まづ中村古峽著『神經衰弱はどうすれば全治するか』所載の症例報告をお目にかける。同書は、『週刊朝日』の連載〈夏目房之介の學問〉で「古典恐怖症講義」として三回に亙って紹介されたことがあるので、ご存知の向きもあるかしれない(『新編學問 龍の巻』所收)。以下に、該書第七章「強迫觀念性神經質」中の一節を全文引用する。
(二一)讀書恐怖症の一例(第四十五例)
十九歳の青年。某中學五年在學。神經質。
去年の四月頃から、讀書する毎に、妙な強迫觀念に襲はれるやうになつた。當時彼は或る英語の參考書を買ひ求めたところ、それは既に彼の所持してゐる書物の改訂版であつた。そこで彼は兩者の内容を比較して見ると、大體において殆ど同一であつて、たゞところ〴〵が少し違つてゐるに過ぎなかつた。
そこで彼はかう考へた。改訂版といふものは、著者が舊著を基礎として、内容のところ〴〵に訂正を加へたものであるから、訂正を要しないところは、原本そのまゝを寫し取つたのであらう。すると萬一著者が不注意のため、その寫取の際、或る部分を脱漏したり、または寫取が面倒なため、わざと簡略にしたところがないとも限らない。――こんな考へが、ふと浮んだ。
そしてそれ以來、その改訂版のことが非常に氣にかゝつて、こんな書物を勉強するのは不自然だといふ考へが、どうしても心から去らず、幾度思ひ返しても、その考へを
翻 すことができなかつた。勿論彼自身にも、その心配は杞憂である、こんな無益な心配をして、精神を困憊させるのは愚の至りである、といふことは、よく判つてゐたのであるが、どうしてもその杞憂觀念を抛棄することができない。のみならず、彼の杞憂觀念は、これが導火線となつて、更に他の書物にまで波及するに至つた。
彼はどの書物を讀む時でも、屹度、その奧附の版數を調べて見る。そして、その版數の古い時には、何だか新刊とは内容が大變相違してゐるやうに思はれて、どうしても、その書物を讀む氣にならない。『そんなことがある筈はない』と、心に強く打消しては見るが、それでもなほ、自分の持つてゐる書物だけが、間違つてゐるやうに思はれてならぬ。杞憂觀念は次第に煩悶となり、興奮となつて、『こんな間違つた書物を讀んだつて、何になるものか。』と、破り棄てたことも幾度あるか知れない。時には煩悶のために、全身に流汗を覺えたこともある。
彼はその煩悶から免れたいため、その書物の發行所へ手紙で問合せて、安心を得ようとしたことがあるが、一つの書物についての心配が去ると、また他の書物が心配になつて來るので、結局煩悶の止む時はなかつた。
時にはこの病的觀念を自ら矯正せんがために、机の前の壁に、次のやうな『自戒』を掲げておいて、それを二六時中、心の中で強く繰返したこともあつた。
一、自分で無意味な心配を捏造して、自分の心を苦しめる勿れ。
二、杞憂は身を滅ぼす。
三、異常興奮は心身を死滅せしむ。
併し、それでも矢張り何の效もなかつた。
或る時には、また自ら杞憂觀念の赴くがまゝに任せて、それに反對しない手段を取つて見たこともある。或る時にはまた、『自分は自分の持つてゐる書物さへ、修得すればいゝんぢやないか。たとひそれが間違つてゐようとも、ゐなくとも、そんなことは何でもない。』と、かう妥協的な心持になつたこともある。併し何れも無效であつた。矢張り先入の杞憂觀念が、いつの間にか、また彼を煩悶に追ひやつてゐた。
一度この煩悶が起つて來ると、彼の思考力や判斷力のすべてが麻痺したやうになつて、あらゆる物に對する興味が失はれ、何の仕事も手につかない。
――『神經衰弱はどうすれば全治するか』一八六〜一八九頁
……いかがであらうか。私は、この一節を讀んで笑ってしまった。しかし、ちっとも面白くない、何が可笑しいのか、といふ人もゐるだらう。その者は幸ひである。まるで共感する所が無い以上、「書誌學に至る病」には無縁なのだらうから。それとも、我が身に迫り過ぎて笑ふに笑へなかったのであらうか。書誌作成の經驗に富む或る先生は、斯道で知られた人の名を幾つか擧げ、ホンモノはみな鬱になるよ、とおっしゃったものだ。實際、自ら躁鬱質と稱する書誌學者に谷澤永一がゐ(谷沢永一『人間、「うつ」でも生きられる』講談社、一九九八年一月→増訂改題『私の「そう・うつ60年」撃退法』〈講談社+α文庫〉二〇〇三年八月)、彼は屡々初版重版の峻別を説いてゐる。また青山毅も鬱病に惱んださうだ(青山毅「総てが散書に終わる」『総てが蒐書に始まる』青英舎、一九八五年十一月、p.394)。その知人の言――「まわりを見ると、どういうわけか古書通には鬱病体質の人が多い。もともとそういう体質の人でないとこの道を極めることはできないのか、古書を漁っているうちに鬱ウィールスのようなものが体内に潜入して発病するのか、因果関係ははっきりしないが、少なくとも近代文学関係の、知る人ぞ知る斯道のオーソリティー達は、ほとんど例外なくその体質の持主なのだ。この暑い盛りに急逝した青山毅氏は多分その尊い犠牲者の一人で、私は通夜に行って涙を流した」(曾根博義「伊藤整全集未収録文献のなかから」『日本古書通信』一九九四年十月號〈最近の私の収穫〉)。ちなみに精神醫學者の中井久夫によれば、「一般に歴史学的な作業をやるものには、その職業病といってよいほどうつ病が多い」(『治療文化論』六2(4)「歴史家の職業病としてのうつ病」參照)。
古峡による症例報告を見ると、これは讀書恐怖症とはいふものの、具體的には異版との校合が煩に堪へないところから發してゐる。謂はば書誌學的作業の無際限さに倦厭するあまり異本憎惡(variantphobia?)に至ったもの、異文を滅却して定本に收斂せしめんとする近代的慾望の産物だ。近代的、といふのは、かつて口誦文藝の時代には口演の全てが
ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短篇「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」に出て來る謎めいた一句を想ひ出す。「
かういった異版に對する
嬉しかったのは、この文庫の主任の三浦さんという司書頭の老人が、わたしの本好きを見込んで下さってか、ほとんどいつも空いていた館長室を使わせて下さったことだ。[……]「あんたは見込みがある。さあ、どんどん読みなさい。あ、待った、それには版が三つあるよ。あんたの要るのはどれかネ? 知った上で来たんだろ?」という按配であった。自然、こっちも読みにゆくまえに、その本の諸種の版本類、擬版類を調べあげたうえでないとこの大司書三浦老人の手前恥かしくなる。いつの間にか、書誌を調べてからカードに当る癖がついた。[……]
――由良君美「消えた三つの至福の部屋」『みみずく偏書記』
かくて潛伏傾向は助長され、宿痾と化しゆくわけだ。嗟乎、だが、このやうなまだ幸福な初期症状のうちに留まることができたなら! もはや病膏肓に達した身にしてみればいっそ羨ましい程の青春光景といふものであらう。
ところで。或る種のビブリオマニアは、祕藏する稀覯書が天下の孤本でないと氣が濟まず、果ては同一書が他所にあると聞くや如何なる手段を用ゐてもそれを入手し、一本を殘して全て破り棄てることさへする。――さう、あのフローベール作「愛書狂」の主人公など、別の意味で「異本憎惡」の重篤患者であったと言へまいか。
06-12-30追記:邦譯『伝奇集』にも收めるが、集英社版篠田一士譯も岩波文庫版鼓直譯も譯題を「アル・ムターシムを求めて」とする。牛島信明譯『ボルヘスとわたし――自撰短篇集――』(新潮社、一九七四年十一月→〈ちくま文庫〉二〇〇三年一月)でも、同じ。AL-Mu'tasim(アッバース朝第八代カリフの名とある)ならば、「ムータシム」の筈だのに? なぜ音位顛倒が? ともあれ、短篇集『伝奇集』で讀むよりもエッセイ集『永遠の歴史』の一篇として讀んだ方が、架空の書物“The Approach to al-Mu'tasim”に對する書評を僞裝したボルヘスの騙りを樂しむには相應しからう。……などと、譯文や收録書の異同を較べ出したら既に徴候であり、それが病みつきとなって異本憎惡/異本愛好症候群を發現する者また少なしとしない。