在する.それは自在に発展せしめ変化せしめるのに適した思想的テーマであって,ギリシア語ではκοιυοὶ τόποι,ラテン語ではloci communesと呼ばれる.古いドイツ語では《Gemeinörter》と呼ばれ,レッシングやカントもこの言い方をしている.そののち1770年ごろ,英語のcommonplaceにならって《Gemeinplatz》の造語が生まれた.しかしこれでは本来の使用法がすでに失われているので,ここでこの語を使用することはできない.それ故われわれは,ギリシア語の「トポス」(topos,複数はtopoi)をなお使用することにしよう.[……]古代にはこのようなトポスの収集が行なわれた.そしてトポスに関する学問は「トピカ」(topica)と呼ばれ,独立した書物で扱われた.
このように本来トポスは弁論作製のための補助手段である.それはクインティリアヌス(Ⅴ 10, 20)がいうように,「論法の
〈1〉 キケロのトピカは、アリストテレスのそれより大きい歴史的影響力を持った。それは前四四年に、したがって著者の暗殺に先立つこと一年前、またアリストテレスの著書に遅れることおよそ三〇〇年後に書かれた。[……]もちろんキケロのトピカは、アリストテレスのものに比べると、水準は劣る。[……]どうであれ、その著作の影響力のゆえに、それがまた古代的精神基調のドキューメントとして重要であることには変りがない。[……]
〈2〉[……]
かれは、わりに広汎な関心事をかなり簡単に説明している。「隱されている諸対象が、それらの(発見‐)場所を確認して特徴づけるならば、容易に見つけ出されるように、もしなんらかの素材を詳しく研究したければ、われわれはそのトポイを知らなければならない。なぜなら、素材がそこから確認にまで連れ出されるところの場所(わたくしは、そのようにいいたい)は、アリストテレスによってそのように呼ばれたからである」(Top. 2. 6)。トポイ(場所)の定義 =„sedes, e quibus argumenta promuntur“……„ argumentum autem orationem, quae rei dubiae faciat fidem“(「そこから正しく語られるところの席」、……「疑わしき事物に信を手に入れさせる論拠および答弁」)(Top. 2. 7)。[……]
[……]記憶術だけでなく、論理学や修辞学についての著述の中でも使われている「場所(topos,locus)」「座(sedes)」といったことばは、基本的には脳の中の物理的部位を指している。これらの部位は、コンピュータの「記憶装置」の中で情報を収納したり、再生したり、結合させたり、区別したりするプログラムに使われる命令システムと、郵便で使われる住所区分や図書館の書架番号のシステムを合わせたような機能を持つ命令システムによって、アクセス可能になっている。これらのことばの生理的特質と認識的機能の両方を明確に述べたのもまた、キケロだった。蔵書をいっさい持たずに出た航海の合間に、記憶を頼りに書いた作品『トピカ』の中で、キケロは次のように述べている。
もし隠し場所にはっきりしるしがついていて、その場所を指摘されれば、隠されたものを見つけるのは簡単だ。同じように、もし何かの議論を見つけたいのなら、場所(locus)を知ればいい。アリストテレスは、座(sedes)をこのように呼んでいて、そこから議論が引き出されるという。したがって、locus(topos)とは議論の座であり、議論とはなんらかの疑いのある事象をしっかりと確立する一連の論法である、と定義することができる。★53
★53――Cicero, Topica, Ⅰ, 7-8 “Ut igitur earum rerum quae absconditae sunt demonstrato et notato loco facilis inventio est, sic, cum pervestigare argumentum aliquod volumus, locos nosse debemus ; sic enim appellatae ab Aristotele sunt eae quasi sedes, e quibus argumenta promuntur. Itaque licet definire locum esse argumenti sedem, argumentum autem ratio
[……]
常套主題(loci communes)という概念は、もともとはアリストテレスが『トピカ』および『弁論術』で用いたトポス(topos)なる語に淵源する。トポスとは字義通りには「場所」を意味する語であるが、日本語では「場所」の他に「論題」や「主題」と訳されたり、あるいはカタカナで「トポス」と表記されたりすることもある。[……]
修辞学(弁論術)が発達した古代ローマでは、それまでの純粋に精神的な概念であったトポス(羅:ロクス)が、徐々に空間的な次元を帯びるようになった点が注目される。安定した統治システムと高度な文化を発達させた当時のローマでは、法廷弁論や文学作品のテクストが飛躍的な増大をみせた。活版印刷術こそなかったが、書物の流通量は相当なものであったという。そんな情報の洪水を経験したローマ人たちは、すでにデル・リッチョのグロッタを論じる際に指摘したように、トポスの概念を、議論の素材を収納するための一種の精神内の仮想空間として理解するようになった。ニッチ、在所(sedes)、宿舎(domicilium)、猟場、動物の棲家などがメタファーとして持ち出され、そういった場所・空間の中に議論が隠されているのだと説明されたのである。こうして、キケロ、クインティリアヌス、『ヘレンニウスへ』の逸名著者らの定義を通じて、「(共通)トポス/ロクス」とは、議論を効果的に展開するための出来あいのフレーズが無数にストックされたヴァーチャルな保管庫としての意味合いを強め、やがてはそれらのストックされた定型句そのものを「トポス/ロクス」と言い表すようになってゆく。その結果「ロクス」の概念は、記憶術とも融合を見せることとなる。なぜなら、精神内の議論のストックの場である「トポス/ロクス」を検索して定型表現を探すプロセスは、建築の形をしたメンタル・ロクスを脳内で巡り、そこに置かれた「賦活イメージ」を読み取ってゆく記憶術の手続きと、それほど大差はないからである。
トポスの観念は中世にも受け継がれ、文学の領域にも浸透してゆく。こうして特定の文学ジャンルの特定の場面で繰り返されるテーマ、議論、話の筋などが「文学的トポス」として捉えられるようになった。[……]こうしたプロセスの帰結として、伝統的な「トポス」の観念の内に、今日我々が用いる意味での「常套句」、すなわち陳腐でありふれたフレーズという意味合いが徐々に含まれるようになった。また同時に、書物の中における特定のトピックの位置を示す書誌学的な「ロクス」の意味も、中世には加わるようになったのである。
[……]
[……]
ここで、中世までの詞華集と、初期近代の印刷版常套句集との違いを確認しておこう。両者は一見すると似ているように思われるのだが、実は根本的な差異がある。印刷版の常套句集の方は、内容を記憶することは基本的に想定されていなかった。中身を覚えずとも、巻末のインデックスを活用すれば、即座にお目当ての情報を取り出すことができたからだ。それに対して中世の詞華集の方は、そこに集められている全ての引用句を、まるごと暗記し、心の糧とすることが前提となっていた。[……]したがって初期近代、とりわけ十七世紀以降は、情報に対する人々の態度が劇的に変化した時代だといえる。それは、アルベルト・チェヴォリーニが定義したように、暗記から忘却への転換であったともいえる。日々増大する膨大な情報を前にした人類は、ある時以降、それらを苦労して記憶する努力を一切やめ、書物や情報カードといったいわゆる「二次(外部)記憶」に情報をゆだね、代わりにそれらのデータを効率よく検索するシステムの開発のほうに傾注するようになる。その結果生まれたのが、インデックスや、相互参照指示のシステムやインターフェイスであったのだ。こうして記憶の膨大な負荷から解放された近代人の精神は。より複雑で精緻な思考に、エネルギーを振り向けることができるようになったのである。そこから生まれた機械・電子文明が、やがてグーグルに代表されるウェブ検索エンジンを生み出すことになる。
少し話が飛躍しすぎてしまったが、ここでふたたび初期近代の印刷版常套句集(コモンプレイス・ブック)に戻るなら、常套句を主題別に反対・類似の概念で分類したそれらの書籍は、ラテン語教育の現場において必須教材と化し、初等教育の段階から晩年にいたるまで、ラテン語で文章を書く際に、繰り返し参照された。そのため、常套句集で用いられている主題や情報の分類システムが、そのまま人々の精神構造や認識プロセス自体をも間接的に規定した可能性も十分に考えられる。つまり、普段の生活の中で何かを見たり、聞いたり、読んだりした時、そこから得られた情報を無意識的に、普段よく使っている常套句集の主題分類グリッドを介して摂取してしまう可能性があったということだ。W・オングによれば、印刷術によって、トポスが活字として紙面上に固定されることにより、元来トポスが秘めていた精神的な「場」としての空間比喩が、文字通りページ上に視覚化したのだという。つまり、トポスの物質化だ。様々なトポスがダイアグラムや樹形図、各種のイメージとして表象され、また整序化された活字ラインや図表・幾何ダイアグラムで構成されたそれらの印刷紙面が、今度は、それを日々眺める読者の思考フレームを規定してゆくことになる。オングの解釈によれば、印刷された言葉によって伝達されるトポスは、いわば紙の上に「受肉」したのだといえる。それは、かつて精神的なものであった抽象的な観念が、何かしら空間的な次元を持った具体的存在として知覚されることを意味する。精神内でトポスの小箱をあけながら情報を探す作業は、いつしか、物理的な情報ボックスを巡る身体的な動きへと類比されるようになる。ここから、記憶術のロクス・システムまではあと一歩である。
[註は全て省いた]
上に引いた通り、クルティウスは「本来の使用法がすでに失われているので」と言った。即ちcommonplace(英)、Gemeinplatz(獨)、lieux communs(佛)、luogo comune(伊)……いづれも文字通り直譯すれば「共通の場」「共有地」だが、今日これらは「常套句」「決まり文句」を意味し、その陳腐舊套を難ずる語感を持つ。修辭學的トピカの傳統に由來する語源意識は忘却され、謂はば既に死んだ隱喩dead metaphorなのである。トピック(topic=話題)といふ現代語は普通に用ゐられるものの、遡って語源やその歴史的背景に想ひ到ることなどまづあるまい。それを再生させるためトポスといふ古い呼び名が喚び出されたわけだ(デリダ派なら古名paléonymieの戰略とでも言ふところか)。
とはいへ……トポスのやうな死語をそれが曾て生きたのとは異なる時世にまで使用することは
だから例へば――さう、一例だが――、ショシャナ・フェルマン『狂気と文学的事象』(土田知則譯、水声社、一九九三年)でも讀むときには、就中「常套句の現代性」(第九章)を讀むには、常套句とは「共通の場」にしてトポスであると讀み替へが利くことに留意せねばならない。ひと言も參照されてないにも拘らずクルティウス由來のターミノロジーに據ってゐることは自明の前提なのであり、さもなくば以下のやうな措辭は無意味な文彩である。フローベールの作品「十一月」を論じた箇所――。
常套句から出発して、人は到着時には必然的に、いつも常套句に立ち戻っていることに気づく。到着すること、それは出発した地点に到着することでしかあり得ないのだ。
しかし、僕はいつも出発点に戻って、越えることのできない円内を堂々めぐりし、もっと広い所に出たいと望みながら、その円内で空しく頭をぶつけているばかりだった。(二五七頁)
この物語の論理そのものは厳密にトピカ的な(topique)ものであることが明らかとなる。常套句は迷宮的な空間として探索されるトポロジカルな結び目となるわけだ。
――『狂気と文学的事象』「ギュスターヴ・フロベール 狂気とクリシェ」p.329[太字強調は原文]
また、フローベールの「純な心」(『三つの物語』の一篇、別の譯題では「まごころ」)を論じた「レアリスト的幻想と小説的反復」(第七章)ではフェルマンは次のやうに述べる。
そこで、固有名詞同様、引用として位置づけられるクリシェの機能は、われわれにそれらのクリシェが明らかにするシーニュの恣意性について熟考させ、あわせて、レアリスト的、対象指示的な幻想を暴き出すことにある。[…略…]「この第一の言語と、」とロラン・バルトは的確に書いている、「この名指された、名指され過ぎた言語と、文学は格闘せねばならない。文学の本源的な素材は名付け得ぬものではなくて、それとはまったく逆に、名付けられたものなのである。芸術の使命は表現不可能なものを表現することだとは、よく耳にするところだ。だが、(いかなる逆説の意図も交えずに)言わなければならないのは、それとはまったく反対だ。即ち、芸術のあらゆる務めは表現可能なものを表現しないことなのだ。(14)」クリシェを繰り返すことにこの小説が託しているのは、かつて言われたことのないことを反復することであり、常に言われてきたことを初めて口にすることなのである。
――『狂気と文学的事象』「ギュスターヴ・フロベール 狂気とクリシェ」p.266[太字強調は原文]
言ふ迄も無く、ここでクリシェとは常套句の同義語である。バルトの言ふ「名指されすぎた言語」――「つねに
さうした
「アーキタイプとは回復された認識あるいは意識である。結局それは回復されたクリシェ――新しいクリシェによって回復された古いクリシェである。クリシェは人間の拡張のユニットなので、アーキタイプとは、メディア、テクノロジーあるいは環境といった拡張の引用となるのだ。」
(『クリシェからアーキタイプへ』原書21頁)
――テレンス・ゴードン『マクルーハン』p.121所引
このあたり詳しくは、香内三郎の遺稿「イニス,マクルーハンのメディア・コミュニケーション理論の位置(Ⅱ)―マス・コミュニケーション研究を照射する鏡として―」が第四章「「文芸批評」でのノースロップ・フライとの交渉―「クリーチェ」と「アーケタイプ」の転換様式―」で解説してゐる(東京経済大学コミュニケーション学会『コミュニケーション科学』24號、二〇〇六年三月→『默示――香内三郎論文集:二〇〇五年』香内信子、二〇〇六年四月)。顧みればマクルーハンの最初の著書『機械の花嫁』(井坂学譯、竹内書店、一九六八年。原著一九五一年)は、大衆文化における樣々なクリシェを取り上げた、廣告やコミックからのトポス採集であった。蓋し、ケネス・バーク『動機のレトリック』(A Rhetoric of Motives, 1950)の流儀か。バークは近代ジャーナリズムを分析するためにトピック目録(トポイ・カタログ)の作成を慫慂してゐた。『機械の花嫁』が「産業社会のフォークロア」と副題してゐたことを思へば、クリシェ論=トポス論は凡常性(popularity)を取り扱ふ
佛語clichéは、「もともと印刷所の鋳型のことであり、日本語で「判で押したようだ」というときの「判」にあたる。英語でいう「ステレオタイプ」(stereotype)である」(野村一夫『社会学感覚』「2−1 自明な世界としての日常生活」)。ステレオタイプといふのも語源はフランスで、一七九〇年代に印刷業者フィルマン・ディドー(Firmin Didot 1764-1836――息子Ambroise 1790-1876も名前がFirminでややこしい)が自ら開發した技法に命名したとされる。ステロタイプとも呼ぶこの語がマス・コミュニケーション論で古典的な概念となってゐることは、人も知る通り。出典はウォルター・リップマン『世論』(田中靖正ほか譯『世界大思想全集 社会・宗教・科学思想篇25』河出書房新社、一九六三年一月/掛川トミ子譯、岩波文庫、一九八七年)、ジャーナリストの著者らしく印刷用語から轉用した隱喩であったが、けれどもステロ版――活字を組み上げた原版印面を紙型に取り、そこに地金を流し込んで鑄造した複製鉛版――とか言ったって、印刷機に馴染みでもなければ中々理解されまい。金屬活字の使はれなくなった現代では、なほさら……(因みに、本邦初譯の一九二三年大日本文明協會版『輿論』が當てた譯語は「因襲」であった)。これまた
デッド・メタファーは、語源意識を喚び起すことで再活性化され、當初の生きた隱喩の含意を取り戻す――恰度マクルーハンが、使ひ古された「クリシェ」を「アーキタイプ」へと復元しようとしたやうに。すると、クリシェもステレオタイプも共に、そも活版印刷技法に起源する譬喩語であり概念であったと氣づく。つまり近代のトポスは、グーテンベルクの銀河系に位置づけられてゐる。まだニュー・メディアだった頃の活字の特性によって「擴張」された意味を持つわけだ(すべてメディアは存在や經驗の擴張extensionでありメタファーであるといふのが、マクルーハンの持論であった)。マクルーハンによれば印刷メディアにおける擴張の原理は「画一性と反復性」にあり(後藤和彦・高儀進譯『人間拡張の原理 メディアの理解』「18 印刷されたことば」竹内書店、一九六七年)、またマクルーハンの直弟子たりしヒュー・ケナーが「印刷物の特質」について「つまり言語を、有限数の交換可能で組み合わせが自由な部品に還元することである」と言ふのは(ケナー前掲書p.67)、殊に活字組版において顯現した性質である。このやうな屬性が強化され延長されたextended表現型式は、トポスが印刷化したものと見做せ、ステレオタイプやクリシェといった印刷メタファーによる名稱が相應しからう。
もとトポスは西洋古典古代においてレトリック(修辭學・辯論術)に屬する概念であり、見出すべき論點の所在、口頭辯論のための
嚴密に言へば、母型であり鑄型であるのは活字で組み上げた版面(原版)を押壓して型取りした紙型parper martrixの方であって、