「集藏體」とは、ミシェル・フーコー『知の考古學』(L'archéologie du savoir)における« archive »の譯語である。
譯語については譯者・中村雄二郎による「主要用語解説」がある。この
- 集蔵体 archive
フランス語の通常の用法では、「アルシーヴ」は複数形 archives しか使われない名詞で、「古文書」「記録」「古文書保管所」などを意味するが、フーコーは、単数形化することで、まったく新しい概念内容を盛っている。単数形での「アルシーヴ」の意味するところは、本書第三章第五節(とくに一九九ページ以下)で述べられているが、本書に先立つ二つの論稿で、フーコー自身がより簡潔、かつわかりやすく、その内容を述べているので、それを紹介しておこう。「この語〔アルシーヴ〕によってわたしが意味するのは、或る一定の時代に集められえた、あるいはこの時代から消去の災難を乗り切って保存された、大量のテキストのことではない。それは或る時代、或る一定の社会において、〔言説や言表についてのさまざまな限界や形式を規定する〕
諸規則の総体 である」(『エスプリ』誌一九六八年五月号、八五九−八六〇ページ)。また、「わたしが〈アルシーヴ〉と呼ぶのは、一つの文明によって保存されえたテキストの全体でも、災害にもかかわらず救い出しえた名残り〔痕跡〕の総体でもなく、一つの文化のなかで、諸言表の出現と消滅を決定し、それらの残存と消失、〈出来事〉と〈事物〉についてのそれらのパラドキシカルな存在を決定する諸規則の働き である」(『カイエ・プール・ラナリーズ』第九号、一九ページ)。本書(『知の考古学』)でも、「諸言表の出現を独自な出来事として支配するシステム」という表現も見られる。したがって、要するに、「諸言表を整序する諸規則の集蔵体」を意味するものと考え、この単数形の「アルシーヴ」に「集蔵体」の訳語をあてた。「規則体」あるいは「規則系」という訳語も考えてはみたが、それではあまり複数形の原意とも離れてしまうので、複数形の単数形化を抽象化をも意味すると考え、さらにその抽象化の内容として、集蔵されるものが、直接の、なまの記録やテキストではなく、言表や言説について整序する諸規則 や諸システム と解することにして、その意味での「集蔵体」の訳語をあてることにした。なお「考古学 」が「アルシーヴ」の学であることについては、「考古学」の項を参照。
これの變奏が後續して、諸所に見られる。
●アルシーブ(仏 archive)
英語でも仏語でも、この語は通常複数形 archives でしか使われない語で、「古文書」、「古文書保管所」などを意味するが、フーコーはこの語に単数形化という抽象化をはかって、原義を残しつつもそれをズラした全くあらたな概念をつくり出した。
『知の考古学』は、「エノンセ(言表)」という概念に基づいてすべてが論じられる。[…中略…]このような「エノンセ」が同一の編制に属するとき、この集合論的総体を「ディスクール(言説)」と呼ぶが、これら「エノンセ」や「ディスクール」の出現領域において、それらを独自の出来事や事物として律する機能としてのシステムこそが「アルシーブ(集蔵体)」と呼ばれるものなのである。
[……]
しかし、ある社会、文化、文明の「アルシーブ」を徹底的に記述することはできないし、またわれわれ自身の「アルシーブ」を記述することも不可能である。なぜならば、われわれが語っているのはその諸規則の内部においてだからであり、その出現や消滅や歴史性などのシステムを言いうることを可能にするものこそ、当の「アルシーブ」の方であるからである。したがって、「アルシーブ」はわれわれの外にあって、われわれの境界を劃定するものであり、言うなれば、われわれ自身の言語の外部とともにはじまる、言説的実践の場所的〈はずれ(エカール)〉なのである。
[……]
始源(アルケー)を探究し、それを再構成するのではなく、この言説的実践の場所的な〈はずれ〉としての「アルシーブ」を叙述する「アルシーブの学」こそ、フーコーのいう「アルケオロジー」なのであった。
――井澤賢隆『学問と悲劇 「ニーチェ」から[絶対演劇]へ』「6 定義集――系譜学・アルケオロジー・アルシーブ・現出」(情況出版、一九九八年二月)74〜75頁
語尾sの有無だけでなく定冠詞(le)の差も含めたヴァージョンだと(フランス語は原則として語末の子音字は發音しないので單複の辨別は冠詞をかぶせて言ひ分ける)、次のやうに記される。
通常は必ず複数形で用いるles archives(古文書ないしその保管庫)をあえて単数形に置き、l'archiveという破格の用法で「
――松浦寿輝「編者解説 出来事を思考する(1)」『フーコー・コレクション3 言説・表象』(〈ちくま学芸文庫〉二〇〇六年七月)453頁言表 」のシステムを定義したうえで、みずからの「考古学 」とはこの「史料庫 」の探索にほかならず、起源 へと向けて時間軸を遡行してゆく復元の学ではないのだと言っているのである。
何でないかより何であるかに絞れば――。
ふつう「アーカイヴ」というとき、文書記録や、それを保存する装置や制度のことをいうわけだが、フーコーにおいてはそれだけではない。通常言われるような意味での「アーカイブ」のもとにある、「言われたこと/書かれたこと」、「言われるべきこと/書かれるべきこと」を制度として統括している、すなわち文化における言語活動や意味活動の秩序づけの働きが「アーカイヴ」という語で指されているのだ。
――石田英敬「編者解説 啓蒙とは何か(1)」『フーコー・コレクション5 性・真理』(〈ちくま学芸文庫〉二〇〇六年九月)441頁
右の箇所は、ほぼ同文で石田英敬「〈人間の知〉と〈情報の知〉――人間の学としての情報学を求めて」(石田英敬編『知のデジタル・シフト――誰が知を支配するのか?』弘文堂、二〇〇六年十二月、31〜32頁)にも流用された。そこでは「万有アーカイヴ」を論ずる文脈に置かれてゐる。以前から『知の考古學』プレオリジナル稿を掘り起こしてゐた石田(「フーコー,もうひとつのディスクール理論」山中桂一・石田英敬編『シリーズ言語態❶ 言語態の問い』東京大学出版会、二〇〇一年四月。「メディア分析とディスクール理論 フーコー「言表―モノ」理論をめぐって」石田英敬・小森陽一編『シリーズ言語態❺ 社会の言語態』東京大学出版会、二〇〇二年四月)やその界隈(中路武士「イメージとテクノロジー――表象の離散化、記憶の保存体系、そして情報とメディアの知」4、『知のデジタル・シフト』233頁以下)では、「アーカイヴ」をメディアとかデジタルとかネットワークとか新興の情報技術向け
『情報学事典』(北川高嗣・須藤修・西垣通・浜田純一・吉見俊哉・米本昌平編、弘文堂、二〇〇二年六月)を見ても、「アーカイブ」の項(桂英史執筆)にて本文中一語だに關説せざるにも拘らず項末【主要文献】筆頭にフーコー『知の考古学』が擧げられ、しかし「『知の考古学』」の項目(内田隆三執筆)は全然アーカイヴに觸れずじまひ……といふやうに、ちぐはぐに援用されてきた。
一往、語源を遡っておくと、ドイツ語なら單數形Archiv(アルヒーフ)も複數形Archive(アルヒーヴ)も普通に使ふけれど、複數形のみが通例だった英語archives(アーカイヴズ)は同綴りのフランス語アルシーヴに由來し、そのアルシーヴはラテン語archīvum(アルキーヴム)からの借用。更にそれらの大元は古代ギリシア語ἀρχεῖον(アルケイオン)でἀρχή(アルケー)より派生した語ではあるのだが、そのアルケイオンのアルケーは「始まり」「最初」といふ第一義よりは第二義に當る第一人者のこと、即ちἄρχων(アルコーン、支配する者)と呼ばれる最高官・執政官を指し、官邸や役所のやうに治政者に屬する公の場所がアルケイオンであった。時代が下ると、その複數形で以てそこで作成されたり所藏されたりする公文書・公記録をも表はすやうになった次第(筒井弥生「アーカイブズの語源アルケイオンについての一考察」一橋大学大学教育研究開発センター『人文・自然研究』09號、二〇一五年三月)。つまりarchiveにおける語幹archは、archaic(古式)なものへと遡源するarchaeology(考古學)の含意は無いと否定するまでもなく、そもそもがanarchism(無政府主義)とかhierarchy(ヒエラルキー)といった「支配」の語義の方に縁づけられてゐたことになる。
文書を政治制度と関連づけることもできる。要するに、知識と権力を結びつけることにより、形式的解釈に陥りがちの古文書の保存を超えて、哲学者ミシェル・フーコーのいう「知の考古学」にたどり着くことができる。単に知識を形式的に解釈するのではなく、無名の人々のつぶやきも含めて文書の隠れた意味、その背景となる基盤を発見すべきなのだ。
――ジャン・ロークセロワ「3a ブヴァールとペキュシェ」M・ブラン=モンマイユール他/松本栄寿・小浜清子譯『フランスの博物館と図書館』Ⅰ章(玉川大学出版部、二〇〇三年六月)29頁
その後一九七〇年代から權力論を展開するフーコーにはいかにも似つかはしからうが、尤も、初めからそこまで考へて「考古學」と稱したと見ては話が出來過ぎだ。『知の考古學』刊行後のインタヴュー「ミシェル・フーコー、近著を語る」でのフーコーの辯を看よ。
私は最初このアルケオロジーという語を、少々盲目的なやり方で使いました。この語によって私は、歴史学(例えば、諸々の発明や諸々の観念の歴史というような意味での歴史学)とも異なり、認識論[épistémologie]すなわち科学の構造の内的な分析とも異なる、ひとつの分析形態を指し示そうとしました。歴史学とも認識論とも異なるこの分析形態[原文Ce quelque chose d'autre=この何か別のもの]を、私は「アルケオロジー」と呼んだわけです。そして、あとから振り返ってみると、そうした命名はさほど悪くない選択であった[le hasard ne m'avait pas trop mal guidé=偶然は私をあまり惡くなく導いてくれた]ように思われます。つまるところこの「アルケオロジー」という語は、それが必ずしも正当な根拠を持たないことを承知の上で敢えて言わせていただけるとしたら、「アルシーヴの記述」を意味することができます。このアルシーヴという語によって私が考えているのは、実際に語られた言説の集合体のことです。それも、[……]
――慎改康之譯、『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅲ 1968‑1970 歴史学/系譜学/考古学』(筑摩書房、一九九九年七月)197頁
archéologieとはアルケーの學と言ふよりむしろアーカイヴ學なのだと説くのは、後づけの語呂合はせである(その意味がずらされた經緯は、阿部崇『ミシェル・フーコー、経験としての哲学 方法と主体の問いをめぐって』第二部第二章「3 新たな考古学の誕生」、法政大学出版局、二〇一七年十一月、を看よ)。例へば『知の考古學』刊行の五年前である一九六四年には「十九世紀は、資料の絶対的保存を発明した。「
フーコーの「アーカイヴ」という概念は――フーコーの理論においては「図書館」とは異なるかもしれないが、彼の実践においては「図書館」と同義である――、時代ごとの、文書の歴史的アプリオリを意味するものである。それゆえ、古きヨーロッパの権力基盤を成してきたアルファベットによる記録保存および伝達の独占を粉砕するデータ処理を備えた時代を扱う段になると、いつも行き詰まってしまった。フーコーの歴史的研究は一八五〇年前後で終わっている。
――大宮勘一郎・石田雄一譯『書き取りシステム 1800・1900』「あとがき」(インスクリプト、二〇二一年四月)721〜722頁
アーカイヴが未だ圖書館の延長上で捉へられてゐる限り、活字以外に電信・寫眞・蓄音機・映畫等の新メディアが擡頭した十九世紀半ば以降の時代を認知し損ねる、よって「現代を対象とした考古学は、技術的メディアによるデータの記録保存、伝達、計算を考慮しなければならない」(仝722頁)、と。これをキットラーは再説してゆき(石光泰夫・石光輝子譯『グラモフォン・フィルム・タイプライター』「導入」、筑摩書房、一九九九年四月、14〜16頁)、フーコー流考古學の(實踐上の)限界がメディア論的轉回により露呈するに至った。要は、初期の自動車を「馬無し馬車」と呼んだやうな概念化の立ち遲れ、認識の時差が批判されてゐる。アーカイヴと云ふ比喩形象には、書物や圖書館といった既成概念(デリダ派なら古名 paléonymieと謂ふ所)を擴張することで新時代の事態に對應しようとするアナクロニズムが籠められる嫌ひがあるのだ。往々にして圖書館學の側からアーカイヴと言ひ出す類ひはその域を出ず(e.g.根本彰『アーカイブの思想 言葉を知に変える仕組み』みすず書房、二〇二一年三月)、却って「新き酒を舊き革嚢に
ちなみに考古學との關係を言ふなら、譬喩拔きの本物の「考古學」において、フーコーの「知の考古學」を適用した論考が出て來てゐる。これには意表を突かれた。
なほ『知の考古学』の副讀本として豊崎光一「砂の顔 「アルシーヴ」と「文学」」をお奬めしておく(就中アルシーヴをめぐる「Ⅰ」のみでも讀まれんことを)。
アルシーヴ(archive)とは何〔であるの〕か? ――だが、こういう形で問いかけることは、たちまちわれわれを「
言表 」についてと同じ困難に陥らせる。「言表」と同様、「アルシーヴ」も、その実体 としての「何」よりも、その「機能」が問題であるような語なのである。[……]したがって、フーコーが、例のごとく、まず否定と排除によってこの語の意味するところを限定しようとし、「アルシーヴ」はいわゆる「古文書」そのものでも、それを収め保存する場所、図書館の類でもない、と言うとき、
実体 としてまったく別のものを考えているととってはなるまい。実体 としてなら、それは文書の形で、したがって定義上古文書館ないし図書館の中に、見出される。ところが、まさしく、「アルシーヴ」は実体を指す語ではなく、機能を示す語なのだ。このことを頭に置いた上で、フーコーの言を聴こう。――[……]
――豊崎光一『砂の顔』(小沢書店、一九八五年五月)109頁〜
フーコーの提唱に係る概念としてのアルシーヴ(佛語・單數形)もさることながら、實體としての本來のアーカイヴそのものについても、單なる古文書館といふ意味以上に再評價しようとする向きもあるやうだ。
ここで注目したいのが、アーカイヴという発想である。本来アーカイヴとは、特定の主題に関して、図書形態化されていないドキュメント(主として一次資料)を収集・保存・管理する機関であり、知識を獲得するための、どちらかというと地味で伝統的な手法に基づく資料館ではあるが、その古さがかえって今日では、肥大化し硬直した近代の美術館・図書館・メディアセンターなどの制度を打破しうる新しい可能性を秘めているともいえる。
――鷲見洋一「マルチメディアの哲学と理論―2 ― アーカイヴ構築の提言」
慶応義塾大学SFC研究所ディジタルメディア基盤・応用研究センター
『創造的ディジタルメディアの基礎と応用に関する研究
平成9年度科学研究費補助金(COE形成基礎研究費)研究報告書』一九九八年六月
ほぼ同趣旨の發言は下記にも見られる。「[…(殆ど同文)…]などの制度を打破しうるトポスとなってもいる。本企画では、このアーカイヴ概念を拡張して、書物や考古資料のほかに、
」云々。
見ての通り、美術館や圖書館その他文化資料を所管する諸機關を横斷する統合概念として特にアーカイヴの語が當てられてゐる。武邑光裕『記憶のゆくたて デジタル・アーカイヴの文化経済』(東京大学出版会、二〇〇三年二月、第1章p.17)でも同樣。博物館・美術館(Museums)、圖書館(Libraries)、文書館(Archives)の頭文字を取ったMLA連携といふ言葉はこれよりのち、それら文化施設がもっとインターネットに
和製英語「デジタル・アーカイブ」の出現が一九九八年であったとか一九九六年に提起されたとか言ふ(小川千代子「「アーカイブ」の流転・展開・拡張」『藤女子大学 文学部紀要』第54號、二〇一七年三月、320・321頁。Cf.小川千代子「第三章 二一世紀のアーカイブの潮流」小川千代子・菅真城・大西愛編著『公文書をアーカイブする―事実は記録されている―』〈阪大リーブル〉大阪大学出版会、二〇一九年八月)。「デジタルアーカイブ推進協議会」の設立が一九九六年四月だった。塩川伸明の覺え書「「アーカイヴ(アーカイブ)」という言葉について」(二〇〇九年二月)を見ても、單数形の新語法の普及は一九九〇年代後半以降のパソコン普及の時期に重なってゐるやうだ。
インターネットを通じたデジタル化技術の進展が各種資料を對象とするに及んで、アーカイヴが實體としては文書館の建物よりコンピューターを中心にして操作される裝置に
ところが、紙ではなく、デジタル化されると前者も「アーカイヴ(archive)」と単数形で用いられることが多くなる。その正確な理由に関しては、門外漢である私には分からない(この点に関してはどなたかご教示いただきたい)が、もともとは物理的存在である紙に記された情報がデジタル化されることにより、実在と概念のあいだを漂うような存在となるからではないかと考えている。
佐藤守弘「第1回:美術館とオンライン・アーカイヴ」、Webマガジン『AMeeT』(ニッシャ印刷文化振興財団)連載「巨大な書庫で迷子になって」(全3回)、二〇一八年一月十一日
しかし、なぜアーカイヴなのか。圖書館で喩へる方が一般人に馴染みがありさうなのに? 圖書館で提供される印刷本は他所にも存する複製量産品だが古文書館には一點物の原資料を實見しにゆく、それを對比してのことであれば、むしろ非文字資料を扱ふ美術館や博物館の方がオリジナルに重きを置くのでは? 實際一九九八年前後より「デジタル・ミュージアム」とも言はれ、アンドレ・マルローの「空想美術館」を引合ひに出す論(e.g.寺田鮎美「空想美術館――複製メディアにおける芸術作品の受容」西野嘉章編『眞贋のはざま デュシャンから遺伝子まで』〈東京大学コレクションⅩⅡ〉東京大学総合研究博物館、二〇〇一年十一月)もなかったか? 或いはlibraryと違ってarchiveは動詞にも活用でき蒐集が網羅的だと云ふ理由も擧がるが(浜野保樹『表現のビジネス コンテント制作論』「第10章 アーカイブ」東京大学出版会、二〇〇三年一月)、附加條件に過ぎないのでは? 單に、文書館は歴史研究者等の專門家向けで一般利用者に縁遠かった分、却って餘り既成イメージもつき纏はなくて、言葉だけ上滑りさせた轉用がしやすかったとか? 結局、圖書館でも美術館・博物館でもなく文書館が範例となったのはどうしてだらう……。この點は、その後佐藤が出席した座談會で幾らか掘り下げられてゐる。まづ佐藤の發言から。
[……]各省庁に分かれていた文書が集められて、ナショナル・アーカイヴズとして国立公文書館ができている。もちろん、そういうところにあるのは主にペラの紙ですよね。僕がよくわかりやすいメタファーとして用いるのが、美術館は壁で、図書館は本棚、それでアーカイヴズというものは引き出しあるいは蔵の長持。つまりアーカイヴは見えないところにある。これが本来の形だったと思います。
IT用語で単に見えなくする、zipでアーカイヴするとかメールをアーカイヴするとか、捨てないけれどどこかにとっておくということがもしかしたら本来のアーカイヴズの形なのかもしれない。ただ、壁と本棚と引き出しみたいな比喩が通じなくなってきている、そのあいだの境界線が溶けているというのが今だと思うんですね。フーコー以来の単数系のアーカイヴ/アルシーヴでは、アーカイヴとして見る、という比喩としてのアーカイヴが出てきている。そして何よりもデジタル化ですね。デジタル化によってそれまでのメディウムそれぞれの差異、あるいはメディアの形の差異が、デジタルデータということで一緒に取り扱われるようになってくる。
阿部崇×佐藤守弘×田口かおり×土屋紳一「座談会 アーカイヴと表象文化論の現在」表象文化論学会『ニューズレター REPRE』Vol.33「小特集:アーカイヴの表象文化論」二〇一八年六月
ここで「引き出し」と呼ばれるのは、より精確に言へばヴァーティカル・ファイリング・システム(垂直式文書整理法)であらう。事務用キャビネットの奧が深い引き出しへ
この座談會にフーコー研究者として招かれた阿部崇は、圖書館との對比をかう解説する。
だから気をつけなければいけないのは、フーコーが言っているアルシーヴっていうのは要するに記録の集合とか貯蔵されたテクストを意味しているわけではないということです。むしろ、フーコーはそれについては図書館という比喩を用いている。アルシーヴというのは、発せられた言表のうち何が言説になるのか、何が記録されるのか、されるべきなのか、ということを決めるものなんです。
右の典據となるのは『知の考古學』Ⅲ章Ⅴ節、新譯では、「アルシーヴ」について「それは、あらゆる図書館の図書館、時間も場所も持たない図書館を構成するものではない」(慎改康之譯『知の考古学』〈河出文庫〉二〇一二年九月、248頁)と述べた邊りか。「圖書館 bibliothèque」は邦譯『知の考古学』で中村雄二郎譯の「索引」にも慎改康之譯の「事項索引」にも採られてないけれど、他に河出文庫版だとⅡ章Ⅳ節102ページ及びⅢ章Ⅳ節234・235ページに出て來る。
それでもなほ判然としないからであらう、座談會の終り近くで聞き手が再論を促してゐる。
――データベースとアーカイヴという言葉の関係について、もう一度確認させてください。アーカイヴの原イメージは、建物があって、本棚があって、引き出しがあるツリー構造。データベースは、タグのついたデータの集合体にランダムアクセスするということでよろしいでしょうか。
阿部:たぶんそうでしょう。誰も全体像が分からない塊ですね。
佐藤:資料目録がデータベース。一方で実際、行李などのなかに入っている大量の手紙とかがアーカイヴなのかなという理解が一番良いのではないかな。まあそこに加えるならば、コレクションという概念もややこしいんですよね。
──アーカイヴは、どこに何があるか分かってる人は素早く目当ての文書や物を引き出せるけれども、ある程度の規模になるとデータベース化して検索しないとアクセスできなくなっちゃいますよね。[……]
一概念を考察するにも他の類語・縁語・對義語等との差異の中で語誌を踏まへて意味や用法を掴まねばならず、なかなか一件落着とはゆかない。