アナクロニズム  anachronism


註疏

*1

プロローグでひと言觸れただけなので、詳しく語ったものは、ジョルジュ・シャルボニエ『ボルヘスとの対話』「 新しい文学ジャンル鼓直+野谷文昭譯、国書刊行会、一九七八年十一月、p.124以下參照。フネスの物語を書いたのは、現實に不眠症に苦しめられてゐたのでそれから逃れようとしてだ、とボルヘスは言ふ。

それは不眠症の、忘却に身をゆだねることの困難ないし不可能性の、いわば隠喩です。というのも、眠ることはすなわち、忘却に身をゆだねることだからです。己れの自己同一性、己れの置かれている状況を忘れること。フネスにはこれができなかった。結局そのために、苦悶しながら息絶えた。

『ボルヘスとの対話』p.127

眠ることは忘れること……確かに。とはいへ、夢も見ずに熟睡する限りで、と但し書きを添へずばなるまい。夢、殊に惡夢では忌はしい記憶が反芻され、眠ってゐる間も己が過去に魘されようから。夢もまたボルヘス愛用のモティーフではあったが、とすると、我を忘れさせてくれる夢こそが求められる夢である筈だ。或いは過去でなく、夢とは「將來の夢」の意味であればよいのか。いっそ豫知夢とか夢占ひとか。ミシェル・フーコーは處女作「ビンスワンガー『夢と実存』への序論」で、かう斷じた。

夢のもつ本質的な点は、それが過去を再生することのうちにではなく、未来を予告することのうちにある。夢は、患者がそれ自身もはや気づいてはいないが、にもかかわらず患者が抱えるきわめて重い負荷である秘密を、分析家に遂に打ち明けるであろうその契機を予示・予告しているのである。[……]夢は解放の契機を先取りしているのである。それはトラウマとなった過去の強迫的反復であるよりも、むしろ歴史の予示なのである。

このくだり(譯文が改變されてゐるが、『ミシェル・フーコー思考集成  1954‑1963 狂気/精神分析/精神医学』筑摩書房、一九九八年十一月所收、石田英敬譯p.122に相當)を引いて神崎繁は、「過去志向的なフロイトの夢解釈の理論とあえて対比することで、未来志向的な理解の方向性を強調する」ものだと評してゐる(『フーコー 他のように考え、そして生きるために〈シリーズ・哲学のエッセンス〉NHK出版、二〇〇六年三月、p.102)。考へさせられる指摘だ。――なほ、引用されたフーコーの文中「歴史」とある箇所は、荻野恒一・中村昇・小須田健譯『夢と実存』「序論」(みすず書房、一九九二年七月、p.71)では「生活史」と譯されてゐて、精神醫學の文脈ではその方が適切だらう。精神鑑定書だったら「生活歴」だ。

續けてフーコーは、「夢の構成契機になるのは、時間を通じて生成する実存、未来へ向かうその運動のうちにある実存以外にはありえないのだ。夢はすでにして、生成しつつあるこの未来であり」云々と述べてゐる。成程、現に夢を見てゐる主體にとってそれは生起しつつある現象であらうから、「過去の生活史が疑似的に客観化されたにすぎない主体[=主觀]」では「ありえない」だらう(同p.71)。が、異議あり。夢といふものは、その最中は眠ってゐるのだから覺醒後に想起されるものでしかない。したがって、單に過去の體驗が夢に見られることがあるといふ以上に、もっと根本から、夢とは意識にとって過去のものではないか(未來志向の生動が見出せるとしたらそれは、夢見それ自體に、ではなく、夢語りにおいて、聞き手との關係(ラポール)に應じて、では?)。それが、再現といふより想起に伴っていま構成されつつある過去なのだとしても(大森荘蔵流の時間論)、その限りで現存在やら實存やらに屬するにしても(實存主義式の投企)、やはり作業が後向きであることは否めない(精神分析で「事後性 Nach­träg­lichkeit」と呼ぶ遡及作用)。どうしてそれを未來向きの前方投射に轉じられるのだらうか。「覚醒時の心像と夢みる想像力とのあいだには、[……]距離があるから」「覚醒した意識が夢について提供するさまざまな心像から出発しての夢の分析は、ほかでもない心像と想像力とのあいだのこの距離を跳び越えること」(『夢と実存』p.108、『思考集成』p.146相當)――そんなこと、ビンスワンガーだってなし得たのか疑はしい(「人間は、夢みるとき生命機能あるが、覚醒するとき生活史を創る。」「生命機能と内的生活史という対立の両者を、共通分母で通分しようということは、くりかえし試みられているが、これは不可能である」、ビンスワンガー夢と実存』pp.163-​164​=荻野恒一譯「夢と実存」『現象学的人間学――講演と論文 1――みすず書房、一九六七年十月、pp.128-​129)。夢を豫兆と信ずる古代人、晩年にフーコーが論じた『夢判斷』の著者アルテミドロスの如き感性の持ち主にならば、できるのか​……? 「われわれと古代世界とのあいだに存在する最も著しい差異の一つは、古代世界は不思議な方法で未来を探知しようとし、もしくは探知しうると考えたが、われわれはそういうことをしないという点にある。」「未来の探索一般においても言えることであるが、特に夢に関しては、古代と近代とはまったく異なった世界である」(ヤーコプ・ブルクハルト/新井靖一譯『ギリシア文化史3』「第四章 未来の探索〈ちくま学芸文庫〉一九九八年八月、p.116​・139。これを援引した歴史觀論がカール・レーヴィット/西尾幹二・瀧内槇雄譯『ヤーコプ・ブルクハルト 歴史のなかの人間』第五章2c、〈ちくま学芸文庫〉一九九四年八月、pp.337​-​340)とか。どうもこの邊、夢なんか見ない、イヤ見るのかも知れないが起きたらサッパリ忘れてしまって想ひ出せない、さういふ散文的な現代人にとっては解りかねる。――因みに古典學者B・A・ヴァン・フローニンゲンは、古代ギリシア人が過去を重視したのに比して「未来にははるかにわずかな関心しか抱かなかった」(野口杏子・左中庸博・矢内光一譯『過去からの発想 ギリシア思想の一つの相についてのエッセー』「第九章 対をなす議論・未来」、〈フィロソフィア双書〉未來社、一九八八年六月、p.156)と説き、ブルクハルトに反するかのやうだが、未來を示す神託・豫兆・夢に關しては多々流布した豫言集ですら「それらは未来に関する知識をうるために使われるのではなく、現在ないし至近未来に関する指示をうるために使われる」(仝p.162)と見るので、神々より傳へられる豫知についてブルクハルトが「しかも大抵はそれは近い未来や限定された因果関係なのである。」「大抵の場合神託は、これから何が起こるかを述べるのではなく、指図をしている」(前掲書p.226​・233)と述べる所と合致する。恐らく「未來」といふ概念からして古代とは違ってゐると考へるべきなのだらうが​…​…。時間論の哲學に深入りすると寢覺めが惡くなりさうだから止めておく。

*2

入手しやすいのは、中村健二譯「カフカとその先駆者たち」『異端審問晶文社、一九八二年五月、p.162→『続審問〈岩波文庫〉二〇〇九年七月、p.192。但し英譯版からの重譯である。ほか、土岐恒二譯「カフカとその先駆者たち中央公論社』一九七四年七月號、p.230。藤川芳朗譯「カフカと彼の先駆者たち城山良彦・川村二郎編『カフカ論集国文社、一九七五年二月、p.279(目次でのみ「ルヘ・ルイス・ボルヘス」と誤記)。

引用したこの箇所にボルヘスは註を附してゐる。T・S・エリオット著“Points of View”​(1941)​pp.25-26.を看よ、と。具體的には、有名な「傳統と個人の才能」(一九一九年初出)の次の部分に當る(Cf. Alice E. H. Petersen, Borges's “Ulrike”— Sig­na­ture of a lit­er­ary life, Studies in Short Fiction, vol.33 no.3, 1996 Summer)。吉田健一譯で引いておく。

一つの新しい芸術作品が創造された時に起ることは、それ以前にあった芸術作品のすべてにも、同時に起る。すでに存在している幾多の芸術作品はそれだけで、一つの抽象的な秩序をなしているのであり、それが新しい(本当の意味で新しい)芸術作品がその中に置かれることによって変更される。この秩序は、新しい芸術作品が現われる前にすでに出来上っているので、それで新しいものが入って来た後も秩序が破れずにいる為には、それまでの秩序全体ヽヽがほんの少しばかりでも改められ、全体に対する一つ一つの芸術作品の関係や、比率や、価値などが修正されなければならないのであり、それが、古いものと新しいものとの相互間の順応ということなのである。そしてこの秩序の観念、このヨーロッパ文学、及び英国の文学というものの形態を認めるならば、現在が過去に倣うのと同様に過去が現在によって変更されるのを別に不思議に思うことはない。しかしこれを理解した詩人は多くの困難と、大きな責任を感じなければならないことになる。

吉田健一譯「伝統と個人的な才能」『エリオット選集 第一巻』彌生書房、一九五九年三月、p.12

譯文中「不思議に」は原語preposterous、前後顛倒が文字通りの意味。「さかさま」と飜譯した矢本貞幹譯「伝統と個人の才能」(『文芸批評論』〈岩波文庫〉一九三八年五月→一九六二年九月改版p.10)、「途方もないこと」と辭書通りな譯語である深瀬基寛譯(『エリオット全集 5 文化論中央公論社、一九六〇年八月→改訂・三版、一九七六年二月pp.7-​8)、等々と對照のこと。エリオットが理念とする「秩序」即ちorderとは通時的系列に即せば「順序」であり、しかし文學史の時間性を空間性に置換して、繼起的秩序でなく「同時的な秩序」といふ呼び方さへされてゐたが、それが傳統として保持されるのも逆轉による變動を通じてこそだと言ふ次第。ここにソシュール以後の共時的體系の構造論を聯想したくなるのは、構造主義を經た讀者としては無理ならぬところ(例、加藤文彦『相互テクスト性の諸相――ペイター/ワイルド/イェイツ/エリオットの「常に既に」』国書刊行会、二〇〇〇年七月、第一章p.73以下)。曰く「構造主義の元祖になりそこねたエリオットを見る思いがする」(加藤文彦『文学史とテクスト』ナカニシヤ出版、一九九六年四月、第二章「4 エリオット/ソシュール/デリダ」p.94)と。舊風に泥む者なら「辨證法」の名を奉りもしようが(フレドリック・ジェイムソン/荒川幾男・今村仁司・飯田年穂『弁証法的批評の冒険 マルクス主義と形式第五章、晶文社、一九八〇年一月、p.227)。兎まれこれにより、謂はゆる「傳統の發明 inven­tion of tradi­tion」の論は歸化英國人エリオットに胚胎し、アルゼンチン人ボルヘスが文學作品の具體例に即しつつその逆説性を高めて再提唱した、と系統づけられよう――いや、或いはこれもまた「創られた傳統」であるのかしれない……。加上説(富永仲基)としての「ボルヘスとその先驅者たち」。

歴史を傷めて大きくなるヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ――芸術鑑賞家たちの趣味を自分のヽヽヽ軌道へと引き入れてしまう後代の巨匠はすべて、無意識のうちに、前代の巨匠とその作品の取捨選択や新評価をやっている。つまり、そのなかでも自分にヽヽヽ適うもの、血縁的なもの、自分をヽヽヽ予告し、予想させるものこそが、いまや、前代の巨匠とその作品における真に重要なものヽヽヽヽヽと見なされる、――これは、ふつう大きな誤謬ヽヽヽが虫として隠れているひとつの果実である。

中島義生譯『人間的、あまりに人間的 ニーチェ全集6』「第一部 さまざまな意見と箴言」一四七〈ちくま学芸文庫〉一九九四年二月、p.113
*3

ジェラール・ジュネット/和泉涼一譯「文学のユートピア花輪光監譯『フィギュール叢書 記号学的実践〉書肆風の薔薇、一九九一年六月、p.155。より初出に近い異文と思はれるのは、G・ジュネット/倉沢充夫譯「ボルヘスの批評牛島信明・鼓直・土岐恒二・鈴木宏編集『même/borges』〔季刊même第二號、一九七五・夏〕エディシオン エパーヴ、一九七五年七月(これは底本を記してないが、これを擧げたジュネット邦譯リストで原書誌を副へたものがある。花輪光監訳者あとがき」ジュネット『フィギュール叢書 記号学的実践〉書肆風の薔薇、一九八九年四月、p.347參照)。ジュネットの批評文が文學理論で謂ふ所の間テクスト性につながるのは容易に看て取れよう。分類魔であるジュネット自身は「超テクスト性 trans­textualité」その他の造語で呼び換へてゆくけれど(和泉涼一譯『パランプセスト 第二次の文学叢書 記号学的実践〉水声社、一九九五年八月)。

間テクスト性とは、從來の引用・典故・源泉・材源・影響關係等をカッコよく言ひ換へただけの代物でなく、クロノロジカル(年代記的)な順序を解體する概念としてこそ意義がある(土田知則間テクスト性の戦略〈NATSUME哲学の学校夏目書房、二〇〇〇年五月、pp.63-66​・105-​116)。讀解におけるアナクロニズムもそこに關はり、共時態といふものは現時點での時間軸の横斷面であるに盡きずその輪切りに幾分か過去をも含む厚みが入り込んでくることが考慮されよう(Cf.立川健二『《力》の思想家ソシュール』第2部、〈叢書 記号学的実践〉書肆風の薔薇、一九八六年十二月)。これを讀書心理上の記憶の錯覺と言ってしまへばそれまでだが、デジャ・ヴュ(既視感)ならぬデジャ・リュ(既讀感)なる語が既に存し(神崎繁『プラトンと反遠近法』新書館、一九九九年二月、p.22・184​・215。仝「Déjà lu既読感青土社『現代思想』一九九九年九月號卷末〈研究手帖〉。仝「私の欄外書き込みマルギナリアから――ホッブズの『メデア』」『人生のレシピ 哲学の扉の向こう岩波書店、二〇二〇年十月、p.97)、敢へてそれで命名する向きもあって(梅村博昭「間テクスト性とdéjà lu―立松和平『性的黙示録』におけるサリンジャーとドストエフスキーの痕跡―」『東京農業大学農学集報』53卷3號、二〇〇八年十二月)、どこかで讀んだやうな印象が生ずるのは修辭學で謂ふ引喩allu­sion​=仄めかし)の效果に近いものの、未見だったのに既讀感を覺えることがある以上、書き手が暗示してない時でさへ讀者側が勝手に相似アナロジーを感じたり出典ありげに思ったり、誤認や深讀みも入るのは不可避の當然である。だがこちたき術語を振り回すまでもなく、えせ學者流(pseudo‑schol­ar­ship)にならぬ普通の讀者階級にあっては文學史に拘泥せず新舊先後を共存させた讀み方が常識であることは、夙にE・M・フォースター『小説の諸相』(原著一九二七年刊。田中西二郎譯、〈新潮文庫〉一九五八年十月、pp.15-​16)が序説でまづ前提に据ゑた所であった。時間は敵だ、むしろ時代を超えて一堂に會した作家達が同時に書いてゐる所を想ひ描く、云々。但し、常識論に眼を開かせるには逆説を以て説かねばなるまい――​・K​・チェスタートンのやうに。その代表作『正統とは何か』(安西徹雄譯、〈G​・K​・チェスタトン著作集1〉春秋社、一九七三年五月→一九九五年十一月。山之内一郎譯『正統思想』〈現代カトリック文藝叢書〉甲鳥書林、一九四三年三月/佐々木良晴譯『正統への回帰』〈中央新書〉中央出版社、一九七四年九月)は、逆説(par­a­dox)滿載のレトリックで正説(or­tho­dox­y)を掲げる。同書第七章中や『異端者の群れ』(別宮貞徳譯、〈G​・K​・チェスタトン著作集5〉一九七五年二月)で當時流行のニーチェ思想に對し猛反撥を見せたのは自身若き日にたっぷり世紀末の毒氣に中ったからこそで裏腹の關係にあり、「氣狂ひの樣になつて常識を説いただけだ」と言ふレミ・ド・グールモンのニーチェ觀(小林秀雄「樣々なる意匠」に引用されて知名、變形されてゐるが出典はルミ・ド・グルモン/堀口大學譯『箴言集 沙上の足跡』「沙上の足跡 第一」の「七十八」、東京堂、一九二二年四月、p.37)はそっくりこの逆説家パラドキストへの評語にも通用して可なり。ニーチェ亦曰く、「眞の歴史家は衆人周知のことを未聞のことに鑄直して一般的なことをあまりに單純且つ深長に告知する力を持たねばならぬ、ために世人がその深さを通して單純さをまたその單純さを通して深さをはるかすほどに」(「生に對する歴史の利害」、前掲『反時代的考察 ニーチェ全集4p.180相當。原文末尾über­sieht​=英o­ver­lookは見逃す/見通す兩義あるも後者の意に改めたが、その點參考にした譯文は、須藤訓任『ニーチェの歴史思想――物語・発生史・系譜学――「第二章 問題群としての生に対する歴史の利と害について大阪大学出版会、二〇一一年十二月、p.91所引)。要は、既視感から未視感(Jamais Vuジャメ・ヴュ)への轉換――何か新しいものをはじめて見ることではなくて、古いもの、旧知のもの、誰もがこれまでに見てきたもの、あるいは見過ごしてきたものを新しいヽヽヽものであるヽヽヽヽヽかのようにヽヽヽヽヽ見ることが、ほんとうに独創的な頭脳を特徴づける所以である」(中島義生譯『人間的な、あまりに人間的 ニーチェ全集6』第一部二〇〇ちくま学芸文庫版全集6p.150)、「独創性とは何か? あらゆる人の眼の前にあるものなのに未だ名をたず、いまだ名づけられえないでいるものを、見るヽヽこと」「ところが、慣れっこのものこそ認識するのに、つまり問題として見るのに、換言すれば知られぬもの・疎遠なもの・われわれの外のものとして見るのに、一番困難なものなのだ」(信太正三譯『悦ばしき知識 ニーチェ全集8二六一三五五、〈ちくま学芸文庫〉一九九三年七月、p.281​・397)。心ここに在らざれば視れども見えず(『大學』傳七章)。

*4

ニーチェ後一〇〇年を経て、[……]生や若さといった名辞を用いる健康論によって歴史学を抑え込もうとする試みも、もはや反時代的でないどころか、全く時代遅れになっている」(ノルベルト・ボルツ/村上淳一譯『世界コミュニケーション』 歴史の幸福な終焉ハッピーエンド東京大学出版会、二〇〇二年十二月、p.182)。例へば、一九八〇年代半ばに『文章教室』(一九八五年一月初刊)の作家が吐いた皮肉を想起してもいい。「文学というものは、今時、流行遅れのものだし、流行遅れのことをやっている人間たちが――反時代的、などと言えば賞めすぎになる――何も知らないからと言って、驚くにはあたいしない」(金井美恵子私はその名前を、知らない」『Studio Voice別冊'85 勉強堂流行通信、一九八五年七月、pp.459-​460。金井の單行本に未收録か)。既に十九世紀以來ずっと、時代の叛逆兒であることは却って天才の證、青年やら藝術家やらにとって名譽であった(例、ヴィリエ・ド・リラダンとか)。侮蔑や自卑の響きを取り戻さぬ限り、最早「反時代的」といふ言葉は賞味期限切れである。いまの時代、下記の如き惹句を空々しく感じられない者が『反時代的考察』を熱心に讀むとしたら、惡い冗談といふものだ。曰く、「反時代的とは何か。時代に背を向けているだけの冷淡な反対的態度ではなく、積極果敢な時代批判を通して未来を指向する精神。これがニーチェにおける最も美しい〈反時代的〉という意味である。[……]すべての青年たちに捧げられた青年の哲学」(ニーチェ全集4ジャケット裏)。――對して、のちの中年ニーチェは、更に己が反時代性をさへも克服せよと勸説した。即ち、差し當たり「超克」するのは自身の時代をだが、「のみならず、この時代に對してのヽヽヽヽその今までの反感や反抗をも、この時代ゆゑのヽヽヽその苦惱、その時代不適合性Zeit‑Ungemässheit、そのロマン主義ヽヽヽヽヽをも……」と(『悦ばしき知識第二版)』第五書三八〇、前掲ちくま学芸文庫版全集8​p.452相當)。尤も、翌一八八八年刊『ヴァーグナーの場合』「序言」ではまた、「哲学者」として「おのれの内なるその時代を超克すること、無時代的zeitlos​=時を超えた]となること」や「一切の時代的なもの、時代向きのものZeit­liche, Zeit­ge­mässeに対する深い疎遠、冷淡、幻滅」を自負する始末で(原佑譯『偶像の黄昏 反キリスト者 ニーチェ全集14』〈ちくま学芸文庫〉一九九四年三月、pp.285-​286)、振幅を見せるのだが。「だが牽引されながらも反撥し、反撥しながら牽引されるというのが、ニーチェの常である」(斎藤忍随「ニーチェとクラッスィッシェ・フィロロギー」『幾度もソクラテスの名を  1946–​1965』みすず書房、一九八六年十一月、p.32)。兩面價値性アンビヴァレンツと言ふより兩極(端)性か。

時代(Zeit​=時間)の不適性(Unangemessenheit)、それは一般には專ら現代といふ特權的なこの時代との相性マッチングについて問題とされ、我らが現代人においてはほぼ社會不適合者と同然になる。取分けニーチェの場合、「自然や本能を称揚するとき、彼は社会性そのものを誹謗している。[……]だから、彼が生に敵対すると言うとき社会に適合すると読み、彼が生を促進すると言うとき反社会的と読むことさえできる」(永井均『これがニーチェだ』第一章「3 ニーチェの道徳的趣味」、〈講談社現代新書〉一九九八年五月、p.49)。「生に對する歴史の利害について」亦然り。ところが頻りと奉じられるその生=Lebenとは何かとなると、價値規準クライテリオンとするには包括的に過ぎて語意不明解なのであり……「ただでさえ、Vitaのドイツ語Lebenはミスティッシュな気分をただよわせていて気味が悪いのに、[……]愈々私は恐れをなしてレーベンの意味探究はなるべく敬遠したいと思った」(斎藤忍随「フィロローグ・ニーチェ――ニーチェ・コントラ・ブルックハルト――幾度もソクラテスの名を 』pp.58-59)。生觀念の變幻自在なこと、「最高善としての生命」(ハンナ・アーレント/志水速雄譯『人間の条件』第六章44、〈ちくま学芸文庫〉一九九四年十月)乃至「偽神と化した生命」(イバン・イリイチ、デイヴィッド・ケイリー編/高島和哉譯『生きる意味 「システム」「責任」「生命」への批判藤原書店、二〇〇五年九月)にまで肥大するほど。ニーチェ用語における「生」は、時代や社會の拘束を突き破る尖鋭な個性の生氣である反面、群棲生物・社会的動物としての生活への適應が「畜群本能(Herden­instinkt​=群集本能)」(『悦ばしき知識』一一六)といった罵語でしか考慮されないので(『人間的な、あまりに人間的な 第二卷』第一部二三三での自戒は『善惡の彼岸』二〇二で解除された?)、それで生が保てるのか安身が危ぶまれるけれど、先立つのは生命力の發散だから自己保存は副産物であるだけとのこと(『善惡の彼岸』一三。Cf.『悦ばしき知識(第二版)』三四九)。遺文ノート帳には「生は自己保存欲ではなくて生長ヽヽ欲である」(信太正三「解説」『善悪の彼岸 道徳の系譜 ニーチェ全集11』〈ちくま学芸文庫〉一九九三年八月、p.620所引=Nachgelas­sene Frag­mente-1885, 2[179])との斷定も見られ、保持でなく生長を言ふのは、存在より生成(Cf.『悦ばしき知識(第二版)』三五七)を根本に置いて變化を内包する構へであり、異變は時間經過に伴ふもの、社會にもまして時代との適不適で語られるのが相應しからう。さらに、ニーチェの生物學主義からすると種にとっての生存條件は生命體に錯誤を強ひるものだった。曰く「眞理とは誤謬の一種であって、それ無しには或る一定の種の生けるものが生きてゆけないかもしれない類ひである。」(『權力への意志』四九三原佑譯『権力への意志 下 ニーチェ全集13〈ちくま学芸文庫〉一九九三年十二月、p.37相當=NF-1885, 34​[253]。Cf.『善惡の彼岸』――或る誤謬は、その他の誤謬よりも、いっそう古く、いっそう深く、おそらくはそのうえ、私たちのごとき有機体がそれなしでは生きることができないかもしれないかぎり、根絶しがたい」(原佑譯同前p.73、『權力への意志』五三五NF-​1885, 38​[4]。Cf.榎並重行『ニーチェって何? こんなことをいった人だ新書y〉洋泉社、二〇〇〇年五月、p.98所引​=NF-​1885, 34​[247])。或いは裏から見て、「私は、真なるものを、なんらかの現実的に生きている真ならざるものに対立するものとしてのみ認識する。だから真なるものは、まったく力なしに、概念として、生み出されるのであり、かくてもろもろの生きている誤謬ヽヽと融合することによって初めてもろもろの力を取得しなくてはならないのだ! それゆえひとはもろもろの誤謬を生きさせて、それらに或る大きな領域を認めなくてはならない。――同様に、個体として生きえんがためには、まず社会という――対立するものが、高度に促進されており、また引き続き促進されるのでなくてはならない。」(原佑・吉沢伝三郎『生成の無垢 下 ニーチェ全集 別巻4』九七、〈ちくま学芸文庫〉一九九四年九月、p.73=NF-​1881, 11[171]――個性的な人生(=個體としての生長)は眞だとしても生きた錯誤である社會と結合しない限り效力無い、と。では、時代後れであることも、さうならざるを得ないやうなその種の根源的な錯誤の一つだとしたら……?

*5

「先」の語史について詳しくは、勝俣鎭夫バック トゥ ザ フューチュアー――過去と向き合うということ――日本歴史学会『日本歴史』二〇〇七年一月號新年特集号 日本史のことば」吉川弘文館→『中世社会の基層をさぐる山川出版社、二〇一一年九月、參照。サキといふ言葉の未來を示す用法は十六世紀以降に見られる新しい派生語意であり、元々中世までは時間上で過去を指す語だったことが考證されてゐる。よって、有名な土一揆の史料である柳生徳政碑文「正長元(一四二八)年ヨリサキ者(先は)カンヘ(神戸)四カンカウ(四箇郷)ヲヰメ(負目)アルヘカラス」の冒頭が正長以後の意とされるのは現代の語感が先入觀となった誤讀であり正長元年以前と解釋すべきだ、と。さらに、ヴァレリーの名言も引きながら、時間における過去を空間における前方に對應させ未來を後方に對應させる表現は日本以外でも古代ギリシアやアフリカ・南米等の諸言語にもあることが論及されてをり、さうした過去現在を眼前にして未來を背にする時間認識の方向性を轉回したものとして、進路を見つめ未來を志向する西歐近代式の歴史意識が對照されるところ、示唆に富む。

また言語學の阿部宏は次のやうに整理する。「空間概念の時間化について、主体は不動でその前を各事件が川の流れのようにつぎつぎに流れ去っていくイメージ(事件移動)でとらえられる場合と、主体が時間という一本道を自ら前へ前へと進んでいくイメージ(主体移動)でとらえられる場合と、主として二つの概念化がおこることが一般的に指摘されている。

やはり空間概念が時間化された「さき」にも、以下のように過去と未来の正反対の用法が存在する。「さき」の場合は、「先端」→「空間的な前方」→「時間」であるが、事件移動のイメージでは、すでに流れ去って流れの前方にあるのが「さき(=過去)」で、主体移動のイメージでは、主体の前方の地点が「さき(=未来)」ということになり、「あと」とはちょうど対称的な関係になる。

さきヽヽ(=過去)にお話しした件ですが……」/「それは、まださきヽヽ(=未来)のことだ」

「比較文法を批判してソシュールが考えたこと」岩波書店『思想』二〇〇七年第一一號「ソシュール生誕一五〇年」p.60
*6

ジュネットも言ふ、「時代錯誤アナクロニスムというのもまた、先説法プロレプス――過去から現在への目配せであってその逆ではない――の中でしかほとんど味わいをもたないのだ。そこで、むしろこれは、プロクロニスムヽヽヽヽヽヽヽ prochro­nismeと呼ぶべきであろう」(『パランプセスト』第六十二章 近接化前掲邦譯p.525)。先説法は現時(語り行爲ナレーションの現在でなく、專ら過去時制で語られる物語内容イストワールの現時點)から後に生じる出來事を事前に喚起する敍述であり、その現時からすれば未來(それを語りつつある現在からすれば過去乃至現在)を先取りして插入部とする未來混入=pro­chronismeになるわけ。これに對し、これと共に錯時法(ana­chronie)に屬する後説法アナレプスもあるが、「予想、すなわち時間的先説法を用いる割合が、その逆の文彩〔後説法〕とくらべてはるかに小さいということ」(ジェラール・ジュネット/花輪光+和泉涼一『物語のディスクール 方法論の試み』「 順序」〈叢書 記号学的実践〉書肆風の薔薇、一九八五年九月、p.70)が指摘されてゐた通り、後説法の方が所謂フラッシュバックや回想シーン等の形でありふれてをり、目立たぬ分、不協和音を釀す時間錯誤アナクロニズムの效果は弱い。また後説法は先行する出来事を後になってから喚起する語りで、回顧的に現時から過去へと指向(逆向)するので、その向きに隨伴して物語上の過去(過去形の物語が基準だと大過去・過去完了に相當)にとっては未來になる事柄が持ち込まれてしまひやすく、それと反對向きに現在へと過去から後れて入って來る混態は強調されにくい。

斯くて文學技法上「過去混入」は「時代混交アナクロニズム」としては未來混入ほど用ゐられないものながら、「タイムマシーンの構想」がこれに該當すると『レトリック事典』(p.550)は見てゐる。それはよいのだが、航時機は過去未來の雙方向に移動できるもの。したがって、實作例として半村良戦国自衛隊』を擧げてゐるのは却って混亂させる説明で、いただけない。あれは、もし現代の兵器がタイムスリップで遡って戰國時代に持ち込まれたらばといふ思考實驗の産物である。「もはや存在しなくなった要素を持ちこむこと」と述べた過去混入の定義に反するではないか。それだから「ただし、その記述を、戦国時代を基調として読めば、《未来混入》と見なされる」などと混ぜっ返したことを言ひ足さなくてはならぬ破目に陷るのだ。時間SFなら、過去への遡行ではなく、過去の方から現代や未來へとやって來るものこそが適例である。時間旅行といふ未來技術を昔の者に使はせるのは難題なので時間逆行者が過去の人や物を連れて戻る往還の方がまだしも見つかるだらうが、現代科學者が行ふ過去時空からの召喚實驗だとか(ジョン・ウインダム/浅倉久志「時間の縫い目」若島正『棄ててきた女 アンソロジー/イギリス篇』〈異色作家短篇集〉早川書房、二〇〇七年三月)、機械裝置無しで突如ローマ帝國兵團だの恐竜だのが出現するパラレル・ワールド混線(マレイ・ラインスター/冬川亘譯「時の脇道」山本弘編『火星ノンストップ ヴィンテージSFセレクション 胸躍る冒険【篇】』早川書房、二〇〇五年七月)や星新一午後の恐竜」のパノラマ視現象みたいなアイデアも彙類に含められようか。或いはSFジャンル外なら、「アナクロニズムの一種」とされる「二重時間(double timing)」もの(本文前掲最新 文学批評用語辞典』p.200に立項)で、過去を物語るサブプロットが現在進行するメイン・ストーリーの上に覆ひ重なってくるやうな作品(伏線の回收とはまた違ふ)が、相應しからう。想ひ浮びにくいか知れぬが例へば、前世の記憶が現在の意識に蘇って來てオーバーラップするやうな内面描寫のあるもの、金子光晴「心猿」(『風流尸解記〈講談社文芸文庫〉一九九〇年九月所收)が當て嵌まらないか。自分を孫悟空の生まれ變はりと思ってゐる男の混線した二重意識に妙味がある幻想小説で、あの延長上に〈過去混入〉文學が可能であらう。輪廻轉生の妄想により過去世が現在世に入して二重寫しになる展開だったら、アンリ・ド・レニエ『生きたる過去』(一九〇五年。鈴木斐子譯『生ける過去』〈現代佛蘭西文藝叢書〉新潮社、一九二六年五月。窪田般彌譯『生きている過去』〈岩波文庫〉一九八九年十一月。就中第二十八章)もあった。あらまし過去の亡靈に取り憑かれたといふ譬喩そのままみたいなもので、隔世遺傳(先祖返り)めかした家系設定の新式因縁話はエミール・ゾラはじめ夏目漱石「趣味の遺傳」(一九〇六年)や夢野久作『ドグラ・マグラ』(一九三五年)やウィリアム・フォークナー等々一時期の物語定型だったが(類例の擴がりは、高橋直治『折口信夫の学問形成』「第七節 『異郷意識の進展』定位の試み」後半「アタヴィズムについて有精堂、一九九一年四月、pp.194-216參照)、父祖傳來を誇る貴族達が沒落した市民革命以後になってなほ血筋の趣向が流行るとは皮肉なこと、そこから既に時代後れな時好ではあった。これに看取されるのは、後説法を用ゐた二次的な物語言説は先立つ時間上に傍系の物語内容を派生させるが、それが反ってその基盤である第一次物語の世界へ干渉してくる所に過去混入が生じ得ること、二次から一次に語りの水準を引き上げるならその還元(一元化)によって物語内物語である大過去は入れ子枠を貫入してきて前景に織り交ぜられること(恰も直接話法を枠づける引用符が外された敍法の如し)、時として異なる物語世界間の境界侵犯となる「転説法メタレプス」に通じて(Cf.『物語のディスクール』「 態」原注(48)p.359)尋常な因果連續を越える形で記憶が世代間を短絡ショートしたり時代の隔った事件が話型を再現したりすることだ。最後のは、神話の反復・再演にも似通ふ。それなら、アンドレ・ジイド『鎖を離れたプロメテ』(一八九九年)のやうに神話時代のキャラクターが唐突に近代都市(パリ)を闊歩しだす話にだって心持ち過去混入の趣きが感じられないか。題名からしてもアイスキュロスもぢりのパロディー續編で、『縛られたプロメテウス』からの「先説法プロレプスを用いた継ぎ足し」(Cf.『パランプセスト』第三十一章p.285、第六十一章p.507、第七十七章p.624)とも見做せようが、舞臺を現代化しても主要登場人物が古體な儘だったらひょっくり過去から現代社會に紛れ込んだ印象とならう(反對にP・B​・シェリー『プロミーシュース解縛』だと、背景は神話世界の儘なのに思想が現代に近接化され、初刊一八二〇年當時の無政府主義風理想郷ユートピアを參照枠組にした反支配的な改革の寓意アレゴリーが託されてゐるため、未來囑望を古典へ盛り込んだ遡及的アナクロニズムの感は否めない)。

兎もあれ時間轉移にしろ轉生にしろ神話にしろ自然主義リアリズム文學から懸け離れた空想設定であり、さうまでしないと過去混入は容易に實效が擧がらないやうだ。「こういう発明[=H・G・ウェルズ『タイム・マシン』]のおかげで登場人物は、一時的にか否かはともかく、自己の物語世界を離れ、他の物語世界に入り込むことができるのだ」(『パランプセスト』第六十二章p.524)。しかしまた――タイム・トラヴェルをするためには、なにもタイム・マシンという機械やもっともらしい設定を与える必要はまったくない。われわれが手にする書物あるいは小説がそれだけで立派にタイム・マシンの装置であるかぎり」……(若島正タイム・マシン文学 第3回 失われた町」ポーラ文化研究所isNo.65、季刊一九九四年九月、p.53。收録書『乱視読者の新冒険』研究社、二〇〇四年十二月ではこの文句は削除、代りに「第部 タイム・マシン文学史」扉裏に同趣旨の文あり)。殊に古書舊籍であればそれだけで過去を運んで來たタイム・カプセルではあり、記録裝置であると共に裝置そのものが記念物であり、歴史學的文書ドキュメントであらうと史料論で言ふ存在論的秩序(舊くは「本體論的整頓(onto­logische Ord­nung)」とも。今井登志喜『歴史學研究法』「三 史料學」、〈東大新書〉東京大學出版會、一九五三年四月、pp.22-29參照)に即せばそれ自體が考古學的遺物モニュメントでもあり、民俗學に謂ふ殘存・殘留(surviv­als)であり、過去混入である。ただ、その昔を今に現存させる時日後記パラクロニズムの錯時性が意識されず、それが現存する時點は現在でありながら過去の事物と目されるといふ背反(その意味では年代を實態より前に附ける時日前記プロクロニズム)が不思議に思はれてないのを、引っ繰り返す工夫が欲しい所。

*7

第Ⅱ部「第3章|分身たち――第二部」中「4 復讐からの救済」參照。これは同書第Ⅰ部第1章3で「『反時代的考察』という標題に籠められた反時代性アナクロニズムという歴史感覚のありよう」(p.42)を述べた所と照應してゐる(索引にも立項あり、他に五箇所拾へる)。このツァラトゥストラに見る反時代性=アナクロニズムは「過去を意志するという時間の逆転によって、世界を再び肯定する」(pp.215-216)のだが、但し「断片を未来の予感として捉え、偶然ヽヽである現在と過去とを未来によって必然ヽヽへと変換していく」(p.215)とされ、「過去と現在を未来からの眼差しによって眺め、未来によって現在と過去を是認するといった循環を前提としている」(p.216)との由。忠順なニーチェ讀解としてはそれでよいのだらう。が、前向きでない時代後れ(アナクロニズム)の徒としては未來はもう澤山である。一體、「後向きに欲する」と言ふのに、どうしてそんなに未來へ未來へと前傾姿勢でゐられるのか。それがせめて「発展を阻止しヽヽヽ[……]変質自身を堰きとめ」るとか(『偶像の黄昏』「或る反時代的人間の遊撃四三*4前掲ちくま学芸文庫版全集14​p.135)現在に繋留するだけならまだしも​……飛躍した方向轉回に、超人ならぬ凡夫にはついてゆけない。恐らく、後向きであることよりも欲することを、向きはどうあれ志向性を持つこと、意志あることを、重んじてゐるのだらう。「さあれ獅子の精神はわれ欲すと言ふ」(『斯くツァラトゥストラは語りき』第一部變化へんげについてちくま学芸文庫版全集9​p.48相當)、「人間は欲しないヽヽよりは、むしろまだを欲しようとする das Nichts wollen, als nicht wol­len」(『道徳の系譜學によせて』第三論文「禁欲的理想は何を意味するか」第一節及び掉尾ちくま学芸文庫版全集11p.485584相當)、と。これまた意志薄弱の身には悟り難き境地ではある。きっと超人には、意欲しないことができないのだらう。古來「〜でないことができない」(否定の不可能)とは必然性、「〜でないことができる」(否定の可能)とは偶然性の定義であるからして(アリストテレス、ライプニッツ、九鬼周造ら)。偶然を必然と化すには禁欲する能力を無くさないといけないらしい。「そこで表現されてゐるのは何ら必然性ではなく、或る無能力ヽヽヽヽヽでしかないヽヽヽヽヽ」(『權力への意志』五一六原佑譯権力への意志 下 ニーチェ全集13ちくま学芸文庫版p.51相當=NF-​1887, 9[97]。これを引いての矛盾律をめぐる擴張講釋が、マルティン・ハイデッガー/細谷貞雄監譯『ニーチェ| ヨーロッパのニヒリズム』「一 認識としての力への意志」中「ニーチェによる認識の働きの《生物学的》解釈」〈平凡社ライブラリー〉一九九七年二月、p.156以下)。それでも主意主義を貫いて強辯するのか――強い意志と名づけられているもの」の「本質的な点は、まさしく、意欲ないヽヽこと」だ、意馬心猿の衝動に驅られないでゐられるやう「刺戟に抵抗すること[に就て]の無能力」「反応しないヽヽこと[へ]のあの生理学的無能力」を克服することなのだ(『偶像の黄昏』ドイツ人に欠けているもの、前掲全集14p.84Cf.同「反自然としての道徳」​p.50、同「或る反時代的人間の遊撃」​p.96『權力への意志』七三四NF-​1888, 23[1])、と? アラよく躾けられたワンちゃんですこと、「待て」が〈できる〉だなんて! 遲鈍な反應時間(潛)が隱れた遲延能力の遂行だったとしてそれは克己制慾ストイシズムなのか、遲疑や惰性ではないのか。能無しではなく無爲の力能が有る、と言ひ做すソフィスト論法(世に實在せずただ善の缺如あるのみと説くアウグスティヌスの詭辯を裏返したみたいな)。「本性の強さ」に特有な「或る種のἀδιαφορία[≒アディアフォラ、無關心、無記、獨語In­dif­fe­renzインディフェレンツGleich­gül­tig­keit​=無頓着」と言ひ「不感不動ヽヽヽヽImpas­sibili­tät​=無感覺、アパテイアを誘發するやり口」と云ひ、「愚行を豫防する處方は、強い意志を持って何事もヽヽヽないヽヽnichts zu thun​≒を爲す]ことであらう​…​…/矛盾​…​…」(『權力への意志』四五原佑譯『権力への意志 上 ニーチェ全集12』ちくま学芸文庫版p.57相當=NF-​1888, 14​[102])。いかにも矛盾だ、他方では「無関心die Adia­pho­rie​=無差別、どちらでもよいもの]は、それ自体では思考されうるかもしれないが、存在しない『權力への意志』六三四、前掲全集13p.162​=NF-​1888, 14​[79])と否認するのだから。ここでの困惑アポリアは、前年に棄却濟みであった「力を中立化し、この力をまさに活動しないこともできるような主体の行為にする」といふ「誤謬推理パラロギスム」(ジル・ドゥルーズ/江川隆男譯『ニーチェと哲学』第四章6、〈河出文庫〉二〇〇八年八月、pp.245-​246)を蒸し返した觀がある――即ち、「強さを強さの表はれから分離し、強さを表するもしないも自由である一個の無記in­dif­fe­rentesな基體が強者の背後にあるかのやうに」見做し、「弱者の弱さそのもの[……]が、一つの自發的な達成、なにか意欲されたもの、選擇されたもの、一つの行爲ヽヽ、一つの功績ヽヽででもあるかのやうに」思ひ做す、「あの無差別なin­dif­fe­rente選擇自由である主體への信仰」(『道徳の系譜學によせて』第一論文「一三」、前掲全集11​p.405・406相當)の回歸。…​…ジョルジョ・アガンベンのニーチェ批判。「ツァラトゥストラが意志に対して後ろ向きに欲すること zu­rück­wol­lenを教え、あらゆるそれはそのようであった私はそのように欲したに変えることを教える者」とされるが、「復讐精神を除去することだけに気を配っていたニーチェは、存在しなかったものや、他のしかたでありえたものの発する嘆きの声を完全に忘却している」(高桑和巳譯バートルビー 偶然性について​・五、月曜社、二〇〇五年七月、p.76。Cf.上村忠男・廣石正和譯『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』37、月曜社、二〇〇一年九月​→第三刷二〇〇四年六月、p.132)。加へて、ニーチェが「無能力 Nicht‑ver­mö­gen, Un­ver­mö­gen」を言ふ邊りは可能性(Mög­lich­keit)の樣相モダリティーが絡むだけに(「無能 Un­fä­hig­keit」や『曙光』等に見える「無力 Ohn­macht」も?)、アガンベン流に能力の缺除態(〜することができない)とは區別される「非の潜勢力 im­potenza」(〜しないことができる可能態、非能力。『バートルビー』p.15・67及び譯注p.87)に注意して讀み解かないと、その違ひを分かたずに思考が縺れるばかりとならう。「ローマ人がim­po­tentia(不能・無節制)と呼んだもの」……不能が「無節度Maass­lo­sig­keit​=過度]」「自己自身に対する支配の欠如」の義をも兼ねるとは(「生に対する歴史の利害について第五節末、ちくま学芸文庫版p.169)、蓋し、無能力が特に抑制力の無さである場合に當り、即ちラテン語im­potensが自制を缺いた激情やなすすべがない猛威の形容詞に用ゐられるといった場合、むしろあり餘る力の荒ぶりを指すやうな對義に反轉してしまって、兩義性を有するわけ。それを兩極性Po­la­ri­tät​=分極性・對極性)の單語と言へば、フロイト攝取したカール・アーベルの語源學的思辨原始語の相反意義Gegen­sinnについて』を想はせ(臼井隆一郎乾いた樹の言の葉 シュレーバー回想録の言語態』第四章「二 象徴的極性連関」、鳥影社・ロゴス企画部、一九九八年十月、參照)――尤もエミール・バンヴェニストに據ると一廉の言語學者にとっては取るに足らぬ珍説で間違ひだらけだが(花輪光譯「フロイトの発見におけることばの機能についての考察岸本通夫監譯『一般言語学の諸問題みすず書房、一九八三年四月、pp.87-​90――、漢字訓詁學に謂へる反訓の如し(大濱晧『中国的思惟の伝統――対立と統一の論理――』「序章」中「文字」、勁草書房、一九六九年八月)。恰も否定形の慣用語法「〜を禁じ得ない」「〜に堪へない」が感情に動かされる樣を表はすのに似て、ラテン古典の用例でim­potens iraeは抑への利かない憤激を意味し、無力な怒りではなく怒りに對する無力、自力では制御不能ないきり立ちであったが、現代英語im­po­tent rage​(佛語rage impuis­sante)になると怒るだけで事態をどうにもできない「ごまめの齒ぎしり」(齋藤秀三郎の名譯)、實行力無き憤慨を言ふ意が專らであり、同樣にドイツ語ohn­mäch­tige Wutやる方ない憤懣などと譯されて、Ohn­machtを自失とも譯す所から推せば我を失ふ激怒の意味でもあり得るといふ異義の可能性は陰に潛み、情動は内心に押し籠められてゆく。從って、ニーチェが「なされてしまったことに対して無力なるままに――意志は、一切の過ぎ去ったものに対して、一人の悪意をいだくbö­ser​=怒れる傍観者である」(『ツァラトゥストラ』第二部救済についてちくま学芸文庫版全集9​p.254)と語るその「無力な ohn­mäch­tig」(生田長江譯「如何ともすること能はず」)も、直前の意志の歯ぎしり」の換言でしかなく、壓し殺した「怨恨In­grimm」(同前p.255。登張竹風譯「憤懣」、阿部次郎釋文で「痛恨」)以上に出ない。後悔先に立たず、後の祭り。もはや過ぎた事を如何ともし難い無力感が撥ね返って内攻すれば鬱屈となり、既に書かれた本文テクストの動かし難さに忠實であらうとする文獻學的嚴肅主義リゴリズムにも抑鬱は附きものであり、「一般に歴史学的な作業をやるものには、その職業病といってよいほどうつ病が多い(中井久夫治療文化論――精神医学的再構築の試み六2(4)歴史家の職業病としてのうつ病」、〈同時代ライブラリー〉岩波書店、一九九〇年七月、p.80​→〈岩波現代文庫〉二〇〇一年五月、p.82)といふ病蹟學的診斷が下される所以だ。……こんな後向きな過去把持がどうやって未來への先驅に轉向するのだらう?

なほ、ニーチェの「反時代性」を「アナクロニスム」論につなげるものに、ジョルジュ・ディディ゠ユベルマン『残存するイメージ アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』(竹内孝宏・水野千依譯、人文書院、二〇〇五年十二月、pp.36-​37・178-179・338)があり、「生成の可塑性と歴史のなかの断層」の章で『反時代的考察』第二篇も扱ってゐた。反時代性そのものは觸れる程度だが、歴史のアナクロニズム化といふ著者の持論が窺へる所は興味あるもの。

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文獻學と歴史學とは對象も方法も重なるし(例へば、中島文雄『英語学とは何か』「3 フィロロギーと歴史」〈講談社学術文庫〉一九九一年五月、を看よ)、事實ニーチェにあっても併稱されるが(『道徳の系譜學によせて』「序」三及び第一論文註、前掲ちくま学芸文庫版全集11p.363・418)、しかしながら對立させられるものでもあることは留意しなくてはなるまい。この對立項にはニーチェコントラブルクハルトといふ風に人名を代入でき、バーゼル大學の同僚であった兩者にはニーチェのブルクハルトへの敬愛の念にも拘らず相容れない面があったのだが、下世話に性格の不一致や人間關係に還元するより、職務であり專攻である學問分野ディシプリンの差異であったことを見た方が意義深い。カール・レーヴィットヤーコプ・ブルクハルト 歴史のなかの人間(西尾幹二・瀧内槇雄譯、『ブルクハルト 歴史の中に立つ人間』TBSブリタニカ、一九七七年十一月→〈ちくま学芸文庫〉一九九四年八月。市場芳夫『ヤーコプ・ブルクハルト  歴史のなかの人間 1』みすず書房、一九七七年九月、は續卷出なかったが、一九九六年より『東北工業大学紀要  人文社会科学編』に續編連載)は「第一章 ブルクハルトとニーチェ」に始まり、ニーチェの提出した疑問にブルクハルトに代ってその著作の讀解を以て答へるものである。また斎藤忍随「ニーチェとクラッスィッシェ・フィロロギー」「フィロローグ・ニーチェ――ニーチェ・コントラ・ブルックハルト――前掲幾度もソクラテスの名を 』所收)も參考になる。一九五〇年代に書かれた齋藤の二論文は、頻りと洋語を插入して述べられるのに難澁するものの(舊制高校でドイツ語をやったやうな哲學青年世代にはあれがよいのだらうか?)、語學知識を埋めれば、やや古臭いが讀ませるエッセイである。就中、古典文獻學者としての理念からニーチェが古代(但しローマでなくギリシア、しかもソクラテス以前)といふ特定の時代に價値を認めたことを指摘されると、ニーチェの言ふ「古代」は過去の時代どれにでも置き換へ可能なものではないことになる。史學流が文獻學へ浸透しつつある中でニーチェは、このままでは「おそらくギリシア古代をも、他の古代と並んで歴史的に獲得しようと努めるであろう」(『悲劇の誕生』二〇、ちくま学芸文庫版全集2​p.167)と危懼してゐた。とはいへ、西洋人にとってこそ古典古代は重要だらうが、極東の讀書子にはニーチェやハイデッガーに追從してヘラス精神に拘泥すべき義理は無い。

ここですでに疑問が起こって来る、それはそのようでなければならなかったのだろうかヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ? という疑問がである。どうしてそれがそのようになったのかということを聴き取るために、漸次、彼は歴史を必要として来る。しかして、そのようにすることによって、彼は、それがまた別様にもなり得るものであることを、学ぶのである。[……]ところで、それが如何に全く別様になり得るかということを示すためには、例えば、ひとは、ギリシア人たちを示せばいいのである。どうしてそうなったのかヽヽヽヽヽということを示すためには、ローマ人たちが必要なのである。

 われら文献学者をめぐる考察のための諸思想および諸草案」(182前掲『哲学者の書 ニーチェ全集3』p.563​=NF-​1875, 5[64]

ニーチェの場合も、キリスト教時代でなく、近代新人文主義(殊にドイツのギムナジウム教育)に範と仰がれてきた古典期ヘレニズムでもない、さういふ自らの現代との異質性に着目しての時代選擇と見ると、斷層や不連續を認められる差異ある過去の歴史であれば特定の時代に限らなくてよいのでないかとも思ふ。「古典」を冠さない近代的な文獻學(や歴史學)の不信心な立場だと、さうなる。「古典古代も一つの任意な古代になり果ててもはや古典的にも模範的にも作用してゐない」(「教育者としてのショーペンハウアー」、前掲『反時代的考察 ニーチェ全集4』p.346相當)。それなら、歴史といふ時間ではなく空間上の他者によって、ヘテロトピア(異在郷)を以てする異化作用、つまり文化人類學が盛んにやった風な自文化の相對化でもいいのかといふことも疑問になるが……アナクロニズムの覺え書きでa­nach­o­rism(土地錯誤)まで論ずるのは正しく「場違ひ」もいいところだらう、棚上げにしておく。御關心の向きは、「人類学と歴史学との認識論的な同型性」から「異文化としての過去」論へと轉ずる佐藤健二歴史社会学の作法 戦後社会科学批判』「第1章 社会学における歴史性の構築」(〈現代社会学選書〉岩波書店、二〇〇一年八月)にでも就かれたい。實際二十世紀後半はむしろ文化人類學の隆盛に主導されさへしたことは、歴史の文化人類學化によって前向きでも後向きでもない「正面向き」な見方でその時代を認識しようとした村上陽一郎歴史記述ヒストリオグラフィー論(『科学史の逆遠近法 ルネサンスの再評価』一九八二年初刊、等)にも窺はれる(坂野徹「村上陽一郎の科学史方法論――その実験の軌跡柿原泰・加藤茂生・川田勝編『村上陽一郎の科学論 批判と応答新曜社、二〇一六年十二月)。他なる空間をも強ひて時間の相の下で歴史的に考察するとしたら、大航海時代以降の架空旅行記を先行形態とする系譜作りをした上で、その中から「ユートピアの時間化」(ラインハルト・コゼレック)によりルイ゠セバスチャン・メルシエ作一七七一年刊のユークロニア(無い時間/よい時間)文學が出來したといふ通説がまづ再考に付すべき要所とならう(大川勇『可能性感覚――中欧におけるもうひとつの精神史』「第4章 世界の複数性」中「05―存在の連鎖の時間化――メルシエ『紀元二四四〇年』」松籟社、二〇〇三年二月、pp.213-​214參照)。

なほ、レーヴィットの「ブルクハルト對ニーチェ」といふ問題設定については實證以前の豫斷に過ぎないと言ふ批判もあるものの(浅井真男「ブルクハルトとニーチェ」『史境』第一號「特集 新たな歴史理論を求めて」、歴史人類学会(筑波大學)、一九八〇年九月)、齋藤忍隨を併讀するとやはり兩者の相違における對比は有意義に思はれる。「ニーチェとブルクハルトとの関係はすでにおおくの研究者によってあまりにもしばしば語られた問題であるが、」「つねにニーチェの歴史にたいする否定的面が浮き彫りにされることにならざるをえない。けれども実は、ニーチェの歴史にたいする肯定的面を明らかにすることは、かれとブルクハルトとの関係においてばかりでなく、歴史思想史・精神史・歴史意識の研究にとっても、また歴史にたいする人間の本来的なあり方を認識するためにも、もっとはるかに大きな意味を持つように思われる」(仲手川良雄『ブルクハルト史学と現代』「第六章 歴史的偉大さ」註(9)、創文社、一九七七年一月、pp.313-​314)。ドイツ語で‚Burck­hardt und Nietz­sche‘乃至‚Nietz­sche und Burck­hardt‘を題名に持つ研究書にエドガー・ザーリン著(一九三八年→一九四八年増補版、一九五九年)やアルフレート・フォン・マルティン著(一九四一年→一九四七年四版)や毎熊(前野)佳彦著(一九八四年→一九八五年)等もあるが日本語版無くて讀めない。

*9

以下など看よ。「すなはち本質結果Folgen​=結末、結論]同一化される、すなはち或る換喩である。」「すなはち、結果Wir­kungen​=效果、影響]が原因と見なされる」……前掲『哲学者の書 ニーチェ全集3』所收「哲学者に関する著作のための準備草案」中「一 一八七二年秋および冬から」p.321相當=NF-​1872, 19[242]​(Cf.須藤訓任『ニーチェの歴史思想』補論1註(5)*3前掲p.307所引=19[204]、『哲学者の書』同前pp.308-​31119[209]/[210])。「つまり結果であるものを原因ととることによって」……「原因と結果をとりちがえる」……『人間的、あまりに人間的な 初卷』三九六〇八池尾健一譯、ちくま学芸文庫版全集5​p.75・466。結果=Wirkung浅井真男で「作用」とも――『ニーチェ全集 第六巻(第Ⅰ期) 人間的な、あまりに人間的な 自由なる精神のための書(上)』白水社、一九八〇年五月、p.68)。同じくUr­sa­che und Wir­kungを主題とする『曙光』一二一、『悦ばしき知識』一一二、一二七。遺篇集『權力への意志』五一五番「理性における目的性ヽヽヽは一つの結果であって、原因ではない」云々=NF-​1888, 14[152]は、ハイデッガーの第三ニーチェ講義でも一トピックを成す(前掲『ニーチェ| ヨーロッパのニヒリズム』「一 認識としての力への意志」中「理性の創作的本質」pp.147-​149)。斷章(フラグメント)形式以外で、詳しく論じたのは『偶像の黄昏』中「四大誤謬」の章。因果論の關聯箇所を或る程度拾ってあるのが榎並重行『ニーチェって何? こんなことをいった人だ』第二章(*4前掲pp.81-96)。……他に? 

かうしたニーチェによる因果性批判を、柄谷行人は「遠近法的倒錯」といふ呼び名で弘めたものだ。早くは「マルクスの系譜学――予備的考察」(筑摩書房『展望』一九七七年十月號、p.22)に「マルクスはここで歴史における目的論をたんに否定するかわりに、そういう遠近法的倒錯(ニーチェ)がいかに生じるかを示している」と見え、ニーチェの言として持ち出されたこの語で目的論を指すのは「マルクスその可能性の中心」第六章4(初出一九七四年→改稿『マルクスその可能性の中心』講談社、一九七八年一月→〈講談社文庫〉一九八五年七月、p.114・118)でも同樣であり、それが『日本近代文学の起源』「 風景の発見」(初出一九七八年七月→初刊一九八〇年八月→〈講談社文芸文庫〉一九八八年六月、p.45)では「認識論的な構図そのもの」の稱とまでされたが、『内省と遡行』の標題論文「序説」(初出一九八〇年一月→一九八五年初刊→〈講談社学術文庫〉一九八八年四月、p.11)に至って「ニーチェのいう結果を原因とみなす遠近法的倒錯」といふ風に特に因果顛倒のこととして述べられ、『探究』第二部「第九章 超越論的動機」(一九八九年六月初刊→〈講談社学術文庫〉一九九四年四月、pp.220-221)では「系譜学的であることは、結果であるものを原因とみなす認識の遠近法的倒錯をえぐり出すこと」と説かれる。また「そのことを最初にいったのは、[……]スピノザである」として、『エチカ』からの引用を掲げてゐる(同前pp.225-226、cf.第二部第八章p.203)。ところでしかし、引用符で括られてゐるが「遠近法的倒錯」といふそのものズバリの言葉はニーチェに見當らない。「結果の代りに由來。なんといふ遠近法の反轉!」(『善惡の彼岸』三二ちくま学芸文庫版全集11p.68相當)といふ箇所で、どうだ? だが、この‚Um­keh­rung der Per­spek­tive‘を遠近法的な倒錯と譯した邦文があったのかどうか、あっても果して適譯か。第一これは「結果を原因とみなす」のでなく逆、由來(Her­kunft)を結果(Fol­gen)の代替にしてゐる。ニーチェ全集を繙くと、結果を原因と見做す遡及方向の逆轉でなく原因を結果と捉へる向きの誤謬を論じた箇所も散見する。例へば『道徳の系譜學によせて』第一論文「一三」、「同じ出来事を一度まず原因と見なし、次にもう一度それをその結果と見なす」(ちくま学芸文庫版全集11p.405)。また、「年代記的逆転」のため「原因があとになって結果として意識される」ことを述べ、さうした誤認を「文献学の欠如」と名づけた遺稿……尤もその斷章中では「結果がおこってしまったあとで、原因が空想される」とも説き、何やら循環端無きが如しであるが(『權力への意志』四七九原佑譯『権力への意志 下 ニーチェ全集13』ちくま学芸文庫版pp.23-​25.=NF-​1888, 15​[90])。柄谷の引例にあるスピノザも「目的論は、実は原因であるものを結果と見なし、反対に〈結果であるものを原因〉と見なす」(工藤喜作・斎藤博『エティカ』第一部「付録下村寅太郎責任編輯『世界の名著 25 スピノザ ライプニッツ中央公論社、一九六九年八月→『スピノザ ライプニッツ 世界の名著30』〈中公バックス〉一九八〇年九月、p.120。〈 〉内はオランダ語譯遺稿集から補はれた箇所)と雙方向で論じてゐた。それにニーチェの場合、原因・結果といふ單語でなく「意圖」や「目的」といふ概念を俎上に載せた所が多いかも。といふことで、批評用語で常套となった「遠近法的倒錯」といふ成句、特にその意味を結果を原因に代入する方向に限るのは、ニーチェでなくそれを發想源とした柄谷行人の創意に歸する方が良ささうだ。實際遠近法パースペクティブと言ふよりもはや、遡行的レトロスペクティブな視線ではある。

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三島憲一「初期ニーチェの学問批判について――ニーチェと古典文献学」氷上英廣編『ニーチェとその周辺朝日出版社、一九七二年五月→三島憲一『ニーチェとその影 芸術と批判のあいだ』未来社、一九九〇年三月→増補『ニーチェとその影』〈講談社学術文庫〉一九九七年九月、p.20。曰く、「しかし、何か不動なもの、時間の流れにかかわらず確固として不動なものによって自己を測るというだけでは、なにほどのこともなかろう。[……]偉大な過去によって現在を理解し、未来の指針を探ろうとするのは、ごく自然なことであろう。というよりも、正確にはまさにそれが市民社会における文化的正統性の追求にいわばつきものの営みであった」。むしろさういふ正統性を懷疑したのがニーチェであり、なぜなら規準となる過去といふのも現在から理解した像に過ぎないからで……と三島は讀んだ。誤解ではないものの、的を逸れてないか。問題となる文獻學的アンチノミーの文の流れは逆であった。三島譯ではかうだ、「事実問題として人は古代をいつも現代からのみ理解して来たのである。――そして今度は古代から現代を理解しろというのだろうか」(同前p.19所引)。語調は變へられたが、まづ現代からの理解を前提に擧げそれに對し古代からの理解を要請するといふ順序は搖るがない。ムザリオン版でなくグロイター版全集を底本とする別譯でも同樣、「実際は、つねにただ現代を基準として古代がヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ理解されてきた――そして今は、古代を基準ヽヽヽヽヽとして現代が(ヽヽヽヽヽヽ)理解されなければならない? だとすると、これは文献学のアンティノミーだ」(谷本慎介「遺された断想 一八七五年初頭―七六年春3[六二]『ニーチェ全集 第五巻(第期)白水社、一九八〇年八月、p.140)。古代に基づくことが求められなくては前段で述べた所にも合致せず、文獻學の課題とやらも永遠でなくなってしまふ。續く後段も、現在からのその理解が貧弱な基盤しか持たぬことを暴くものだった。されば對案「古代から現在を……」が「ごく自然」で凡庸に思はれようとも、ならばまづはそれが自明な常識論に納まらなくなるやうな讀み方も探ってみるが良からうと思った次第(過去が現在へ影響するなんて至極當然なことでも、それが廢れた筈の昔が今に猶存するアナクロニズムとなると不自然で異樣に感じられるもの)。この草稿の時點でまだそれは著者本人にも十分考へ詰められてなかったらうが、後代の讀者には本文の不備を補って讀み解いてゆく權利(いや義務か?)が與へられてゐる。文獻學がKon­jek­tural­kri­tik​(判讀法、推測校訂)やEmen­dation​(修訂)と稱する務め。

なほ、ニーチェ前後のドイツにおける文獻學については西尾幹二『ニーチェ 第二部』(中央公論社、一九七七年六月→〈ちくま学芸文庫〉二〇〇一年五月)も調べてゐるが、むしろそこで擧げられ斎藤忍随も依據してゐたヴェルナー・イェーガー「文獻學と歴史學」に食指が動く。

*11

ハンス=ゲオルク・ガダマー轡田収・巻田悦郎譯『真理と方法  哲学的解釈学の要綱』第二部第章第1節「d 作用史の原理〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、二〇〇八年三月、pp.479-480。解釋學派からは異論もあらうが、その正典『真理と方法 哲学的解釈学の要綱』(轡田収ほか譯、〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局・一九八六年八月​〜・二〇一二年十一月)に大勢順應コンフォーミズムを看取したジークフリート・クラカウアーの批判は當ってないか。

かれは真理判断の試金石を外部に求めずに、歴史の連続性を聖別し、アクチュアルな伝統を聖化する[H・G・ガダマーの謂はゆる「作用史」(Wirkungs­ge­schich­te​=影響史)はWirk­lich­keit(=英actuality、現實性)に聯關させて導入された概念]。だがこのやり方では歴史は狭い閉鎖的体系になり、ヘーゲルの金言「現実的なものは理性的である」と同様に、見失われた原因や実現されなかった可能性を閉め出してしまう。成功のストーリーとしての歴史――ブルクハルトだったら現代の解釈学の基礎にあるこれらの命題を、決して承認しなかったであろう。

平井正譯『歴史 永遠のユダヤ人の鏡像』「8 前室」せりか書房、一九七七年九月、p.264

これは、歴史主義問題とその從來の解決案を檢討した中での評である。ハーバーマスとの論爭でガダマーの保守主義イデオロギーが取沙汰された(『真理と方法 』「第三版あとがき(一九七二年)p.923以下)のと類似して見えようが、問はれてゐるのは政治的革新性をどこまで容れ得るかより歴史的認識論として非正統性を認知可能かだ。クラカウアー自身は、檢討した超越論的ならびに内在論的解決(ガダマーも後者)のいづれとも異なる命題に移行すると告げ、兩解決法は二者擇一でなく竝存に代るべきなのだと言ふ。

わたしの命題の立場から見ると、哲学的真理は二重の様相を持っている。超時間的なものは時間性の痕跡を免れ得ず、時間的なものは超時間的なものを完全には包摂しない。われわれはむしろ真理のこの両様相が並行して存在し、わたしが理論的には定義できないと考えるようなやり方で、相互に関係づけられていると仮定する他はない。それに近い類例は量子物理学の「相補性問題」に見いだし得るであろう。

同前p.266

理論で定義できないやり方と言ひ、「タクトが要求される」(p.272)と云はれても、勘の鈍い人間には呑み込みかねるが、とにかくも、「歴史の領域における思考作用を制約しているアンチノミー」(p.273)を一律一元に解消しようとしなかった所がクラカウアーの取り柄だらう(よしそれゆゑに完成できず遺稿出版となったにせよ――ちなみに編者はP・O​・クリステラーだ)。この二重樣相はフーコーなら、奇妙な經驗的゠超越論的二重體である〈人間〉、と言ふ所だらうか(渡辺一民・佐々木明『言葉と物―人文科学の考古学―』第九章「四 経験的なものと先験的なもの」新潮社、一九七四年六月、參照)。

*12

佐藤信夫企劃・構成/佐々木健一監修『レトリック事典』1‑7‑1‑2 《交差呼応》」(大修館書店、二〇〇六年十一月、p.106)參照。これは形式上から見た場合の分類で、内容から見ると意味論上の矛盾を利用した撞着語法オクシモロン(同「3‑12 対義結合」參照)にも當る。またNamier原文“Symmetry and Repetition”(1941)ではこの前に‘One would expect people to re­mem­ber the past and to imagine the future.’=「人間というものは過去を回顧し、未来を想像するものだと思われている」(ジョン・ケニヨン/大久保桂子譯『近代イギリスの歴史家たち―ルネサンスから現代へ―』第7章末所引、ミネルヴァ書房、一九八八年十月、p.355)と述べた上で覆した文なので、パラグラフ全體の構成からすれば交叉配列キアスム(『レトリック事典』「1‑5‑1 《交差並行」の規定からははみ出す廣義だが)を成すかにも見られよう。修辭學上の分類を定めるのが問題なのではない、同類の表現法を知ることで語句の働きが思考法として理會できる筈だ。

技法と別に文法から使用語彙を分析すれば、ギルバート・ライル『心の概念』(坂本百大・井上治子・服部裕幸譯、みすず書房、一九八七年十一月、第五章「5 達成」及び第八章「7 記憶」)に倣って、「想起する/想ひ出す re­mem­ber」は達成動詞(到達動詞 a­chieve­ment verbs)、「想像する/想ひ描く imagine」は仕事動詞(從事動詞 task verbs)として對比する手がある。仕事動詞がただ遂行自體を表はし成否を問はぬのに對して達成動詞はその行爲の結果・成果までを含意するもの、從って、心内だけに終始してもよい「想像する」と違ひ「想起する」は心の動きが志向先に首尾良く到達してゐなくてはならない。實際「Aを想起したが、想起が外れた」とは言へまい、それは想起になってないと言ふべきだらう。想起對象Aが現實に存在しなくては想起の成立條件が滿たされない、想起される目的語(object​=對象)の實在性リアリティーが動詞の意味論・文法論上から要請される、といふわけ。言語は現實(實在)を寫した表現であるに留まらずそこにどれだけ屆いてゐるかを示して却ってその現實の實在度(Cf.カント『純粹理性批判』B209-​211)を規制し構成するかの如し。この動詞種別を應用した時間論の哲學として、中島義道『時間論』「第六章 幻想としての未来」(〈ちくま学芸文庫〉筑摩書房、二〇〇二年二月、pp.216-​217)、さらにその精解である入不二基義哲学の誤読――入試現代文で哲学する!第三章(〈ちくま新書〉筑摩書房、二〇〇七年十二月、p.182以下)が參考になる。特に入不二著は第二章が永井均「解釈学・系譜学・考古学」(本文前掲)の解説でもあり、向きの正反對な中島の未來論と永井の過去論とが共に現在と無關係に自存する「実在性の強度」を最大限に上げようとする思考として一括され(pp.219-​221)、第四章に批判する大森荘蔵の反實在論(p.270​・283)と對照を成す。

なほ、このネイミアの逆理をイギリス史研究者近藤和彦は「過去に想像力をはたらかせ、未来を忘れない(imag­ine the past and re­menber the future)」と譯してをり(近藤『文明の表象 英国』「序」山川出版社、一九九八年六月、p.24所引)、日本語としてはこの「忘れない」の方が自然らしく見えるかも。これを含む節は「2 過去を想像し、未来を忘れない」と題されてもゐる。但し、そこに附された註38には「カーの引用するネイミアの言」とあって、原文脈を見ない孫引きのやうである。しかもその引用の前後や、同書「結」での「わたしたちはヴァレリとともに、後ずさりしながら未来に入ってゆく」(p.232)と述べる邊りを見ても、この辭句をE・H・カーに寄り添ってあまりに前向きな未來志向に解してゐる。「ネイミアの生涯と歴史学 デラシネのイギリス史」(近藤ほか編『歴史と社会 11 英国をみる 歴史と社会』リブロポート、一九九一年一月)にてその業績を保守主義の歴史研究と結論した近藤にして、ネイミアを進歩主義紛ひにしてしまって怪しまぬとは――それほどにも前進偏向のしがらみは脱し難いのか。自體ネイミアとしては、問題の一句を「じつは、歴史を論じたり書いたりしているとき、人はみずからの経験に照らして歴史を想像しているのであり、未来を推測しようとしているときには、過去のなかから思いついたアナロジーを引きだしているのである」(前掲ケニヨン著邦譯p.355所引)との説明附きで述べ、常識の語法通りに「過去を想起して未來を想像する」ことですら滿足にできない人びとの知的限界に對して苦澁を滲ませた文章であった。「ネイミアはこの過程を深い絶望感を抱きつつみつめていた」(同前)。

*13

ここに原注312が附されてゐるが、311と參照指示の宛先が入れ違ってゐるやうだ。即ち312で「『反時代的考察』、第三篇教育者としてのショーペンハウアー、三、四」を指示するが(ちくま学芸文庫版全集4​p.265以下の邊りか)、311が仝「第二篇生に対する歴史の利害について、緒言」を擧げてゐ、註が附いた箇所の本文内容と適合させるには入れ替へねばならない。先行の足立和浩譯『ニーチェと哲学』(国文社、一九七四年八月)も見るに、同書p.160に附された第三章原註(90)に該當するが、やはり(89)と指示内容が前後してゐる。すると典據錯誤は原書からか(Nietz­sche et La Philo­sophie, PUF, 1962, p. 122.)。しかし邦譯者二人とも當然ニーチェ全集との照合くらゐしたらうに、なぜ糾謬の註記もせず間違ひのまま引き寫してあるのやら解せない。兎まれ出典同定は『反時代的考察』第二篇緒言末文で確定にしても、その引用にあたっての前説では「反時代的で非現働的」と二語併記であり、原文は« intem­pestifs et inac­tuels »、大同小異の語句を疊み重ねて近似値的な接近アプローチを圖る類義累積の文脈に置かれ、un­zeit­ge­mäßの譯語はフランス語でも一義に定めかねる樣子であるが、その六年後に『差異と反復』「はじめに」(財津理譯、河出書房新社、一九九二年十一月、p.16​→『差異と反復 上』〈河出文庫〉二〇〇七年十月)でドゥルーズが再度ニーチェの同文(佛譯文にはやや異なりあり)を引用句とした時には「かの反時代的なもの l'intem­pestif」と呼んでもinac­tuelといふ語は伴ってない。『差異と反復』本文に「反時代的な in­tem­pestif​/in­tem­pes­tive」はあと二箇所現はれ(第三章p.205・第五章p.363)、「現実的アクチユエルな」も頻出するのに、inac­tuelはすっかり姿を消してゐる(辛うじてnon ac­tuel(le)​=「非現実的」なら三度使用、p.295・308・473第四章原注22)。さてこの不在に意味ありや、「潜在的ヴイルチユエル」にお株を奪はれたか。一旦潛伏したin­ac­tuelは後年に再活性化する(*17參看)。

なほ、「權力への意志」とニーチェが言ふその權力(乃至は力、ドイツ語でMacht)を河出文庫版『ニーチェと哲学』で「力能」と譯すが、フランス語puis­sanceに哲學用語で可能態(潛勢態とも)の意味があるのを含ませたと見える。さういふ態、樣相モダリティー論の哲學については、潛勢態を論じたジョルジョ・アガンベンバートルビー 偶然性について、特に標題論文「三・二」(*7前掲p.58)以下が參考にならう。少なくともドゥルーズの口寄せめいたニーチェ語り(自由間接話法的ヴィジョンとや?)のやうには理解に苦しまされない。

*14

嚴密にはドゥルーズの用語法(ターミノロジー)では、可能性とは實現した現在をもとに事後になって逆算された遡及的な幻影でしかないと否定したベルクソンを踏まへ、可能性/實在性(pos­sible/​réel)といふ對概念と潛在性/現實性(virtuel​/actuel)とが區別されるのだが、餘りにややこしくなるので詮議はお預けにせざるを得ない。詳しくは、ジル・ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』宇波彰譯、〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、一九七四年六月)第二章p.40・第五章p.107以下=『ベルクソニズム 〈新訳〉』(檜垣立哉・小林卓也譯、〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、二〇一七年七月)第二章p.41・第五章p.108以下、參照。その他せめて種になる文獻は出しておくと――そもベルクソンの可能性論は、「回顧性の錯覚」といふ稱でウラジミール・ジャンケレヴィッチによって特に取り立てられて主題化した經緯があり(阿部一智・桑田禮彰譯『増補新版 アンリ・ベルクソン』新評論、一九九七年一月、序論p.9・第5章p.253・第6章p.293以下)、その「前未来」時制を「諸々の時代錯誤ヽヽヽヽanachronisme)の原型そのもの」(第1章p.33)とも呼ぶ所など目を惹かれるが、當のベルクソン自身の文に即すと、第一主著の第三章で分岐路の圖を掲げた前後に萌芽が見られ(合田正人・平井靖史譯『意識に直接与えられたものについての試論――時間と自由』〈ちくま学芸文庫〉二〇〇二年六月、pp.193-​203)、第四主著『道徳と宗教の二つの源泉』の二つの節で觸れられ(森口美都男譯、澤瀉久敬責任編輯『世界の名著 53 ベルクソン』中央公論社、一九六九年三月、第一章「正義」p.285・第四章「機械化と神秘精神」p.530​→『ベルクソン 世界の名著64』〈中公バックス〉一九七九年一月)、本格的には晩年の論文集『思想と動くもの』中「緒論(第一部) 真理の成長。真なるものの逆行的運動。」及び第三論文(河野与一譯・木田元改訂「可能性と事象性」『思想と動くもの』〈岩波文庫〉一九九八年九月/矢内原伊作譯「可能と現実」『ベルグソン全集 7 思想と動くもの』白水社、一九六五年九月/宇波彰譯「可能的なものと実在的なもの」『思考と運動 (上)』〈レグルス文庫〉第三文明社、二〇〇〇年九月/原章二譯「可能と現実」『思考と動き』〈平凡社ライブラリー〉二〇一三年四月/竹内信夫譯「可能的なものと現実的なもの」『思考と動くもの 新訳ベルクソン全集』白水社、二〇一七年六月)に可能性批判が開陳されるも、併せて潛在性を論辨する所無し。「実をいえば、ベルクソン自身の諸論考においては、この潜在性という観念そのものに対して積極的に焦点が当てられたことはないのであり」(神山薫「ベルクソン哲学における潜在性の観念について」一橋大学一橋学会『一橋論叢』第一三四卷第三號=二〇〇五年九月號、日本評論社、p.458)、潛在性をテーマ系(thématique)として見出すには主要概念に附隨する陰伏的モティーフ(mo­tif im­plicite)を拾ひ集めねばなるまいが、まづ第一主著では「潜在的​=virtuelle​/virtuelle­mentが僅か四箇所で輕く用ゐられるに留まり(前掲『意識に直接与えられたものについての試論――時間と自由』p.15・24・99・225)まだしも「力能」と譯されるpuis­sanceの方が「アリストテレス風に言えば、潜勢態」(p.137)や「羃」(p.206)の意味も含めて多出するし、第二主著『物質と記憶』になると純粹想起に關説して「本質的に潜在的なものたる過去」(合田正人・松本力譯〈ちくま学芸文庫〉二〇〇七年二月、第三章p.193――なぜか卷末「事項索引」の「潜在的 virtuel」の項に不採録、ほか原文に照合すると同譯書p.15・18・38・40・41・48・55・68・70・108・125・140・149・187n・191・199・204​・222・256・326・331-335・344・353も遺漏)等と辯じられたりするものの、逆に過去は「本質的に無力であるimpuis­sant」(p.196、cf. p.201「根本的な無力さ」)と「潜勢態」=puissance​(p.224)に否定接頭辭を冠した形容詞で述定されもし、それにやはり「可能的」との使ひ分けは定かでない。第三主著『創造的進化』も同斷。二〇〇九年PUF刊〈カドリージュ〉校訂版の註解に據り原章二譯『思考と動き』「序論(第一部) 真理の成長、真なるものの遡行的運動」の「訳注」*21​(前掲書p.39)は「ここではドゥルーズが『ベルクソニスム』で言うような可能性潜在性の区別のなされていないことを校訂版は指摘している」と記し、ベルクソン研究からは「潜在性概念のドゥルーズによる解釈に、テキスト上の根拠がないこと」が檢證されてゐる(村山達也「潜在性とその虚像 ベルクソン『物質と記憶』における潜在性概念」平井靖史・藤田尚志・安孫子信『ベルクソン物質と記憶を診断する 時間経験の哲学・意識の科学・美学・倫理学への展開書肆心水、二〇一七年十月、p.32)。畢竟ベルクソンは託つけプレテクストなるのみ、潛在的・可能的を對立關係にして結び合せたのはドゥルーズの創見と覺しく、その端緒は「ベルクソン 一八五九―一九四一」(平井啓之譯・解題『差異について』増補新版、青土社、一九九二年九月、所收→新裝版、二〇〇〇年六月、p.193/前田英樹譯「ベルクソン、1859―​1941」『無人島 1953‑1968』河出書房新社、二〇〇三年八月、p.58)にあった。潛在性が「アクチュアルであることなしにリアルな」ことを強調し可能性との對比で重用する論法は、代表作『差異と反復』第四章(財津理譯、河出書房新社、一九九二年十一月、p.315​・pp.318-321→仝『差異と反復 下』〈河出文庫〉二〇〇七年十月、pp.111-112​・pp.118-122)や『襞――ライプニッツとバロック』(宇野邦一譯、河出書房新社、一九九八年十月、第8章p.178以下)等でも再説されてゆく。その延長上に、可能/リアル/アクチュアル/ヴァーチャルといふ存在樣態の四極關係をピエール・レヴィが總説し(米山優監譯『ヴァーチャルとは何か? デジタル時代におけるリアリティ「9 存在論的四学――ヴァーチャル化、すなわちいくつもある変様の一つ昭和堂、二〇〇六年三月)、參考になる。「レヴィの理論に触発されつつ」ヴァーチャル性(但し「潜在性」よりは「仮想性」寄り)といふ主題を變奏した清水高志『来るべき思想史 情報/モナド/人文知』(冬弓舎、二〇〇九年四月、第三章4​pp.81-82)は、ベンヤミン『パサージュ論』(N1a, 3)の「文化史的弁証法」に「否定的契機の重視」を認めて「彼はアクチュアルなものを救済するために、その反対側に位置するアナクロニズムへの潜行を試み続けねばならないのであり、そうした姿勢はドゥルーズが提示したヴァーチャル・アクチュアルという発想の軸への移動を、まさに予見するものであった」と先驅者扱ひしてをり、アナクロニズムはアクチュアル性を逆轉したヴァーチャル化の一種に擬せられる。特に潛在性論から歴史論へと、即ち「ドゥルーズによってほとんど論じられることのないテーマ」へと展開してゆく方向での問題設定は國分功一郎が示唆してゐる(「訳者解説ジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』〈ちくま学芸文庫〉二〇〇八年一月、pp.220-​235)。また、ドゥルーズ説の要説は松浦寿輝『官能の哲学』「I‐3 言葉の死 = 欲望の死」中「可能性と潜在性」の節(双書 現代の哲学〉岩波書店、二〇〇一年五月、p.77以下→〈ちくま学芸文庫〉二〇〇九年六月、p.90以下)にも見られ、松浦は「潜勢態としての言語の全体」(p.86​→p.99)に想ひをめぐらせつつ、『知の考古学』に「潜在的な言表d'énoncé latentが認められることはない」(Ⅲ―Ⅲ―​A​―2、慎改康之譯〈河出文庫〉二〇一二年九月、p.207)とあるのは考慮の上で「フーコー的な言表と意外に近いものであるかもしれぬ」(p.88​→p.102)と繋げてもゐる。現に、ドゥルーズに依據して「フーコーは,[……]可能性としてではなく,[……]潜在性としてギリシア・ローマ古代の世界を論ずる」云々と告げる文もあった(関良徳「ミシェル・フーコーの倫理学(1)――「自己構成的主体」の概念についての試論――一橋研究編集委員会『一橋研究』第二十一卷第四號、一九九七年一月、p.109)。他方、この區分法に批判的にle virtuelle possibleとの混用が持つ意味を檢討した赤間啓之「ラン・ウィズ・ア・《ベルクソン》 あるいは可能的なもの潜在的なもの」(青土社『現代思想』一九九四年九月臨時増刊「総特集=ベルクソン」)は、可能世界を拒否するベルクソニスムが歴史論に應用された場合に固有名を尊んで無名性を蔑する英雄主義に陷りがちなことを指摘して興味深い――但し、混用の實例として繰り返し引證する文の出典につき註(34)で「全集5、白水社、九八頁」とするのは何の錯誤か、その渡辺秀譯『ベルグソン全集 5 精神のエネルギー』(一九六五年五月)での該當箇所は第二論文「心と体」pp.62-​63(=原章二譯『精神のエネルギー』〈平凡社ライブラリー〉二〇一二年二月、pp.75-76)になる。ついでに、この白水社『ベルグソン全集』(一九六五〜六六年初刊)の書名標記を「ベルソン全集」と清音にしてゐたのもよくある過失。……さらに、その「英雄主義」への批判も含む反ベルクソン主義としてのフーコーを論じたのが、澤野雅樹「光のもとに差しだされた生 フーコーの鏡に映るベルクソン(『現代思想』一九九四年九月臨時増刊「ベルクソン」)​→改稿「光の下に差し出された生 二つの死と最後のフーコー」(『死と自由 フーコー、ドゥルーズ、そしてバロウズ』青土社、二〇〇〇年六月)。

*15

田村俶譯『監獄の誕生 監視と処罰』(新潮社、一九七七年九月)p.35相當だが、誤解の餘地があるので譯文を私に改めた。これについては二〇〇四年にprospero氏のサイトSTU­DIA HUMANI­TATIS掲示板である「口舌の徒のために」でフランス語原文からその譯し方まで大いに教示を受けた。一往、流布本である田村譯を抄出しておく。

こうした[……]監獄についての、私は歴史を書きあげたいと思うのだ。それはまったくの時代錯誤によって、であろうか。私の意図を、現在の時代との関連での過去の歴史の執筆であると理解する人には、そうではない。だが、現在の時代の歴史の執筆であると受けとる人には、そうなのである。

一番の變更點として、邦譯書で「私の意図を」とされた箇所は原文(佛文原書p.35)に無い補ひで、« par là »英譯‘by that’(それによって)が指す所をさう取ったらしいが、それは直前に先行する語« un pur ana­chro­nisme »を指示すると讀んだ。作者の意圖よりアナクロニズムと言ふ言葉の意味が問題になる(蔑稱の否認から是認の自稱へ)。同じ讀みは、田崎英明『ジェンダー/セクシュアリティ』第1章 個体化と錯時アナクロニー――微生物のセックスから」(〈思考のフロンティア〉岩波書店、二〇〇〇年九月、p.38。二〇〇一年四月第二刷で「あとがき」に追記あり)にも既に出てをり、所引の譯文は下記の通り。

私がやりたい歴史というのは,この監獄,その閉ざされた建築物のうちにそれがかき集めた,身体に対する政治的備給の一切を含めたこの監獄についてなのである.ある純粋なアナクロニズム〔時代錯誤〕によって〔この歴史を書こうというの〕であろうか.もしも,〔アナクロニズムという〕この語によって,過去の歴史を現在の用語によって書き上げることと理解するのなら,否である.〔しかし,〕この語を現在の歴史を書く = 作ることと解するなら,然り〔と答えよう〕.

やはり原典には無い「この語」といふ代入がなされた上に、小煩いほど補填された龜甲括弧〔 〕がここの解讀しにくさを自づから示してゐる。「ある純粋な」の原語は« un pur »pur(e)は名詞に前置されると「全くの、單なる、純然たる」といった意味で名稱の適切性の度合ひを表はす法形容詞(法=modal、敍法、樣相)となるさうだが(山本大地「フランス語の法形容詞purについて」川口順二『フランス語学の最前線3』ひつじ書房、二〇一五年五月)、逐語譯されて不協和音が際立つ。「現在の用語によって」とあるのは、英語成句‘in terms of...’(〜に關して、〜の點から)に通ずるらしい原句« dans les termes du... »termeを單語通りの語義にした譯。「書く=作る」は英語でmakeにもdoにも當る原語faireの多義性を一語に約しかねた苦心の跡を見せる。

原文ではNonOuiと(諾か否か)の後にそれぞれ«si on en­tend par là faire l'his­toi­re du...»を繰り返してゐるので、直譯式に「もし人がそれによって〜の歴史を書くことと解するのならば」と私譯しておいたのだが、日本語として自然にするには不定代名詞onによる主語を省いた上で「もしそれで〜の歴史をやると解されるなら」と受け身形に飜譯するか、いっそ「それが〜の歴史といふ意味だったら」とでも意譯した方がこなれた譯文になるのかしれない。フランス語に無學なため請け合ひかねる。

この『監獄の誕生』初章結尾に着目してヒューバート・L・ドレイファス+ポール・ラビノウ『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』第五章「2 現在というものの歴史と解釈的分析論」(北尻祥晃譯、筑摩書房、一九九六年七月、p.174以下)は「デルフォイ風の宣言のなかである重要な区別を行なっている」云々と論じ、それを柳内隆は「ドレイファスとラビノウは、フーコーの歴史学について、過去を目的として、それを現在という手段で描くのではなく、現在を目的として、過去という手段でそれを描いた、とする」と要約した(『フーコーの思想』ナカニシヤ出版、二〇〇一年十月、第2章4​p.62。但しフーコーの出典として註(42)で『監獄の誕生』でなく誤って『性の歴史 知への意志』原書名を擧げる)。解りやすい對句仕立て(倒置反復)のパラフレーズだが、「現在を目的」は訝しい。ドレイファスとラビノウの共著には「現在中心主義のもう一つの側面は目的原因論と呼ぶことができるかもしれない」とあって「あらゆるものが歴史が到達するであろう最終ゴールの方から位置づけられている」のは「避けるべき悪癖」だと難じてゐたのに(p.175)、到達點である現在を目的因に据ゑてしまっては、「彼は、現在の関心、制度、政治を遡って歴史のなかに、他の時代のなかに読み込むわけではない」(p.174)とフーコーを評した箇所と牴牾しないか。しかし他方でドレイファスとラビノウは「彼がこのような話題を選んだのは、彼の現在の関心からであり」(p.176)とも述べ、「環境、家族、監獄といった現代的な関心事が、過去を新しい方法で問うためのよい刺激となりうるだろう」(p.175)と問題史風なアプローチを慫慂する如くであったから、「現在の関心」から發してもそれが必ずしも「目的」(英end、佛fins=終り)にはならなくて、「現在を關心(事)として過去といふ手段でそれを描いた」とか言ひ直せば良いのだらうか(「それ」=現代、ではなく、=關心?)。對稱形シンメトリーの崩れ……(諧調は僞りである?)。この同語多義の區別はどうも謎めいて、すんなり判明な言葉に解きほぐせない。――因みにここからの引喩で、ドレイファスとラビノウを教授とするカリフォルニア大學バークレイ校の研究グループは會報を“His­to­ry of the Pres­ent”と題したが(ラビノウのウェブサイトAn­thro­pos Labに一九八五〜八八年發行四點を公開)、これをも田村俶譯は「現在にかんする歴史」として怪しまない(ディディエ・エリボン『ミシェル・フーコー伝』前掲p.434・460。仝p.446での原語はl'his­toi­re du pré­sentか。p.317所引『監獄の誕生』冒頭部の譯は「現代の時代の歴史」だった)。英語版“Dis­ci­pline and Pun­ish”‘in terms of the pres­ent’(現在に關しての)でなく‘of the present’だと言ってゐたけぢめが曖昧になってしまふ。

*16

フーコーが目論んだ「現在の歴史 l'his­toi­re du pré­sent」(現在についての歴史、現在といふものの歴史)に關し、一説として、次の示唆的なコメントを引いておく。

その他、例えば「現在の歴史」l'his­toi­re au présentという言い方がおそらくドイツ語で「歴史」を意味するGeschich­teをフランス語に訳したものであるだろうことを指摘しておいてもよい。ドイツ語において「歴史」は、「物語」his­toi­reとではなくむしろ或る「様相」「構造」的現前と結びつくのである。

ジル・ドゥルーズ「ペリクレスとヴェルディ フランソワ・シャトレの哲学」に邦譯者・丹生谷貴志が副へた「解題」の一段である(宇野邦一『ドゥルーズ横断』河出書房新社、一九九四年九月、p.26)。現在=présentとは現前すること(pré­sence)なり。ただ、そこで「現在の歴史」と言ふのはフーコーでなくシャトレの言葉であるし、「現在」と「歴史」を繋ぐ助詞が日本語では「の」と飜譯されるもののフランス語原文では縮約冠詞du(≒英of the, from the)とau(≒英at the, in the)とで異なるからそのまま當て嵌められない懼れもあるが語學力無きゆゑ佛文のニュアンスは判らず、しかしながら既に「フーコー、現在の歴史家 His­torien du pré­sent」(1988)と呼んだことのあるドゥルーズであってみれば間テクスト的な共鳴は認められさうであり……參考までに。なほ、右引用段落の直後に丹生谷が併讀を奬めてゐるルイ・アルチュセール(聞き手フェルナンダ・ナバロ)『不確定な唯物論のために 哲学とマルクス主義についての対話』を見ると、Geschichteを擧げて「このことばは、燃え尽きてしまった歴史ではなく、現前するヽヽヽヽ歴史を示しています」と語る段があるので(山崎カヲル譯、大村書店、一九九三年八月→復刻新版二〇〇二年十月、p.62。佛語版に基づく異本が今村仁司譯『哲学について』筑摩書房、一九九五年七月→〈ちくま学芸文庫〉二〇一一年一月、p.53)、そこからの想ひ着きらしい。同語源の動詞ge­sche­henが「生ずる、起こる」の意で、複數形あり(die Ge­schich­ten)だと出來事・事件の語意があるのを踏まへたか。ドイツ語でHistorie(ヒストリエ)と併用しつつ對比される集合單數Ge­schich­te(ゲシヒテ)の概念史については、ラインハルト・コゼレックの述べる所を要説した岸田達也「『歴史的基礎概念事典』――Ge­schich­te〉の項――」日本大学文理学部『學叢』第43號(昭和62年度)一九八七年十二月「特集 辞書・事典」、參照。同じ項目の祖述は村上淳一『仮想の近代 西洋的理性とポストモダン』「Ⅳ 歴史と偶然東京大学出版会、一九九二年十月)にも見られ、これに先行したコゼレックの「歴史の単数集合名詞化」に關する論文は三島憲一ニーチェ以後 思想史の呪縛を越えて』「第三章 歴史と歴史哲学――ヨーロッパ近代のトポスの崩解――」(岩波書店、二〇一一年三月)が詳しく紹介する。ついでながらその論文»His­toria Magi­stra Vitae«.;を收めるコゼレック著『過ぎ去った未來 Ver­gan­gene Zu­kunft』(1979)も、形容矛盾めかした書名にアナクロニズム感漂ふ。

*17

ジル・ドゥルーズは「装置とは何か」(財津理譯。宇野邦一監修『狂人の二つの体制 1983-1995』河出書房新社、二〇〇四年六月、所收)と題するフーコー論(一九八八年初出「フーコー、現在の歴史家」の改題)で、そのアクチュアリティーを頻りに強調してゐる。

わたしたちは、いくつかの装置に属しており、それらのなかで活動する。ひとつの装置が以前の諸装置に比べて新しいとき、わたしたちは、その新しさを、その装置のアクチュアリティー、わたしたちのアクチュアリティーと呼ぶ。新しいもの、それはアクチュアルなものである。アクチュアルなものは、わたしたちがいまそうであるところのものではなく、わたしたちが何かに生成するときのその何かであり、わたしたちがそれへと生成するただ中にあるところのそのそれであり、すなわち《他なる(オートル)》ものであり、わたしたちの〈他に‐生成すること〉である。わたしたちがいまそうであるもの(わたしたちがもはやすでにそうあるのではないもの)と、わたしたちがそれへと生成するただ中にあるところのそのそれとを、あらゆる装置において区別しなければならない――歴史の持ち分とアクチュアルなものの持ち分とをである。歴史とは、アルシーヴであり、わたしたちがいまそうであるところのものの素描であり、かつわたしたちがそうであるのをやめるところのものの素描である。他方、アクチュアルなものとは、わたしたちがそれへと生成するところのそのそれの兆しである。したがって、歴史あるいはアルシーヴは、わたしたちをさらにわたしたち自身から分かつものであるが、アクチュアルなものは、わたしたちがすでに合致しているそうした《他なる》ものなのである。

「装置とは何か」p.229​(傍線部は原文傍點ゴマルビ

この動的對立圖式に從へば、「フーコーによって記述されたもろもろの規律・訓練(ディシプリン)は、わたしたちが少しずつそうであるのをやめているものの歴史なのであって」、現在なりつつあるアクチュアルなものとの差分化が求められよう。前者についてはフーコーが『知の考古学』でarchive(アルシーヴ)​=集藏體の名を與へたのに對し、格別な呼稱で概念化されなかった後者を問題にしてゐる。そこで、またもや『反時代的考察』のニーチェが援用される。

どの装置においても、わたしたちは、もっとも近い過去passé récentのもろもろの線と近未来futur procheのもろもろの線を――アルシーヴの持ち分とアクチュアルなものの持ち分を、分析論の持ち分と診断の持ち分を――解きほぐさなければならない。フーコーが偉大な哲学者であるのは、かれが歴史を他のものごとのために利用したからである。ニーチェが言ったように、この時代に逆らって、したがってこの時代に向かい合って、そして来たるべき時代のために活動し、その来たるべき時代をわたしは望むということだ。フーコーの意味でのアクチュアルなものとして、あるいは新しいものとして現れるものは、ニーチェが反時代的なもの、非現代的なものと呼んだものであり、歴史とともに分岐するあの生成であり、他のいくつかの方途を携えて分析に取って代わるあの診断である。それは、予言することではなく、ドアをノックする未知のものに注意を払うということである。

「装置とは何か」pp.230-231(傍線部は原文傍點ゴマルビ

右文中「反時代的なもの、非現代的なもの」は原語« l'in­tempes­tif, l'inac­tuel »だから、「時ならぬもの、非アクチュアルなもの」と飜譯するも可。『フーコー』刊行後のインタヴューでは「ニーチェが非゠現在とも反時代とも呼んだもの」(「芸術作品としての生初出一九八六年。宮林寛記号と事件 1972‑1990年の対話』〈河出文庫〉二〇〇七年五月、p.192)であった。フーコーが包藏してゐたイナクチュエルなものが話題になったのも(石田英敬・小林康夫・松浦寿輝鼎談「フーコーからフーコーへ」青土社『現代思想』一九九七年三月號「特集 フーコーからフーコーへ」pp.47-48・57・58・63・65)、これが暗默裡の參照源だったやうで、同じ特輯號が「装置とは何か」邦譯初出でもある。

ここでのドゥルーズは今しもアクチュアルに創成されようとする近接未來futur proche)へ加勢するあまり、その一方、今しがた現働性(アクチュアリティー)が失せたばかりの近接過去passé ré­cent)を輕んじて、既に過ぎ去りつつある歴史(「現在の歴史」か?)>の役割を疎かにしたのみならず、矛盾を來してしまった。後で氣づいたのか、辯明らしきものがフェリックス・ガタリとの共著『哲学とは何か』中「例9」(財津理譯、河出書房新社、一九九七年十月→〈河出文庫〉二〇一二年八月)に見える――説得力に缺けるが。曰く、「しかし、その概念〔未来〕は、ニーチェが〈現代的でない(イナクチユエル)〉ものと命名したのに、いまやどうして〈アクチュエル〉なものという名称を受け取るのだろうか。なぜなら、フーコーにとって、重要であるのは現在的なものとアクチュエルなものとの差異だからである。」……「現在的な〔現前している〕ものは、[アクチュエルなものと]反対に、わたしたちが〔現在〕それであるところの当のものであり、それゆえにこそ、〔生成しつつある〕わたしたちがすでにそれであることをやめている当のものである。わたしたちの義務は、過去の持ち分と現在の持ち分を区別することだけでなく、もっと〈深く〉、現在の持ち分とアクチュエルなものの持ち分を区別することである。」(p.194)――だとしても、l'actuelをわざわざ正反對にl'inactuelと異稱すべき理由にはならない。ニーチェを持ち出して反時代的と言ひたかっただけに見えてしまふ。抑もニーチェの反時代性はむしろ古典文獻學徒として古代を學んだが故だと自稱してゐたし、結果としてそれが望ましい未來に資することもあるか知らぬが、その時にはアクチュアル化してもう非アクチュアルでなくなってゐよう。且つそれ以上に多く、潛在的なまま遂に現勢化(アクチュアリゼーション)の線を成すことのない非アクチュアルなものが層々と堆積してゆくであらう。「或る者が《イナクチュエル》と呼んだものを、他の者が《アクチュエル》なものと呼ぶのは、ひとえに[……]概念のもろもろの〔他の概念への〕近さと合成諸要素のせいであって、それらのわずかの置き換えが、ペギーが言っていたように、一種の問題の変更を引き起こしうるのである」(p.195)とも言ふが、ドゥルーズがやったのは逆、アクチュエルと呼ばれるものをイナクチュエルと呼び換へて、しかもその置換で何の問題がどう變更されたのやら依然不分明、そこを削っても趣旨に變りなささうだ。ドゥルーズによるアクチュアリティーの説明は諄々(くどくど)しいだけ解りやすいが、その偏りは是正して讀む手間が要る。

フーコーはおろかデリダと比べてすら歴史學との親和性が薄いドゥルーズ哲學には反歴史的な思考に傾く嫌ひがあらう。現にドゥルーズ論では、檜垣立哉『瞬間と永遠 ドゥルーズの時間論』(岩波書店、二〇一〇年十二月)は「[……]ドゥルーズから、歴史性に関するポジティヴな主張をとりだすことははたして可能だろうか」(「第四章 生成の歴史」p.94)と問うた結果「[……]歴史記述と時間性は、それ自身、絡みあったテーマである。しかし、このテーマについて、ある程度以上の踏み込んだ記述をドゥルーズのみに求めるのは無理がある」(同章「結」p.114)と見切り、代りに「きわめてドゥルーズ的な思考装置に近接し、なおかつドゥルーズ以上に断片化した歴史の本性に自覚的であった」(p.114)と評するベンヤミンとフーコーとを次章「第五章 断片の歴史/歴史の断片」に論ずることで歴史論の缺を補ふこととなった。

*18

レーヴィット『ヤーコプ・ブルクハルト』*8前掲ちくま学芸文庫p.28及び瀧内槇雄「文庫版あとがき」p.547、斎藤忍随「フィロローグ・ニーチェ」pp.55-56、參照。全文邦譯は佐野利勝「ブルクハルト・ニーチェ往復書簡」京都大學分校獨逸語研究室『獨逸文學研究』報告第2號、一九五三年十二月、該當箇所はp.73。ついでだから、クラカウアー『歴史』(前掲p.274)による魅力あるブルクハルト像をも掲げておく。

ブルクハルトはもちろん専門家であったけれども、かれは自分の好みに従うアマチュアのような態度を歴史に対して取っている。かれはただ、自分の内なる専門家が、歴史は科学ではないことを深く確信していたから、そうしたのである。「大ディレッタント」、ブルクハルトはある手紙のなかで自分をそう呼んでいるが、これが歴史を適切に取り扱うことのできる唯一のタイプであるように見えるであろう。専門家がアマチュアのなかから生まれることは知られている。だがここでは一人の専門家が、その特殊な主題のために、アマチュアに留まることを固執している。

この好事家ぶりは好古家と同臭であり、「かれのディレッタンティズムは、古代以来十八世紀まで続き、十九世紀になって消えた古事研究的an­ti­quar­i­anな方法、オリジナルな記録にたいする好み、にせ物を発く際の手ぎわよさ、証拠を集め分類することの練達さ、そしてとりわけ知識にたいする捉われない愛Ar­nal­do Momigliano, Stud­ies in His­to­ri­og­ra­phy, Lon­don 1966, p. 27)と一脈相通ずるものをもっており、こういうところに、ブルクハルトの歴史叙述の近代的批判的方法を通過したうえでの非近代性を認めることができる」(仲手川良雄『ブルクハルト史学と現代』「第一章 革命時代と大衆」註(149前掲pp.70-71)。

また、歴史家としてのウェーバーのディレッタント性に注目した犬飼裕一マックス・ウェーバーにおける歴史科学の展開ミネルヴァ書房、二〇〇七年七月)も參考になり、特に第4章「第2節 生に対する歴史の利害」はニーチェとブルクハルトとの對比が主題でもある。惜しむらくはこの一九三六年初刊の『ヤーコプ・ブルクハルト』を原書新版の刊年に據って「一九六六年のレーヴィットの見解」としてしまってゐるし(p.156)、「マルチン・ハイデガーに師事したレーヴィットは生の哲学の信奉者の一人として、どちらかといえばニーチェの側に加担している」(p.158)との評は誤斷でむしろ當人は「その第一章が、ブルクハルトの側に付いて行なったニーチェとの対決なのである」(秋間実『ナチズムと私の生活 仙台からの告発』〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、一九九〇年十二月、p.224。Cf.p.82)と自傳に述べてゐたし、何よりレーヴィット著にも觸れられたブルクハルトのディレッタンティズム(前掲書p.28・127​・319​・430)にまでは目配りが利いてなかったのでそこは讀者が補強せねばならないが、レーヴィットによるブルクハルトとニーチェの論じ方に潛む思想史にありがちな缺點への批判(p.159「特定の思想家の成熟期の到達点からそれまでの生涯を目的調和的に再構成しようとする」、cf.第2章「第1節 新たな読みの可能性」pp.65-66)なども含め、面白く讀めた。

非專門的なディレッタント傾向が拭ひ難いのは文獻學の性格でもあり、近代における文學・史學・哲學・法學等の母胎であったのにそれぞれが獨立分科した後はその補助學に成り下がった經緯による履歴效果ヒステリシスだらうが、アウグスト・ベークに據ればそもそも古代アレクサンドリアのエラトステネス以來 「フィロロギーの概念の中には、フィロローグは皆自己の専門学科においては一流であり、他の学問においても二流すなわちベータでなければならぬということが含まれていた」(中島文雄『英語学とは何か』「2 A・ベックのフィロロギー」前掲p.46。Cf.安酸敏眞「アウグスト・ベーク『文献学的な諸学問のエンチクロペディーならびに方法論』――翻訳・註解(その1)――北海学園大学人文学会『北海学園大学人文論集』40號、二〇〇八年七月、p.23→アウグスト・ベーク/安酸敏眞譯『解釈学と批判――古典文献学の精髄――序論Ⅰ​§1知泉書館、二〇一四年五月)。

*19

ミシェル・フーコー/伊藤晃譯「ニーチェ、系譜学、歴史」(『ミシェル・フーコー思考集成  1971‑1973 規範/社会筑摩書房、一九九九年十一月所收)、及び榎並重行『ニーチェって何? こんなことをいった人だ前掲p.21・49・51・139・140・196、に據る。フーコー譯文に「émer­gence 現出」とされたEnt­ste­hungを「發生」に改めたのは、それが獨和辞典でも普通の譯語だからに過ぎない(佛語émer­gerには「創發」と生物學上の譯語を當てた方がまだしも思ひがけぬ新しさを言ふ趣意が傳はらうが、發生を意味する語は系譜(學)=gé­néa­lo­gieと同系語源で揃へればgenèse/獨Genes/英gen­e­sisにならうし、發生學em­bryo­lo­gieといふ生物學用語は醫學では胎生とも言ってまた別だし……)。フーコーが註記に示した該當箇所を邦譯『ニーチェ全集』と照合した限りでも「現出」といふ語は使用されてないやうだ。『ニーチェって何?』第一章(p.49)は「発生をとらえる系譜学」といふ見出しで一節設けてをり、神崎繁『ニーチェ どうして同情してはいけないのか中「起源をめぐる誤解」の節(〈シリーズ・哲学のエッセンス〉NHK出版、二〇〇二年十月、p.36)でも「発生Ent­ste­hung)」。因みに、Ur­sprung​(起源、根源)とEntste­hung​(發生、成立)とを對立させる用語法はベンヤミンにも見られ(浅井健二郎譯『ドイツ悲劇の根源 上』「認識批判的序章」〈ちくま学芸文庫〉一九九九年六月、p.60)、とはいへ前者「根源ウアシュプルング」を後者より重く視るのはフーコーとあべこべだが、固より語に含ませた意味合ひが異なる。個々の語意より、ここでは同義の類語に差異を差し込んで對義語のやうに言ひ分ける概念操作法を見れば足りる。

前後してフーコーは同じくニーチェを讀む中で今度は「発明Er­fin­dungを「起源Ur­sprungと對立する言葉と見てもをり(「ニーチェ講義」慎改康之・藤山真ミシェル・フーコー講義集成 〈知への意志〉講義 コレージュ・ド・フランス講義 1970─​1971年度 付「オイディプスの知」筑摩書房、二〇一四年三月、p.268。西谷修譯「真理と裁判形態ミシェル・フーコー思考集成  1974‑1975 権力/処罰筑摩書房、二〇〇〇年三月、pp.100-102)、暗にエドムント・フッサール『幾何學の起源』(細谷恒夫・木田元譯『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』「付録二 幾何学の起源について」中央公論社、一九七四年四月→〈中公文庫〉一九九五年六月。田島節夫・矢島忠夫・鈴木修一譯/J・デリダ序説『幾何学の起源』青土社、一九七六年四月→二〇一四年九月)へ當てつけたらしいが、要は起源(論)の特權性を無效化したいので、それからずらした語を對置する戰術であった。代って別の一語が特權化されては元の木阿彌、同義循環(トートロジー)に嵌るから、一群の類義語に分散して相對化することになる。文獻學お得意の變異形(ヴァリアント)との校勘(つきあはせ)recensio(レケンシオ)とも)――但し原本(オリジナル)への收斂を目的としない――であり、差分A′を以て變項Aを限定する論法である。

語の對比が用例から歸納した辨別に基づく點、哲學者のやりがちな自家製術語體系(ターミノロジー)の構築に耽るネオロジズム(造語癖、言語新作症)とは撰を異にし、また新き酒を舊き革嚢に(いる)る」如き既成概念の再定義による意味改變(デリダ派の謂はゆる古名(パレオニミー)の戰略)とも別種であり、語源論による古義への還歸(ハイデッガー流解釋學に顯著)でもないこの微分する批判法を、さて何と名稱したものか。修辭學傳統の術語では大まかにparadiastolē(希παραδιαστολή)乃至distinctio(羅)に類し(婉曲語法の言ひ換へをも指す語だが)、前掲『レトリック事典』は「3‑5‑3‑4 《類義区別」、中村明『日本語の文体・レトリック辞典』(東京堂書店、二〇〇七年九月)は8.7.5「微差拡大」として立項する。para­dias­toleは思想史研究でも注目され、クェンティン・スキナーの謂ふpara­dia­sto­lic re­descrip­tionの譯語を「隣接対照的再記述」としたのは神崎繁「言葉と表象」表象文化論学会『表象01』月曜社、二〇〇七年四月→前掲 哲学の扉の向こう』pp.116-​121)。

*20

これまたボルヘスに對する先取性(プライオリティー)を示すかのやうに、ニーチェは道徳外の意味における真理と虚偽について(一八七三年。前掲『哲学者の書 ニーチェ全集3』pp.352-353)に述べた――すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである。一枚の木の葉が他の一枚に全く等しいということが決してないのが確実であるようにライプニッツの逸話!]、木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性を任意に脱落させ、種々の相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、」……生憎と忘却力(Cf.『曙光』一二六、前掲ちくま学芸文庫版全集7​p.149。『道徳の系譜學によせて』第二論文冒頭)はもうそこまで確實性のある説でもないけれど、この箇所は柄谷行人『マルクスその可能性の中心』標題作「序章」2(前掲講談社文庫版p.19)に引用されたりして(出典「哲学者の書」が「哲学者の本」となってゐるが)、生前未發表稿の割に弘まってゐるやうだ。そこで柄谷は、同一視されるものに「差異性」(同p.17・22「微細な差異」、cf.第五章3​p.83・第六章2​p.107)を見出すことがマルクスにとって「読むこと」であったと説き、自らの批評法に重ねた。さう言ふ當人にしてなほ、「思想の核心は、共通性にではなく、微細な差異性にあると断言していながらも、彼は、微細さによりそうことをせず、もっぱら差異性の側につくことを選んでいるかに見える。つまり、柄谷行人は、微妙なニュアンスの推移への共感を断念しているということなのだ」(「戦闘の光景――柄谷行人の『探求』を読む」文藝春秋『文學界』一九九〇年新年特別號「柄谷行人の世界」p.254)とか「思想の核心は、共通性にではなく、微細な差異性にあると断言されている書物にあって、著者がもっとも力をこめて実践している振舞いが、差異の識別というよりもむしろ同じであることの確証であるかに見える」(「戦闘の光景(二)――柄谷行人の『探求』を読む」『文學界』一九九〇年二月號、、p.346)等と皮肉な評價を受けるのは、哀れな「記憶の人」や文獻學者と違ひ抽象力に惠まれてゐる所爲なのか?

異口同音でヨリ詳しい説明文が一九一〇年ベルリン刊の哲學書に見え、まるで一九四二年初出の「記憶の人フネス」を豫表したかのやうに符合するのが面白いから、引いておく。邦譯書エルンスト・カッシーラー『実体概念と関数概念――認識批判の基本的諸問題の研究――』(山本義隆譯、みすず書房、一九七九年二月)「第一章 概念形成の理論によせて」である。曰く、概念の獲得が「抽象」(Ab­strak­ti­on​=捨象化)に基づき「伝統的論理学では、われわれは特殊から普遍へと上昇する規則にもっぱら従っているのだとすれば――

精神に概念形成の能力を与えているものは、われわれの精神に備わった〈忘却〉という幸運な才能であり、現実にはつねに存在する個々の事例の差異をそのとおりに捉える能力の欠如だということになる。もしも過去の知覚によって残されている記憶像のすべてがまったく鮮明に規定されているとしたならば、その記憶像がわれわれの消え去った意識内容をすみずみまで具象的にいきいきと思い出させるとしたならば、そのときには、想起された表象が新しく生起した印象と完全に〈同種〉のものと捉えられ、両者がひとつのものに融合されうるというようなことは、およそ不可能であろう。以前の印象全体を完璧に保存するのではなく、ただその漠然とした輪郭を保存するにすぎない再生(Re­pro­duk­ti­on)の不確かさによってはじめて、それ自身としては同種でない諸要素をひとつにまとめあげることが可能となっている。というわけで、すべての概念形成は個的な直観を概略的な全体像で置き換え、現実の知覚のかわりにその不完全で漫然とした残存物を置くことから始まる、ということになる。

『実体概念と関数概念』p.21

尤も、前後の文脈はこれの批判で、古典論理學の類概念に固執するとこんな「奇妙な結論」(p.21)が出てしまふと示す歸謬法みたいな部分だから、それに代ってカッシーラーが函數(Funk­ti­on​=機能)概念・系列概念による現代論理學の革新を引き立ててゆくための踏み臺に過ぎない。「忘却を唯一の頼みとする論理、これが抽象的実体概念の最も悪しき名前となるのである」(中井正一「委員会の論理――一つの草稿として――」9、初出一九三六年→『中井正一全集 1 哲学と美学の接点』美術出版社、一九八一年四月、p.83)。畢竟ボルヘスの報告した超記憶症候群の事例イレネオ・フネスは形式論理學に則った虚構(フィクション)であり論理の遊戲であって、現實味の程は怪しい(アレクサンドル・ルリヤ『偉大な記憶力の物語』やサヴァン症候群等の實在の症例と重ねたくなる前に、この小説を收めた『伝奇集』と譯される短篇集の原題がFic­ciones​=作り話であったことを想ひ出さう)。現にカッシーラー自身、異常なまでに博覽強記で原典に當らずに引用できてしまふほど諸書を諳記してゐたといふ逸話の持ち主(木田元「訳注」、カッシーラー『シンボル形式の哲学 (四)』〈岩波文庫〉一九九七年五月、p.376)「ページ数まで全部暗記している」程だったが(木田元、富山太佳夫ほか《座談会》 引用という文化」岩波書店『図書』二〇〇四年七月號、p.10)、それで概念思考に支障を來すどころか大いに實踐躬行してみせた。いま雙方を併せ讀んだ我々は、先立つ新カント派哲學者の數理的觀念を解明した著書と對照することで、その後三十餘年を經て書かれたアルゼンチン産の作品における「奇妙な論理」は同時代に發展した二十世紀初頭の科學哲學に比して當初から既にやや時代遲れ(アナクロ)な古めかしさがあること(そこに魅力の一斑もあるが)、記憶力だけを恃みとして思考力も教養も不足した青年主人公の認識が殆んど無限論へと接近しながらも依然餘りに實體的な概念に囚はれた儘の經驗主義であることを、讀み取れるわけだ(ニーチェの方が人口に膾炙し、素朴な實體論は今なほ關係論より知れ渡ってゐようが)。ならば更には、カッシーラーに倣って非アリストテレス論理學に準據することで、フネスとは別樣な「記憶の人」の系列を造型できる、かも知れない……。

附記

野暮は承知で言はずもがなの註釋をしておくと、各節の見出しは引喩(暗示引用)である。順に出典は、『アルジャーノンに花束を』『地獄の季節』『遅れてきた国民 ドイツ・ナショナリズムの精神史』『つゆのあとさき』『論語』『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』『歴史家の同時代史的考察について』『プルウスト全集 失はれし時を索めて』『同時代も歴史である 一九七九年問題』『いつまでも前向きに 塵も積もれば…宇宙塵40年史 改訂版』。もぢっただけ、必ずしも内容と關はらず。


【書庫】補註 > アナクロニズム

▲刊記▼

發行日 
2010年1月22日 開板 / 2022年8月7日 改版
發行所 
http://livresque.g1.xrea.com/notes/anachronism02.htm
ジオシティーズ カレッジライフ(舊バークレイ)ライブラリー通り 1959番地
 URL=[http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/notes/anachronism02.htm]
編輯發行人 
森 洋介 © MORI Yôsuke, 2010-2021. [livresque@yahoo.co.jp]
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