たのしい知識、とは何の
かつて『GS[たのしい知識] la gaya scienza』といふ季刊誌が、あった*1。一九八四年六月創刊、時あたかもニュー・アカ・ブームの
「たのしい知識」刊行について
知識は長いあいだ重力の魔にとらわれてきました。ものを知れば知るほど、人は悲しみの淵に沈みこむ。学問を重ねるほどに、陽もささぬ、狭い洞窟のうちに幽閉されてしまう。古来より哲学者たちが唱えてきた「絶学無憂」の一語こそは、こうした知識の不幸をめぐるパラドクサルな意識のあらわれであったといえるでしょう。
いま、わたしたちの周囲にあって、知識はかつてない頽廃に陥っています。僧房を思わせる研究室の薄暗がりのなかで醸成され、隠蔽される知識。ひとえに現実的効用という目的のみに奉仕する知識。あるいはてぎわよく無害に調理され、カタログふうに羅列される啓蒙的知識。およそ、知識と名のつくほとんどすべてのものが、こうした制度的格子に応じて秩序づけられ、鈍重な足どりで生産・分配・消費の回路をめぐっているというのが現状です。わたしたち「たのしい知識」は、正面切ってこの構図を破壊しようとは望みません。そうではなく、そこに今ひとつの新しい回路、目的も自己信仰もない回路を設けようと意図しています。いや、それは回路というよりも、回路の紛い物、始点も終点もない知識の移動・横断・滑走といったほうが正確かもしれません。
十二世紀のトゥルバドールたちは自分の作詩術を、オック語でla Gaya Scienzaとよびました。この語がのちにニーチェの警句集の標題となり、最近では映画作家ゴダールが〈五月〉直後に撮った作品にまで深い影を投じていることは、よく知られているところです。陽光のなかの軽快な知識。舞踏と哄笑をともない、たえずおのれの位置をずらしてゆく知識。わたしたちが必要としているのは「歓ばしき叡智」でも「華やぐ知慧」でもありません。音楽に、哲学に、映画に、休みない横断線を引き続ける「たのしい知識」なのです。
速度、浮気っぽさ、ユーモア。「たのしい知識」は、これまで知識が厳粛な表情のもとに禁じてきたこうした要素を、異教の神の魔法のマントのように身にまといます。秘教伝授の経典でも、能率のよい啓蒙書でもない、この軽薄にして過激な知的倒錯の企てを、どうかあたたかい眼で見守って下さるよう、お願いいたします。
文中「ニーチェの警句集」とは、「悦ばしき知識」とも「華やぐ知慧」とも譯される„Die fröhliche Wissenschaft“(1882)への
以後この宣言はほぼ毎號掲げられた(第3號ではアジア特輯に合はせて中國語譯を簡化字と繁體字と二種掲げ、「喜悦的智慧」「快樂的科學」ではなく『愉快的知識』、と譯してゐる)。署名は3號まで編輯人三者連名になってゐたが、起草は淺田彰であらう。創刊號「編集後記」のうち「A」といふ署名の文と重なるからだ。
知識は重力の魔に憑かれている。
僧房のような研究室の中に堆く蓄積されるアカデミックな知識。商業化された交換回路を堂々めぐりするうちすっかり硬直してしまうプラグマティックな知識。
それらに背を向けて密室にこもり、ロマンティックな自己主張を反復しては自己消費する者たちも、同じ重苦しさ、同じ硬直性に包まれている。
いま必要なのは、知識をそのような重力から解き放つことだ。知識を軽くポータブルなものにすること、その時その時での
生産 に役立つものにすることだ。それをわれわれは「たのしい知識」と呼ぶ。「たのしい知識」は文字通りポップなものとなるだろう。ただしそれは、一般的な意味で「ポップ」なもの、と言うよりも、情報産業によって枠にはめられた「ポップ」なものとは似ても似つかぬものかもしれない。クロソウスキーやバルチュスの作品のほうが、いわゆる「ポップ文化」のあれこれよりもはるかにポップなのではないか。そのような過激なポップ性こそ、われわれの目指すところである。
あるいはまた、ビジュアルなコラージュであれば何でもポップだというわけではない。それと長大な論文とが同時に提出されることではじめて十分なインパクトが生まれてくるのだ。
「ニュー・アカデミズム」などという愚劣なレッテルのもとに悪しき「知のポップ化」が進行しつつあるなかで、われわれは以上のような反時代的ポップ性にあえてこだわろうとした。[……]
淺田は己れが呼び水となったニュー・アカとの差異化を圖って「知のポップ化」を斥けるわけだが、しかしそれはそれで、亦樂しからずや。そんな無下にすることもなからうと思ふ。
無論これに不信感を抱く人もあるやうだ。今や批評誌が『重力』(2002.2創刊、青山出版社→作品社發賣)を名乘る有樣、「重力の魔」(これは氷上英廣譯『ツァラトゥストラはこう言った』からの引喩、Geist der Schwere=重壓の精神)を笑殺する'80年代「軽チャー」なぞ輕侮されるだけなのかもしれぬ(尤も『GS』は文字通りには決して輕くはなくて、毎號分厚く、讀みでがあったけれど)。「知識はそんなに楽しくない」とは、この雜誌の版元だった冬樹社(4號からは
あに「絶學無憂」(老子)の歎のみならんや。子曰く、知者は樂しみ……。
「ああ、己は哲學も
法學も醫學も
あらずもがなの神學までも
容易ならぬ苦勞をして底の底まで研究した。
それなのにこの通りだ、可哀さうな、阿呆な己めが。」
と知識慾を悔いたものの、しかし、それでも追求せずにはをれぬのだ。知識を……もっと知識を! たのしい知識を!(ト、これはゲーテの臨終の句をもぢった引喩)
テレンティウスの名諺を想起しよう。あれは「一切智の夢」(とは、南方熊楠からの引喩)を語ったモットーとして引合ひにできまいか。「ワレハ人間ナリ。コト人間ニ關スルモノニシテワレニ無縁ノモノナシトス。 Homo sum, humani nihil a me alienum puto.」――身不敏なりと雖も、請ふ斯の語を事とせん。
GSは「ジーエス」と讀み、むろんGaya Scienzaから取った頭文字だが、時にゴダール・スペシャルの略記でもあるさうな。全九册、以下の通り。
20-08-30追記:以下續いて、感覺のうち最も愛好される視覺の優位が説かれ、そこでΑ〔第一卷〕第一章の段落が改まる。この「アリストテレスの『形而上学』の第一命題」をめぐっては、知識慾の思想史としても讀めるハンス・ブルーメンベルク/忽那敬三譯『近代の正統性 Ⅱ 理論的好奇心に対する審判のプロセス』(〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、2001.7)が諸所で言及し、後世各時代の反應が織り成す影響史の一端を覗かせる。「人間は自然本性としての強要されたのではない内的な動因から知を得ようと努めるのか、それとも生存期間を延ばそうという剥き出しの欲求によって認識を獲得する必要性へと駆り立てられるのか、といった古典的な人間学上の問い」……(Ip.9)。明示されないものの恐らく念頭にあった一つは、ハイデッガー『存在と時間』「第三十六節 好奇心」(原書S.170-171./原佑・渡辺二郎譯『ハイデガー』〈中公バックス 世界の名著〉p.303)が「認識も、すでに早くから、しかもギリシア哲学において、「見ることの欲望」にもとづいて把握されている」と言って名高い『形而上學』起句を引例とし、「眼の慾」といふ貶稱(新約ヨハネ第一書二・一六に據る)で以て好奇心を詮議したアウグスティヌス『告白』第十卷第三十五章と對照してゐた邊りか。ラテン教父における「目の欲 concupiscentia oculorum」は「知る欲 libido sciendi」(初出未詳)と同一視され十七世紀ジャンセニスムを經てパスカル(『パンセ』B458)に至るが、その暗默の論敵に擬されたのはアリストテレス第一哲學の一文であったらうと見通しがつくわけ(より近くは、同時代人デカルトらが「精神の眼」といふプラトン主義用語で知性を譬諭し、殊にスピノザ『エチカ』は第五部定理二三備考でほかならぬ幾何學的論證それ自體が精神の眼だと斷じ、次いで定理二七や三二で「最高の喜び」「樂しみ」が導出されるので、悦樂を觀じる精神の眼が『パンセ』B793「知恵を見る心情の眼」と對置されもしよう)。――今日なほ、萬學の祖アリストテレスの權威を以て教師どもに良く引用される常套句なわけだが、對して、この一節への批判的な分析から始めたのがフーコーのコレージュ・ド・フランスにおける初年度講義であった。ミシェル・フーコー/慎改康之・藤山真譯『ミシェル・フーコー講義集成1 〈知への意志〉講義 コレージュ・ド・フランス講義 1970─1971年度 付「オイディプスの知」』筑摩書房、2014.3、p.8以下參照。冴え渡るフーコーの讀解は、講義一回分、十數ページを注ぎ込んで「わずか数行のアリストテレスの文章を掘り下げ,拡大し,敷衍化していく」(高沢公信「書評V」)。ギリシア語の用法や他のアリストテレス著述との