選擇


新聞文學その他圈外文學への脱線
――高須芳次郎(梅溪)の埋もれた文學史構想に關する覺え書き――

森 洋介


(1)

ヴァルター・ベンヤミン/好村富士彦譯「エードゥアルト・フックス―収集家と歴史家」、編集解説=佐々木基一『複製技術時代の芸術 ヴァルター・ベンヤミン著作集2』晶文社、一九七〇年八月、p.139『複製技術時代の芸術』〈晶文社クラシックス〉一九九九年十一月、p.135。譯者名の表記は、後者で「士彦」と正された。浅井健二郎譯「エードゥアルト・フックス――蒐集家と歴史家浅井健二郎編譯『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』〈ちくま学芸文庫〉筑摩書房、一九九六年四月、p.619に該當。

(2)

小特輯として、「研究ノート 改造社研究の現在「日本近代文学」編集委員会『日本近代文学』第77集、日本近代文学会、二〇〇七年十一月)

(3)

この「『現代日本文学全集』推薦文」が『芥川龍之介全集 第二十四巻』「作品索引」の對象とされなかった不備のためだらう、わざわざ「管見によれば、芥川新全集に未収録と思われるので、付記するものである」として全文を掲出した論文も現れた。島健一郎「芥川龍之介と円本ブーム―文学全集における芥川の価値評価について―」日本文学協会近代部会『近代文学研究』第二十號、二〇〇三年一月、p.22註(2)參照。

(4)

二〇〇八年刊第二次刊行版での差異に就ては、庄司達也氏のご教示を受け披見。この新版は、既藏する圖書館で買ひ直すところは少ないから、舊版だけ手にして見落としやすい。岩波書店が第二次刊行のため二〇〇六年十二月に出した内容見本にも最終卷に「補遺二」といふ新本文が追加されたとは觸れてなく、舊版と違ひ無い再版と思はされてしまふ。全集に收載されながら半ば埋もれた佚文が生れるわけだ。

(5)

詳しくは、拙論口頭發表時の配付資料「ジャーナリズム論の一九三〇年代――杉山平助をインデックスとして(平成十四年度日本大學國文學會總會研究發表、二〇〇二年七月六日)に記した。http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/GS/journalism02.pdfにて全文公開中。

(6)

関口安義『特派員 芥川龍之介――中国でなにを視たのか――第一章がそのジャーナリストぶりを竝べ上げる毎日新聞社、一九九七年二月、pp.13-20菊地弘・久保田芳太郎・関口安義編『芥川龍之介事典』明治書院、一九八五年十二月)「ジヤアナリスト兼詩人」(関口安義)「ジヤアナリズム」(石割透)の項あり、関口安義編『芥川龍之介新辞典』翰林書房、二〇〇三年十二月)「ジャーナリスト」(細川正義)で立項、以上で芥川における同語の使ひ所はおよそ把握できる。但し殆ど用例列擧に留まり、この曖昧で襃貶兩義を持った言葉の用法を了解するには未だし。少なくとも「詩」と對立させられてゐる意味合ひを考慮する限り「芥川流の逆説的自嘲でもある(「インタビュウ:後藤明生氏に聞く イエス=ジャーナリスト論、その他」學燈社『國文學 解釈と教材の研究』一九九六年四月號「特集 芥川龍之介――小説の読みはどう変わるか」)のに、皮肉拔きのジャーナリズム禮讚と受け取るかの如き関口著は贔屓目に過ぎよう。抑も、新聞雜誌など無い古代のイエスにまで「天才的ジヤアナリズム」を認めるのはアナクロニスティックな顛倒なのであり、よく人心に訴へるとかアクチュアリティーを持ったとか時事的とか言ふべき所をひと捻りしてみせた以上の表現になってゐるかどうか、そこから讀み直すべきだ。『支那游記』から芥川の「ジャーナリスト」の意味を讀み解いた齋藤希史漢文脈と近代日本 もう一つのことばの世界〈NHKブックス〉日本放送出版協会、二〇〇七年二月)第四章p.199以下も參考になる。

(7)

塩澤実信『昭和ベストセラー世相史』昭和初年〜 ギャンブル的円本出版界を救う」第三文明社、一九八八年十月、p.10→改題増補『ベストセラーの光と闇 仕掛け人のホンネと時代背景』「昭和元年〜5年 ギャンブル的円本出版界を救う」グリーンアロー出版社、一九九五年七月、p.14。これを承けてさらに檢討したのが、野村知子「円本に挿入された月報の実態改造社文學月報世界文學月報春陽堂月報を事例に―」西日本図書館学会『図書館学』No.92、二〇〇八年三月。

(8)

柳田泉「明治文学研究夜話」明治文化研究会編『柳田 泉自傳 明治文化研究 第六集』広文庫、一九七二年六月、pp.69-70『明治文学研究夜話』《リキエスタ》の会、二〇〇一年四月、pp.85-86參照。細部で木村毅と齟齬あり。

(9)

水島治男『改造社の時代 戦前編 恐慌より二・二六事件まで』図書出版社、一九七六年五月、p.17參照。

(10)

関忠果・小林英三郎・松浦總三・大悟法進編著『雑誌改造の四十年 付・改造目次總覧光和堂、一九七七年五月、p.100參照。

(11)

小森陽一『日本語の近代』Ⅶ2 普通選挙と円本」、〈日本の50年 日本の200年〉岩波書店、二〇〇〇年八月、p.233參照。

(12)

木佐木勝『木佐木日記 第二巻 混迷の昭和期〈大正十五年(昭和元年)―昭和二年〉現代史出版会、一九七五年八月)昭和二年五月十四日の項、pp.259-260

(13)

別の所では「高須梅溪君も明治時代の新聞社の友達でいろんなことについて奔走してもらつた」と語る。山本實彦「創刊の頃 改造」寶文館『若草』一九三五年十月號→飜刻、新生社『本の周辺』第14號、一九七九年十一月(季刊)。山本がやまと新聞記者だった明治四十年代から交友があったものか。

(14)

雑誌改造の四十年』前掲p.56。なほ津田亮一編『瀧井孝作書誌』「年譜/著作年表中央公論事業出版、一九九四年八月)の「大正八年」の項では「二月、『改造』の記者となり」とひと月遲くなってゐる。

(15)

詳しくは、五味渕典嗣「山本実彦年譜考 『東京毎日新聞』時代を中心に」大妻女子大学国文学会『大妻国文』40、二〇〇九年三月、參照。

(16)

別に高須は「私の新聞雜誌記者時代(二)(『新潮』一九二七年九月號)では一九〇八年初春から約半年間、社會部長として東京毎日新聞に在籍とも。一九一五年「客員として再度入社平井法「高須梅溪」昭和女子大学近代文学研究室『近代文学研究叢書 第六十三巻』昭和女子大学近代文化研究所、一九九〇年六月、p.28。學藝部長の在任期間が不詳。

(17)

宇野浩二『文學の三十年』中央公論社、一九四二年八月、pp.312-313。なほ報知新聞は當時獨自の略字を用ゐたが、引用では正字にした。

(18)

宇野浩二は一九二七年初頭に三册目の感想批評集の刊行を豫告したが、同年六月からの發狂の所爲か、實現しなかった。それで散佚したものか。歿後の『宇野浩二全集』も大正期の評論を「ただ二篇のみを採って他はすべて省」く有樣。谷沢永一「批評家宇野浩二」『標識のある迷路 〈現代日本文学史の側面〉』関西大学出版・広報部、一九七五年一月、參照。

(19)

文學史家高須への評なら平野謙との對談「島村抱月と平野柏蔭」(木村毅『座談集 明治の春秋』講談社、一九七九年十一月、p.190)に見ゆ。

(20)

石塚純一「円本を編集した人々――改造社版『現代日本文学全集』と現代」日本出版学会『出版研究』29(1998年度)、一九九九年三月、p.34。原文は横書きなので句讀點は「,.」だが、「、。」に改めた。なほ他に高須芳次郎が圓本プランに加はったことを記すのは、小尾俊人『出版と社会』幻戯書房、二〇〇七年九月、p.160。拔書きを膨らませた資料集とも評すべきこの部厚い本にしては出所を記してないが、『雑誌改造の四十年』を寫しただけに見える。同じく犬塚孝明「ジャーナリスト山本實彦――若き日の思想遍歴と雑誌『改造』――」鹿児島純心女子大学国際文化研究センター編『新薩摩学 雑誌改造とその周辺』〈新薩摩学シリーズ5〉南方新社、二〇〇七年十月、p.57改造社関係資料研究会編『光芒の大正 川内まごころ文学館蔵山本實彦関係書簡集』「解題」(目次では「解説」)思文閣出版、二〇〇九年二月、p.258も、名を出すのみ。

(21)

青山毅昭和期文学・思想文献資料集成 第3輯 春陽堂月報』五月書房、一九八九年十二月、參照。谷沢永一『日本近代書誌学細見』和泉書院、二〇〇三年十一月、p.26で、『春陽堂月報』には「高須芳次郎が明治大正小説発達史を二十五回連載」とするのは一回見落とした數へ違ひだらう。仝月報第三十一號(一九二九年十二月)「明治大正小説發達史(二五)」の後、間を置いて第三十八號(一九三〇年七月)に「明治大正小説發達史(承前)」が載り、これにて打止め、連載當初の「本誌上で四十回餘に亙つて[……]書くことゝとした」(第二號)といふ抱負からすると未完了となってしまった。

(22)

牧野武夫『雲か山か 雑誌出版うらばなし』「歴史の一こま――中央公論回顧録――「三二 金文会―金文社のこと」学風書院、一九五六年十一月→『雲か山か 出版うらばなし』〈中公文庫〉中央公論社、一九七六年八月、p.154。この講演旅行の日程と詳細については、庄司達也「九州地方に於ける『現代日本文学全集』宣伝講演会について」研究代表者庄司達也『出版メディアによる〈大衆〉の獲得―1920年代の改造社の戦略と文学・映像・アジア』文部科学省科学研究費補助金研究成果報告書、二〇〇七年三月、p.25以下參照。

(23)

木村毅『私の文學回顧録』〈青蛙選書〉青蛙房、一九七九年九月、p.365。なほ春陽堂版『明治大正文學全集』の編成については、島源四郎「出版小僧思い出話(2) 円本全集のころ」日本古書通信社『日本古書通信』一九八四年八月號)によれば品目案を作って本間久雄に見て貰った由、木村ではない。

(24)

平井法「高須梅溪」(前掲『近代文学研究叢書 第六十三巻』)の「著作年表」に據れば、高須は「全集ものの続刊」と題する一篇を『日本』一九二七年三月五〜六日に發表。時期からして圓本ブームについて述べたと覺しいが、掲載紙が所在不明。のち、若宮卯之助らが執筆する同名紙が日本新聞社から毎週土曜日發行されてゐたことが高須主宰の『民族精神』一九三八年四月號(新東方協會編輯、東方文學社發行)の前附け廣告によって知れるが、日刊から週刊に變更した後身か。

(25)

この卷の改編について特に注目して紅野謙介「検閲・出版法・文学全集――中里介山「夢殿」削除の背景をめぐって紅野敏郎・日高昭二山本実彦旧蔵・川内まごころ文学館所蔵 「改造」直筆原稿の研究』雄松堂出版、二〇〇七年十月、p.80が書いてゐるが、少々誤謬を含む。

さて、増補をし、追加の巻数をふやした改造社の『現代日本文学全集』は、当初の三十三巻本の構成案にはなかった名前を加えていく。「新聞人文学集」として編まれるはずであった巻は、第五十一巻「新聞文学集」(一九三一年五月)となる。そこには当初のジャーナリストたち以外に新たに犬養毅、西園寺公望、原敬などが並んでいる。彼らはジャーナリストであり、総理大臣や閣僚経験者であった。いったいどの時点で彼らの名が加わったかはまだ判然としない。少なくとも、一九二六、二七年段階ではなかったが、三一年には配列されていた。死刑に処せられた社会主義者[『社會文學集』收録の幸徳秋水を指す]と総理大臣経験者を並べること。全集にあらわれた〈文学の国民化〉は、ここにひとつのサイクルを完了する。

まづ「新聞人文学集として編まれるはずであった」といふ事實は見當らないので『明治文學全集』のそれと混同したかとも思はれるが、この一句は右論文を元とする紅野謙介『検閲と文学 1920年代の攻防〈河出ブックス〉河出書房新社、二〇〇九年十月、p.200では削られた。しかしそれだけでなく「当初の三十三巻本」といふのも、紅野自身「全三十七巻の巻立てp.74と正しく記述してゐたにも拘らず、『検閲と文学』でも誤ったまま訂正されてない。抑も、政治家が追加されたことを意味ありげに指摘するのも附會の深讀みではないのか。明言こそせねど、これでは檢閲に苦しむ改造社が當局の鼻息をうかがって阿ったと仄めかす如くにも讀める。だが官邊への刺戟を避けるつもりなら同じく『新聞文學集』で新規追加の大庭柯公篇に「レーニン」の一篇を入れるやうなことはすまいし、かといって兩論併記といふ程の定見が編輯方針にあったとも、そこに國民化と呼ぶ程の政治的效果があったとも、思へない。偶然の竝行現象に「必然の糸p.64を視たがるのは、歴史を物語化する誘惑に捉へられてゐるからか。

(26)

海老原惇編の年譜「山本龜城」(木村毅編『明治文學全集 92 明治人物論集』筑摩書房、一九七〇年五月)には、龜城こと山本實彦の兄弟の系圖を掲げ、三生は實彦・重彦に次ぎ「明治二十六年三月十八日生」。また改造社社員だった高杉一郎こと小川五郎は「支配人の山本三生太田哲男『若き高杉一郎――改造社の時代未來社、二〇〇八年六月、p.125と語ってゐて、これは『文藝』編輯部に在籍した一九三四年以後のことだから、それまで支配人だった重彦に三生が代ったらしい。山本重彦は「昭和八年東洋出版社創立ア望「総合雑誌『改造』の自己意識」前掲『新薩摩学 雑誌改造とその周辺pp.117-118。これら極短い言及以外には山本三生に就ての文獻が見つからない。いかにワンマン社長の同族會社にせよ、實彦社長ばかりに記述が集中して社の幹部に筆を割く餘裕も無いのは偏ってゐよう。なほ、他の第三十八・三十九・二十八・一・六十二・六十一・五十五・五十二・五十七篇(刊行順)も同樣に奧附に編纂者を山本三生とするが、なぜこれらの卷だけ「著者代表」「著作者代表」でなく編纂者名を記したのか不明。

(27)

石塚純一「円本を編集した人々」前掲p.35參照。

(28)

吉田精一編『現代日本文學全集 別卷2 現代日本文學年表』「主要近代文學全集一覽」筑摩書房、一九五八年九月、p.405參照。

(29)

島健一郎「芥川龍之介と円本ブーム」前掲p.23註(15)參照。

(30)

小森陽一「起源の言説――日本近代文学研究という装置」栗原彬・小森陽一・佐藤学・吉見俊哉『内破する知 身体・言葉・権力を編みなおす』東京大学出版会、二〇〇〇年四月、p.164。木村毅・柳田泉への言及はpp.135・157-161

(31)

小森陽一「歴史社会学派に関する、歴史社会学的覚え書」「社会文学」編集委員会編『社会文学』第七號「特集 近代文学研究のパラダイム」日本社会文学会、一九九三年七月、pp.47-48。なほ、「非政治的身振りをすることによる政治性の発揮p.51を衝く小森の論法は政治的人間にはよくある物言ひで、それを言ひ募ると非政治性などあり得ないことになってしまふが、たとひ全ては何かしら政治的であるとした所で強度差はあり、露骨に強い政治性と無視できる微弱な政治性との區別を認めなければ、何かを政治的と呼ぶことさへ無意味になる筈だ。ディテールの歴史に鈍感なのは、餘りに「政治的」な所爲ではないか。

(32)

「新聞調」は「所謂新聞紙的なる何物か」、Journalisticismを指す造語。藤原勘治『新聞紙と社會文化の建設』下出書店、一九二三年七月、p.186

(33)

長谷川萬次郎「客觀的事實と歴史・新聞・藝術(續)」我等社『批判』一九三三年五月號→『長谷川如是閑選集 第四巻』栗田出版会、一九七〇年三月、p.213該當。

(34)

小坂部元秀「新聞文学」至文堂國文學 解釋と鑑賞』一九六七年十一月號「特集 文学史にない文学史p.96參照。

(35)

石塚純一「円本を編集した人々」前掲p.35。但しそこに附した「12)」で出典の『新聞文學集』につき刊年をなぜか「昭和3年1月」と誤記するが、昭和六年五月二十日發行が正しい。

(36)

例へば分量から見ると、『新聞文學集』は總計六百餘ページのうち福本日南『元祿快擧録』上篇・中篇・下篇が過半を占めて均衡を失してゐる。これについては挾み込みの『改造社文學月報』第五十二號及び第五十三號の「編輯室より」でも全部收録と特記してゐて、營業上、讀者からの要望に應へた結果らしい。青山毅昭和期文学・思想文献資料集成 第5輯 改造社文学月報』五月書房、一九九〇年六月、pp.547・551參照。日南一個にとって代表作とはいへ『元祿快擧録』は史論史傳の部類に屬し、新聞文學といふ基準で撰するなら日南には他にもっとジャーナリスティックな文章があらう。

(37)

佐藤健二「新聞文学戦争文学」『國文學 解釈と教材の研究二〇〇六年五月號「戦争と文学 20Cの現実から21Cへ」。

(38)

明治大正の新聞は、今日のわれわれの報道主義的なそれに比べれば、もうすこし射程の長い論評をふくむ文化記録であった佐藤健二『歴史社会学の作法 戦後社会科学批判』〈現代社会学選書〉岩波書店、二〇〇一年八月、p.130。新聞機能の二分法はよくあるが、報道に對するもう一方の呼稱がやや不定だ。「論説」と言ふと嚴めしい社説ばかり想起されようが解説記事や學藝欄の讀み物をも含ませる。長谷川如是閑『新聞文學』の分け方は「評論・報道・文藝」だったが、評論が本質だと言ふ。戸坂潤は三木清編『現代哲學辭典』「新聞」の項(日本評論社、一九三六年九月)で「新聞現象は内容的に報道(Nachrichten)と文叢(Literatur)とに分類される(E・シュタイニッツア)」とし、後者を更に論説・評論・文藝に三分しつつ「文叢を廣く批評と呼ぶことが出來る」と言ひ換へた。畢竟、政論新聞から報道中心の新聞へといふ歴史的經緯に從って、主機能となった事實報知以外の殘餘が一緒くたに綜括されがちであり、その曖昧な雜種性が「新聞文學」概念にも及んでゐる。

(39)

千葉龜雄「新聞と文章道(上)――新聞學新講(第八回)――」新潮社『文章倶樂部』一九二四年十月號、pp.38-41(卷頭目次に載ってない)「新聞と文章道」『新聞講座』金星堂、一九二五年五月→『新聞十六講』金星堂、一九三三年四月。他にも、千葉は同趣旨で「時文」に觸れる。「大正文壇と文章(一)」文藝時報社『文藝時報』第二十六號、一九二七年二月十日(中絶、(二)以下連載されず)。「現代文章の特質」前本一男編輯『日本現代文章講座 第三卷 組織篇』厚生閣、一九三四年四月→『千葉亀雄著作集 第一巻 評論Ⅰ』ゆまに書房、一九九一年十二月。なほ、「私は、があったら、日本文學史を書いて見たいと思ふほど、それほど日本文章の變遷に心を惹かれる」(「新聞と文章道」)とまで言ふ千葉と高須との間には影響關係も想像されようが、明證無し。高須芳次郎「文壇囘顧録(2)(『文章倶樂部』一九二四年五月號)に「私と千葉龜雄氏」の節があり、『國民新聞』編輯局で同僚だったことを追想したあと「氏一個の上に文壇に於ける文章變遷史を讀むことが出來た」と記すのが暗示的ではあるが。『日本文學大辭典』七卷本(新潮社、一九三六年四月〜三七年二月)中、「島田沼南」「はやり唄」「文學その折々」「松井柏軒」の四項が高須・千葉の連名執筆である。

(40)

前掲『丸善外史pp.262-263より。文中の「ハーバード・クラシックス」についてはp.255以下、また前掲『私の文學回顧録pp.245-246・272-274・357以下も見よ。從來、圓本はハーバード・クラシックスに倣ったといふ木村の言が引かれるだけで、兩者の比較檢討に進まないのは不審。The Harvard Classicsには諸版出入りあって、特に木村毅の購入したものは國内に二十部しか入らなかった由だから正確な實物對照は困難だが、およその書目を見るだけでもハーバード・クラシックスが古典名著選集であって近代「文學」全集でないことは明らか――自然・社會科學書まで含むその構成は圓本類で言ったら『萬有文庫』(萬有文庫刊行會・潮文閣、一九二六年十月〜二八年?)が近い――。となれば、ハーバード古典叢書の影響で「文學」を廣義に取ったといふより元から廣義の文學概念に合せてそれを受容してゐた疑ひがある。

(41)

瀬沼茂樹『本の百年史―ベスト・セラーの今昔―』「九 円本合戦」出版ニュース社、一九六五年九月、pp.176-177參照。

(42)

鈴木貞美『日本の「文学」概念』-2「ⅱ 硬文学軟文学論争」作品社、一九九九年三月第二版、p.227以下參照。硬文學といふ呼稱に對しては一八九二年十月に三叉 竹越與三郎が提唱した當時から異論が出てゐた。なほ同書について著者は「作品社、一九九九、誤植訂正版、二〇〇〇鈴木貞美「北村透谷の文学観」北村透谷研究会編『北村透谷とは何か』笠間書院、二〇〇四年六月、p.109と記すが、初版は一九九八年十月であり、誤植訂正版は未見。また鈴木への批判を「補注」に含む永渕朋枝『北村透谷 「文学」・恋愛・キリスト教』第二部「第五章 透谷は「軟文学」を代弁したのか」和泉書院、二〇〇二年八月も參照。

(43)

木村毅「新聞と文学――徳富蘇峰論 明治大正文学夜話〈第十七回〉」『國文學 解釋と鑑賞』一九六六年五月號→『明治文学夜話 近代精神と文壇』「第十七話 新聞と文学――徳富蘇峰論」〈至文堂選書〉至文堂、一九七五年十一月、pp.61・72參照。同書p.23で『幸田露伴集』收載目録を作ったとも語る。

(44)

青山毅編『昭和期文学・思想文献資料集成 第5輯 改造社文学月報』前掲pp.547-548參照。

(45)

高須梅溪『近代文藝史論』〈近代史論叢書〉日本評論社出版部、一九二一年五月→複刻、平岡敏夫監修〈明治大正文学史集成7〉日本図書センター、一九八二年十一月、pp.171・174。同書の改題増補である高須芳次郎『明治文學史論』(日本評論社、一九三四年十月)では同じく第二期第三章pp.118・119に該當。なほ、『近代文藝史論』は卷頭「本書の内容に就て」で下卷執筆中と述べ、『讀賣新聞』一九二一年八月二十四日〈文藝〉面〈批評と紹介〉欄でも「別卷で刊行の筈」と報じたが、本體では背文字・扉・奧附みな上卷といふ標記無く、尾題p.508にのみ「(上卷畢)」とあるが私藏のものは「上卷」二字が黒く塗抹されてゐる。これまた未完で中絶した構想であった。

(46)

高須芳次郎「明治文壇印象記」『改造』一九二六年十二月號p.37。前號「編輯後記」で『現代日本文學全集』の計畫を公にした際、「改造十二月號は明治文學研究號とする」と豫告してゐた。なほ別に、新聞文學の名の下に澁川を扱ったものに、蒲池正紀「渋川玄耳伝 忘れられたある新聞文学者の系譜」熊本短期大学『熊本短大論集』第42號「熊本短期大学開学20周年記念論文集」一九七一年三月、がある。

(47)

以下など參照。谷沢永一「明治三十年前後文学状況の背景」『近代日本文学史の構想』晶文社、一九六四年十一月。日本近代文学会編集『日本近代文学』第18集「特集 転換期の文学―明治三十年前後―」三省堂、一九七三年五月。岩波書店『文学』一九八六年八月號特輯「明治三十年代の文学」森英一『明治三十年代文学の研究』桜楓社、一九八八年十二月。高橋修「はじめに」小森陽一・紅野謙介・高橋修編『メディア・表象・イデオロギー――明治三十年代の文化研究』小沢書店、一九九七年五月。

(48)

川副國基「明治文学研究史の展望」『國文學 解釈と教材の研究一九六一年十月號「特集 近代日本文学研究史―研究法と研究者―p.17

(49)

三好行雄「近代文学」全国大学国語国文学会監修『講座日本文学 別巻 日本文学研究書目解題』三省堂、一九七一年九月、p.305參照。

(50)

高須芳次郎「文壇囘顧録(1)」『文章倶樂部』一九二四年四月號、p.74。史論・史學への傾きは「文學的事業としての歴史改造 (友人S君に與ふ)(早稻田文學社『早稻田文學』一九二二年十一月號)にも目立った。

(51)

「『大隈侯八十五年史』評」『東方之星』春季號(季刊)、一九二七年五月、參照。市島春城・坪谷善四郎・太田正孝・馬場恒吾・徳富蘇峰の書評集。

(52)

関井光男「日本近代文学研究の起源――明治文化研究会と円本――」日本文学協会編『日本文学』一九九四年三月號「特集・日本文学協会第48回大会報告 シンポジウム文学とはどういう文化か」。

(53)

小森陽一「起源の言説――日本近代文学研究という装置」前掲p.162

(54)

高須芳次郎「現代文學の研究發表に臨んで」『東方之星』晩秋初冬號(季刊)、一九二九年十一月、pp.8-9參照。同號掲載の現代文學研究論文は、宮本隆運「今戸心中の作者」、渡邊竹二郎「石川啄木の社會觀」の二篇。

(55)

紅野敏郎「世紀文学―青柳優・渡辺竹二郎・和田佐久治ら―」『雑誌探索』朝日書林、一九九二年十一月、p.38

(56)

谷沢永一「明治文芸思潮研究の展望」『明治期の文芸評論』〈近代文学研究双書〉八木書店、一九七一年五月、p.340

(57)

今井卓爾「国文学会の創立――「国文学研究」創刊まで――早稲田大学国文学会『国文学研究』第百集、一九九〇年三月)に據れば、早稻田大學國文學會の創立が一九二九年春以降と推測され、第二學院で國文學研究會の出來たのが同年六月とのことだから、高須芳次郎らが參集した現代日本文學研究會はそれらの動きにも先驅けてゐた。これは早稻田大學史の方の問題になる。

(58)

評論隨筆家協會編『昭和三年 評論隨筆家名鑑』評論隨筆家協會、一九二八年四月、卷頭參照。また『文藝時報』第二十二號(文藝時報社、一九二六年十月二十五日)が「評論、隨筆家の大同團結か」と報じ、『讀賣新聞』一九二六年十月二十六日附に「評論隨筆家協會成立」の記事がある。『東方之星』春季號(一九二七年五月)卷末の高須生「身邊雜記」には「今年一月成立した」と述べる。一九二六年十二月に「長谷川如是閑・長谷川天溪ら、評論隨筆家協會を設立」とは、『日本出版百年史年表日本書籍出版協会、一九六八年十月)が記し「近代出版側面史『日本近代文学大事典 第六巻 索引その他』講談社、一九七八年三月)も踏襲する所だが、兩長谷川も發起人ではあるものの主導者たる高須芳次郎を見落とすのは不當。高須は文筆家の職能團體について既に「著作家組合 『著作評論』と組合への不平 「陶醉前後」(二)」「自由な會合 異種異人打つて一丸とする會合 (陶醉前後)(三)(『時事新報』一九二〇年九月十八・十九日)、「新しき文士組合」(『東方之星』一九二五年十月號「文藝と思潮」のうち)に提言、それを實行に移したもの。

(59)

後年、第一書房『セルパン』一九三九年一月特大號(第九十六號)〈文化ニユウス〉中「評論家協會の成立」は、「評論家協會が當然出來ねばならない筈で、しかも過去に於いてそれが出來なかつた理由は」云々と述べてをり、十年程前の評論・隨筆家協會が記憶に留められてなかったことが判る。

(60)

大槻憲二について近年の研究に、曾根博義「『精神分析』創刊まで――大槻憲二の前半生『『精神分析』戦前編 解説・総目次・索引』不二出版、二〇〇八年六月)がある。一九二四年以降の文藝評論家時代の大槻は早稻田と關係の深い據點を足場にした由だが、その點は評論・隨筆家協會も同樣である。

(61)

形田藤太「明治文學研究史」日本文學社『月刊 日本文學』一九三二年三月號特輯「明治文學大觀號」p.98參照。掲載號の同紙型單行本化が、日本文學社編輯『明治文學史集説』日本文學社・大阪寶文館、一九三二年六月。

(62)

姉崎正治「序言」『改訂註釋 樗牛全集 第五卷』博文館、一九三〇年十月、pp.3-4參照。ここへの着目に、長尾宗典「日本美術史」の試み――高山樗牛における国民美術ロマンチシズム――注(41)、日本思想史懇話会編『季刊日本思想史』第67號特集――近代の歴史思想」ぺりかん社、二〇〇五年十二月。

(63)

福田久賀男「高須梅渓の主宰誌『新評論』」『探書五十年』不二出版、一九九九年三月、pp.248-249より孫引き。八號(岡村盛花堂發行、二卷六號、一九一五年六月號)卷末「讀者諸氏に告ぐ」が原文らしいが、第三號以降所在不明のため未見。なほ福田は「手許にあるのは右の一二冊までp.247と書いてゐたが、この時のこと(初出『日本古書通信』一九九二年九月號)をのち顧みて「多分これが最終号であろうと思われる第一四号までを通観した上で、私は紹介記事を書いた」と記したのは、その間に二號追加入手して記憶が混同したのか福田久賀男「紅野敏郎著『雑誌探索』、『貫く棒の如きもの 白樺・文学館・早稲田』」『国文学研究』第百十二集〈書評〉、一九九四年三月→「『雑誌探索』と『貫く棒の如きもの』」前掲福田著p.99。ここで批判されたのは、紅野敏郎「雑誌探索3 竹久夢二の表紙と新評論」『国文学 解釈と鑑賞』一九八五年七月號→新評論―竹久夢二の表紙と高須芳次郎・鍋井克之・近松秋江ら―」『雑誌探索』

(64)

谷沢永一「自然主義文芸評論研究前史」『明治期の文芸評論』前掲pp.299-300參照。但し『日本現代文學十二講』の大正期は「単なる人名の羅列に終わっている」と不評。谷沢永一『大正期の文芸評論』「研究史覚書」(「四 大正期文芸評論」中「2 文芸評論史」)〈塙選書〉塙書房、一九六二年一月、p.277

(65)

近井哲一郎「王堂と臨川――評論界の二雄將――」新評論社編輯『新評論』一九一四年十一月創刊號、岡村盛花堂、p.39。同樣の言が卷末「記者より讀者へ」「告白」にも見え、これは同誌の方針と覺しい。

(66)

飯田泰三「大正期文明批評家著作一覧」法政大学法學志林協會『法學志林』第八十卷第三・四合併號、一九八三年三月、參照。

(67)

その軌跡は『東方之星』、『日本時代』(新東方協會、一九二八年一月創刊)など高須主宰の雜誌群に辿れ、うち新東方協會における政治的活動については、福家崇洋『戦間期日本の社会思想 「超国家」へのフロンティア第七章「一 日本主義運動の胎動人文書院、二〇一〇年二月、pp.251-253)に記述がある。そこで取り上げてない資料として、『文藝時報』第八十號〈時報〉欄(一九二八年八月三十日)「高須氏等が「新東方協會」を」、高須芳次郎「中正派の樹立(二)(『文藝時報』第八十三號、一九二八年九月廿七日)、高須生「新東方協會の誕生‖‖全日本主義の新團體‖‖」及び各紙記事再録「新東方協會に對する反應」(『東方之星』秋季號、一九二八年十月)等參照。

(68)

神谷昌史「東西文明調和論の三つの型――大隈重信・徳富蘇峰・浮田和民――」大東文化大学大学院法学研究科『大東法政論集』第九號、二〇〇一年三月、參照。

(69)

柳田泉「本となるについて」柳田泉・勝本清一郎・猪野謙二座談会 明治文学史』岩波書店、一九六一年六月、p.531參照。

(70)

吉田栄治「高須梅渓『近代文芸史論』」法政大学国文学会『日本文学誌要』第六號「日本近代文学史叙述の研究2」一九六〇年十二月、p.37參照。

(71)

一例が、篠田太郎「明治文學研究に關する一考察」『月刊 日本文學』一九三二年三月號特輯「明治文學大觀號」pp.133-134。『史的唯物論より觀たる近代日本文學史』(春陽堂、一九三二年四月)の著者らしく「ブルジョワ」といふ評語を煩いほど浴びせかける文だが、そんなイデオロギッシュな篠田でさへ高須著『日本現代文學十二講』に就て「近刊の豫定の拙著日本近代文學史は氏のこの書から多くの指導と案内を得て、そこからプロレタリア的觀察に向つたものであることを明らかにしてこゝに謝意を表して置く」と述べてゐた。

(72)

河野桐谷(讓)は劇作家・美術批評家。稻垣達郎「早稻田大學英文學科 文藝家點描 第二部」(早稻田大學英文學會『英文學』第四號「回顧七十年」一九五二年十月、p.141に一九〇五年の早稻田大學部文學科第一回卒業生として高須芳次郎と共に列記されてゐる。國粹的な面と江戸趣味でも相通ずる。

(73)

文明・文化の語史から論じた文獻は汗牛充棟、近代日本に關しては、生松敬三「文化の概念の哲学史」(『岩波講座哲学XⅢ 文化岩波書店、一九六八年八月)西川長夫『[増補]国境の越え方 国民国家論序説(〈平凡社ライブラリー〉平凡社、二〇〇一年二月)等が詳しい。しかしそれら文明/文化論で全然參照されない先行研究として、木村毅「明治文化とは何か――点線的な私の回顧――明治文化研究会『明治文化研究 第一集』日本評論社、一九六八年五月)が有益。兩語の分岐過程を同時代人としての自己の體驗談を交へつつ考證したもの。あとは、大正期以降の「文化史」の史學史が要る。

(74)

この分野については、関良一・平岡敏夫共編「近代文学文体研究文献総覧(『國文學 解釈と教材の研究』一九五九年九月號「特集 近代文学の文体研究」)、就中「(2) 近代文章史」參照。但し言文一致への發達史とした敍法が多く、「新聞文學」の如く文體からジャンルを見出す着眼に乏しい。

(75)

同書は「近代文学文体研究文献総覧」に漏れ。私藏本は長連恒講述『日本文章史』と合册の上「日本明治文章史」と背文字が箔押しされ、奧附刊記無し。別に「改元して大正の世となつたが」と始まる前文を附した異版あり、岡野他家夫『明治文學研究文獻總覽』「明治文學研究主要文獻年表」(冨山房、一九四四年三月)が大正三年の項に月不詳として載せるのはそちらか。『近代文学研究叢書 第四十巻』「生田長江」(一九七四年十月)の著作年表吉田文子によれば『文章講義録』一九一〇年十月十五日〜一九一一年五月一日が初出らしいが、未見。新聲社→新潮社の別働隊であった大日本文章學會改め日本文章學院については、宮崎睦之「〈独習〉と〈添削〉と――佐藤義亮の講義録――」『日本近代文学』第60集、一九九九年五月、參照。高須芳次郎は「講義録の編輯者であつた」由、所引の前田夕暮の回顧文に見える。

(76)

五十嵐力・服部嘉香について特記するのは、原子朗『修辞学の史的研究』早稲田大学出版部、一九九四年十一月。

(77)

蔀際子「宇野浩二の文章論――『文章往来』を中心に――」金沢学院大学文学部紀要編集委員会『金沢学院大学文学部紀要』第2集、一九九七年三月、參照。

(78)

曾根博義「厚生閣(書店)とモダニズム文学出版」日本近代文学館『日本近代文学館年誌 資料探索1、二〇〇五年九月、參照。

(79)

月刊文章編輯部編『明治の文學』(厚生閣、一九三八年十二月)はこの同紙型單行本化で、中山栄暁「明治文学研究と昭和十年代初期」(『國文學 解釈と教材の研究』一九六五年七月號)に取り上げられたことがある。

(80)

荒井真理亜『上司小劍コラム集』(龜鳴屋、二〇〇八年十月)に集成の短文も一種の新聞文學で、千葉龜雄「新聞と文章道」(前掲)でも折紙附き。

(81)

清水良典『文学の未来』風媒社、二〇〇八年十二月。

(82)

鴨下信一『忘れられた名文たち』文藝春秋、一九九四年一月→〈文春文庫〉一九九七年二月。單行本の帶の惹句は「文の極意は雑文にあり」。續篇は、仝『忘れられた名文たち 其ノ二 日本人はこんな文章を書いてきた』文藝春秋、一九九八年六月。

(83)

高須芳次郎「清算に漏れた明治文壇の人々【上】」『東京朝日新聞』一九三一年十二月十七日。以下【二】【三】【四】と二十日まで連載。

(84)

関良一「柳田泉と勝本清一郎」前掲『國文學 解釈と教材の研究』一九六一年十月號「特集 近代日本文学研究史―研究法と研究者―p.59。引用した一句はそれとは「発想を異にしている」と柳田泉を持ち上げる爲のものだが、さう斷ったのは柳田にも好事家らしさがあるからだらう。関井光男「日本近代文学研究の起源」(前掲)も三好行雄の「好事家」といふ評言に拘泥してゐた。

(85)

高須芳次郎「成島柳北と服部撫松――明治初期の文學者(2)――」中「(三)天下一品の雜録」『文章倶樂部』一九二八年三月號、pp.130-132參照。

(86)

よく引かれるのが、野崎左文「成島柳北仙史の一面」明治文化研究會『新舊時代』第二年第八册、一九二六年十一月→「成島柳北仙史の面影」『私乃見た明治文壇』春陽堂、一九二七年五月、p.262増補 私の見た明治文壇1』〈東洋文庫〉凡社、二〇〇七年二月、p.244。他に、徳富猪一郎氏談「新聞一夕話(四) 郵便報知と朝野」『京城日報』一九一四年八月四日→神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ『新聞記事文庫』所收〈http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/DetailView.jsp?LANG=JA&METAID=00078003〉、を擧げておく。「朝野新聞は、何よりも成島柳北の雜録で賣り出した。雜録とは名の如く雜録で、譯も他愛もないことを書いてゐた。諷刺的文章で、如何にも輕妙なものである。[……]彼にユーモリストといふ言葉を與へるのは、少し過ぎるが、江戸兒特有の輕妙な諷刺は田舍者の重苦しい文に比して、洒麗な薩張りしたところがあるので、隨分雜録を眞似するものが出たけれども遂に渠に及ぶものはなかつた」。柳北の獨創より、亞流が出る程に一種の類形式を成したことに注意。

(87)

中村幸彦「近世圏外文学談」『中村幸彦著述集 第十三巻 近世世語』中央公論社、一九八四年七月、p.295以下參照。

(88)

中村幸彦『中村幸彦著述集 第二巻 近世的表現』「第二章 俳言とその流れ」中央公論社、一九八二年六月、p.105。大町桂月『日本文章史』をも引く。圈外文學論は文體論から發想されてゐる。

(89)

中村幸彦「圏外文学の文章」『日本近代思想大系16 文体 付録[月報7]』岩波書店、一九八九年一月。

(90)

渡辺一考「文庫版解説 天の邪鬼の読書記」酒井潔『悪魔学大全Ⅱ』〈学研M文庫〉学習研究社、二〇〇三年十二月、p.387。この列擧に入るべきものについては別に、渡邊一考「芋蔓冗語――坂ノ上言夫について」幻想文学出版局『幻想文学』第27號「特集 猟奇と哄笑 異貌のエロ・グロ・ナンセンス 日本幻想文学誌【四】昭和篇」一九八九年九月(季刊)、もある。筆者については、インタビューFantastic Editors 渡邊一考(雪華社):南柯の夢に憑かれて…」『幻想文学』第13號、一九八五年十二月、參照。

(91)

文學史への抱負とその不全感を語るのが、高須芳次郎「書齋漫語‖‖明治小説の研究について‖‖」京都帝國大學國文學會編『國語・國文』創刊號、星野書店、一九三一年十月。大學人でない稿料生活者の不利をかこちて哀感漂ふ。

(92)

平岡敏夫『日本近代文学史研究』「まえがき」有精堂、一九六九年六月、p.2

(93)

拙論でその一端は跡づけた。「『文藝春秋』附録『文壇ユウモア』解題及び細目――雜文・ゴシップの系譜學のために――日本大学大学院文学研究科国文学専攻『日本大学大学院国文学専攻論集』第二號、二〇〇五年九月、參照。

(94)

拙論「一九三〇年代匿名批評の接線――杉山平助とジャーナリズムをめぐる試論――日本大学国文学会『語文』第百十七輯、二〇〇三年十二月、參照。

(95)

阿部眞之助「毎日時代の保ちやん」『恐妻一代男』文藝春秋新社、一九五五年十二月、p.138參照。但し千葉龜雄だけ一九三五年十月早くも病歿。

(96)

この點を夙に強調し古代學としての民俗學と對立させた書評が、岡正雄「柳田國男著 郷土生活の研究法」日本民族學會『民族學研究』第一卷第四號、一九三五年十月→後藤総一郎『柳田国男研究資料集成 第1巻』日本図書センター、一九八六年六月、所收。柳田自身は考現學との異同から説かうともし、時代の波に洗ひ去られつつある現在性に注目した。「女性生活史(三)」中央公論社『婦人公論』一九四一年三月號→『柳田國男全集 第三十巻』筑摩書房、二〇〇三年八月、pp.376-378參照。殘留を古來の基層文化なり民族性(エトノス)なりの超歴史的な持續と解すると古代學に陷る。

(97)

野村修「文学史と文芸学」『新しい天使 ヴァルター・ベンヤミン著作集13』晶文社、一九七九年八月、p.140→改譯、野村修編譯『暴力批判論 他十篇――ベンヤミンの仕事1――』〈岩波文庫〉岩波書店、一九九四年三月、p.257該當。

もり  やうすけ、文理學部人文科學研究所研究員)


Digression into Journalistic Literature and Other Extra-literature : A Note about TAKASU Yosizirô(Baikei)'s Forgotten Ideas of Literary History

初出『研究紀要』第八十一號(日本大学文理学部人文科学研究所、二〇一一年三月三十日發行/四月末出來)pp.1-28.より再刻轉載、誤記誤植を訂す。


▲刊記▼ 【書庫】たのしい知識 > 新聞文學その他圈外文學への脫線――高須芳次郞(梅溪)の埋もれた文學史構想に關する覺え書き――

發行日 
2011年5月13日 開板/2011年6月16日 改版
發行所 
http://livresque.g1.xrea.com/GS/extra02.htm
ジオシティーズ カレッジライフ(舊バークレイ)ライブラリー通り 1959番地
 URL=[http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/GS/extra02.htm]
編輯發行人 
森 洋介 © MORI Yôsuke, 2011. [livresque@yahoo.co.jp]
亂丁落丁(リンクぎれ)、誤記誤植、刷りムラ等、お氣づきの點は、乞ふ御一報