讀書に目醒めた少年時、人が初めて觸れる書物史とは何であらうか。恐らくそれ、ミハイル・イリーン*1ならんか。或いは庄司淺水の諸作であるかもしれないが、それとてイリーンの『書物の歴史』*2を下敷きにしてゐることが十分に窺はれる。その普及ぶりを以下に例擧してみよう。
本邦初譯。寸を詰めて正方形に近くした變型判で、萌黄色表紙の特徴ある裝訂が目を惹く。「尚裝釘は獨立美術展系の若き畫家にして、譯者の友人である加藤陽君の手を煩はした」(「譯者序」)。
もし實物未見でも、書誌を見るや、その版元だけで注目させられる筈だ。「この飜譯を委囑してくれた、古き友人である弘文莊主人反町茂雄君の、よき意志をよろこび、その好意に感謝せざるを得ない」(「譯者序」)。愛書家にして反町弘文莊の何人たるやを知らざる者があらうか。それでなくとも、書物についての書物は本好きをそそるもの。ほぼ同時刊行の下記も知られてゐよう。
ゆゑに、古書市場での需要も高かったやうで(弘文莊版『西洋印刷文化史』は限定版なりしゆゑ猶更)、古書目録でしばしばお目にかかる筈だ。共に半世紀後に複製されてゐる。
但し複製とは言ひ條、臨川書店版『書物』は新奧附に「普及版」とあって上製から竝製に變更、插畫のキャプションも右横書を左横書で新刻してゐる。愛藏版もある由だが未見。
同時代評を見れば、これに「『書物』の書物」と題する書評を寄せたのが林達夫。『レツェンゾ』一九三四年四月號(紀伊國屋書店レツェンゾ編輯部)掲載、「著作年譜」(『林達夫著作集 6 書籍の周囲』所收)にも記載無き佚文で、題からしていかにも「エピキュリアン・リヴレスク」(澁澤龍彦評)の林に相應しい好文章だが、その冒頭で擧げてゐるイーリン著・安岡徳太郎譯『五ヶ年計畫の話』が「ソヴェートの友の會」の編で、林は同會出版部長だったといふ縁に注意しておきたい。譯者の玉城肇も元來マルクス主義經濟史家であった。イリーンへの關心はその延長上からか。
さてその譯文はどうであったか。「譯者序」に曰く、「飜譯は、一九三二年發行、ビアトリス・キンシイドの英譯本によつた」「但し内容が通俗的なものであつたから、必ずしも原文通りではなく、大いに碎いて譯したところもあつた」と。いささか抄出しておく。
最初の本は、少くとも今日の本のやうなものではなかつた。それは手足を持つてゐた。それは本棚に列んではゐなかつた。それは話をすることができた。歌をうたふことさへできた。早く云ふと、それは生きてゐる本――即ち「人間書物」であつた。
玉城肇譯『書物』一の巻「第一章 生きてゐる書物」
三年後に改題。これがその後の譯書名として定著する。
ちなみに原題は英譯本で“Black on white ―the Story of Books”である由。『白地に黒 Черным по белому』――實際、原題通りに含みを持たせた邦題の方がこの小著には相應しいのかもしれない。半ばを割いてゐるのは「書物」といふよりむしろその前史たる文字の發明と發展に就てなのだから。
なほ玉城が著者名表記を弘文莊初版で「イーリン」としたは不審である。扶桑閣版でも、背文字・扉では「イリーン」であるのに卷末廣告では依然「イーリン」と記す。Ильинは英語でIlinだがIlyinやIl'inとも飜字され、現に、玉城肇譯『おもしろい時計の歴史』(ナウカ社、1935.7)では「イリイン」としてゐる。さらに戰後は「イリン」と音引き拔きで表記される。
「少年少女の読みうる科学読物で、こんなにもたくさんの本が訳されている著者は、ほかにはいないといってよいでしょう」とは國土社版の「解説」(板倉聖宣)の言だ。實際、後者は確認した限りで少なくとも1982年までは版を重ねてゐ、圖書館備へ附けの兒童書としてよく普及してゐたやうだ。
いちばんはじめの本は、いまある本のようなものではありませんでした。それは手足をもっていました。それは本だなにならんではいませんでした。それは話をすることができました。歌をうたうことさえできました。早くいえば、それは、生きている本――すなわち「人間書物」だったのです。
玉城肇譯「書物の歴史」一の巻 「生きている書物」
玉城肇譯に次いで別譯が出た。
八住利雄はロシア文學の譯書も多い人、重譯ではない(底本の記載は無いが、八住利雄舊藏の飜譯原本が早稻田大學中央圖書館に收められてゐる)。發行所がそぐはないやうだが、八住が文學作品の映畫シナリオ化を仕事にしてゐた縁故か。表紙・扉・奧附に「東寶發行所」とあるも、奧附檢印紙には「東宝書店」と刷られ、卷末廣告にも「東寶書店・刊」と見える。再版(1943.12刊)の出版者は「東寶書店」になってゐるさうだ(NACSIS Webcatによる)。
譯者の「まへがき」には科學讀物の重要なることを説き、「外國人ではあるが、この本の原著者などはさういふものを書く人としては我國でも既に十分の信用がある人である」と云ふ。事實その種の譯書は數册擧げられる*3。或いは時局柄、ソヴィエト原産であるだけに婉曲に豫防線を張ったのかもしれないが。また「譯文は解り易い上にも解り易いやうにこころがけたつもりである」とのこと。
一番最初の本は現在の本とは似ても似つかなかつた。それには手も足もついてゐた。床の上にぢつと横はつてはゐなかつた。話すことも出來たし、歌ふことさへ出來た。つまりそれは生きてゐる本であつた。「人間の本」だつたのである。
八住利雄譯『書物の歴史』第一章 「一、生きてゐる本」
戰後これは版を變へて再三刊行されてゆく。
うち〈少年人間の歴史双書〉とは十二卷すべてイリン著だから、畢竟〈イリン選集〉の燒き直しだ。一九四九年版の表紙が黄緑色なのは弘文莊版を眞似たものか。譯文は新字新かなに直されたが、一九五一年版まではまだ漢字は舊字體で促音拗音も小書きでなく、一部訂正漏れで舊假名遣ひの儘もあるなど、いかにも過渡期らしい。
一番最初の本は現在の本とは似ても似つかなかつた。それには手も足もついていた。床の上にじつと横わつてはいなかつた。話すことも出來たし、歌うことさ
八住利雄譯『書物の歴史』1951へ 出來た。つまりそれは生きている本であつた。「人間の本」だつたのである。
岩崎書店は兒童書出版社で、その後もイリーンをセットにして出した。譯者は變へたが。
イリーンの賣れっ子ぶり、以上の如し。これ以外に叢書中に收められて刷を重ねたものも。
はじめの本は、いまの本とはまるでちがっていた。はじめの本には手や足があった。それはたなにならばなかった。それは話すこともできたし、うたうこともできた。それは生きた本、つまり、人間であった。
袋一平譯「本の歴史」 第一話「生きた本」
袋譯には既譯に無かった插話が幾つも見られる。どうやらその後増補されたものを底本にしたらしい。最も分量の多い〈世界の名作図書館〉版の目次を轉記しておかう。
但し〈世界の名作図書館〉が原書の古樸な味ある插畫(N・ラプシンによる。廣告文に曰く「ニューヨークの國際的な挿畫懸賞募集に第一等を獲得した畫家」とか)を幾つか現代風のカットや寫眞圖版に差し替へてしまったのは惜しい。要らぬ親切ではなかったか。
まだ、この他にも邦譯はあるかしれない。さらにイリーンの別の著書、これまた諸版に亙って邦譯の出た大作『人間の歴史』には、この『書物の歴史』から採った記述が散見される。加へて通俗書物史では、庄司淺水『本の五千年史』等々、しばしばこの小著を種本としてをり、その痕跡はなほ幾らも發掘できよう。殊に「生きてゐる書物」のくだりを以て書物史の起源を敍すること、もはや
ソ連の児童科学読物作家M・イリーンは『書物の歴史』で〈人間の本〉のことにふれているが、古代では人間が部族の歴史を口づてに語り伝え、いわば〈生きた本〉となっていた。[……]
紀田順一郎監修『本の情報事典』「1 本の起こり 〈生きた本〉がはじまり」*4
かくて讀者には知らず識らずの裡にイリーン式書物史觀が刷り込まれていったと覺しい。▼
Михаил Ильин (Mikhail Ilin) 1894〜1953。舊ソヴィエトの作家。本名イリヤ・ヤーコヴレウィッチ・マルシャーク(Илья Яковлевич Маршак)。『森は生きてゐる』のサムイル・マルシャークは兄。ペテルブルグ大學理數學科に入學、クラスノダール工業大學化學科を經てレニングラード工藝大學卒。ネフスキー・ステアリン工場實驗室主任を務めるが健康を害して著述業に轉じ、『燈火の歴史』(原題「机の上の太陽」1927)、『書物の歴史』(原題「白地に黒」1928)などを著す。1930年の『偉大な計畫の話』(邦譯、イーリン著・ソヴェートの友の會編・安田コ太郎譯『五ヶ年計畫の話 新ロシア入門』鐡塔書院、1931.10)がゴーリキーやロマン・ロランの激賞を受け、廣く國外にも名を知られた。多くの兒童向け科學物語を書き、代表作に夫人セガールの協力で書きあげた『人間の歴史』(原題「人間はいかにして巨人となったか」1940)がある。(以上、主に袋一平「作者のこと」(『人間の歴史 上』〈岩波の愛蔵版34〉岩波書店、1971.7/『人間の歴史 1』〈岩波少年文庫〉1986.11)に據る)
『世界名著大事典』(平凡社、1960-62)に立項せられてゐるので引いておく。
- 書物の歴史 Chernym po bel
y mi (1928)イリンMikhajl Il'in (1895〜1953)著。著者はソ連の児童向きの科学物語作家。本名はイリヤ・ヤコヴレヴィチ・マルシャーク Il'ya Y
o kovlevich Marshakで,詩人S.マルシャークの 兄である。彼はレニングラード工科大学化学科を卒業したが,健康のため工業界に入るのをあきらめ,兄弟のほか何人かで団体を作り,労働者,農民,子供たちのため,各方面のしっかりした知識を求め,読みやすい興味深い著述を行なった。《人間の歴史》《時計の話》など名著が多い。本書は,書物の作られた歴史をおもしろくわかりやすく書いたもので,原名は《白地に黒く》で,《書物の歴史》は邦訳名である。まず言葉の記号から文字へ,文字の書き方の進歩を記す。文字を書く材料の石材から黏土板,ロウ板,羊皮を経て,紙の発明と進歩を述べ,ついに印刷術の発明に及んでいる。わずかなページ数のうちに書物の運命を紹介し,労働者や少年の入門書として世界的に愛読されている。【邦訳】玉城肇訳(創元社),八住利雄訳(岩崎書店) (弥吉光長)
彌吉光長はただ圖書館人たるを以て執筆を委囑せられたに過ぎまい。が、誤植はさておいても記述が不精確で、人選に宜しきを得たとは言はれない。
原書名はローマ字化するならChernym po belomuとあるべきだし、そもそも同事典著者編の「イリン」の項目(無記名)では正しく「 Il'ya Yakovlevich Marshak」「作家マルシャークの弟」となってゐるのに、整合性の無いことではある。増補した『世界名著大事典 オリジナル新版』(1987-89)に至っても訂正漏れの儘だ。
以下七點。他にもあるか。
かつて同じ出版ニュース社から出た、出版ニュース社編集部編『本の問答300選』(1969.10)『本の問答333選』(1976.10)の「第1問」を改稿したもの。イリンの名もそこで既出だった。